<マッサージ師と鬼道総帥>
アスリート専門のマッサージ師としてそこそこ名が知れているオレ、不動明王。こんな仕事をしていると、本当に色々な人間と会う。爪先から頭のてっぺんまでスポーツマンシップに則っているかのような体育会系のガチムチから、こんな細い体のどこに筋肉があるのかと不思議になるようなスレンダー君まで。
相手をするのはスポーツをこよなく愛する男共のみ。だがオレは仕事とプライベートをさっぱり分ける人間だし、そもそも他人に深入りするような性格でもないし、こういう接客業に向いていると自分では思っていた。天職かもしれない。完全予約制で、時間も自由に調整できる。だがそんなオレの人生を変えるような客が訪れた。
「いらっしゃいませ。今日はどうします?」
「60分コースで頼む」
「はい。60分ですね」
ヤツが来たのは2回目だ。現役プロサッカー選手という肩書だけでは語れない男、その名も鬼道有人。ドレッドをハーフアップにした髪型もさることながら、見た目、立ち居振る舞い、プレースタイル、どれを取ってもずば抜けていて、しかもあの鬼道財閥御曹司ときた。過去にもイロイロあったらしいが、この天才殿は現在、自由に人生を満喫しているように見える。多少の苦悩はあるのだろうが、それに対処できる器を持っているということなのだろう。同世代とは思えないほど落ち着いた物腰に納得せざるを得ない。
「じゃ、こちらへどうぞ」
服を脱いで、台にうつ伏せで横になってもらう間、両手を十分に温める。
「この間、揉んでもらってから、すこぶる調子が良いんだ。やはり自分では届かないところまで、適度にほぐしてもらうのが効果的なんだろうな」
「ああ、そうっすね。それがオレの得意なトコなんで……良かったです」
見れば、さすが。均整のとれた体だ。逞しさがあるのに軟らかそうで、思わず見惚れてしまう。
「はい、じゃ、失礼しまーす」
マッサージなんて要らないんじゃないかと思いながら、手のひらを肌に当てて、少しずつ力を加えていく。もちろん、力だけで無理矢理ほぐそうとするのではダメだ。適度な力を加えながら、絞るように、溶かすように、筋肉の状態を手のひらで感じながら、ゆっくりと温めて、血液循環を促していく。
「ン……本当にうまいな。おれの専属にしたいくらいだ……」
「ハハ、そんなに褒めないでいいですよ」
「お世辞ではないぞ。まあ、マッサージがうまいから専属にしたい訳ではないしな……」
え。クエスチョンで頭が埋め尽くされたオレをよそに、鬼道サンは笑っている。それがどこか、仕掛けた罠を眺めながら待ち構える猟師のような、毒牙を持つ美女みたいに妖艶な横顔で、ゾクッとした。
「いやぁ……いいカラダしてますよね。いい筋肉だからマッサージも効きやすいんですよ」
何かコメントしなければと焦るオレは、いかんせん喋りすぎた。だが失礼なことを言って喧嘩を買うよりはマシだと思った。
「そうか」
「そうっすよ。一回でそんなに効果出ませんって、フツー」
こういうヤバイ客は、距離を取りつつ営業スマイルで適当にあしらうに限る。あと50分、耐えられるはずだ。黙るか寝るかしてくれればいいのだが、その可能性は低い。
少しの沈黙を置いて、鬼道氏は言った。
「お前、おれの尻が好きか?」
「はい……?」
思わず手が止まった隙に、鬼道氏は上体をひねって起こし、肘を突いて頭を支えた。魅惑のポーズで何をしようというのか。
「いいカラダだと言いながら、尻を揉んだろう」
「は……」
もう代金はいいからお帰りいただくべきか、と思いつつオレは悪い癖が出ていることも自覚していた。抑えきれない、好奇心だ。
「隠さなくていいぞ。むしろ歓迎する」
「いやいやいやお客サン、マッサージしてンだから尻とか何だとか関係ねーでしょ。つか尻揉んでないっすよ腰っすよ」
お帰りいただくには、もう遅いようだった。鬼道氏は施術台に寝そべったまま、オレを真っ直ぐに見つめる。
「もっと試してみたくはないか?」
細められたのは綺麗な赤い眼だ。うすい唇が、優雅に曲線を描く。
「……興味があるようだな」
動けなくなったのを誤魔化したくて、足の重心を左から右へ替える。見抜かれているなら営業スマイルどころではない。
「アンタがオレに興味あるんじゃないの?」
「フッ……そうかもしれない」
おいおいおいおいまじかよどういうことだよ。焦るオレは完全に袋のネズミで、奴の唇は女みたいに柔らかかった。
何だってオレは、施術台に上体を預けて尻を突き出している男の直腸をえぐっているのだろう。鬼道氏はよほど手慣れているらしく、自らアナルをほぐすところもじっくり見せてくれた。見たくなかったが目を逸らせなかったし、予想外にしっかり欲情した。ありえねえ。
「っく、あ……そこっだ、イイぞ……っ」
そして今は二度しか会っていないマッサージ師に服従の姿勢をとり、快楽に溺れさせんとしている。腰を揺らして、見たことはないがどっかのアダルトビデオみたいに別人のような声で喘ぎながら。大した動きはしていないのにギュウギュウ締め付けられ、こっちが昇天しそうだ。
「ふっ……は、オレ、も……でそ……ッ」
「ンンッ……いいぞ、イけ……ッあ、はァ……ッ!」
次に予約が入っていなくて良かったと思いながら、オレは最後の一滴まで未知の穴の中へ吐き出した。搾り取られたと言った方が適切かもしれない。同時に鬼道サンもイッたらしく、施術台にしがみついてガクガク震えている。支えつつ、彼の肩甲骨から胸へ手のひらを這わせながら、筋肉の感触がたまらなく甘美だと思った。今日のオレは頭がおかしい。
「フッ……うまいのはマッサージだけじゃなかったな……」
黙って離れるとそんな言葉がかけられるものだから、調子が狂うのは当然だ。下半身だけでも身なりを整えて、施術台に寝そべる全裸のお客のもとへ戻る。
「またのご予約、お待ちしてるぜ?」
キスは、しない。次に会った時にとっておく。
鬼道氏は何事もなかったかのように元通りに服を着て、延長料金まで払い、帰り際に意味深な微笑を残して行った。
そういえば電話番号は名簿に残っている。これからどうやって駆け引きをするか、緻密な作戦をたてなければ勝ち目はない。オレは何故か高揚する胸に苦笑しながら、帰り支度を始めた。
おしりまい
2015/05