「ボインこそ俺のエネルギー源……いくらでも走れるな。あ、そう言えばもうすぐ文化祭 な 」
「いつ?」
「うちは31日 よ」
「え、ハロウィーンとかいうのじゃなかったっけ?同じ日なんか?」
「そうそう。どうせならセットでやっちゃえ的な」
「なるほど?」
「だから、早く部活決めたほうがいいぜ?」

その言葉は、いまエドワードが最も聞きたくない言葉だった。
顔をしかめ、黙りこむエドワードの頭をぽんぽんと叩き、ジャンは笑った。

「だぁいじょうぶ って!!じゃ、またな!」

エドワードがジャンと別れて廊下を回り、階段を下りようとすると、ポンっと不審者に肩を掴 まれた。
咄嗟にエドワードはその手を打ち払い、身構える。

「痛っ。エディ、あんまりだよ」

そこに困ったような微笑を湛えたロイがいて、しばし唖然としたエドワードは、ロイの後ろに 今朝見た美人女生徒がいることに気づく。
彼女も目線に気づき、すっと目を細めた。

「リザ・ホークアイよ。幼馴染なの」

隣の変質者を指さして、リザは至って冷静な顔で言う。
その頭の中では、エドワードの身のこなしを分析していた。
普通なら肩に置かれた手を打ち払い、反撃に備えて身構えるなんてことはしない。
一体どんな育ち方をしてきたのか、と心配にまでなってしまう。

「もう、うんざりだ!オレがなんだってんだよ?付きまとうのはいい 減にしてくれよ、この ド変態ストーキング野郎!」
「あっ……!エディ、待ってくれ!」

身の返し方や構えのポーズを思い返して、相当腕は立つと見たが、自分から暴力を振るうこと は滅多にないようだ。
一体、どれだけの喧嘩を買ってきたの ろうか。

「彼のあだ名“キング”と“ストーカー”を引っ掛けるなんて、ユーモアも侮れないわね…… 」

そんな分析をしていたら、いつの間にか二人が視界から消えていた。

「まったく。ロイも、好きなら好きって言えばいいのに。こういうところは本当にダメね」

ため息をついて覗き込んだ校庭を、全速力で横断する二人の姿が見え、リザは微笑ん 。



エドワードは必死に走り、カバンを抱えて全速力で駅に走った。
改札を通って、後ろも見ずにひたすら走り、ちょうどホー に止まっていた電車へ飛び乗る。
ドラマやマンガなどでよく見かける光景 。

「エディ!」

叫び声も虚しく、ベルが鳴り終わると同時に扉は閉まり、目の前で悔しそうな顔が見つめる。
直後動き出した電車の中で、エドワードは大きく息を吐く。
降りる駅も知らなければ、住所も知らない。
しかしまた明日顔を合わせなければいけないことを考えると、気が滅入ってよろよろと座席に 崩れた。

「なんなんだよ……ったく……」

顔がいい けで変態の男に追いかけられる趣味はない。
明日からどうするか対策を考えるべく、エドワードは座りなおして腕組みをした。



インターホンが鳴って、椅子が揺れるほど驚いたのは、このアパートの小さな部屋に訪問者な どやって来た試しがないからだ。
アルフォンスは手のひらに汗をかきながら、必死に知能指数の高い頭脳をフル回転させ、どう したらいいか考えていた。
恐る恐るチェーンをかけたままドアを開け、隙間から外を覗く。
そこには、一人の高 生が立っていた。



アルフォンスはドア越しに相手をじっと見つめた。
どうしよう。
何を聞けばいいの ろう。

「やあ。俺はロイ・マスタング。エドワードの友達 」

にっこりと微笑む黒髪の男子は、なるほど美形で切れ長の黒い目が知的に輝いていた。
ドアの隙間から鎧の顔が覗いていても微動だにしないロイとは逆に、アルフォンスは動揺をな んとか抑えつけようと躍起になっていた。

