<addicted 3>
恥ずかしい頼み事というのはなかなか言い出せないものである。
急を要する訳ではないので後回しにしてしまうし、そのせいで余計にタイミングが難しい。どうでもいいと言えばどうでもいいのだ。
いっそのこと相手が何も言ってこないうちに無かったことにしてしまえとさえ思い始めた矢先、不動は何食わぬ顔で頼み事をしてきた。
「あのさあ、例のクスリ使ってみねえ?」
「捨ててなかったのか!?」
「だって、完全否定しなかったじゃん」
「適当に濁せばお前も適当にするだろうと……」
「えっ、めちゃめちゃ乗り気だったような」
どうしてそういう事に限って記憶力が良いのかと呻きながら、鬼道は顔を覆った。
「どっちが飲む?」
「は?」
キッチンへ向かう不動が尋ねる。
「やっぱここは、半々だよな」
「や、えっ……ちょっと待て」
尋ねた訳ではないらしい不動は、水を入れたコップを二つ持って戻ってくる。
「公平にすっから、ちゃんと見てろよ」
やけにきっちりしているなと思いながら、小さな瓶の液体が水に落ちて溶けるのを見届けた。
「サンプルだから、効かないかもしれないし」
「興味本位でこういうことをするのは……」
「まあいいじゃん、たまにはさ。散々ヤりまくったあとで後悔して、やっぱオレとは普通にイチャイチャしたいって言っッてぇ……」
馬鹿げた妄想を口に出したので、肩を強くどついておいた。
二人でコップを掲げ、軽く音を立ててぶつけてから、欧州式に腕を組んで一気に流し込む。冷たい液体からは逃れようがない。腕を離し、コップを置いて、そして。
「……なにか感じるか?」
「……いや、まだ」
少し間を置いて、不動ががっかりしてソファにグッタリと溶けた。
「なんだよもー、半々じゃ効かねえってかー」
「説明書はないのか?」
「サンプルにそんなもん付いてっかよ」
緩衝材の下にあった。
「なになに……二人以上で服用すること。本薬品が体内に溶け消化するまでの四時間、本薬品の服用者が触れることでのみ効果が表れる?」
「はあ?」
顔を見合わせる。逃げようと思ったが、その前に獰猛な目を光らせた不動に押し倒されてしまった。辛うじて口を手で塞ぐ。
「待て! ここで暴れるなっ。せめて、ベッドに……」
「あ、」
しまった。全身が心臓になってしまったかのように鼓動が激しくなる。急に熱くなって、ソファから転がり落ちた。額を押さえながら立ち上がったが、くらくらする。
「なんだこれ、急にっ……強すぎないか」
「今触ったから。大丈夫か?」
「来るな、寝室以外で触るなっ」
「ああ、クソッ……なんだこれ」
よろめいた不動が呟く。肘だろうか、壁にぶつかった物音に思わず寝室の戸口から顔を出して廊下を見た――のがマズかった。
「おい不動、大丈夫――」
勢い良く熱い体が引き寄せられ、歯が当たってもお構いなしに貪ってくる強引で乱暴なキスに、文字通り骨抜きにされてしまいそうだ。
「ん、んんっ……、ふッ……、この、」
やっとのことで体を引き剥がして、しかしベッドにたどり着く前にまた捕まった。
「逃げんなよ」
そう言ってまた口を塞がれる。
「逃げてはいないっ。おまえっ……わざと、――」
「……なに?」
からだじゅうをさわって、舌を絡ませてくる。何かが、下腹の内側で爆発が起こって全身に溢れ出しそうな勢いだった。いやもう爆発したのかもしれない。
ガクッと膝の力が抜けて、後ろへ倒れる。意識のどこかで危ないと思ったが、マットレスが受け止めてくれた。ついてきた不動が覆い被さる、その目は普段とは違う。
「ちょっと……オレ、ブッ飛びそう」
