<恋に浮かれ君に溺れ。>






 男は下半身に脳があると誰かが口にした。不動は笑い事ではないと感じた。
 FFIが終わって帝国学園に転入し、中学卒業まであと半年。もう一つ卒業しておきたいものがある。




 最近、部活の後は鬼道と待ち合わせ、どちらかの家で勉強するというのが定番になっていた。雷門でのカリキュラムの遅れを調整するためと言って始めた小一時間の予習復習だが、それほど必要性が感じられなくなってきている今日この頃。鬼道が言った。

「――馬鹿げている。実に馬鹿げている。なんでお前と、勉強なんかしているんだ」

 (お前が言い出したんじゃねーか……)と、つい口を出かかったがやめ、代わりにちょっと笑ってこう言った。

「サッカーでもいいぜ?」

 ノートを読んでいたふりをしてちらとうかがった表情は、困っているような迷っているような。

「サッカーも良いんだが……」

 鬼道はゴーグルを外して顔を撫でる。おっさん臭いぞと思った両手の下から出てきたのは、どこか紅潮した頬と赤い瞳。そのまま近付いてくるから堪ったモンじゃない。

「せっかくお前がいるんだ。しかも二人きり。もっと他に、やるべきことがあるんじゃないか……?」

 目の前に宝石のような赤い瞳がきらめいていて、鼻先はふれあわんばかり、胸にはYシャツにさわる指先の温度を感じる。

(やべぇ、かわいい)

 早鐘のような鼓動もバレていると感じた不動は、慌てているのも隠さず叫んだ。

「ちょっ……と、タイム!」

 ぐいと突き放された鬼道は不安げに眉をひそめる。

「イヤ、あのさ。こーゆーことは、一コずつ段階を……」
「ハッ、女子じゃあるまいし。何を迷うことがある」

 最後まで言い終わらないうちに鼻で笑われた。

「困るのはそっちだぜ。お坊ちゃんのお遊びが本気だって分かったら付き合ってやるよ」
「偉そうに言うな。それに、おれはお坊ちゃんじゃないと、何度言ったら……フン」

 不満気に言う鬼道はゴーグルを戻し、口はへの字のままシャープペンシルを取り上げて、やけになったかのように猛烈な勢いでノートに書き込み始める。

「……なァ」
「何だ」

 こっちを見ようともしない。不動は目の前の卓上に腕を組んで、顎を乗せた。ソファの間に置かれたこのローテーブルは、季節に合わせたラグが敷かれているおかげか、いつも居心地が良いのだが。

「これはさぁ、サッカーとは全然別の話なんだぜ。もしかしたら人生で一番大事なイベントかもしれねぇんだぜ? まあ、いつまで生きてっか分かんねぇけどよ……」

 ここでその話をしたのはまずかった。明らかに反応が強くなったからだ。しかしそれによって、鬼道にとって何が問題なのかも分かった気がした。

「貴様は、そうやって逃げているだけじゃないのか? こんなことで停滞するなんて予想外だ」
「停滞なんかしてねぇだろ。オレは先のことを考えて……あーっもういい、知らねえ」

 こうなってしまっては、引いておく方がいい。不動は筆記用具が挟まったまま広げていたテキストをまとめて鞄に突っ込み、立ち上がった。

「おい、」
「明日までに頭冷やしとけよ」

 引き止める声も無視して勝手に出て行く。門までの長いアプローチを歩くうち、夜の気配が思春期の少年を暗闇へと誘う。

(くそ。オレだってヤりてぇよ……)

 やっとの思いで歩道に出ると、落ちていた小石を蹴飛ばし、不動は足を速めた。







 明日までと言ったものの、すぐにわだかまりが解けるわけもなく、しばらく沈黙の日々が続いた。そのまま夏休みに入り、先に沈黙に堪えられなくなったのは不動の方だった。だが鬼道も一週間が限界だったらしく、無視しないですぐに(刺々しかったが)メールを返してくれたため、意を決して会いに行くことができたというわけだ。

「それで? 何の用だ」
「何の用だって……言われてもねぇ」

 セミの声を聴きながら、鬼道邸の広すぎる玄関ドアの前で腕組みをする私服の鬼道を前に、不動は肩をすくめた。

「用が無いなら帰れ」

 これは何をしに来たのかという意味で問われていると知っている不動は、何とか言い方を考えた。

「ハナシ、しに来た」
「……まぁいいだろう」

 そう言って体を引き不動を家の中に入れてくれるその声は、まだ期待が込められていたことを意味する。




 二階へあがって、弱く冷房の効いた鬼道の部屋へ入る。立派な応接セットの横で立って待つ鬼道に追いつき、そっと彼のゴーグルを外した。どうも目を見て話さないと落ち着かない。以前はそんなこと気にしなかったのに、彼の日頃見せる誠実な態度が自然とそうさせている。

