右足、左足、右足。
素早く抜き差し、引っ掛けようとするのを避けて、ボールを奪い合う。だがそれは相手に主導権を握られまいと奪い合うのではなくむしろ、奪い返すためにわざと相手に一旦渡しているようだった。
激しい競り合いに鍵を握るのは、精神力と体力。これ以上続いたら自分の足に負担がかかると判断し、悔し紛れに離れたとき、相手も同じことを考えたのだろう、拮抗していた力がふっとゆるんで、ボールはあさっての方向へ転がっていった。
<A buon intenditor poche parole.(物分かりのいい人に言葉はいらない)>
2-Bと刻まれたガラス戸の前に立つ。授業が終わっているから、もう自動ドアは開かない。不動は誰もいない真っ暗な教室を覗き込み、ガラス戸に肩を預けた。
これから一年、毎日課せられる基本的な学業に加え、学生時代の終焉と新たな舞台の始まりへ向けて、準備をしなければならない。
さっきまで、担任に進路指導相談を受けていた。母親も父親も遠く離れた実家に住んでいて来られないのは助かったが、問題は山積みだった。
単位などは取り返す自信があるが、はっきりした進路も無く、学費もギリギリだ。FFIで名前が売れ特待生として転入できたとは言え、帝国学園での地位は下っ端の貧乏学生。どこかの誰かさんとは雲泥の差がある。それも、今からでは到底埋められない、生まれ持った何とやらが。
ポケットの携帯電話が着信を知らせた。連絡用に無理して買ったもので、時代遅れの折り畳み式だが、不動は携帯電話らしさがあると思い密かに気に入っている。
鬼道からメールが届くのは、あまり珍しいことではないが、彼は用が無ければ何もしてこない。だが今来たメールの文面は、はっきり言って意味不明なものだった。
"今日はコンビネーションが特にうまく行ったな。あれは二度とできないと思う"
朝練の話題だとは理解できたがどう返信していいものか、半ば呆れ半ば困惑して、そのまま携帯電話をポケットに戻した。
不動はガラス戸から体を離し、廊下を進んで階段を降りる。
世間のFFIの熱はやっと冷めたらしく、ここのところは静かになったが、少し前まではメディアに引っ張りダコだった。円堂を中心に、スタメンは雑誌で一人に 一ページを使ってインタビューされたり、ニュース番組のミニコーナーやスポーツ特番、コマーシャル、グッズ用の撮影など、とにかく色々と引っ張り回された。
持ち上げられるのは悪い気はしないが、不動にとっては今は苦痛にしかならなかった。なぜなら、常に鬼道有人と並ばされるからだ。
鬼道有人だけの取材は山ほどあった。円堂と豪炎寺、鬼道の三人でブレイク組と呼ばれもてはやされることも多々あった。しかし自分、不動明王が単独で出ることは無い。常に、鬼道有人の名がつきまとい、彼の持ち上げ役の位置に立たされる。
フリだ、フェイクだ、本当の自分は彼など関係なく生きているといくら言い聞かせても、次に目に入るのは"W司令塔"の文字。
「くそっ……」
階段をぜんぶ降りきったとき、不動の心は決まっていた。
(絶対に、自分だけの力で、このオレを世界に認めさせてやる)
寮の部屋に帰り、ノートに思いついたことを全部書き、破り取って、セロテープで壁に貼った。ふと、さっき鬼道が送ってきたメールを思い出した。返信する事柄 もなく、どうせ明朝すぐに会うのだから特にその必要もなさそうだったが、やはりそのまま無視するのは自分の道義に反したので、こう打った。
"やればできるだろ"
否定的な文面を覆すことによって、見返してやった気がして一瞬気分が良くなった。しかし送信した直後に、言葉の不足によって誤解されるかもしれないことに気 付く。やればできるなんて、どうとでも捉えられる。驕りに聞こえたら最悪だ。
睨み合い、いがみあい、ぶつかり合いながら、いつしか自分の力量を主張するだ けではなく、相手を奮い立たせたりするような意味を言葉に込めるようになった。それでも、言葉が足りなければ伝わらない。
後悔してもどうしようもないと苦い顔で言い聞かせていると、再び携帯電話が着信を知らせ、不動は心の準備をしてメールを開いた。
"楽しみにしている"
冷えて結露に曇ったが再び熱くなって、鮮明に見えるようになった。鬼道はちゃんと、分かっているのだ。賢い男というのは、こうでなければ。芯まで理解されているという歓喜にふるえるこの心を抱いて、踊り出したい気分になった。まったく、現金なものだ。
再び壁のやることリストを眺め、口角を上げる。だがその目に宿る炎の燃料がどこから来ているのか、彼にはまだ自覚がない。
I go to Espana!
end
2014/08