<明日へ向かう光>



田舎の駅を、汽笛がふるわせる。
父親の反対をことごとく跳ねのけて、母親の心配をよそに16歳の少女は汽車に飛び乗った。
彼女の行く先は、この石炭を食らう怪物と同じセントラルシティである。
錬金術に興味があった幼い から、何かにつけては母に危険 と怒られた。
母は名の知れたオートメイル技師で、町一番の美人である。
明るく快活に笑う包容力抜群の性格を受け継い 娘は、父親の一途で冒険好きな好奇心も持っていた。
外で走り回ることの次に、本が大好きだった。
少女エーデが4歳の時のこと 。

「おとうさん、これなに?」
「ん?ああ……錬成陣のことか」
「れんせいじんって?」
「おまえが大きくなったら、教えてやるよ」

父の持つ本には、普通の女の子ならまったく興味を持たないだろう心躍るような内容ばかり書いてあった。
もちろん、ま 字も習っていない のことなの が、子供の第一感は人並み外れて当たるのである。
しかし両親は愛しい一人娘が錬金術にかかわることを避け、ずっと していた。
親の心子知らず、である。
密かに父の所有する本を読み尽くし、誰かさんと同じように自己流で錬金術を身につけてしまった彼女は、世界が想像より広いことを知って故郷から飛び出したの 。
閉鎖的ではなかったが決して何もかも揃っているわけではない、田舎の村から。
都会に憧れがないと言えばウソになる。
が、それ以上にエーデは、この内から溢れ出る力が何なのか知りたいと強く望んでいた。
本名、エーデ・マスタング、まばゆい金の髪に金の瞳を持ち、強い眼差しと美しい容貌には未 少女のあどけなさが抜けきらない。
過去に何があったのか知る由もないエーデは、汽車が向かう先で待ちうけるであろう数々の出来事に胸を躍らせていた。



エドワードは、珍しい来客を迎えて破顔した。
強く抱きしめた相手は旅に出て以来、近くを通るたびに顔を見せてくれる弟である。

「久しぶりだな、アル」
「うん。兄さん、相変わらず元気そうだね」
「アル!よく来たわね」

コートを脱ぐと、ウィンリィが同じくハグをしたあとトランクと共に預かった。

「あれ?……ボクの可愛い姪は?」
「……行っちまった」

困り果てた表情をエドワードは浮かべるが、その中には理解しているからこそ仕方ない、やりたいようにやって学んでくるのが人間だ、というような色も混ざっていて、アルフォンスは微笑ん 。

「大きくなったね、兄さん」
「ああ!?お前の方が身長ちょっと高いからって、なに上から目線なんだよ!」

相変わらずの反応をお互いに楽しんで、二人とも身長の話ではないことは分かっている。
中央にあるはずだが、いつどんな形でふりかかるかわからないひとつの物語を案じて、兄弟は同じ色の目を少々憂鬱に見合わせた。









数ヶ月前から宿は取らずに、大佐の家に二人して泊めてもらっている。
から家に帰れば、自然顔を合わせることになる。

「ああ、エドワード」
「……」

物音がするほうへ向かい、黙って台所をのぞくと、ロイが料理の準備をしていた。
夕飯の支度にしては、16時は早い。
濡れた手を拭いて、ロイはエドワードを抱きしめる。
これはいつもする挨拶 が、今日はいつもよりしっかりと抱きしめられた。

「帰ってこないかと思ったよ」

冗談のように軽く言うが、その声色の裏には不安が消えて安 している様子がうかがえ、エドワードはすこし面白くなる。
顔を上げると、自然と口づけされた。ほんのりと、セロリの香りがする。
ここまでの関係になるのに、3年かかった。
それでも最後の一線だけは越えてこなかったの が、いま、その線をまたごうとしている自分がいる。
口を開きかけて、第三者が玄関を開ける音に気を取られた。

「た いま~」

弟のアルフォンスである。
毎日街をパトロールして、図書室に遊びに行くのが日課になりつつある彼は、聡明な頭脳を持ち心優しい少年で、童顔だが大人びた言葉を喋る。
台所の寄りそって立つ二人を一瞥すると、やれやれといった体でコップに水を汲みに来た。

「お、おかえり、アル」
「御苦労さま。林檎があるんだが、食べるかい?」
「ありがとうございます。……そうやってると、夫婦みたい ね、姉さんと大佐」
「!?」
「そうかな、それは嬉しい」

さっきの格好に黒いエプロンをつけたロイが抱く、着替えたいのに未 ワンピース姿のエドワードの2ショットは、言われてみれば新婚夫婦の見本のよう 。
にこり、と微笑みかけてくるロイを突き飛ばして、エドワードは2階の寝室へ一目散に走った。

