<addicted 1>






 おとといケンカした。
 いつものことと思われそうだが、わりとひどくこじれてしまった。理由は些細なことだが、同居生活を始めて一年、積もり積もったものがあったらしい。二人とも引きずる性格ではないしとりあえず事態は収めたが、どうも昨日の朝から距離感がぎこちない。仲直りしたらその証拠に体のほうでも受け入れるというのが定説だったような気がするが、思い込みだろうか。情けないがおとといから、触ることもできないでいる。
 鬼道との仲を詳しく知っているのは数人だが、たぶん話していないと思っている以上に周りは色々知っているのだろう。日本代表の練習場で会ったヒロトが、意味深な微笑と共に小さなケースを渡して、もとい押し付けてきた。

「これ、ちょっとしたサンプル。よかったら使ってみなよ」

 要らないと言うか中身を訊ねる前に気ままな若社長はキャプテンの元へちょかいをかけに行ってしまったので、残された不動は立ち尽くすほかなかった。
 ちょっとしたコンパクトカメラのケースにも見えるそれのジッパーを開けると、透明な液体が入った小瓶が緩衝材にぴったりとはまっている。白いラベルには分かりやすく『love poison 1』とボールペンか何かで書いてあった。ヒロトを絞め殺したくなったが、もはやどこに行ったか分からなくなっている。逃げ足の早さも計算の上でのことだろう。
 分かっている。ベッドの上が一番和解しやすいなんてことは、分かっている。しかしこんな薬、かえってとんでもないことになりかねない。

「帰るぞ」

 慌ててポケットへしまったが鬼道は何も気付いていないようだ。仕方なく帰路につき、バレる前に何とかしなければいけないと思いつつ、いつの間にか家に着いていた。




 鬼道が持っている高級マンションのエントランスには、ゴミ箱なんてものはない。ゴミ捨て場は裏だ。行けば良かったのに、好奇心が顔を出してしまった。一応取っておいて、近いうち機嫌が良い時に効能を試してみることはできるんじゃなかろうか?若社長に、サンプルとやらの感想と共に要らぬ世話を焼くなと言ってやれれば一石二鳥。
 とりあえず一旦忘れようと、洗濯をして夕飯を作り、肉体のメンテナンスをする。鬼道は相変わらずぎこちないと言うか微妙な態度だ。

「風呂、空いたぞ」
「おう」

 横を通りすぎていく湯気と微かな石鹸の匂い。不動は後ろ姿を眺め、バスルームに向かいながら思った。これなら今夜にでも、完全に仲直りできるのでは。




 鬼道はパジャマ姿で、リビングの端にあるデスクでパソコンのキーを叩いていた。

「寝んぞー」

 さりげなく声をかけると、「ああ……今行く」と思わず期待させるような返事がかえってきた。
ドアを開けたままにしておくと、後から入ってきた鬼道が閉める。ふと見ると、閉めたままドアの前から動かないで立っていた。

「……どうかした?」

 鬼道は何を考えているのか、ベッドの横に立って今にも寝ようとしている不動を見つめている。

「いや……不動」

 名前を呼ばれて、思わず胸が疼いた。名前を呼ばれることなんてごくありふれた日常的なことだが、どう聴こえるかは声の調子と相手によるのだ。いまベッドの前で呼んだその響きと声音は、不動を呼び、求め、甘えようとしていた。
 鬼道がてくてくと近づいてくる。ベッドに座った不動の隣に腰を下ろし、スプリングを軋ませた。

「おとといのことは……もう怒っていないか?」
「あ?」

 何を言い出すかと思えば、そんなことを聞いてくる。

「怒ってなんかねーよ。もう済んだことだろ?」

 気軽な調子で肩に手をかけると、少し強張っていた。何か妙だと思い始めた時、その強張った体を寄せてきた。

「あんなものを用意したのは、おれをこらしめるためじゃないのか……?」

 ジャージのポケットが膨らんでいる理由を見るとは、なかなかプライバシーの侵害だ。

「え……いや、あれは、いらねーっつのにヒロトが無理矢理……」

 言い訳なんてない。何もしていないし自分は無実だ。不動がひきつり笑いを浮かべると、鬼道は少し笑んで――じつに妖艶な微笑だった――両腕を不動の首に絡ませて口付けた。ゆっくりとした動作だったが、驚いているうちにされるがままになってしまった。