「ブッ――飛ばれても、困るんだが……っあぁ!」
虚ろと言うか、すわっていると言うか、ともかく相当にヤバイのであろう、不動は性急な手つきでパジャマを脱がしにかかる。そのとき直に腰の肌に触れられ、不動が驚くほど大声をあげてしまった。
「はっ……そっちこそ、だいじょーぶ?」
「くっ……」
自分から出ているのではないような声で、屈辱的だが仕方ない。頭にきたので部屋着の中に手を入れ、不動の背中をめくるようにして撫で上げた。
「うわっ……っちょ、鬼道クン……」
「どうした、もうイきたいか」
片手で尻を掴む。堪らないといった様子で呻く不動の腰が密着して、熱と硬さが伝わり、意識しないなんて不可能だ。
「は……イきたいのはそっちだろ」
下着を脱ぐ間も惜しんで、取り出したお互いのものをまとめて掴む。
「うぁぁあ……っ!」
わずかな開放感と共に、指先がねっとりと濡れた。二人分の精液が手の甲で混ざる。
「きどう……」
不動が何度も重ねるようなキスをしてきて、すぐに硬さを取り戻す己に呆れながら舌を伸ばして応えた。二人同時に相手のものをしごき、夢中で唇を唇で愛撫する。まるで寄り添っている状態が自然で、普段離れている状態が異常なことのようだ。
「っく、ぁア……!」
たいして大げさな動きもしていないのに、激しい鼓動で息が切れる。以前雷門中でやった町内十周も息が切れたが、今は肉体疲労の代わりに病的なほどの快楽が支配している。
「ふ――、ふどう。は……ぁっ」
邪魔な衣類を一切放り投げて、肌をすり合わせる。手のひらで撫でた不動の胸や腰や太もも、その筋肉の質感や温度や硬さが、たまらなく愛しい。
「ん……。ほら……来いよ、」
不動は仰向けのまま、上に覆い被さる鬼道の背をゆっくりと撫でて、性器を繋げるのを手伝った。
「はぁァア……ッ! ア!……っあ、ァア!」
「きど……ッく、ぅあぁ……!」
だらだらと絡み合っていた空気は一変、強い刺激を求めて腰がうねる。
「はぁ、ハッ……ふど、うっ……もう、ダメだ……ッ」
自分で一番弱いところに当たるよう動いていた鬼道は、そう言って声もなく達した後、体を曲げて沈黙した。肩で息をしながら、不動の脈動と、腹の中に流れ込んでくる熱を感じる。真っ白な断崖絶壁に片手一本でぶら下がっている朦朧とした意識で、残りの無意識の部分が今は全部、この体と共に繋がっているのかもしれないと考え、鬼道は目を閉じた。
まだ心臓が激しく鳴っている名残があって、それほど時間が経ったわけではなさそうだった。さすがに少し冷や汗を流しながら、不動は目を開ける前に自分に重なっている鬼道の背を軽く叩いた。
「おーい……生きてっか」
「んん……」
喉の奥で返事をした後ゆっくりと離れ、鬼道は隣に仰向けに倒れた。朦朧とした感じが無くなってきたところを見ると、怪しい薬も切れてきたのだろう、もし切れなかったらどうしようかと思っていた不動は苦笑しながら上体を起こした。
「だいじょーぶ?」
「ああ……とりあえず生きている」
全身を覆う気怠さが今は心地良い。
「はー……あんなスゴかったのに、意識はあったぜ、オレ。いや、最終的に飛んだけど、そうじゃなくて。フツーこういうのって記憶も飛ぶモンじゃねえの? 知らねーけど」
「んん……知らん」
下唇を噛んで不機嫌そうに唸るのは、照れ臭いのを隠したいときの癖だ。鬼道は起き上がって、二日酔いみたいに額を押さえた。何か言ってやろうと思ったが、部屋中に溢れかえる満足感と恍惚に、言葉が出て来ない。