「いいか。一つハッキリさせとくぜ。オレはお前と、すっげえヤりてぇって思ってる。こんなの今までもこれからも、他の奴には思ったことない」

 鬼道はストレートな言葉遣いに頬を染めたが、きゅっと口を引き結んで俯かずに聞いている。

「けど、物事ってのは順序があるだろ。大体、なんでそんな急ぐんだよ?」

 腕を組み、言葉を選ぶ間を取って、鬼道は喉がつかえているような声を出した。

「いつお前が、どこへ行くか、分からないじゃないか……」

 強気で大胆不敵に光っていた赤い瞳が揺れ、少しだけさまよった。不動からすれば、彼は手に入るものはすべて手に入れることができる人間という認識だ。その中に自分も含まれている。だが鬼道は、そうは思っていないらしかった。

「こんなふうに不安になること自体、無意味で無駄だと分かっているのに、情けないことに自分ではどうにもできないんだ。笑いたければ笑え」

 鬼道が呆れたように、組んでいた腕を広げて見せたこともあり、つい、言葉より先に手が出てしまった。不動が中途半端に掴んだ手首は、無抵抗で期待している。抱き寄せることもできなくなって、不動は観念した。息を吸って、吐いて、口角を少しだけ上げて見せる。

「オレはお前から離れる気なんか、さらさらないぜ」

 反応を見るのが恥ずかしくて、すぐに唇を重ねて塞いだ。

「……っん、ふぅ……」

 鬼道が強張り、息を吸って、そしてゆっくりと肩の力を抜く。それから、溶けるようにしてもたれ掛かってきた。

「は、ん……っ」

 手探りで絡ませた舌が少しずつ全身に信号を送っている。背中に回された手が心臓を掴む。きっとフェロモンか何かの作用なんだろう、頭のてっぺんがクラクラした。

「おい……鬼道くんがデレるとか、ヤバいから」
「ん……っ」

 腰の力が抜けたのか、ソファに落ちていくのを追いかけて、押し倒さんばかりに唇を押し付ける。我を失って夢中になりそうで、興奮とそれに準ずる恐怖を感じた。

「……今日は、最後までやろうぜ」

 やっとのことで唇を離し、そう言うと、鬼道は強がりながらちいさく頷いた。




 ベッドに座って彼はシャツのボタンを外し、ベルトを外す。羞恥から来る迷いが見られるその手を掴んで、キスをしながら手伝ってやった。
 自ら脱ぐとは、触って欲しいというサインのはずだ。不動は筋肉が付き始めた脇腹から胸板にかけてゆっくりと手のひらを這わせる。ビクンと鬼道の体が揺れた。

「く、くすぐったいぞっ……」

 生理的な笑い声を無視して、胸の飾りをそっと摘まむ。親指で優しく転がすようにすると、吐息が漏れた。次は身を屈めて、舌先で舐める。

「ひゃ……!?」

 反応が大きい方を選択していけば間違いはない。やわらかいものを味わう時のように突起を口に含み、わずかな力を使って吸う。二、三回繰り返すと、鬼道は我慢できなくなったようだった。

「ひ……んぁ……っ! やめろ、そこばっかり……」
「どっちもってか? 欲張りだねェ、鬼道クンは」

 制服ズボンの上から股間に手を当てて、軽く指先を曲げる。鬼道は顔をしかめた。

「そうじゃなくて……おればかり、という意味だ。お前も……」

 何を言いたいか理解したら、最後まで聞かずに指先に力を込める。

「あ……!」

 既に温まっていたそこは揉みしだくうちに硬くなり、不動はジッパーを開けてズボンと下着を下げ、楽にしてやった。

「おいっ……」
「何、いいようにされてるのが気に入らない? 今更やめろって言われても、やめねえからな」

 にやりと笑って、体を後ろへずらす。何をするつもりか予測した鬼道は慌てて体を引こうとしたが、その為に足が開いたのは好都合だった。どうすれば気持ち良いか分かる点に於いて、男同士は楽だ。不動は唇と舌と指とを使い、自分が欲しい刺激を相手に与える。

「ぅあ……っ!」

 急な刺激に反射的に閉じようとした両足に挟まれて、不動は丁寧に舌を使う。耳に太腿が当たっているのはなかなか悪くない。加えて、抑えきれない甘い吐息とたまにあがる媚声が、不動の体に入り込んでいく。強がって侵入を防ごうとしても、抗う術はない。鬼道に与える快楽を、彼を通して己も味わっている。

「っ、や、……っく! ふどっ……も、やめ……やめろっ……!」

 本当にやめて欲しいのなら、手でも足でも使って突き放せばいいだけのことだ。不動は今この状況で自分がやって欲しいこと、つまり、ここぞとばかりに根元までくわえ唇を使って吸い上げた。