「 直じゃないなあ」

アルフォンスが林檎を切りながらため息をつく。
ロイは義弟になるはずの少年に興味を持った。

「朝、プロポーズをしたん 」
「え!そうだったんですか」
「……早まってしまったかな」

苦笑するロイに、アルフォンスも苦笑を返した。

「姉さんは、なんか不器用 からなあ……本当は大佐のこと、すごく好きなんですよ」
「その、“好き”の度合いが問題なんだよ」

再び包丁を手に取って、セロリを刻む。
アルフォンスは林檎をかじった。

「私の気持ちと、エドの気持ちが同じなら問題ない。だが、必ずしもそうとは限らないだろう?」
「……そうですね」

考え込み、林檎の1/4かけをまな板の横に置いて、アルフォンスは微笑ん 。

「でも、大丈夫 と思いますよ。恥ずかしがり屋な けで、本当は……望んでいること から」
「……ありがとう」
「手伝います?」
「そうだな、あとで呼ばせてもらうよ」

包丁がまな板に当たる小気味良い音を聞きながら、アルフォンスは林檎を持ってリビングのテーブルへ座り、借りてきた本を開いた。
二人ともたいがい仕方がない人たち な、と思いながら、ちいさく笑った。
エドワードは寝室に入って、ドアに鍵をかけた。
さっきしたセロリのキスが、妙に心をざわめかせる。
こんなに焦ったり、動揺したり、する人間だっただろうか?
高鳴る胸を鎮めることができず、ベッドに寝転んだのがまずかった。
繰り返した情事が連想され、跳ね起きる。
つい叫び しそうになって、慌てて口元を押さえた。



ロイも気を遣ってくれているのか、話題にも出さないし、普段通りに接してくる。
こういうところは気が利くの 、とこっそりため息をついた。
あまり顔を合わせないようにしながら、尚且つそれを悟られないようにしながら夕飯を済ませ、アルフォンスとロイが談笑しているのをいいことに、こっそり風呂に入ってさっさとベッドに入った。
しかし、いつもより早い時間だから当然寝れない。
サイドテーブルの明かりも消すと、寝室は薄闇に包まれる。
ふと、昼間の件を思い出してしまった。
何をやってるん 、と思いながら頭は考えるのを止めない。
結婚するとどうなるん ろう?何が変わる?
苗字以外あまり変わらない気もする。
苗字か。

「エドワード・マスタング……」

ぽつり、と口に出したらなぜか物凄く恥ずかしくて、誰もいないのに毛布を頭の上まで被り縮こまった。
廊下で話し声が聞こえた後、ドアが開いてロイが入ってくる。
エドワードは寝たふりをしていたが、バレていたよう 。
ロイは横になり、当然のごとくエドワードに寄り添う。

「エド……」
「だめ。今日、あの日」

後ろから腰を撫でていた手が大人しく肩へ戻り、そこから手へ移動した。
軽く撫でてから、しっかりと握られる。

「わかった。……キスは?」

振り返って、と言わんばかりに薬指が絡まってゆっくり引っ張られる。
と、エドワードは重要な問題に気がついて飛び起きた。

「……ああーっ!」

たった今ウソをついたおかげで、思い出した。
止まって三ヶ月以上は経っている。
おかげで楽 ったから今まで忘れていた。

「どうしたん ?大丈夫か」
「な、なんでもない。ちょっと、忘れてたことを思い出した け」
「ふぅん?」

心配そうに見つめるロイをよそに、ま 確定してないことは言えないと、再び横になった。
心臓がうるさくて、寝れそうになかった。



翌日、エドワードは一人で中央病院の産婦人科へ向かった。
こんなところ、当然来たこともない。
不安と何かで緊張していると、人が良さそうなおばさんの医師があっさり一言くれた。

「おめでとう、3ヶ月よ」

つわりが酷くなったら相談しろとか、定期的に来るように言われ、地に足が着かないまま大佐の家へ帰ってきた。
今日はアルフォンスは出掛けないらしく、昼食のいい香りがしている。
大好きなソーセージを焼く香りに、なぜか気持ち悪くなる。
エドワードはこれがつわりか、と苦笑しながら台所を避けて家に上がった。

「あれ?姉さん、帰ったの?」
「あ、うん……ただいま」

一応、ソファに座ってみる。
開いた窓から爽やかな午後の風が入ってきて前髪を揺らすが、 も体もぼーっとしている。
ロイは軍務で帰りは夜だ。いつどんな風に言えばいいの ろうか。
姉の妙な雰囲気を察知して、アルフォンスが昼食をダイニングテーブルに置いてやってきた。

「姉さん、どうかした?お昼、できたけど」
「いや……あ、オレ今日はいいや、せっかく作ってくれたのにごめん」
「え?……ううん、大丈夫 けど……具合でも悪い?」

確かに悪い。
暴れだした胃を押さえて、立ち上がった。

「平気だって!寝てればすぐ直っちまうよ」
「そう?……必要なもの、あったら言ってね」

多分相手から見ればひきつっている ろう笑顔を浮かべて、寝室へ向かう。
横になっても、胃のあたりは苦しくて、水を飲んで深呼吸してみる。
あまり良くはならない。
ま 明るい部屋の天井を眺めながら、言い訳を考えた。