「あ、あの……兄さんはま 、帰ってなくて……」

ま 学校が終わる時間ではないということもすっかり忘れて、この姿を見て逃げ出さない珍し い青年を見下ろした。
産まれた時から一緒に遊んでいるウィンリィくらいしか、アルフォンスの 顔を知る者はいな いの 。
幼い にロケットを開発して殺される夢を見たアルフォンスは心を閉ざしてしまい、それ以来 風呂に入る時以外は鎧の甲冑に身を包み、自分を している。
近所のスーパーにも、この姿なら出かけられる。
兄といる時は顔を見せることもあるそうだが、その辺は謎に包まれており、調べようとすると 身辺に危険が及ぶので不明のままである。

「待たせてもらえないかな?エディにさせてしまった誤解を解きたいん 。こういうのは、す ぐにしておかないと。 むよ」

こういう時に、やたらと顔が良いのは有利に働く。
アルフォンスはしばらく考え、るフリをしてすばやく相手の表情や服装、持ち物から情 を集 め、この人間は自分と兄に危害を加えないと判断してゆっくりとドアを開けた。

「どうぞ……狭いですけど」

ドラマなどでよく見かける、1Kのせまいボロアパートだ。
二階建ての二階、ドア前の通路はすれ違うのがやっとである。
こんなところに兄弟二人で住んでいたのかと知って、ロイは胸が め付けられた。

「狭くてすみません。お茶もなくて……お水しかないんですけど」

ガシャンガシャンと動くたびに小さく沢山の音をたてて、鎧の手が水の入ったコップをちゃぶ 台に置く。
ロイは畳に正座し、部屋を見渡した。
本が本棚から溢れ床に山積みになっていて、家具は本棚とちゃぶ台以外見当たらない。
窓の外には布団が一式干してある。
二人で一枚の布団に寝ているほど貧乏なの ろうか?
ロイは別の意味で鼻血を噴きそうになった。

「きみの名前は、なんというんだい?」

目の前に座る鎧の姿は、ロイよりも座高が高い。
しかし不思議と、恐怖は感じなかった。
むしろ、“エドワードの弟”という義兄弟的な愛しささえ湧いてくる。

「あ……アルフォンス」

無表情な鉄の奥から、小さな声が響いて聞こえた。

「アルフォンスか。いい名前だ」
「……ありがとう、ございます」

ロイはそれほど喉が乾いているわけでもなかったが、ちゃぶ台に置かれた水を一口飲んだ。
少しの間、沈黙が訪れる。

「ご両親は、どんな仕事なのかな」

ロイがにこやかに尋ねると、消え入りそうな声が返ってきた。

「母は小さい 、病気で死にました。父は……どこにいるのやらサッパリ」
「なんということ ……」

あまりの事情に目線を彷徨わせたロイは部屋が、 究に明け暮れる科学者が寝泊まりするため けの部屋のよう ということに気づき、改めて驚愕した。
父親の部屋に、二人で住んでいるの ろう。

「すまない。辛いことを思い出させてしまったね」
「……いいんです。もう慣れましたから」
「生活費はどうしているんだ?」
「……」
「……立ち入りすぎたよう ね」
「いえ。……父が定期的に振り込んでくれます。でも転々としてるみたいで……どこにいるの かは」
「そうか……」

アルフォンスはぺらぺらと滑舌のよい自分に驚きながら、ロイを見た。
そもそも部屋の中に他人がいること自体、逸脱した状況である。
アルフォンスは鎧の中でゆっくりと息を吐いた。

「兄さんと……仲良くしてくれているんですね」
「ああ。俺は……エディを心から愛しているんだ」

そう言った瞬間、と書けば賢い読者の皆様には展開が予測できたと思うが、ご想像通り帰って きたエドワードがまさか先回りしているとは思わない人物が、コミュ症の弟と自宅のちゃぶ台 をかこんでいるのを見て顎を外したまま立っていた。

