<家>
彼はどんな人だと聞かれたら、優しさを秘める人だ、と答えるだろう。
人並み外れた頭脳と能力を抜きにしても、側にいると安心できた。
善悪の判断に戸惑った時、己の価値観を押し付けるようなことはせずに、ただ背を押してくれた。
冷酷に見えるのは表面だけにすぎない。
甘やかさずに、傷を負った時も叱咤されたが、厳しさの裏には自分たちを見守る優しい目を持っていた。
強い黒だ、と思った。
「鋼の。守りたいものはあるか?」
今はもうよく思い出せないが、アルフォンスが出かけていて、どこか田舎の宿屋に二人でいた時、ロイが突然訊ねてきた。
「アルだ。それとウィンリィ」
恩に着る人をあまり沢山あげすぎると、その小さな腕で守りきれるのか?と嫌味を言われそうでやめておいた。
自分としてもそれは傲慢な気もした。
だけど、できることなら血を見ずに、この世界全てを守りたい。
全ては不可能だとしても、それに近づくためにいつまでも努力する。
「仲が良い幼馴染みは、恋人なのか」
「ちげーよ、そんなんじゃねえ。……一緒に育った。あいつも兄弟みたいなもんだ。」
「じゃあ、好きな人は?」
考えたこともなかったことを訊かれ、このオッサンは頭がヘンになったのか、と失礼なことを考える。
15年間男性として生きてきたが、恋愛には無頓着だ。
それどころではなかった、というのが本当のところだが、元来その方面は鈍く生真面目な性格のようだ。
「いない、と思う」
しまった、と思った。
自信なく濁らせたのは自分の心に違和感があったからだが、弱さを露見するようで後悔する。
本当に好きな人はいないのか?
アルやウィンリィやピナコ、母、リザやジャン、沢山の人の心を温かいと感じることができて、皆のことを大切に思っている。
だが、その内の一人でもある目の前の男が訊きたいのは、そういった意味ではないだろう。
と、考え込んでしまったのが悪かった。
ロイが近づいてきたことに、唇を重ねられるまで気が付かなかったからだ。
「……どう感じる?」
一気に怒りと恥ずかしさが頭に昇った。
「てめぇ!何すんっ……!」
咄嗟に左手を振り上げたが、黒い眼を改めて見たとき、わかってしまった。
冗談などでは決してない。
射ぬかれるような目線と握った拳を振り払うようにして、エドワードは部屋を飛び出した。
扉の外や廊下にアルフォンスが帰って来ていたら、と期待したが、残念ながら宿屋の薄暗い廊下には誰もいなかった。
それから、何ヵ月も過ぎていった。
次第にセントラルから遠ざかり、会うこともないまま約束の日が近付いた。
セントラルに戻り、日蝕が迫ってきた日のことだ。
作戦の連絡の為にロイとある空き家へ来たエドワードは、帰りぎわにロイに呼び止められ、来たな、と覚悟した。
「鋼の。全てが終わったら、君は……」
「知らねえよ」
遮った金の瞳は、振り返らない。
「私は、待っているよ。どうなっても」
全身から放たれる拒絶にめげず、ロイは語りかける。
「なあ大佐。おままごとはもうお仕舞いだろ」
「鋼の」
「アンタがどう思ってようと、オレはここへだけは帰らない」
投げ捨てるように言って、金色は見えなくなった。
逃げたようにも見える。
しかし、本当の心は、誰一人読めない。
後見人でもあるこの男を、不器用なやり方で守ろうとしたのかもしれなかった。
残されたロイの黒い目は、金の残像を見つめていた。
まるでその目の裏に焼きつけようとするかのように。
何もかも全てが終わり、新しい始まりが歩きだしたとき、優しい男は国の未来と愛しいものを見守ってきたその目を失った。
賢者の石という切り札が残っていたが、彼は命を奪ったもので取り戻すほど重要なものではない、と拒んだ。
世間の不安とは違い地位は守られた彼は、“鷹の目”である有能な副官をはじめ優秀な部下たちが支えとなってやっていくのだろうが、より良い明日を創る為の戒めとしては対価が大きすぎる、とぼんやり扉に凭れて眺めていた。
「……鋼のか。入ったらどうだ」
変わらない足音で分かったのだろう、さして驚きもせずに呼ばれた少年は机に近付く。
そして、何か重みのある金属を置いた。
「返す。しばらく旅に出る」
目のこと、怪我のこと、これからどうするのかとか、一切聞かない。
聞いてしまったら、未練があるとか、興味があるとか都合のいいように取られる。
銀色の時計を、何も言わずに受け取り、ロイはちがう話を持ち出した。
「あの時、なぜ殴るのをやめた?」
不確定な話のはずなのにすぐに特定できるということは、自分もまた心に引っかかっていたという証明だ。
「殴る価値もない最低野郎だから」
嘘をついて、「じゃあな」と歩き出す。
黒い眼を見て動けなくなってしまったあの時の本当の理由は、悪気がなく真剣なのだと知っていたから。
善意を重んじるエドワードには、目を背けることしかできなかった。
もう二度と来たくない部屋を出ていく。
ロイは何も言わない。
自分が戻らないと知って、驚いているのだろうか?
それとも、まだ帰ってくるとでも、思い込んでいるのだろうか。
エドワードは考えたくない、と強く思った。
ロイの言葉が耳について離れない。
――なぜ……?
ゆっくりと閉めたはずの背後の扉をひらいて、ゆっくりと扉に合わせて体の向きを変えた。
ロイは窓の外を向いている。
光さえも見えないはずだ。
近付いても動かないその様子に、全て見透かされているかのようで無性に腹が立った。
「オレは……オレはなあ!」
穏やかな空気には相応しくない荒げた声が出る。
直後、何かの扉が勢いよくひらいて、ロイの膝をわずかに濡らした。
「うわっ……何で、」
明らかに狼狽した声がする。
悪態をついて顔を乱暴に擦っている。
戻ったら何かが変化してしまう、何かが取り返しのつかない方向へ行ってしまうとわかっていたのだが、これで終わりにするのはエドワードの心の中が「許せない」と叫んでいた。
涙を無かったことにするのに気をとられていて、抱きしめられるまでロイが動いたことがわからなかった。
まただ、と思う。
強さと優しさに包まれて、懐かしくなる。
「帰ってきたな」
そう言われた瞬間、再び何かが洪水のように溢れだした。
止められず、止まらなくてもいいとさえ思った。
エドワードは黙っていたが、顔は歪んでいた。
いま感じるものは、解放と安堵、そして歓び。
しがみついて、子供のように涙を流した。
「バカヤロ……ー!」
胸板をひっ叩いて、椅子がズレる程揺らして、引っ張ってしがみつく。
落ち着くまで、ロイはただ微笑んで暴れる子供をしっかりと抱きしめていた。
目が見えなくとも、この男は見ていた。
エドワードは濡れた頬を袖口で拭い、改めてロイを見る。
当然その目線の意味に気付くことはないだろうと、苦笑してから唇を重ねた。
ずっと見ないふりをしてきた。
遠慮もしていた。
罪悪感もあった。
本当はなにも要らなかったんだ。
「行くよ」
「やはりか?」
なぜ、という寂しそうな声がして、エドワードは見えないだろうが首を振った。
「錬丹術を研究して、ぜってーあんたの目を取り戻す」
強くなる。
エドワードの意思を感じたロイは、口角をあげる。
金の瞳が夕陽の赤を映して、輝くさまが見えるようだ。
「私も、油断できないな」
エドワードはロイの手を一瞬ぎゅ、と握って離した。
そして、部屋をあとにした。
終
2011/09