<キャラメルミルクチョコレート>






 十年の片想いがやっと実って、浮わついた足や挙動不審も落ち着き、平穏な毎日を共に過ごしていた。平和すぎて不安になるほどの、他愛ない日常。自分がこんな生活を送れるとは思っていなかった鬼道は、幸せを信じていいものかどうか悩んでいた。
 数年前、さんざん迷った挙げ句やはり現在自分の中で育っている感情は特別な友情とはまた違うものだとしっかり認識した時、不動はドイツに行ってしまっていた。その彼が帰国して、鬼道もイタリアから戻り、久しぶりの再会で改めて思った。自分を、笑顔の理由から傷の深さまで理解してくれるのは、この地球上で不動だけだと。それを言葉足らずにも何とか伝えて、二人で泣きながら体を重ねた。しかしその後、今度は失う恐怖が芽生えるのだから、人間とはやっかいな生き物だ。
 人は不安感から情報に振り回される。そしてそういう時に限って、良くも悪くも情報が多く入ってくるものだ。

「ヤってる最中が一番、地が出るよな」
「冷める原因になるヤツだろ、わかるわかる」

 トレーニングジムの更衣室で、他人の雑談など聞く気はなかったのだが、つい耳に入ってきたものだから意識を向けてしまった。若いーーと言っても鬼道と同じくらいの、平凡な会社員らしき三人の男が、着替えながら話している。

「俺、ヤって終わりだと思ってたら、メッチャ怒られたことある」
「オレも前のカノジョでそれやった。今は腕枕しておしゃべりするよ」
「うげー、えれぇ……」
「偉いっ」

 三人分の笑い声を聞きながら鬼道は、全身至るところに流れる冷や汗を感じた。身に覚えがある、どころではない。終わるといつも、何とも言えない恍惚としたもので満たされて、そのまま寝てしまうこともしばしばだ。

「俺、なに自分だけ気持ちよくなってんの!って怒られたことある。それでその子とはバイバイだったなー」
「マジかよ~」
「つれえ」

 鬼道は胃が痛み出す前に、その場を離れた。女性との話だということは分かっているつもりだが、全く当てはまらないわけでもない。不動がいつもの余裕をぶっこいたイラつく表情をしていたって、心の中では何を考えているのか本当に理解している自信は無い。
 涙を拭ってくれた時に見た緑の目が、潤んでいたのを覚えている。自分と結ばれたことに感動してくれているのが分かって、震えるほど嬉しかった。十年前は反抗的で会うたびにくだらないことで神経を逆撫でしようとしてきたが、思い返せばそれはうぶな故に激しい感情の処理をうまくできなかっただけだったと今なら理解できる。
 深いものが込み上げてきて、両の腕に力をこめた。同じ理由で一緒に流した涙は、忘れられるはずがない。彼を手放しはしないと心の底に固く誓った夜、不動もまた、その腕で強く抱きしめてきた。




 *



 疲弊しておらず、飲みすぎてもなく、機嫌も悪くない。こういうときは大抵、風呂上がりにいつもよりやや甘い声がささやく。

「ゆーうとっ」

 だが今日は先手を取った。準備を万端に済ませベッドの上で待っていた鬼道を見つけて、甘い声の主はにやりと笑う。

「あきお……」

 胸の内に溜めていた続きの言葉は、やはり喉が詰まって言えなかった。代わりに、隣に腰かけた不動にゆっくりとした動作で寄り添い、顔を近付けて、迎えに来る唇を受け入れる。

「ん……ふぅ……」

 一頻り舌で戯れていた間に、体はすっかり準備を整える。しかしこのままいつものように組み敷かれてはだめだ、そう思った鬼道は自分から、名残惜しむ唇を離した。胸を押して突き倒すと、驚いた目に見つめられる。自分がどんな顔をしているか分からない。恥ずかしくて、思いきり睨んでしまっている気がする。

