<あともう一言>
晴れた日のグラウンド。イナズマジャパンの練習場だ。
吹雪、ヒロト、風丸が半円形に並んでストレッチをしながら、楽しげに話している。近くにいた鬼道は会話に参加する気はなかったが、彼らの話し声は何となく聞いていた。
「やっぱさー、言葉で伝えなきゃ分からないよねー」
「そうそう。ニュースでやってたんだけど、三十年連れ添った夫婦がいてね、仲の良さの秘訣を聞いたらみんな、会話だって」
「へえ~やっぱりな~」
鬼道は自分にも思い当たる節があってドキリとした。
「夫婦って何も言わなくてもぜんぶ分かってる~みたいなとこがすごいのかと思ってた」
「あれは理想の理想でしょ~」
「よし! 僕やっぱり、円堂くんにちゃんと言う!」
「おお~がんばれ~」
すっくと立ち上がったヒロトのことなど気にならないくらい、鬼道は考え込んでいた。
きちんと言わなければ、伝わらない。例えどんなに強く想っていても。
*
休憩時間、皆から少し離れた木陰で浴びるようにドリンクを飲んでいると、ふと目の前に鬼道が立って見下ろしていた。
「ふ、不動」
「あン?」
呼んだくせに黙ったまま、ゴーグル越しに見つめられて、不動は居心地が悪くなった。
「何?」
「その……お前に、伝えたいことがあってだな」
不動はその先を待つ。ゴーグルに透けて見る、伏せ目がちな、きれいに生え揃った睫毛が、どうしたって期待を持たせる。だが鬼道はきっと顔を上げ、赤い目は反射で見えなくなってしまった。
「しかしお前にはまだ、おれの心の内を聞く資格がないと思う」
「はあ……喧嘩売ってンの?」
脱力。
鬼道は腕組みをして、胸を張った。
「おれもまだ、整理がついていないし準備もできていない。物事は常に完璧でなければならない」
「はあ」
「なので、将来的に……ということでも、いいだろうか」
不動の思考がちょっと停止した。
「――じゃあな」
鬼道は半ば言い捨てるようにして、さっさと背を向け行ってしまう。
「じ、じゃあな。じゃ、ねェよッ! どういうことだよおい!」
ここで追いかけるのもなんだか滑稽な気がしたし、どうせ鬼道は問い詰めても答えてくれないと分かっていて、しかし妙に中途半端な気持ちを残されたまま、不動は立ち尽くした。
頼むから追いかけてくれるなと言いたげに速足で去ってきた。グラウンドを突っ切ってロッカールームへ入ると、入り口の脇にいたヒロトと吹雪がさり気なくついてきた。やはり仕組まれていたか。何も言わなくて正解だった。
「ねえねえ何て言ったの?」
「不動くん、めちゃめちゃキョドってたよね~脈ありじゃないか」
黙って自分のロッカーを開け、着替えとタオルを持ってシャワー室へ向かう。
「ねえ鬼道くん?」
「さては言っちゃったんだな」
「えーっ? やるぅ~」
言えなかったからこそとんでもない結果になっていることを、ヒロトと吹雪はまだ知らない。これから不動を冷やかしに行くだろうことは、沸騰した頭でも予測がついたので、鬼道は言った。
「何も言っていないし、言うつもりもない」
思った通り、「えーっ」と非難の声が上がる。
「せっかく良いタイミングだったのにー」
「おれたちはまだ未熟だ。大人になっても、すぐに成熟した完璧な人間になれるとは思っていないが、それでも今よりはましだ」
鬼道が突き刺すように言ってシャワー室へ行ってしまうと、ヒロトと吹雪は呆れたように溜め息を吐いた。
「まー、頑固で真面目だから、焦らずゆっくりがいいのかもね」
「強情な人が一度崩れたら、どうなるか……知ってる?」
聞こえてるぞ!と叫びだしたいのをこらえ、遠ざかっていく話し声を掻き消すかのようにシャワーのコックを捻り、しばらく冷水を浴びていた。顔のほてりは、なかなか引かなかった。
end
2014/08