「んぁぁ……っ!」

 鼻に跳ねた白濁の雫を指で拭い、舐め取りながら、大きく呼吸をする鬼道を見下ろす。

「卑怯だ」

 呟くように言う鬼道は上気した頬を手で覆い、胸を上下させている。

「んじゃ、オレもキモチよくさせてよ」

 鬼道は返事の代わりに視線を合わせてから、閉じていた足をゆっくりと開いた。コンドームを着けると、大人になったように感じた。ジェルが挿入を助けてくれるようになっているらしかったが、それでもきつくすぼまった穴は不動を受け入れるのに許容範囲ギリギリという感じだ。

「はっ……、入った……」

 鬼道が大きく息を吐いて、最後まで進むことができた。脈動がじかに伝わってくるような感覚がする。不動はつくづく己の愚かさを噛み締めた。
 少し恐かっただけだ。未知の行為が導きだす結果が不明瞭で、ともすれば関係が崩壊する可能性もあったから。しかし今となっては全て無用の心配だったと、体に与えられる感覚で分かる。下半身の内側から断続的に響く、燃え上がるほどの熱を帯びた鼓動。

「は……、あちィな、お前ン中……」

 鬼道は狭い道を押し拡げて進んでくる不動の体積に圧されて、彼を受け入れようと意識的に呼吸を長くしながら、その唇を舐めた。

「ほらな……おれが正しかっただろう」

 たまらずにキスをしてから、不動は聞き返す。

「何言ってんだよ……何の話?」

 わざとトボけたことも見抜いたらしい鬼道は、ややためらったあと、最初から彼の中にあった言葉を紡いだ。

「ただ、おまえと……繋がりたかった……それだけだ」

 一呼吸置いて、その言葉が体にしみていく。

「バッカじゃねぇの……」

 じわりと肌が粟立って、不動は俯いた。誤魔化すように腰を揺らす。

「くっ……ぅぅ……」

 鬼道の苦痛がどれほどなのか計り知れない不動は、いつ突き飛ばされるかと身構えながら慎重に動くしかない。しかしそれを感じ取ったのか、鬼道は頭を引き寄せて唇を重ねてきた。ぐらりと脳の中心がしびれるような感覚に襲われる。彼の想いの深さに圧倒され、鬼道有人の第一印象を思い出した。
 余すところなく完璧で、虫唾が走るような優等生。だが、退屈な学校によくいるタイプではない。本当の秀才にしかない、彼だけの魅力があった。これは敵わないと思ったその時、不動の世界は色を変えた。
 片手で再び硬くなってきた鬼道自身を掴みながら、舌でなだめるように夢中でキスを続ける。

「っぁ……あ! そこ……っ、」

 鬼道がことさらびくんと反応した。

「あ……? ここ?」
「ぅあっ! あ! よせ……つよっい……」

 探るようにして突き上げると、やや慌てた鬼道がしがみついてくる。

「……ココか、」

 見つけた一点をぐっと押し上げる。鬼道の背が弓なりに反った。

「ああっ! ふ、ふどう……ッ、んあ! くあ……ッ!」
「すげ……!」

 力がこもった足が腰を引き締め、内壁は不動に絡みつく。いつの間にか馴染んできた秘部は、先端からこぼれる愛液でほぐされ、より強い快感を求めている。

「やべえ、気持ちイイ」

 朦朧としてきた頭をすり寄せながら、次第に速くなる腰の動きを、理性で止めることはできないのを自覚した。どこかで奔流を見ているだけしかできない理性が声の限りに叫んでいるが、どうでもよくなって一気に流され、快楽に呑み込まれる。

「あぅッ……! ふど……ッ、は……!」
「くッ……ハァ、は……イきそ……」
「おれ……も、不動……ッ!」

 背中をつよく掴む十本の指の感覚に、涙腺がゆるむ。どうにもできない、抗えない何かにひれ伏す。

「っく、ふ……、きど……!」
「ア……ァ……!」

 声が無くなって、息もできない。一瞬間を置いて再開した呼吸はぜぇぜぇと荒く、全身が心臓になったかのように脈打っている。繋がったまま、ゆっくりと思考が戻ってくるのを待った。
 じわりと汗が浮いた肌を熱い手のひらが滑っていく。

「ふど……ふどう……っ」

 ささやきながら背中にすがりつく手にかき抱かれて、不動は目を閉じてその感覚に陶酔した。
 育ち盛りの心が何かでいっぱいに塗りつぶされる。その何かは、見たこともない色をしていた。わし掴みにされ、柔らかく撫でられ、カラフルにそっと光り輝く、線と線を結ぶ点。ついこの間まであったわだかまりなんて、砂粒みたいにどうでもよくなってしまうくらいの、かけがえのない煌き。
 それが恋だった。




end



2014/07

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©2011 Koibiya/Kasui Hiduki