<棚からぼたもち>






 鬼道有人の目覚めはスッキリしていた。これはいつものことだ。体調管理を怠らなければ、多少の夜更かし等では乱れることはない。
 今日の朝練は休み。朝食は少なめの白米と焼き魚に一汁三菜。大好きな金目鯛の切身が絶妙な焼き具合で熱々のまま出された。後で料理人に礼を言っておこう。
 彼は父にPAKERのボールペンを貰った。ぴかぴかしすぎない銀色の、撫でるような書き味のボールペンだった。彼が父親の年齢になっても使えるそうだ。
 朝、家を出る時に、門の脇に可愛い白猫がいた。すぐ逃げて見えなくなってしまったが、ビー玉のような青い目と大変に可愛い目鼻立ちをしていて、白い毛はつやつやしていた。きっと野良猫ではなく迷い猫だろう。
 通勤・通学で満員の電車に乗って、足の悪いお婆さんが降りるのに鬼道は少しだけ手を貸した。なぜ彼女はこんなぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ったのだろうと思いながら。




 駅へ降りると、改札の脇で豪炎寺が待っていた。彼の家は雷門中へ通う他の面々より少し遠いためか、いつも早く着く。次に遠いのが鬼道だ。

「おはよう」
「ああ、おはよう。鬼道、誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」

 連携が決まった時よりもずっと優しく、にこりと微笑み合う。歩き出すと、道に出たところでもう一人の親友が合流した。

「おっはよー!」
「おはよう」
「おはよう、円堂」

 間に割り込むようにして、円堂は二人の肩を抱き寄せる。

「今日って鬼道、誕生日だっけ?」
「まあ……、そうだ」
「うわあ! おめでとーっ! 何歳になったんだ?」
「十五だ」

 円堂の大きすぎる声に、風丸と半田、染岡と土門がやってきて合流した。鬼道は皆から口々に祝いの言葉をもらう。ふと不動の顔が脳裏によぎったが、何故だかということまでは思い至らなかった。きっと、こんなに賑やかに祝ってもらった誕生日は、久しぶりだからだろう。格式張った帝国が懐かしいのだ。




 群青色に見馴れた中で、居るはずのない深い緑色はすぐに目立つ。ましてや昼食時に、窓からよく見える校門の横に寄りかかって立っているのだ。これは今年に入ってから三度目で去年FFIが終わった後から始まったことだが、下校時だけでなく昼休みにもやってくるとは思わなかった。
 どうやって帝国学園を抜け出して来たのか、こちらをガン見しているモヒカンを無視しようとしたが、「あれ不動じゃないか?」と風丸に言われてしまったので、仕方なく行ってやる。風丸がそれほど驚いた様子でないことから、こうしてちょくちょく絡んで来る存在が定着してしまうのではないかと恐れつつ同時に腹を立てながら、鬼道は空になった弁当箱を鞄にしまい、つかつかと廊下を通り階段を下り校庭を横切る。

「なんでお前がここにいるんだ」
「あ? だってお誕生日のヒトがいるみたいだから」

 はぁ?と口に出す前に、後ろから円堂と豪炎寺、風丸、壁山、その他数人が追いついた。野次馬と言うよりは、不動が珍しいのだ。唯一空気が読める豪炎寺を見ると、止めたんだが…という顔で苦笑している。ああ、分かっているとも。気にするな。

「不動! 元気か?」
「お前、こんなとこで何やってるんだ?」

 しかし不動の方はあからさまに不機嫌になった。

「どーも、お陰様で。今日はこいつに用があるから、またな」

 スタスタと行ってしまうその手が鬼道の手首を掴んでいた。

「ちょっと待て、ふどう」
「いーから、行くぞ」
「は? どこに……って、おい!」

 あっという間に拉致されてしまった。状況を整理しながら不動の来訪理由を推理しているうちにバスに乗り、鬼道は自分が残りの授業をすっぽかしてモヒカンに振り回されようとしていることに気付いた。辛うじて携帯電話は持っているが、鞄は丸ごと置いてきてしまった。