「は……っ、ん……」

 くすぶっていた熱が一気に燃え上がる。倍返しで応え横へ倒して、体を押し付けるようにして抱く。鬼道は抵抗せず、それどころか腰に足を寄せたり舌を先に絡ませたりと、積極的に煽ってきた。まさか自らアレを飲んだのか。彼なら、仲直りするための勇気と積極性欲しさにやりかねない。鬼道にストレートに求められるという奇跡のような事態にすっかり舞い上がってしまい、例え罠でもいいからいまの状態が続きますようにと祈りさえした。
 既に下着が破れんばかりに硬くなっている股間をすりすりと擦り付け合って、鬼道の胸板を舐めしゃぶる。小さな突起を撫でると吐息が漏れた。

「ふどう……早くしろ……っ」

 鬼道は突き放すように起き上がって、あろうことか自ら着ているものを脱いだ。

「なんだよ、今日は……そんなに溜まってたンなら早く言えよ?」

 お前が悪いんだと言いたげな目線を甘んじて受け、自分もパジャマと下着を脱ぎ捨てる。顎の皮膚が興奮にジリジリと引きつれた。

「こんなかわいい鬼道クンが見れるなら、ドーピングも悪くねぇだろ?」
「感心しないな……せいぜい自分一人で楽しめ」
「楽しくなるのは鬼道クンの方だろ」

 そう言って合図代わりのキスをすると、途中で止められた。

「待て……、どういうことだ」
「ん? ……ヒロトにもらったクスリの話だろ」
「そうだが。お前が飲んだんじゃないのか? おれをこらしめるためなら、お前が――」
「いや? さっきのご明察の通り、鬼道クン用に決まってンだろ」

 鬼道がはっと何かに気付いた様子を見せ、そこでやっと不動にも事態が飲み込めた。

「おま……飲んでねーの?」
「ああ……」

 気まずそうに鬼道は身じろいだ。彼は、いつも性急な恋人のせいで、お預けを食らうのには慣れていない。

「てっきり、お前が自分で飲んで、おれを滅茶苦茶にするのかと……」
「なにそれ、願望?」

 睨まれる。

「鬼道クンがやけに積極的なのはクスリのおかげかと」
「お前が飲んでるなら思考力も記憶力も低下しているし、少しくらい、と……」
「どこが少しくらいだよ。つうか、一滴も飲んでねーよ」
「もっと早く言え……」

 みるみるうちにのぼせたようになった鬼道は、己の失態に呆れて目を閉じた。その腰を、思い出したかのごとく、わざとらしくねっとりと撫でる。

「くそっ……」
「んだよ、早とちりすっからだろ」
「お前こそなにか勘違いしていただろう!」

 少なからず動揺している鬼道はわずかでも抵抗できないかと試みたが、組み敷かれ熱い体を押し付けられながら情熱的なキスを受け、仕方なく屈した。
 ゆっくりと、まとわりつく粘膜の熱と感触を味わうかのように腰を進める。首筋に唇をつけると、鬼道の手が背中に回された。