「あの……」

エドワードの後ろを別の部屋の住人が通ろうとして、
「あ、スイマセン」
とやむなく通行に邪魔なドアを閉めて中に入ったが、 の中身がスポンと抜けてしまったよう 。

「てか、……え?」
「お邪魔しているよ、エディ。君の誤解を解きたくて、待っていたんだ」
「……は?……や、……え?」

いっぱいいっぱいに混乱するエドワードの前に立って、ロイはぶらさがる照明カバーに頭をぶ つけたが えた。

「君が好きだ。大好きなんだ」

そっと手を握ったとき、初めて会った時のことがトラウマになって思い出され、エドワードは 反射的にロイを投げ飛ばした。
当たったドアが開き、外へ飛び出したロイの体は廊下の手すりを越え、駐車 の砂利から鈍い 音がしたが、見もせずにドアを閉めてきっちり鍵をかける。
アルフォンスがこちらを見ていた。
彼はおもむろに頭部の兜を取り、珍しくよく似た金色の目が真っ直ぐに兄に向けられるのが見 えた。

「あの人、いい人 よ。兄さん」
「はあ!?おまえは何もわかってない!オレが学校でどれだけヒドイ目にあってるか!行く先 々ついてきてウゼェし、ま 転校して3日 ってのに挙句の果てにはセクハラまでしてきて」 「兄さんのことが好きなのなら、当然のこと よ」
「……は?」

再びエドワードの思考が木っ端微塵にされた。
確かに、何か言っていた。と、先ほどのロイの台詞が蘇る。
そもそも弟が 顔で意見している。これは余程の事態である。
しかも、あの変態を庇うような発言をしている。
何がどうなっているのか全く理解できず、エドワードは取り敢えず深く考えない方向で自分の 頭を落ち着けようとした。

「好きとかなんとか……知らねえよ」
「……」

アルフォンスはゆっくりと仮面を戻し、ガシャガシャ音をたてながら夕飯の支度を始めた。
エドワードはちゃぶ台の前、先程までロイが座っていた場所に力なく膝をつき、飲みかけのコ ップの水を眺めた。



翌日。
つまり、エドワードが転校してきてからたったの4日目である。
よく れなかったエドワードは、寝ぼけまなこで教室へ現れた。
それでも遅刻しない時間内なのは、彼の意外と 帳面な部分だ。
通った席の生徒が数名と、リンとウィンリィが声をかけてくる。

「おはよう!エド」
「おイ、昨日早退 ったのカ?どうしたんダ?」
「あーおはよー……べつに、大したことじゃねえよ」

エドワードの顔は青白く髪は傷み、目も半開きで三白眼、唇も紫色でカサカサしていた。

「ホ、本当に大丈夫か!?無理はよくなイ」
「大丈夫 って!ちょっと寝不足な けだよ」

普通に心配してくれるリンとウィンリィが天使のように思える。
しかし和んだのも束の間、わいわいとした教室に社会担当のグリードが入ってきて、一気に空 気が凍りついた。

「おはよう!イイ夢見れたか?強欲な俺の生徒たち」

静まりかえった教室に、大声が響き渡る。
生徒たちの恐怖と嫌悪感は、先生は気にならないようだ。

「今日はまず、文化祭の出し物についてまとめるぞ。今回のメインは演劇部のヒーローショー !そこでまず出演者を決めたい。主演は2年生のマスタングが決定されて揺るぎない。しか し、ま その他は決まってねえから……やりたい奴ぁ、手ぇあげろ」

教室は相変わらず死んだように、誰も動かず何も言わない。
エドワードはそっと周りを見渡したが、何の変化もなかった。
その光景を見てグリードは、引きつった笑みを浮かべる。

「ん~?恥ずかしがってると、欲しいモンは手に入んねえぞ。まあいい、今回は特別にこのグ リード様が決めてやろう」

エドワードの前に座っていた女子生徒が、息を呑むのが聞こえた。
生徒たちの心境は完全に無視したまま、グリードは先を続ける。

「そうだなあ……おまえと、おまえ。あと、おまえも 」

教壇から下りて机と机の間を歩きながら、台本を気に入った生徒たちの机上に置いていく。
演技も見ずそんな適当な決め方でいいのか?とエドワードが訝しんでいると、グリードがすぐ 横に来た。

「あと、おまえ。入ったばっかりのエルリック な。おまえは悪役にピッタリ 」
「なに?」
「おっと、断ってもいいん ぜ、お礼に放課後の補習をくれてやるよ」
「なんだと……てめぇっ、」

