<先手必勝>




 決戦の日。街は赤とピンクのハートマークで溢れかえり、女子がはしゃぐ横で男子がソワソワするこの日を戦になぞらえるのは物騒だが、元はと言えば古代ローマ帝国にて新しい夫婦を誕生させるためのくじ引きが行われる祭りの日だったらしい。その後一時的にローマ皇帝により婚姻が禁止された際、とある夫婦の婚姻を司った罪で斬首刑に処せられたのが聖ヴァレンティウスである。心臓を象った赤い印と表現するとハートマークも血の色に見えるが、現代では安易な恋愛成就のきっかけでしかない。

 そんなことより今は冬休みも明け、帝国学園高等部一年のカリキュラムも終わりに近づき、二年目へ向けて準備を進める時だ。チョコレートなんて糖分と脂肪の塊をせっせとこしらえている場合ではない。誰からもらえたら返事をどうするだのと、浮かれ騒いでいる場合でもないのだ。


 AM07:11
 帝国学園へ向かう途中、見慣れたサッカー部の部員たちが固まって歩いているのを見かける。しかしモヒカンは居ないようだ。――と思ったら、後ろから追い越して行った。つくづく人の神経を逆撫でするのが好きなようだ。あまり気にしないことにする。

 AM08:02
 朝練を終えて着替え、教室へ向かう。ちょっとギリギリになってしまった。
部員全員が準備を完了できるのを確認してから一番先に着く。他の生徒も登校してくる頃だ。鬼道は自分の机の中に装飾された淡いピンクや濃いピンクの小さな箱が四つ入っているのを発見し一瞬眉をひそめたが、その後は不機嫌そうに見えないよう気を遣った。

 AM10:43
 ふと、斜め後ろに座る不動からの視線に気付いた。気のせいかと思ったが、二回、三回ともなると確信を深めていくものだ。
 鬼道は思った。もしかしたら、奴もこちらの様子をうかがっているのではないか。
 いいや、気にすると授業内容が頭に入って来なくなる。やめよう。

 PM13:24
 食堂で優雅な昼食を終えやっと昼休みだと思ったが、鬼道はファンクラブに囲まれてしまった。男女入り乱れる会員たちは、いつものお礼として色々な贈り物をしてくる。甘ったるい菓子が得意ではないとわかっているから、彼らからのプレゼントは甘さ控えめの菓子か、部活で使えるタオルやお守り、ちょっとしたグッズなどだ。それも被らないように会員同士で示し合い気を遣っているのだから、頭が上がらない。精一杯、笑顔を振りまいておいた。

 PM13:55
 やはり間違いない。不動も鬼道と同じように、機をうかがっている。
 昼休みはファンクラブのための時間だとしたら、残る機会は下校時間だ。最悪の場合は特別な場所に呼び出しても構わない……と考えたところで、教師に当てられてしまった。
 思考が中断されたことで冷静になる。
 二人きりにならないことには話が始まらない。とりあえず待ち伏せることは決めて、あとは授業に集中した。

 PM17:36
 サッカー部へ戻っても、やはり二人きりの時間は取れない。
 ここは最初から諦めて、ボールに集中しようとしたが、丸みのあるものはどうも茶色に見えてしまって頭を抱えた。佐久間に心配されたが、自分でも自分が心配になった。
 ちなみに佐久間からは、朝イチでアクリルケース入りの"三十五分の一スケール鬼道有人型立体チョコ"をもらった。中学生時代のユニフォームで、マントがなびいている状態だ。「飾っておく」と微笑んだら、彼は異常に喜んでいた。良かった、食べなくてもいいらしい。


 PM19:07
 裏門から正面へ回り、目立たない場所から校門を見張る。しかし一向に目標の人物がやって来ない。まさか読みは外れ、一人で裏門からさっさと帰ってしまったのか――と思った時、後ろから声がした。

「何してンの?」
「!?」

 驚いて振り向くと、目標の人物がいた。

「ストーカー女子から逃げてンの?」
「いや……ああ、そんなところだ」
「へぇ、大変だねェ」

 面白そうに笑って、不動は歩きだす。いちいち鼻につくが、この状況は彼も望んでいたからだと考えると、他のことはどうでもよくなる。

「あーあ、まったく……アホくせぇよなぁ。製菓会社の陰謀に乗せられやがってよォ」

 駅までの道を並んで歩く不動がぼやいた。

「まったくだ。義理だからと言って渡されても、意味が分からんしな。」
「なーに言ってんだよ、三つも四つもチョコでいっぱいの紙袋持ってる野郎が。自慢か?」
「お前だって机も下駄箱も一杯になっていたじゃないか?」

