<慣れない願い事>
「…そういや今日って、七夕だったな」
炭酸水で割った梅酒を啜りながら、不動が呟いた。
「ん? ……ああ、そうだな。そういえば。――昔はよく願い事をしたものだが、願うことが無くなってしまえば忘れている。現金なものだ」
「へえ、どんな願い事?」
パソコンから手を離し、鬼道は幼い頃に思いを馳せる。
「サッカーが上手くなりたいとか、全国制覇したいとか。そんなところだ」
「叶ってンじゃん」
笑みを交換して、鬼道はデスクから立ち上がった。
「……そうだ、願い事が叶ったのなら、逆に彼らの願いが叶うように願おう」
「彼ら?」
「もちろん、天の川に引き裂かれた二人だ」
「あー……」
きりりと答えると、不動は苦笑いを浮かべた。それを見てから、自分がお伽話など信じてもいないのに浮ついた発言をしたことに気づく。しかし悪い気はしない。
「よし、笹を買ってこい」
「オレかよ?」
「なんだ、甲斐性の無い奴だな」
「どうせなら一緒に行きゃイイじゃん」
そう言いながら、不動は財布と鍵を探している。
「ふぅ……酢が切れそうだからついでに買ってくるか……」
「何その"不動がどうしてもと言うから仕方なく"感」
「いいから文句言ってないで行くぞ、ほら」
パソコンをスリープモードにして、さっさと玄関へ向かう。後ろから愛しげなため息が聞こえた。
「そんなこと言って、こんなイベントなど子供だましだって思ってンだろ? 相変わらず面白いねェ、おセンチ鬼道クンは」
「そう言うおまえはどうなんだ?」
マンションを出て住宅街を歩きながら、尋ねる。今日は朝からずっと分厚い雲が漂っていて、日の暮れた後は殊更涼しい風が吹いているが、時期的にしっとりと湿気を帯びていて、感傷的になりやすい。
「オレはそもそも願い事なんかしない派」
「だろうな」
「けど、可愛い願い事には付き合ってやるよ」
「どこが可愛いんだ?」
「可愛いじゃん」
「それは異議を申し立てる」
「却下する」
「許さん」
「お前が許さんとか関係ねーし」
「ははは。どういう了見だ」
そんな他愛無い会話を交わすうちに、商店街の花屋に着いた。
「あ、笹。見っけ」
ご丁寧に短冊が5枚付属しているらしい。店主は主婦業と掛け持っているのだろう40代女性だ。贈り物なのか、小さなカゴにオアシスを入れて、アレンジメントを作っていた。
「これください」
「でも今日って晴れなくね?」
「買った直後にそういうことを言うか……」
平日の夕方六時、明らかに近所から来ましたという様子の男二人連れで笹を買って帰るなんて、花屋にどう思われたかどうか、なんて今更気にしない。自分の心境もずいぶん変化したなと思いつつ、同居人が歩きながら子供のように笹を振り回すのを止めさせる。
「じゃあ来年会えますようにって願えばいいのか」
不動が思いついたことに嬉々として言った。思わず笑みがこぼれる。
「お前も可愛い奴だよな」
「お? 今のは貴重なデレ……」
ちょっと褒めてやるとすぐに調子に乗る。するりと腰を撫でて抱き寄せた手を払いのけて、歩を速める。
「黙れ、さもないと"不動明王が再起不能になりますように"って書くぞ」
「ヤメテ! そーいうドロドロした恨み系の願い事は聞き入れられないと思う!」
ここが公道でなかったら、ほだされていたかもしれない。それにしても、暗い道で良かった。
「オレに会いたいとか、書かなかったの?」
酢を買いにスーパーにも寄って家に帰り、ベランダの手すりに笹を括りつける不動を眺めていた。
「……書かなかったな」
「ちぇっ」
鬼道は笑った。不動は部屋の中へ戻り、ダイニングテーブルに座る。
「いや、そうじゃない。お前とは離れたことがないからだ」
不動はサングラスを覗き込もうとしたが、思い直したのか口角を上げて目を細め、椅子に背を預けた。
「……まあー、確かに? クラブ離れてても飲みに行ったり帰りに泊まったりしたし?」
「それもそうだが……不動とは離れていても、精神的には離れている気がしないんだ。ある意味、迷惑だがな」
「迷惑って。……言いたいことは分かった」
そう言って近寄ってくるので、わざと避けると、肩をつかみシャツを引っ張って、めげずにまた顔を寄せてくる。こらえきれずに笑みがこぼれ、大人しくさせるためにキスに応えてやる。
「ほら、さっさと書け」
ハイハイと言いたげに手を振って離れた不動は、笹に付いてきた色とりどりの短冊を包装から取り出しテーブルに並べた。
「どれがいい? つか、願い事じゃないなら、なんて書きゃあいいんだ?」
「ここはやはり……」
赤い短冊を手に取って、鬼道は微笑む。
「「ありがとう」」
来年も逢えますように。そう、願いを込めて。
想いも願いも、自分に与えてくれたものを相手へ返す。曇ってる日も雨の日もあるけど、いつか晴れたその時に、二人が無事に会えますように……。
「こういうイベントってアホくせえって思ってたけど」
「うん?」
不動が、やけに気取った口調で言った。
「精神的な成長の補助には役立つということか」
「……誰の真似だ」
「鬼道クンだけど?」
「似てないぞ」
「確かに可愛さが足りないなァ」
面白そうに言われて、つられて笑ってたまるかと奥歯を引き締める。
「まだそれを言うか。夕飯はトマト料理にするぞ」
「ふふん。オレ、トマト食えるようになったもんねー」
あさっての方向を見てクソガキのように言う不動の脇腹を小突き、笑い合って、鬼道は思った。今度から前夜にてるてる坊主を作るのもいいかもしれない。そしてそれに、モヒカンを付けてやろう。
end
2014/07