エドワードが立ち上がると、グリードの鋭い眼が威圧的に見下ろしていた。

「口の聞き方に気をつけろ、エルリック君?」
「……ッ」

ふるえる拳を握りしめて、吐き出したくなる嫌悪感をたぎらせ、エドワードは椅子に体を戻し た。
グリードの顔つきが頭にくる。

「そう、それでいい。でも……先生をてめえ呼ばわりってのは、見過ごせねぇなぁ、放課後に 職員室へ来いよォ?」

ざわめいた教室を一睨みして黙らせ、グリードは意気揚々と教壇へ戻った。

「さてと、楽しい授業の時間 。60ページを開け!」

エドワードは教科書の上に置かれた台本の上で握りしめた拳を見つめ、深く息を吐いた。



薄暗い体育館の舞台上で、端に腰掛けて台本を開く。
よくある子供向けのヒーローショーのノリで、主人公が悪役にさらわれた女性を助け、悪をコ テンパンにして女性と恋の花を咲かせる、ありがちな物語だ。
単純明快すぎる脚本と文化祭のお芝居という2つの要 に心底げんなりしながら、エドワード は持ち前の生真面目さを発揮して練習を始めた。
立ち上がり、手を広げていかにも横暴な風に言ってみる。

「オラオラ、さっさと連れて行けよ!グズグズするんじゃねえ!……、なんかなぁ……」

自分の性格と役柄のギャップに戸惑いこめかみ辺りを指でかくと、突然声が聞こえた。

「待つんだ!彼女を放せ、この悪党め!」

恥ずかしくて一人でこっそりと思っていたエドワードは、飛び上がる程驚いた。
振り返ると、舞台の袖からロイが現れた。

「きみもやるん な、嬉しいよエディ」
「……おう」

昨日の傷は見当たらない。
一気に気まずくなったエドワードは、逃げる言い訳を考え始めた。
それを感じ取ったのか、ロイは自嘲気味の微笑を浮かべ、両手を広げる。

「大丈夫、何もしないよ。昨日はいきなり押しかけて、悪かった。ちょうどいいから、練習に 付き合ってくれないか?」
「あ、ああ……。いいよ」

傷は大丈夫なのか、と思いながら台本を片手に、役作りのため距離を取る。

「じゃあ、君が出てくる12ページから 」
「よし、えーっと……、フッフッフ、この世の美人は全員オレの物!オラオラ、さっさと連れ て行けよ!グズグズするんじゃねえ!」
「待つんだ!彼女を放せ、この悪党め!」

できる け、彼の性格や昨日までのことは気にしないようにして、演技に集中した。

「誰 、お前は?オレさまの邪魔をしようなんて、バカな奴 !てめえら、やっつけろ!」
「やられてたまるか!彼女を助けるんだ!」

手下をやっつけた主人公は、1対1で悪と向き合う。

「くっ……使えない部下どもめ!オレさまが叩きのめしてやるぜ!」
「望むところ !貴様の野望は木っ端微塵 !」

台本を置き、寸止めの殴り合いを練習する。
エドワードは最後のトドメで、あっけなく倒れることになっている。

「ぐわあーっ!」

舞台に転がったエドワードに手を差し伸べて、ロイは言った。

「なかなか上手いじゃないか。ま 始めたばかりなのに。組手もできるし」

手を掴んで立ち上がり、エドワードは上がった息を吐いて整えた。

「アンタもな」

答えて、握った手に気づく。

「……すまない」

ロイはすぐ離し、さみしげな声で謝った。

「また練習しよう。今日はこれで」

そう言って背を向け、ロイは体育館を後にした。
誰もいない薄暗い舞台に一人残されたエドワードは、微妙な心持ちで佇んでいた。
胸がざわついて、行け、やれ、と叫ぶ。
一体、何を ろう?
罪悪感のふりかけられた何かが自分の中で揺れていて、戸惑った。