手を握られる感覚に、ふと目が覚めた。
あのまま、なんとか眠ることができたらしい。
吐き気も少し治まったようだ。

「エド」

横を向くと、心配がありありと浮かんでいるロイが座っていた。
たった今来たようだ。
ベッドの横に椅子を持ってきて、エドワードの手を握っている。

「わりぃ……ちょっと、気持ち悪くて。大丈夫 よ」

時計を見ると、ま 夕方と呼べる時間である。
びっくりして視線をロイに戻した。
よく見ればま コートも脱いでいない。

「なんで、こんなに早く?」
「アルに電話をもらって、早く切り上げてきた。なに、仕事のことは心配ないさ」
「……中尉に怒られるぞ」
「了承済だ。彼女もきみのことを心配していたよ。……冷たい視線はもらったが」

安 したせいか、大分落ち着いてきたエドワードは、ゆっくりと起き上がる。
握られたままの手を返して、4つの手を重ねた。

「あの、さ……、」

ゆっくりゆっくり、慎重に目を合わせる。
こんなロマンチックな演出を自分からするのは、初めて ろう。
ロイも怪訝そうな顔をしていた。

「妊 した」

沈黙は予想できた。
たぶん、彼が喜ぶ ろうとも、思っていた。
けど、改めてこの瞬間に、ロイが心底嬉しそうに破顔するのを見ると、わかっていたとは言え涙が溢れてくる。
動作はゆっくりしてくれたけれど、強く抱きしめた。
それでも苦しくないように、気を遣ってくれている。

「はは……、このオレが、妊 ……したよ、」

母さん。
エドワードは泣きながら笑った。
ロイの体も震えていた。
自分が揺れているのか、彼が震えているのか判別できなかったが、顔を見せず何も言えないらしい恋人の頭を仕方なさそうに撫でてやった。



助産院の質 なベッドに横たわる金色の髪を撫でて、ロイは胸が震えているのに気づいた。
傍らには産まれたばかりの赤子が、すやすやと っている。
やや軽量だが五体満足でとっても元気に泣いて産まれた。
エドワードも、今は疲労で っている。
そんな二人を眺めているうち、目が霞んだ。

「……っ」

自覚した途端、次から次へ涙があふれる。
らしくない、とひとり笑う。
幸せすぎて夢なんじゃないかと考えるのは何度めだろうか。
力が抜けて、顔を したくて、毛布に埋まった。
人間の体温を感じた。



起きて最初に目に入ったのは、どこか知らない家の壁だ。
聖母のような女性の小さい肖像画がかけられていて、薄暗いが温かい部屋。
手前に目線をやると、小さく動く生き物が寝ているのが見えた。
腹を痛めて産んだ我が子だ。
もうさんざん出して枯れたと思った涙が、いまいちど流れた。
母を失って禁忌を刻印されたこの魂に救いはない。
さして許しを請うつもりもなかった。
そうやって戦い続けてきた。
常に支えてくれ、共に生きると決めたのも、その手を真っ赤に染めた男。
けどこうしていま、自分は確かに実感している。
つま先から旋毛まで、全身で知った。味わった。
神がいるとするならば、どんなお人好しなの ろう。
手で目を拭おうとして、片手に違和感があることに気づく。
何かあると見やると、軍人とは思えない情けない顔でロイが眠っていて、思わず微笑ん 。
確かに感じる。
胸いっぱいにあふれてこぼれ、世界までいっぱいにしてしまいそうだ。
手を伸ばして黒い髪を撫で、その手で小さな小さな赤子の頬に、ガラス細工をなでるようにそっと触れた。
自分の存在がはっきりとした理由を打ち立てて公言する。
これが幸福なの と。














ドアが開いたかと思うと、バン、と大きな音をたてて閉められ、

「おとうさん!おとうさーんっ!」

甲高い声と共に軽い足音が近づいてきた。
矢のような速さ 、と思う間もなく灰色がかった金髪が目の前をかすめた。

「た いま!」
「おかえり」

頬にキスをして、強く抱きついてくる我が子を同じ力で抱き返す。
ため息が聞こえて目線をあげると、コートを脱ぐエドワードが苦笑していた。

「おかあさんも!」

きらきらと午後の陽光にきらめく金の瞳は、そっくり 。
立ち上がって、エドワードと抱き合う。

「おかえり」
「た いま」
「どうだった?」
「ばっちゃんもウィンリィも、変わんねえよ」
「1ヶ月は、ちょっと長かったな」
「……わりぃ」
「でもこういうのも必要だろう。楽しかったか?」

聞かれて、子供は嬉しそうにぱあっと笑う。

「うん!たのしかった!」

その笑顔で、今までの寂しい気持ちも一気に吹っ飛んでしまう。
ロイはやや困ったような笑みを浮かべて、ソファに座り、灰色がかった金色を撫でた。
うれしそうに笑って、ウィンリィにもらったのか、機械鎧の部品で作られたらしい人形で遊び始める。
エドワードが隣に腰を下ろし、肩に寄りかかる。
膨らみ始めている腹を撫でて、笑い、軽く口付けを交わした。






2011/09


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