「キサマ、正気か!? なぜおれまでサボらなきゃいけないんだ、付き合ってられんっ」
「まーまー、たまにはいーじゃねえか、一年に一回くれぇよぉ」

 そこでまた、今日は自分の誕生日だったと思い出す。一体何をするつもりなのか、駅前で降りた不動はゲームセンターに入っていく。この時間にいるのは不良と暇人くらいだ。さっそく目を付けられたようだが、不動がひと睨みすると距離を置くようになった。
 そんなことは些細なことであるかのように、不動は我が物顔で闊歩し、あるクレーンゲームに100円玉を三枚入れた。何をするのかと見ていると、器用にスティックとボタンを操作し、三回で見事に商品を獲得してみせた。

「ほれ」

 押し付けられた枕ほどの大きさのペンギンのぬいぐるみを抱き留め、頭の中に疑問符が増える。ペンギンは肌触りがなめらかな起毛素材で、柔らかくてふかふかしている。

「どういうつもりだ」
「なにが?」
「おれを困らせるか怒らせるかしたいんだろうが、いくらやったって無駄だぞ」

 迷路のようなクレーンゲームの間をだらだらとうろつく不動の後を追う。急に立ち止まるので、ぶつかりそうになった。

「ついて来いよ」

 仕方ねぇなといった様子で、不動は裏口から外に出た。その態度が気に食わなくて苛立つ鬼道は、開きかけた口から言葉を発する前に体を壁に押さえつけられて更に驚き眉をひそめた。思わずペンギンを抱く腕に力がこもる。

「ふど……」

 しかし目の前できらめく快晴の湖のような緑の眼に射止められ、言葉を取り落とした。彼を責めたり、拒絶することなどできない。何かその不思議な感覚にとらわれているうちに、不動は不器用でぎこちない手つきで顎を掴み、唇を押し付けてきた。ぱっと離れ、一瞬の夢が終わる。思わず片手で口を覆ったが、女子みたいな反応だと恥ずかしくなってすぐにやめた。

「な、何をする……」
「史上最大の嫌がらせだよ。最悪だろ? 気分はどうだァ? ぶちのめしてやりたくなったか」
「いや、最悪なんかじゃない……むしろ」

 直感で、これは悪いことではないと思ったはいいものの、今の気持ちを何と言って表現していいか分からない。鬼道は顔を上げて目を瞬いた。

「むしろ、思いがけないプレゼントをもらった気分だ……」

 不動が固まっている。思惑が外れたと言うよりはさっきの台詞は自分を守るための嘘だったのだろう、耳まで赤くなった顔で呆気に取られているようだ。驚いたのは、鬼道がもっと騒ぐと思っていたからか。そこまで冷静に分析しつつ、必死でそんなことを考える自分もまた真っ赤になっていることを認めたがっていないのだと思う。

「は? ……おまえバカ?」
「バカとはなんだ。ああ、ほら、こういうのを棚から牡丹餅と言う」
「はああ? なんか……ちがくねえ? 意味わかんねぇし」
「そっちこそ、さっきから何を訳のわからんことばかり言ってるんだ」
「知らねーよ」
「知らないだと? 自分から喧嘩を売っておいて、それこそ意味不明だぞ」

 あろうことか、不動はさっさと鬼道を置いて行ってしまった。その後ろ姿を眺めながら、今度どうやって償わせようか考える。裏口からゲームの音で騒々しい店内に戻り、声を張り上げた。

「待て、不動!」

 聞こえたはずだがモヒカンは立ち止まらないので、追い越して前へ回り込む。さすがに立ち止まった。

「なーんーだーよー……」
「今日はうちでパーティーをするんだ。お前も来い」
「はああ? なぁんでオレがおまえんちに行かなきゃなんねぇんだよ」
「仕返しだ。来なかったら佐久間が殴るぞ」
「しかも脅迫とか……」

 不動はハァと溜め息をついて、しかしどこへ行くでもなく立っている。まったく、最初からもう少しストレートに伝えてくればいいのにと思ったとき、FFIで同じ事を思ったのを思い出した。これが不動明王なのだ。近いうちにウラをかいて、また呆気にとられた表情を見てみたい。

「まったく。授業が終わるまで時間が余りすぎている。もう少しこの中を案内しろ」
「へいへい、ご命令どおりに」
「いちいち気に食わん態度だな……元はと言えばお前のせいだぞ」
「じゃあ"付いて来んな"だし」
「こいつ……」

 それからレースゲームやダンスゲーム、テトリス、格闘対戦ゲームなど、ポケットに見つけた非常用の一万円札を両替して遊びまくった。
 二人が雷門中へ戻る頃には、全ての台のハイスコアが塗り替えられていた。





end


2014/04

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