<addicted 2>





 おかしい。何もせずに一週間が経ってしまった。
 不動明王は中学生の頃からエロガキで、欲望と煩悩で生きているような男だった。そんな彼がキスすらせずに一週間平然と過ごすとは、一体何が起こったのだろうか。鬼道はと言えば、自分の性欲についてはごく平均的で健康的なレベルだと思っていた。




 一年前、不動が引っ越してくることが決まって、それならとベッドを買い換えに行ったときのこと。某輸入家具店の寝具フロアで、鬼道はひとりマットレスについて悩んでいた。店員の説明を聞きながら、実際に寝心地を試してみる。

「ぜひ、ご自宅でベッドに寝るときをご想像なさってみてください。お仕事から帰ってきて体を休めたい時に、受け止めてくれる場所はどんな感じか……如何でしょうか?」
「ふむ……そうだな」

 隣のマットレスに、力を抜いた体を預ける。ボスッとした反動は硬すぎず柔らかすぎず、スプリングがしっかりと体重を受け止める。こうして押し倒され、あいつの顔が目の前にあって、手の自由は奪われ、そして首筋を舐められあいつの髪の毛が鼻をくすぐ――いやちょっと待て。鬼道は勢いよく起き上がった。

「どうされました?」
「いや……、これにしよう。ダブルで頼む」
「畏まりました」

 顔を撫でて溜め息を吐く。ジャケットを脱ぎたくなるくらい暑かった。




 リビングのソファにいる不動は、スペインで世話になったミッドフィルダーが出ているからと、湯冷めも気にせず中継に見入っていた。ちょうど終わったところで、機嫌が良さそうなところを見ると勝ったのだろう。CMのうるさいテレビを消して、メールを打っている隣に腰を下ろす。

「ディフェンダーがアホだったな」

 用の済んだ携帯電話をひらひらと、ようやくそこで近くに無防備に存在する恋人に気付く。

「不動……」

 半ば強引にしたキスは触れ合うだけで、慈しみに溢れていたがさらりと終えられてしまった。

「明日仕事とか言ってなかったっけ? 無理すんじゃねーよ」

 ふいと通りすぎて、不動は洗面所へ向かう。リビングの電気を消して、ついていった。

「どうかしたのか?」
「なにが?」
「……いや、いいんだ」

 引き返して、寝室へ入った。あの時買ったマットレスに、ボスッと力を抜いて体を預ける。
 少し置いて、不動が入ってきた。

「ねー鬼道ちゃん。なんか誤解があるかもだぜ」

 試合中、ゴーグル越しの目配せでも意図を読み取るほどの洞察力がなくてもわかるほど自分は態度がおかしいと分かっていたから、驚きはしない。だができれば面倒くさがって放っておいてほしかった。

「何でもない」
「あれだろ、ほら――オレが何もして来ないから心配してくれてるとか? そんなんだろ」
「それもあるが……」
「プラス、浮気疑ってるとか? ねーよな」

 そう言えばそういう考え方もあった。しかし今の鬼道には、自分のことしか考えられていなかった。こうなってしまっては、言うしかあるまい。寝たままで吐いたため息は、己の情けなさに。

「まったく自己中心的な話なんだが……例えばおれに魅力が無くなったのかと」
「はあ? ……どこが?」
「じ、自分では分からない……というか、お前の中で何が起こってるのかも分からない……」
「はあ……。あのさあ……」

 不動は自分が伝えたいことを整理した。

「オレね、毎日毎日ヤりまくって思ったわけ。オレたち、だいぶ遠距離だったろ。その反動でヤりまくってるだけだと、何だかわかんねえじゃん。オレは鬼道のカラダだけ愛してるみたいで、みっともねえだろ?」
「は? ……」

 思わず気の抜けた声が出た。

「だから、キスもろくにしなかったのか……」

 不動の思考が理解できて、脳も働き始めたらしい。鬼道は腕をついて上体を起こす。

「それで? 一週間経って、どうなんだ」
「よくわかんねえ。別にしないでもいられるけど、鬼道クンはだんだん機嫌悪くなってくし、なんかこう……結局、溜めといちゃいられねえ生き物だろ、男ってのは……」