「はっ……いつも、それぐらいスナオでも、いいんだぜ……っ?」
「ハァ……誰がっん、んぐぅ……ッ」

 屈辱的だと言わんばかりの赤い瞳が震え、できる限り鋭く睨みつけるが、一瞬で崩れる。

「は、あ、ァう……っふどぉ……っ」

 きりっと筆で描いたような凛々しい眉が今はハの字に切なげな表情をしており、引き締まった腰は律動に合わせて揺れ、的確なパスを出す脚は不動の腰に掛けられている。

「ぅあッ……ぁぐ……ッ」
「はっ……イきそ? さっきからだもんなぁ……」

 片手で自分の体を支え、もう片手で鬼道の屹立を握り込んだ。耳のすぐそばで聴こえる荒い呼吸に、意識を奪われる。

「くっ――、は――ぁ!」

 痛みを感じる程しがみつかれて、ガクガクと震える鬼道の中に射精する。肩を舐めて、十数秒そのまま長い呼吸が収まっても抱き合っていた。

「たかが二晩しなかっただけで……」

 鬼道はその先を言いあぐねたが、言葉にしなくてもよく伝わった。笑って、キスをする。合間に横に倒され、鬼道が上になった。
 AVや映画でしか見たことがないが、男女の時みたいな激しいピストンは必要ない。不動は挿入したままの自身が鬼道の中で絶頂期の硬さに育っていくのを自覚しながら、上体を起こして彼を抱きかかえる。

「ぁ……ッあ! はんッ……ふど……」
「はは……サイコーの眺めだなァ……」
「そっソコ……そこだ、くぁ……ッ!」

 鬼道が腰を揺らすたび、不動の腹に先端が擦れた。対面座位のおかげで最奥を抉り、締め付けが増す。
 たった二晩しなかっただけでこんなに甘えた声を出すなんて、もっと空いた時も多々あったのに何故かと言えばやはり、ケンカが元で寂しくなったからだろう。考えすぎて勘違いするほど、周りが見えなくなって。離れていた分を埋めるように求める。

「アッ……うぁっ、んッ!」
「ハァ、きど……ッ」

 卑猥な水音を聴きながらまさぐりあって抱きあう。二度目の射精は鬼道が少し先で、痙攣する彼を押し倒して自己中心的に快楽を得た。

「くァ、ァ――ッ!」

 熱い舌を軟体動物のように絡ませ、呼吸が落ち着くまで余韻を愉しむ。

「見ろよこれ、すげぇ量……」

 濡れた腹をティッシュで拭う。

「お前こそ、二度も……中に出しやがって……」

 口調がくだけた調子になるのは、本当に素で、気取っていないときだけだ。詫びの意を込めて、甘ったるいキスをしてやる。甘ったるいのは苦手だと言いながら、愛しくなるとついやっている自分がいる。

「三回目もできそう」
「おれがもたない」
「ええ? クスリ使ったらどうなっちゃうんだよ?」
「知るか。……使う気か?」
「興味津々ってとこ」
「……。せめてオフにしろよ……」

 うんざりして見せる鬼道が必要以上にだるそうに起き上がる後ろ姿を眺め、これはヒロトにぜひとも自慢してやろうと遠回しな言い方を考えていると、トイレから戻ってシャワーへ向かう通りすがりに尋ねられた。

「しかしおまえ、本当に一滴も飲んでないのか?」
「あ? だからそう言ってンじゃん」

 しつこい理由を考える。

「そうか……」
「なんだよ。前に、オレ自体がバナナみたいな男だって言ってたじゃん」

 起き上がってベッドに座り直すと、パジャマと下着を出した鬼道はやや逃げ腰になっていた。

「そっちこそ、随分よがってたじゃん?」
「黙れ。風呂についてきたら殴るぞ」
「はーいはい」

 先に釘を刺され、仕方なく撤退する。不動はにやりと不敵に笑って、自分の照れくさいのを誤魔化した。

「おまえ本当、オレのこと好きな」

 ドアへ手をかけた鬼道が一瞬止まった。ふっと苦笑して、ドアを開ける。

「よく言うよ。そっちこそな……」

 振り返らずに行ってしまった鬼道が残したその哀愁漂う優しい声に、無性に追いかけて続きを始めたくなったが、殴ると言われたのでおとなしく我慢した。
 またケンカになって、また微妙な数日が空いて、また仲直りするハメになる。毎日どれだけ繰り返せば満たされるのだろう。
 それもいいと思うあたり、これはもう、中毒じゃないか。





end


2014/04

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