ため息を吐きながら、パジャマと新しい下着を持って寝室を出ていく背中を黙って見送る。もう終わりかと残念に思いながら、不動は豊かな髪が流れる肩から形の良い尻までを、愛玩物の愛しさを確かめるように眺めた。
「ついてきたら殴るぞ」
それはこの間も聞いた台詞。薬の起こす余韻なのか、どこまで馬鹿なのか、再び元気になってきた下半身をなだめながら、不動は考えた。無意識に言っているのかもしれないが、それにしては可能性がありすぎる。
「なあ! なあ、鬼道クン」
ぺたぺたと廊下を追って行くと、バタンと脱衣所の戸が閉まる音がする。呼んだのが聞こえたかどうか知らないが、勢い良く戸を開ける。
「何だ!」
「いや、考えたら、鬼道クンは殴ったりしないよなって」
「はぁ? ……ともかく入って来るな」
風呂場の戸を開けようとしていた鬼道は一瞬固まったのち、真っ赤になった顔を隠すように風呂場へ逃げ込んだ。戸を閉められる前に滑りこむ。
「背中洗ってやるよ」
「要らん」
「ついでにもう一回しよ」
「バカが……出て行け」
「なァ」
抱きしめようとした手を払いのけられ、振り向きざまに顔を近づける。相手が抵抗しないのを良いことに、唇のすぐ脇にキスをした。まだ抵抗しない。もう一度、今度は唇に。鬼道は鼻息が当たらないようゆっくりため息を吐いた。
「……一回だぞ」
嬉しくてすぐに合わせた唇を、開いて吸い食むようにキスをする。
「何回でもいいって思ってるくせにな」
ギリと睨まれたが、壁を向かせて背中にぴったりと体を押し付けると、ため息以外は聞こえなかった。既にほぐれきっている秘部はさっき出した白濁で溢れていて、それは潤滑油代わりとなって淫らな音を響かせる。
「あぅ……っ、ぐ……!」
「ハッ……すげ……!」
濡れそぼり、始めより慣れた内壁はより強い刺激を求め、ヒクヒクと震えて絡みつく。自分の感覚ではとっくに薬は切れているのだが、さっきまでの淫行の結果なのか、繋がっているというだけで快感が増すような気さえする。
「あ、は……ッ! くぅう……ッ」
鬼道の胸に両腕を回して、不動は先に達した。急いで片手を下へ移し、あたたかい露出物を掴む。
「ふ……んッ、あ、ぁあ……っ!」
何か言いたげだったが、鬼道は快感に屈した。呼吸が落ち着いた頃、肩を少し撫でて、ゆっくり離れる。やり過ぎたかなという懸念が頭をよぎった時、鬼道がシャワーを開いた。
「ぶわっ! 冷てえ!」
頭から水をかぶって飛び退いた不動が顔を拭うと、鬼道が声をたてて笑った。
「んにすんだよ……」
ぶるっと体を震わせると、温まったシャワーでお湯をかけてくれた。
「せまいから退いてろ。だから一緒に入りたくないんだ」
肩をすくめて、湯船に入る。鬼道が体を洗い終わるまで余韻に浸りながら眺めていたが、さすがに事後処理だけは見せてくれなかった。
「そういや、頼みたいことって?」
「ん? ああ……いいんだ。もう済んだ」
泡を流しながらしかめ面をする鬼道に、ふーん?と湯船の縁にもたれかかり、不動は欠伸をした。
後日、誰もいない駐車場にヒロトを呼び出し「とんでもないクスリを渡しやがって危うく死ぬとこだった」と二人で責め立てたら、「あれは恋する脳が自然に分泌するフェロモンを増幅させる薬だから、そんなに効果があったなら君たちお互いがよっぽど好きなんだね」と言われ、殴るどころではなくなってしまったとか。
「報告をくれるとは思ってなかったけど(っていうか使うとも思ってなかったけど)、いい実験結果が出て助かったよ。でも二人の気持ちに誤差があったらそれも明らかに効果に表れちゃうから、没になるかもなんだよねー。あれ? 聞いてる、二人とも?」
end
2014/04