<silent time>







 二人で暮らすようになって、どのくらい時間が経っただろう。
 廊下に積んであった段ボールも今は無くなり、相手の存在を踏まえて思考し行動することが当たり前の前提になっている。
 静寂、それは本当に何も聞こえない時間のことだ。部屋の明かりを消して数十分が経過した深夜、都心から少し離れた住宅街にあるマンションの二十一階、壁が厚いために隣家の物音は届かず、犬の遠吠えも車の音もしない。目覚まし時計はデジタルなのだ。
 ただひとつ耳をくすぐるのは、隣に眠る相手の息遣いだけ。これは近いためによく聞こえる。
 おれはこのひとときが好きで、寝室には音の出るものを持ち込まない。携帯電話は日常的にマナーモードにしているし、機械の類は他にない。この部屋にあるのはタンスとクローゼット、時計やカフスボタンを入れたケース、着替え用の椅子と鏡。殺風景と言われればそうかもしれない、必要最低限のものしか家に置かないのはおれの子供の頃からの癖で、同居人もあっちこっち住まいを移すから荷物は少ない方がいいと言っていた。そんな不動が、あまりあっちこっち行かなくなった原因はおれにある。これは自惚れた考えだが、半分以上は実証されている。

 顔を合わせれば軽口ばかり叩くので自然とこちらも刺々しい口調で返す、それを十年以上繰り返してきて未だに続けているのだから、おれも随分な変わり者なのだろう。どうりで静寂が恋しくなるわけだ。
 なのにこいつは離れない。影が残っているからとか、放っておくと周りが見えなくなって危なっかしいとか諸々の理由をつけて、監視するかのごとくそばにいて、たまにちょっかいをかけてくる。
 おれはお坊ちゃんではなくお前こそ依存しているだけじゃないかと言ったら、そうかも知れないと言われた。

 それっきり途絶えた連絡を気にしないように過ごしていたある日、異国の地で顔を合わせた。事前に聞かされてはいたがやはり目の前で顔を合わせるというのは、特に何か事件があって離れていた場合には、相当な印象が残るものだ。
 その日の夜から、おれは考えを改めた。暗闇の中で寝顔を眺めながら、暗闇も眠ることも怖くなくなっていることに気づいたのはその時だった。

 そんなことを考えながら布団の中で見つけた不動の手を握ると、握り返してきたので実は驚いた。眠っていると思ったし、こんなことをするような奴ではないと決めつけていたのだ。いとおしいものを愛でるように撫で、輪郭をなぞる。ふっと顔が弛緩した。
 しかし不動はするりと手を引っ込めてしまった。ついでに寝返りをうって、おれと向き合って横になる。シーツの上に置き去りにされていたおれの手をすくい取って、不動の手がかさねられた。長い吐息を聴きながら、体温と、不快にならない重みを、指先で微かになぞる。
 性欲だけではない何かを感じて、確かめることが重要だった。大きく酸素と不動の匂いを吸い込んで、惜しみながらゆっくりと吐き出す。そっと目を閉じる。からだの力が抜けていき、やわらかく温かい世界へ安全に落ちていく。
 時折、夢を見ながら指先であそぶ。朝起きて目が覚めたら忘れているくらい些細な仕草が、呼吸をするたびに少しずつ沁みていった。この静寂な時間を、飽きるまで繰り返していく。





end


2014/04

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