目覚まし時計を止めて、目を開けた。ひんやりとした部屋は朝の光に包まれているが、気分は全く晴れやかでない。
昨夜は忘年会だった。円堂と豪炎寺に挟まれ、昔からの仲間たちのやりとりを見ているとつい気がゆるんで飲みすぎるのか、元々酒には強い方だがどうも度を超したらしく、店を出てからの記憶が曖昧だ。
怠さが鉛の布団のように重くのしかかり、起き上がるのを躊躇していると、危うく二度寝してしまいそうだ。しかし今日は一年を締め括る日、実家へ帰るのは明日に変更したから、何の予定もない。
なぜ変更したかというと、今年はクリスマスを過ぎても多忙が続き、家のことがろくすっぽ出来ずじまいで、大掃除どころか普段の掃除すらできていないためである。現状は食卓が書類などの物置きになっており、びんや雑誌のゴミが捨てられておらず、このままシーツも替えずに年を越すなど自分が許せない。
とは思ったものの、今日一日ではゴミ出しと洗濯、散らかっているものの整理と掃除機をかける程度で終わってしまいそうだ。五日まで市場が休みになるため、買い物もしておかなければならないだろう。
責任感を持つため一人で暮らすと言い出したのは義父への負担を減らしたいという理由も含まれていたが、実家を出て早々これでは心配度を上げるだけだ。
ため息をひとつ、やっと布団から出たところでプライベート用の携帯電話が鳴り、こんな寝起き声で出たくないなと思いつつ、画面に表示された名前を見る。さらに出たくない。
「どうした」
『よォ、天才ゲームメーカーさん。昨日はちゃんと帰れたみてーだなァ?』
起き抜けにこれ以上ないほど不愉快にさせるのは彼の専売特許だ。なのでこちらも、最大限に明け透けな態度をとる。中学生の頃から変わらない。
「お前に心配される筋合いはない。朝っぱらから何の用だ?」
『泊めてもらおうと思って』
「無理だ。うちは今、散らかっていてな……」
明け透けに言い過ぎて、しまったと口を閉じるがもう遅い。不動は珍しそうに笑う。
『気にしねーって。つか、もう来ちゃったし』
「何!?」
直後に、インターホンが二重に鳴る。小さな画面にエントランスの光景が映った。
『開けて』
カメラに向かって見せる勝ち誇ったような顔と、二重に聴こえる甘えたような声。おれは盛大にため息を吐いて、無言のままボタンを押した。
不動はよく、ホテルをとるのが面倒くさいと言って、おれの部屋へ来る。居座っていた海外から何かしら理由がありちょくちょく帰国するようになって数年、一度許したら次も頼まれ、結局昔のよしみで断る理由もなく現在に至る。悪い奴ではないし、宿賃の代わりにそこらのレストランより美味いものを作るので、無下にできなくなった。
「あれ、結構マジで散らかってんじゃん。珍しー」
「だから言っただろう……」
「それに、鬼道クンが7時半でまだパジャマって時点でやべえ」
いつもならとっくに運動を済ませ着替えていることを、彼は知っている。さすがに何か言い返してやろうかと思ったが思い付かず、きつく睨み付ける。だが不動は相変わらず気にしていないらしい。
「別に、今日やらなくたって……一人で出来るから放っておいてくれ」
「真面目に言ってんの? 掃除は厄払いなんだよ、こんな部屋で年越ししたらやべーぞ。一年の汚れはその年のうちにって、よく言うだろ」
「今初めて聞いたが……お前が言うと信憑性があるな」
「だろ? あ、でかいワタボコリ発見」
さっそく床にあったダンボールを動かし始めた不動に、ため息を吐く。
「ああ、もう好きにしろ。その代わり、何も出ないからな」
「ウン、泊めてもらうから。構わんぜ」
「……着替えてくる」
自分の言い方を混ぜた妙な言い回しにやれやれと首を振って、自分の部屋へ戻る。自分だって実家へ帰ればいいのに、なぜこんな年末の忙しい時にやって来るのだろうか。ふと思った。奴はわざと今朝ここへ来たのではないだろうか、それほどまでに昨夜の自分は酷い生活を想像させる様子をしていたのかと思うと、反省が強まった。