「動くなよ……」

 ろくな言葉も伝えられずつくづく可愛いげの無い……と思いながら鬼道は、不動の股間に屈み込んだ。

「えっ、ちょ――」

 動揺する不動を無視して、思わず後退りしようとする足の動きをいいことに、部屋着のズボンと下着を掴んで引っ張れば、自然と脱げていく。不動は笑いそうなのを堪えて口をねじ曲げ、鬼道が改めて股間に顔を近付けると今度は観念したようで動かずに見ていた。
 起き上がり始めていた頭を包み込むように触れると、一気に硬さが増す。恥ずかしくてこんなことは出来ないと思っていた自分は今どこへ行ったのだろうか、鬼道はごく自然に口を開き、不動自身に舌を伸ばした。

「ンッ……はぁ、」

 頭の上で吐息が漏れるのが聞こえ、体の中心がずくんと脈打つ。落ち着けと宥めながら、いつも自分がされているように、自分の気持ちいいと思う箇所を攻めていく。先端を舌で押し、段差を撫で、袋をさすり、裏筋を舐め上げる。苦味を感じてちょっと目線を上げると、不動が眉を寄せていた。

「おい、もういいから……出すぞっ……」

 一瞬目を合わせて聞いていることを示したあと、鬼道は根元までくわえこみ、ゆっくりと吸い上げた。不動の腰が震える。

「ハァ、は……ッ!」

 吐き出された精液が口の端から溢れ、指で拭う。後頭部を掴んだ手から一瞬強くこめられた力が抜けていき、ドレッドを撫でた。

「なんだよ、いきなり……ンなことしなくても勃つぜ?」

 腕を引っ張られ、隣に寝転がる。不動と向かい合って横になったかと思いきや、当然のように体勢を入れ替えられ、不動が組み敷いたいつもの格好になる。

「おればかり快くては、意味がない」
「ぁあ~? オレだっていっつも、快くしてもらってるぜぇ?」

 首筋にキスをいくつか落としたあと、不動はふと愛撫を中断して真っ直ぐ顔を合わせた。

「……なァ、ぜってーなんかあっただろ。言ってみ? 有人がいつもと違うことすんのは、大概ナンか訳わかんねーコトに振り回されてんだから」

 そう見抜く目は流石だ。鬼道は、昔からこういうところだけは敵わないと思いながら、嫉妬しつつ密かにその能力に感謝していた。

「実は……その、男は終わったらすぐに寝てしまったり、自分だけ気持ちよくなったりと、相手のことを考えていないことが多すぎて、カノジョと別れてしまうことがあると聞いてな……」

 正直に話し始めたら全部言い終わる前に、理由が分かったとたん不動は笑いだした。

「ぶっは! あははは! オレ、カノジョなの!」
「わ、笑うな!」

 憤慨しつつ和む。大好きな笑い声と安堵に包まれて、取り越し苦労を知る。

「わりィわりィ……嬉しくてさ」

 可愛いからと言うと怒るのを嫌と言う程知っていて不動は別の表現にすり替えたが、その目が「可愛くて堪らない」と語っていた。赤く染まった頬を、不動の手が撫でる。まだパジャマを着たままの鬼道の下半身に、剥き出しの不動の腰が擦り寄せられた。

「あのさァ。オレは、有人がここにいるってだけで、超嬉しいの。恥ずかしいからあんま見てねェけど、有人の感じてる表情だけでヌけると思うし」
「なっ……」
「こう、さ、目を逸らさないで、お互いにシコれば……」

 動かないようにと頬に手を添えたまま、もう片方の手を鬼道の下腹部へ滑らせたので、思わず笑いながら手首を掴んで止める。不動は笑うのをやめて、少し照れ臭そうに言った。

「十年後、二十年後は知らねーけど、今はマジで何も考えらんねーんだよ……」

 あの時一緒に涙を流して、どっちがどっちの涙だか分かんねえなと笑ったみどりの目を思い出す。この人は変わらないで居てくれる、そう確信できるのが不思議だ。

「明王……」
「だからそんなん悩んでても仕方ねえってこと。分かった?」
「ああ……」

 鼻を付けてからのキスに応え、不動の肩に両腕を預ける。わざわざ教えた覚えは無いのだが、これは挿入していいと言うサインだと思っているらしい。あながち間違いではない。歯列を撫で割られ、迎えた舌を絡めとられて、やわらかい感触がじわりと下半身へ信号を送る。半ば無意識にその腰を擦り付けると、不動が名残惜しみながら欲望に抗えないといった感じで唇を離し、鬼道のパジャマを引っ張って脱ぐのを手伝った。