 歯切れの悪い言い方でも、不動の思考はよく理解できた。

「おれは機嫌悪く見えていたのか?」
「まあ、なんか、むやみに話しかけちゃマズイ感じはした」
「……不動って馬鹿だな」
「ああ? なんで」
「体だけを求めるのなら、なぜおれとお前である必要がある?」
「んー、相性がいいからとか?」
「ああ言えばこう言う……おれとしたいのかしたくないのか、どっちなんだっ」
「したいけどしたくない」
「なんだそれは……」

 ため息を吐いて起き上がり、隣に座って寄り添うと、不動は少し体を引いた。

「鬼道クン、オレさあ……」

 その部屋着の襟をゆるく掴み、至近距離で目と目を合わせる。

「いいか、よく聞け。おれはおまえのことを魅力的だと思ったことはないし、実力的にもおれより優っているとは思わない。だがしかし、」

 猛反論されそうだったので早めに先を続ける。だが耐えられず、目は逸らした。

「おれはおまえに求められるとき、カラダだけとは思ったことはないぞ。そういう、おまえの心の純粋さが、おれは好きだ」

 不動の手が伸びてきて、背中を抱き寄せる。女じゃないと思いながら、あたたかい胸板に手を当てると、高鳴る鼓動が伝わってきた。

「こうして不動がさわるたびに、ストレートに伝わってくる。この積み重ねが、おれのどこかで……もう忘れたか? この間の試合――」

 それ以上の言葉は必要なかった。しかし不動はキスの合間にわざとつぶやいた。

「鬼道、したい」
「ああ」

 黙れもう喋らなくていいと思いながら、鬼道は相手の後頭部を掴まえる。

「朝までヤりまくってめちゃめちゃにしたい」

 そこでふと、自分が理性を失いかけていることに気付いた。

「だ、ダメだ。二時には寝なければ」
「何コドモみてぇなこと言ってんだよ」
「明日仕事だからと配慮してくれたのは誰だ? おまえはさっきまでの不動と別人か」
「そうかもね」

 反論しようと見た不動の目は、思いのほか優しい光が宿っていて、鬼道は怒気を削がれた。

「オレおかしかったわ」
「そうだな。寂しくなるからやめてくれ」
「……なに? そっちこそ、寂しいとか。ホントに鬼道クン?」
「うるさい」

 何回目かなんて分からないキス。してもしても足りないと叫ぶ唇を思いきって開くと、軟らかい舌が歯列を撫でる。背中をまさぐっていた手が自然に下へおりていく。尻を掴み合えば、体は自然と密着する。

「は……だから、もっと言葉にしろと言っているんだ」
「鬼道クン、えろい」
「そういうことじゃない」

 睨みつけたが、心臓は我慢の限界を知らせている。不動の部屋着をまくり上げて、現れた若い腹筋は見慣れているはずなのに、更に血流が速くなった気がした。

「おれだってしなくてもいられるが……これは性欲を満たすための行為ではなく、お前がいるから性欲が生まれるんだ」
「うまい言い訳だな」
「離れていた間は自己処理だけで済んでいたことを考えると、お前とキスするだけで欲情するのは明らかに異常だろう……」
「えっ? オナニーだけで済ませてた? オレとキスするだけでヨクジョーする?」
「繰り返すなっ」

 睨もうとしたが組み敷かれてしまった。不動はそのまま、少し考える素振りを見せる。

「そういや、オレも鬼道クンしか知らねえから、不安になってワケわかんねーこと考えちまったのかも」
「おれしか知らないだと?」
「繰り返すなよ……」

 気まずそうに赤くなった不動を抱き寄せて、嬉しくてキスをしたら熱源を掴まれた。

「う、待っ……ふ……」
「自分でいつもどこさわってんの」

 わざとらしく耳元で囁き、耳朶を舐める不動が憎たらしい。しかしそれが快楽に変わるあたり、相当どうかしていると思う。

「――っ、聞くな」
「もしかしてこっち? オレのこと考えたりすんの」

 不動の指先が割れ目の間を撫でた。物足りない刺激が興奮を煽る。

「考えるわけ……っ」

 そう答えた時点で白状しているようなものだ。もう諦めて、漏れる吐息もそのままにする。

「お前のことばかりで、むかつくんだ……っ」

 一瞬驚いたあと、不動は嬉しそうに笑った。

「まァたそうやって、煽る……」
「だったら聞くな、ア……はぁっ」

 硬く張ってきた屹立に与えられる愛撫の感覚に気を取られ、不動が移動したことに気付くのが遅れた。あっと思った時には、軟らかい舌が根元からねっとりと舐めあげ、全身に電流を送った。