昔から彼は、排他的なふりをして面倒見が良い。自分の利になる理由でしか動かないが、何度それに助けられたことか。高校を出てから再会した後は、どこか他人に対して拒絶の態勢をとっていたおれに、突つくようなちょっかいを出してきて、いつしか眠りを共にするようになっていた。慰め合っても何の意味もないと思いながら、その手に身を委ねることをおれは選択してきた。一番傷付くのは彼だと知っていながら、同情されることを嫌う彼のために、何も言わず黙っている。この関係にもいつか区切りをつける日が来る。
いずれにしても、帰る気はないようだ。これを有効利用しろと、効率を上げるのが好きなもう一人のおれが囁く。タンスの底から、汚れてもいいシャツを引っ張り出した。
◇
買い物は任せ、キッチンなどを簡単に拭いてもらっている間、山のように溜まった書類を捨て、寝室を掃除した。頼んでないのに窓を磨いているから止めようとしたら、大して汚れていないからすぐに済むと言われ、そのままピカピカにさせてしまった。
「お前、実家の掃除とか手伝ったりするんじゃないのか」
「実家ぁ? あんなんババアが早いうちにやっちまって、オレが帰った時には終わってんよ」
「そうなのか?」
「で、今はこっちに家ねーし。でもなんか掃除しねぇと落ち着かないから、ちょうど良かったぜ」
顔を上げて、新聞紙でガラスを磨く後ろ姿を眺める。首の後ろで結わえたくせ毛が、動きに合わせて揺れていた。
それから数時間後、どさりとソファに身を投げ出すと、外はすっかり暗くなっていた。勝手に冷蔵庫を開け、不動がビールを持って来た。
「ハイ、お疲れさん」
「まだ終わってないぞ……」
「いいじゃん、一息つこうぜ」
栓を抜いて瓶を傾け、ガラスのコップになみなみと注いで渡して来る。受け取って、おざなりの乾杯に付き合った。
「あの不動が、タダ働きとはな。今日ばかりは、ホテルへ行った方が良かったんじゃないのか?」
「瓶置いてねぇし、ルームサービスおせぇじゃん」
「しかしベッドは、ソファよりましだろう」
「これ悪くないぜ? ソファベッドだし」
ぽんぽんと腿の横を、ソファを労うように叩く。おれは自分が笑っていることに気付き、それ以上この話を持ち出して不動の心を探ろうとするのを諦めた。
「もう八時か。蕎麦食うよな」
ビールの瓶と、飲みかけのコップを持って、不動が立ち上がる。
「年越しと言うからには、本来は0時をまたぐように食べるんだろう?」
「んな夜遅くに蕎麦食ったら体に悪いっつの。わけわかんねー風習だよなぁ」
おれは笑って、風呂アカを落としに向かった。
蕎麦を食べ(ダシが最高に美味かったのだが不動は何を入れたか教えてくれなかった)、軽い休憩をとったあと、二人で仕上げ兼拭き掃除をした。
まさか一日で終えられるとは思っていなかったが、彼の手際の良さのおかげだろう。なんとか日付が変わる前に、満足することができた。
改めて隣の男を見ると、然程疲れた様子も見せずに腕を伸ばしている。
「不動……」
「あ?」
「お前に、言いたいことがあったんだが……」
ずっとずっと考えていたことを、打ち明けようかと思い、しかしこの流れでは何だか、気にかけてもらったから心が動いたように捉えられてしまいかねない。それは嫌だ。
どこまで読んでいるのかいないのか、不動は面白そうに見ている。
「……なに?」
「一年後に言うことにしよう」
その眼が色を変えた。
「へぇ……」
すっと顔を近付けてくると、反射的に目を閉じそうになる。だが、きっと今はそうじゃない。
「楽しみにしてるぜ?」
やはり。唇が触れずに離れていく。ゆっくりと、期待と唾を呑み込んで、潜めていた息を吐き出す。
一年後にまた会える保証も無いが、こいつはまた奇襲をかけてきそうな気がする。それを待って反撃するか、先手を取るか。血湧き肉躍るような心を必死に抑えながら、ずり落ちかけたサングラスの位置を直した。