 言ってから、今の台詞は一日中彼の様子をうかがっていたことが知れてしまうかと焦ったが、そのくらいは誰でも気付くかと考え直した。不動は迷惑そうに言う。

「全部、匿名の義理だよ。名前ぐれぇ書けっての。何入ってるか分かりゃしねえ」

 ぶらぶらと手で摘まむようにした小さな紙袋を揺らす。
 今日一日で受け取ったものを最終的に紙袋三つにまとめて持ってきたわけだが、不動も同じような紙袋を二つ提げていた。財閥や資産家の令嬢たちは、一粒数百円のチョコレートがいくつか入った平たい小箱を義理だと言って平気で配る。ブランドのロゴが入っているリボンにはカードが挟んであることもあるが、大抵は慎ましい応援のメッセージである。彼女たちの好意を受け止め、態度に反映するのが誠実だと鬼道は考えていた。
 しかし鬼道の鞄には、そういう類いのチョコレートとは違うものが一つ入っていた。黒い長方形の小さな箱に、正円形の生トリュフが二つ並んでいる。砂糖は控え、ビターに仕上げた。悩みに悩んだ一週間ののち、昨夜大急ぎで作った割りにはよく出来ていて、完璧だと自画自賛したのも束の間、次に降りかかる難題は渡すタイミングだったというわけだ。

 いつもの角を曲がり、鬼道は焦った。この先の道に出たら通行人が多くなるし、さらにその先は駅に着いてしまう。今しかないと思った瞬間、二人は同時に鞄に手を突っ込んだ。
 そう、同時に。

「……」

 そのままの状態で動きが止まる。お互いに、相手の動きが読めてしまった故に止まらざるを得ない。

「なに?」

 不動は手を鞄から引き抜いて、携帯電話を取り出す。誤魔化しの手段としてはベタだ。鬼道はこれを機に先手を取れると、思い切って例の小箱を取り出した。

「不動」

 立ち止まると不動は鬼道を見た。一瞬のうちに、その青みがかった深緑の鋭い目が胸の前に持つ小箱を見、再び目を見て、そして軽くしばたいた。
 勝った、もしくは幻滅された……と思うのは時期尚早だったらしい。次に何か言葉を発する前に、淡いキスによって唇は塞がれた。鬼道は、あっと言う間もなく重ねられあっという間に離れていった薄い唇を、恋しく思うと同時に憎んだ。

「何これ?」

 永遠にも感じた瞬間は既に終わり、胸の辺りに押し付けていた小箱を奪って憎たらしい唇が弧を描く。恍惚から我に返り、鬼道は少し慌てた。

「あっ……早くしまえ! 誰かに見られたらどうする?」
「はあ? 誰も見てねーよ。つか、そんなこと気にしてどうすんの」

 不動はちいさく笑う。しかし余裕をこいて見せるわりには、会話は早口だし、お互いにしか聞こえない程の音量で交わされている。

「いい加減だな。そう言うなら早く渡せ」
「はあ? 意味わかんねーし……渡せって何の事だよ」
「お前が持っている箱の事だ。もらってやってもいいと言っている!」

 不動は少し間を置いてから、緑のリボンのかかった茶色い小さな箱を差し出した。

「フーン? そんなに欲しいんだ。誰が作ったかも分かンねぇし、毒入りかも知れねぇのに?」
「そんなものを入れたらおれが死ぬ前にお前が死ぬぞ。じゃあな」

 冗談を冗談で返して小箱を受け取り、バス停へ向かう不動と別れ、改札へ向かう。
 さっきの冗談から手作りだという事実を割り出した脳が歓喜に震えているのを何とか抑え、マフラーでにやけそうな口元を隠して五つの駅を耐えた。我を失いそうになるとはこのことだ。





 家に帰って真っ先に開けた、百円均一ショップで売っている小さなクラフトボックスの中身は、市販の原材料で作ったとは思えないほど絶品のチョコレートだった。
 完璧に仕上げられた、正円形の生トリュフ。

「甘い……っ」

 ほろ苦いココアパウダーを纏った球体が、滑らかに舌の上でとろけていく。つい丸を意識してしまうのは同じらしい、それも意味なく胸が躍る要因だ。
 唇についたやわらかい粉末を舐め取ると、先程の感触がよみがえった。チョコレートよりも甘く儚い一瞬に、中毒しそうになる。もっと強い刺激を求め、もっと先を知りたくなる。ベッドに突っ伏して鬼道は悶えた。




 ハッピーバレンタイン♪




2014/02

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