「……なんだ、コレ……」

わけがわからず呆れ気味につぶやいて、時計を見る。
時刻が迫っていて、慌てて職員室へ向かった。
途中、先程見たロイのさみしげな顔と背中を思い出す。
少し自分の中のロイに対する印象を変える必要があるのかもしれない、と思い、エドワードは 歩を速めた。



職員室に行ってグリードから反省文提出のありがたいお言葉をいた き、エドワードはようや く家路につくことができた。
すっかり暗くなってしまった濃紺の空を眺めながら、今日一日を振り返る。
昨日、あんなに酷いことをしたというのに、ロイはピンピンしていて、昨日の朝と変わらぬ態 度で接してくれていた。
まあ、その元からの態度が原 であるからして、変わってくれたほうが良かったの が。

「……ヘンなの」

気がつけば特定の一人のことばかり気にして考えていて、誰かに聞かれたわけでもないのに恥 ずかしくなる。
好きだと言われて、自分はどうすればいい ろうか?
すぐには答えがみつからない、と思ったところで、即効NGを出そうとしていない自分がいる ことに気付いた。

「っなに考えてんだオレ!」

頭を横に振って、邪な思考を払い落すかのように速足で歩く。
のら猫が脇道で鳴く声がして、エドワードはふと歩をゆるめた。
『兄さんのことが好きなのなら、当然のこと よ』
弟のセリフが脳裏によみがえる。
口角を下げて、アパートの階段の前で、エドワードはしばらく立ちつくした。

「……」

考えてもわからない、とあきらめて、とりあえず階段を上りせまい我が家へ入る。

「た いまー」
「おかえり!兄さん」

そこにいるのは元気な笑顔で出迎えてくれる弟の姿。
ああ、いつもどおり 。
いや、違った。

「ちょ、アル!おま……?!」
「え?」
「なにか……あったのか?!」

コミュ症の弟が5歳から10年間ずっと動きづらそうでハラハラし続けた鎧姿ではなく、ふつ うの15歳の男子としてチェックのシャツにジーンズをはいてカレーを煮込んでいるのを見て 、兄はアゴが外れるほど驚いた。

「え?どうして?……ああ、これ?」

とぼけた様子のアルフォンスがシャツをつまんでみせると、エドワードは激しくうなずいた。
かわいい弟はにこやかに説明してくれる。

「きのう、兄さんのお友達が来たでしょ。あの人と話してみて、もう、大丈夫 って思えたん 」

やさしく、外れたアゴを戻してやりながら、アルフォンスは言う。

「だけど、おまえ……」
「うん。……怖かったけど、脱いでみた。……もう、大丈夫 よ」
「アル……、」

次第に、エドワードの顔にも笑みが広がる。
ぎゅっとハグをして、同じ色の髪を撫でてやった。

「そっか、よかったな。……あれはどうした?」

部屋を見渡しても、大きな鎧は視界に らない。

「ああ、明日粗大ゴミだから、もう出してきちゃった」
「えっ?!」

再びショックを受けたエドワードの心臓は、ストレスにより一体いくら寿命が縮まったこと ろう。
あまりにもあっさりしている弟を前に、今まで10年間の気苦労は一体なんだったのかと失神 しかける。
もしかしたら、単にめんどくさくなっただけなんじゃ……いや、もういい、このことは胸の奥 にある“二度と開けないBOX”に入れて忘れてしまおう。
エドワードがやっとのことで立ち直り、カバンを置いて流しで手と顔を洗っていると、横で皿 にごはんをよそるアルフォンスが言った。
もちろん、さっきまでの話はあれで以上である。

「そういえば……きのうの、マスタングさん。どうなったの?」
「エッ」

またしても心臓が跳ねる。
本日三度目 。

「どうって、……どーもこーもねえよ」

ちゃぶ台にスプーンを2本置いて、制服を崩し畳に座ると、やっと少し落ち着くことができた 。
アルフォンスがカレーを持って向かって来る。

「……ちゃんと言ったほうがいいよ? 直に本当のこと」
「……いた きまーす」

エドワードはこういうとき家にテレビがないことがとても不便に感じる。
弟の作る死ぬほど旨いカレーライスは、 めつけられる胸の影響でいつもほど美しく味わえな かった。






2011/11


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