「っぁあ……な、何を……」
「んー?」

 口がふさがっているのをいいことに、不動は返答を回避した。

「はッ……いつも、しな……くせ……にッ?」

 余裕をこいて見下した言い方をしたいのだが、どうやらうまくいかない。頭が真っ白になって、足を開きすぎているとか呼吸が苦しいとか、出したものをほとんど飲まれただとか、そんなことはどうでもよくなっていく。
 濃いであろう白濁を塗りつけて、数本の指が様子を見る。

「く……不動、もういい」

 鼻で笑うのが聞こえたが気にしないでおいた。それよりも、狭い道を押し広げて侵入してくる熱が与える、脳が蕩けそうな快感に今は酔いしれたい。強くグッと突き上げるたびに背中の下でスプリングが文句を言うが、知ったこっちゃない。

「あ、そっか……もし他の奴相手だったら……」
「は、ぅっ……他の奴……?」

 そんな話するなと言いたくても、口が思うように動かない。

「フツー、こんな……スルッと挿入んねェのかな……」

 その呟きの意味を理解した頭がかぁっと火照ったとき、ある一点を突かれて、何も言えなくなってしまった。

「そッ、そこだ……っア、ふど……!」
「……ああ? ……鬼道クン、えろすぎ……ッ」

 こんなはずではないとか、普段から淫猥なことばかり考えているわけじゃないし、至って自分は健全で一般的な肉体の男性だと言いたくても、口からは吐息と喘ぎ声しか出てこない。頂上が見えてくるにつれ、律動が激しくなる。

「アア、は、ハッ……不動! ふどぉ……!」
「あ、い――鬼道……ッ!」

 声にならない叫びをあげて、二人のからだはぴたりと締め合い一つになる。この一瞬が完成形であり、あとの日常はバラバラで不完成であるかのようだ。わずかに痙攣を残しながら、一つに重なった意識でお互いを手探りする。
 触れるたびに脳に甘い電流がながれる。恋は盲目と言うが、ただの行為ではこんな作用はあり得ない。なぜこんな感情があるのか分からないが、人はこのために生まれてきたのかもしれないと思った。







 シャワーから戻りベッドに座る不動がさっき捨てたTシャツを拾うのを、寝転がったまま眺めていた。背筋のラインがサイドランプに照らされて暗闇に浮かび上がっているが、すぐにTシャツの下へしまわれる。

「おれには順応性がある。どんな状況にも対応できるよう、柔軟な人間として育ったんだ」

 見たまま、感じたままを記憶に留めるかのように目を閉じて、不動の背筋について想う。

「お前がどうしようと、おれはお前を好きなんだから、するしないは勝手にしろ」

 不動が毛布を捲って入ってくる。

「はあ? ワケわかんねー、なんだよそれ。オレに依存してんの?」
「依存ではない、なぜなら……たとえば明日からお前が居なくたって、おれは生きていける……」
「だけど?」

 そうするのが当たり前であるかのように、背を向けたところを抱き締められる。

「あとは自分で考えろ」
「ハッ、ワケわかんねーの」

 後ろからギュッと抱き締められるこの感覚が震える程好きなのだが、今日は少し違う気分だった。腕を退けて寝返りを打ち、仰向けになった不動の肩に片腕を載せて、頭を寄せる。不動は顔だけ向けて、二人の鼻が触れ合った。

「そういえば……今度、頼みがある」
「……ふーん?」

 目を閉じたままで、少しずつ静寂が訪れる。

「楽しみにしとく」

 夜が更けていく。





end


2014/04

戻る
©2011 Koibiya/Kasui Hiduki