「だから無理矢理しゃぶったりしてくんなくていーよ」

 体勢を整える合間に、ぽつりと言われたのは照れくさそうなひとこと。鬼道は思わず口元をゆるませてから、きゅっと引き締めた。

「別に、無理矢理じゃないぞ……」

 コンドームを開けようとしていた不動が、ぼそぼそと何か言ったのをよく聞くためにピタリと止まる。

「あ?」
「だから。おれは、本当にしたくないことはできない性質だ。よく知っているはずだが」

 上半身を起こして、聞こえないふりをした不動の肩を掴む。しかし相手は頬を染めて睨み返しながら、溜息を吐いて鬼道の胸を押した。

「……お前さあ、後で後悔すんぞ」

 押し倒された反動を利用して、不動を下に組み敷く。ベッドがぎしっと文句を言ったが、聞いちゃいられない。

「無論、自己責任だ」

 キスを重ね、さっきから中途半端に放置されている不動自身を掴み、ゆっくりと腰を落としていく。

「今日は随分、積極的なんだなァ?」

 ウエストを両側から支え挿入を助けながら抑えきれずに薄い笑みを浮かべて言った不動に、拗ねたような視線を送る。

「おれだって男だからな……」
「ふーん?」

 ここで不動が、もうはち切れそうになってふるふると震えていた鬼道自身を攻めてくるのは予測がついていた。

「ああっ!」

 しかし自分でも驚くほど上ずった声が漏れ、吐精感も相まって激しい羞恥に襲われる。内側からの圧迫が強くなり、独りでに目が潤んだ。

「あんまりカワイイことばっかされっとオレ、ヤバいぜ」

 ささやいて不動は上体を起こし、いくつかキスを落とす。耳たぶを舐められ、思わずビクンと肩が跳ね、不安定になった体は目の前の二の腕を掴む。

「ひぁ……っ、あきおっ……」
「オレはどこへも行かねぇからさ……ちょっとずつにしてくれよ」

 合体を解いて、鬼道は押し倒される。見下ろすみどりの目が胸の奥をかき回し、不完全だったものが溶け合って染み渡っていく。

「なら、お前がちょっとずつにさせろ。は……こっちだって、疲れるんだ……」

 後頭部を引き寄せて、それよりも腰が疼いて自然に揺れ、水中植物のようにゆらゆらと手足が戯れるに任せる。恐怖や不安も溶けて、そこへ入ってきた鎚が体の中心に楔を打ち込む。

「あっ……く、うぅ……っ!」

 待ちかねた刺激に脳天が甘く痺れ、既にしわくちゃになっているシーツを握りしめた。鬼道の腿を掴み持ち折り曲げて、不動はゆっくりとだが強く突き上げる。

「は、イキそ……ッ」

 耳元にかかる吐息までもが愛撫になり、心を直接撫でられているような気さえしてくる。

「ああ……、おれもだ……ッ!」

 鬼道は彼の頬に手を添えて掴んだ。苦しげな表情が少し驚いて、そのあとにやりと笑った。きっと自分はだらしのない顔をしていることだろう。凛々しいはずの眉は下がり、瞼は半分閉じ、潤んだ瞳はすがるようで、口は半開きで、唾液がこぼれないように何とか注意を向けている。だが、見つめ返してくる不動もそんなような顔をしていた。
 ああ、愛しくてたまらない。無意識にそう思った直後、絶頂へ達した。

「あッ、ひ……っく、あぁ――ッ!」

 きれいに切りそろえた爪が食い込むほど背中にしがみつき、痙攣が治まるまで手放した意識の中でたゆたう。呼吸も整ってきた頃、静かにキスをする。確かめれば確かめるほど、もっと欲しくなっていく。

「……眠れそうにないな」
「まだまだ付き合うぜ?」

 にやりと笑う唇に吸い付き、いつしか貪るように、夜が更けていくのも構わぬまま絡み合った。こうして少しずつお互いを知っていくきっかけになるのなら、たまにはくだらない情報に振り回されるのも悪くないと思いながら。





end



2014/08

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