<選択、もう一つの道>



――「僕は兄さんが幸せならなんでもいい!どうして、そんな大切なこと言ってくれなかったん !」
「アル、」
「言ってくれてたなら、あんなことしなかった!僕はバカじゃないか!」――



エドワードは立ち尽くす。
ロイは悲しげというよりも、うちひしがれて残酷が漂い始めた漆黒の眼で見つめた。

「なぜ、自分に 直になれないん ?」

いつもより低い声に、細い肩が震えた。
エドワードは俯く。金色の髪のふさが、いくつか顔に影を作った。
なにか言わなければ、感情に けてしまう、そう感じていたの が、言葉がみつからない。
やっとのことで口を開いたら、先を越されてしまった。

「君は俺の側にずっと居てくれると思っていた。……答えてくれ、俺の思い込み ったのか?勘違いなのか?それならそれでいい。大人は引き際を心得ているんだ」

エドワードはゆっくり振り向いた。

「答えてくれ、エド」

両肩を掴まれ、こんなに必死になれる部分が彼にもあったのかと驚く半面、何故か恐怖する。
エドワードは答えたいと強く思ったが、口を開くだけで何も言えなかった。
リンの台詞が脳裏を過る。

「エド!」
「……っ!」

怒鳴られるようにして名前を呼ばれ、つい身体が拒絶反応を起こしてしまった。
自分の過ちに気づいたときにはもう遅く、見上げた眼はただの夜より闇夜の黒に光って、絶望と困惑が支配していた。
彼の視線が、エドワードを縛り上げていく。

「あ……、ごめ……」
「……エド、」

殴られたあとのような情けない表情をして、国を統治する地位にある男は、恋人 と思っていた相手にすがるような目線を送る。

「俺は、君にとってなんなんだ?」

彼が泣きそうだ、と初めてエドワードに思わせたのはこれが最初で最後だ。

「アンタとのことに、嘘なんかない……」

自分が泣きそうになっているのを必死に堪えながら、エドワードは口を開いた。
ロイの両手が襟首をつかみ 、身体が大きく揺れた。

「だったら、なぜこんなに苦しめるん !」

悲痛な声が鼓膜を震わせて、エドワードは手を振りほどき、走って家を後にした。
背を向ける直前、振りほどかれた手を再び使って掴もうとしたロイから数歩離れ、エドワードは彼と視線を交えた。
要らないなら要らないと言ってほしい、どのくらい必要とされているのかわからない……ロイの表情が目に焼きついて離れない。
それでも必死に振り切りたくて、エドワードは無我夢中で走った。
要らないと言ってしまうことができたなら、どんなにか良いだろう。
でもそんなことは、できる筈がなかった。
自分にとってどれくらい必要なのか、混乱を招き、選ぼうとすればするほど、 が拒絶反応を起こして、パニックに陥る。
息切れになって立ち止まり、ぐったりと壁にもたれかかる。
窓から見えた四角い空は、夕闇色に染まっていた。





何分経っただろう。
座ったままのエドワードの耳に、静かな足音が近づくのが聞こえた。

「兄さん」

苦笑して誤魔化すしかない。
立ち上がり、もう今は落ち着いてしまった呼吸を残念に思う――ずっと苦しいままでよかったのに。
いっそ、このまま死んでしまえばいいのか。

「……話したい」

目を見ずに精一杯の想いを告げた。
弟は拒否しなかった。





アルフォンスの宿泊しているホテルの一室。
シャワーを浴びてベッドルー へ戻ると、兄は上着も脱がずに椅子に座って俯いていた。
シャワーを浴びる前と変化が見られない。
ため息を えて、アルフォンスは向かいにあるベッドへ腰かけた。
エドワードは床の薄いシミを見るでもなく見ていた。

「昨日はごめん。兄さんを困らせること けは、嫌なんだ」
「お前が謝ることない!」

急に顔が上がり、アルフォンスの目を真っ直ぐに射止める。
しかしすぐに怯えたような色を浮かべて、目を逸らした。

「僕は兄さんが幸せになってくれることが一番嬉しい。大総統 って大切な人 。だから、二人が一緒になってくれればいいと思うよ」
「本気で言ってるのか」
「僕は……、僕の気持ちは」
「オレは卑怯で、自分勝手だ。誰も傷ついて欲しくないん 。だから選べない」

選択には対価が支払われる。
全てを手に入れることはできない。

「いいん よ、兄さん!僕は兄さんに幸せになってほしいんだ。だから、結婚するん 。いい?」

でも、と言いかけて見た弟の瞳は強い意思に輝いていて、エドワードは思わず口を閉じた。
憤り、期待、喜び、奥底にたゆたう何か、それら全てを、愛情が包み込み、溢れて潤む。

「選ぶんだ。彼を」

胸が張り裂けそうなほどの息苦しさに見舞われて、エドワードは震えた。
その手を、アルフォンスが取って強すぎるほどの力で握る。
このままでは、弟を巻き込んでしまう。
ただ少し己の弱さを戒める鎖を、緩める けで。

「お前は、それでいいのか」
「兄さん、まただよ。僕のことじゃなくて、自分のことを考えなきゃ」
「オレの……こと?」
「そう。兄さんが、どうしたいのか、それだけだよ」
「オレ……は、」

握られた手を、振り払う。
その瞬間、すべてが崩れ去っていくのを全身で感じた。
今なら戻れる。
しかしエドワードは戻れない方向へ走りだした。

「……っ」

アルフォンスは何も言わず、目を閉じる。
ドアが閉まり、静寂が彼を優しく包み込んだ。





時計塔の、深夜を告げる鐘が鳴り止んだ。
セントラルに流れる、大河には大きな橋が架かっている。
その欄干に寄りかかり、エドワードは風に揺れる暗い水面を見つめていた。
どちらを選んでも、どちらかを失う。等価交換。
エドワードは口元を僅かに上げた。
誰かを傷つける権利は、自分にはない。
欄干に登って、息を吸い込む。
誰も傷つけたくないなんて、わがままな綺麗事でしかない。
しかしそれでも、決めた事があった。
青年は微笑を浮かべたままひとり、深く冷たい河へ墜ちる。
どちらかに一生罪悪感を抱き続けながら生きていくくらいなら、この世から抹消されたほうがましだ。







2012/03


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