<雷雨、ぬか漬け、黄昏のふたり>





 夕暮れ時、雨の音を聴きながらおれは肌に馴染んだシーツの上に力無く横たわっていた。こうして一人でいる時間が一番多い。人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいくのだから当然だろう。そのことについて今まで特に異論は感じなかった。
 孤独を常に感じ、常に支配してきたおれにとって、ひとりでいることに苦痛は感じない。むしろ、誰にも邪魔されない時間を己の向上に充てることができて、有意義だと思った。

 ところがどうだ、お前と出会ってからは?

 この心は、体は、お前を求めて引き裂かれんばかりに叫んでいる。雨音はおれの心を鎮めるどころか、痛いほど激しく降り注ぎ、雷鳴を呼ぶ。
 不動は出張に行ったわけでもなく、いつものようにトレーニングをこなしているだけだが、まだ帰ってこない。少し離れていることがこんなにも苦痛だとは。

 ならば一人でいたほうが良かったか?

 暗闇に愚問が浮かんだ。おれにも不可能という言葉が存在すると知ったのは、お前に魅き付けられてからのこと。碧い眼を見た刹那、おれの魂は感電したように痺れた。
 真夜中の雷雨におれは我に返る。冷たいベッドは二人分のはず。だがお前の姿はない。まだ帰ってくる時ではないと分かっている。

 それでも、世界を白く染める雷鳴が、おれの体を芯から震わす。まるで叫びのようだった。お前を呼んでいるんだ。この世界中どこにいてもおれの位置が分かるように、知らせているんだ。
 寒くはないがこれから寒くなる気がして、毛布を手繰り寄せようとした。大きすぎないダブルベッドに乗せてある枕に触れ、その存在を思い出す。寝たまま体をずらし頬を寄せて、ゆっくりと空気を吸い込む。枕とシーツからほのかに不動の臭いがして嬉しくなった。

 お前は必ずここへ帰ってくる。

 息を吐いて安堵に包まれた瞬間、色々な事を思い出した。二十年近く前、飛行機事故があった日もこんなひどい雷雨で、おれがいつも恐れているのはただ一つ、失うことだと。

 ・ ・ ・

 鍵がキーホルダーとぶつかり合う音に続き、ドアが開く音がして、閉まる音がした。ゆっくりと目を開けたおれは、横たわったまま耳を澄ます。
 まず荷物である、衣類の入った大きなナイロン製のスポーツバッグを床に置き、鍵をカウンターへ無造作に置く。冷蔵庫を開けて、水を飲む。上着を脱ぎ、トイレに入る。すぐに出てきて、靴下を履いた静かな足音が、寝室へ近付いてくる。
 もう朝なのかと窓の方へ首を回すと、相変わらずグレーの雲に覆われているのが、カーテンの隙間から見えた。
 不動が寝室へ静かに入ってきて、薄闇の中でじっと見つめる。起きていることに気付いた不動は、脱いだ上着を置いて、ゆっくり近付いてきた。

「何スネちゃってんの」

 ベッドの側に膝を着いて、目の前に顔を据えた不動からは"外の臭い"がする。予定より早いのならメールくらい寄越せと、言葉にする代わりに視線を送った。

「おれを放っておくから悪いんだ……」

 おれのテンションが低いのは眠ろうとしたところを妨げられたからだと思っている不動は、彼なりに気を遣ってか、からかうように明るい声で頬をつついた。

「鬼道くんは発酵食品ですかぁ~? 何日スネさしたら甘くなんのかな」

 もういいと、鼻からゆっくり息を吐き出す。

「ちゃんと毎日天地返しするんだぞ」
「ぬか漬けかなんかかよ」
「ああ……おれは腐らない」
「だろうねえ」
「付き合えば付き合うほど、深みを増す……つもりだ」
「つもりって」

 不動が笑う、その声が沁みていく。

「食えば食うほどクセになる、病み付きの味?」
「それは何かイヤな言い方だな……」
「文句が多いぜ、スネちゃま」
「誰がスネちゃまだ」

 ムッとして睨み、上体を起こす。やっと不動がキスをしてくれたのは、おれが少し元気を取り戻してきたのが見て取れたからだろう。

「スネてる鬼道くん、可愛いから好き」

 落ち込んだ時に甘やかしても、依存させるだけなのが分かっているのだ。まったく、気遣いが上手いようで全部露呈している。

「嬉しくない」
「まーた、そういう……」

 だから、甘えないことにした。その途端、困ったような笑みを睨むことになる。

「しっぽ振って飛びつくほど嬉しいくせになァ……」

 言い当てられたが、しっぽなど振らない。おれは目を逸らして笑いたくなるのを堪える。

「おかえりのチューは?」
「ん……」

 催促されて、仕方なく。といった雰囲気で短いキスをする。すぐに離れると、つまらなそうな顔がゆっくりと溜め息を吐く。

「ん~ぬか漬け作ろっかな。キュウリとナスが終わらねぇうちに」

 不動の手がどれくらいぬか漬け臭くなるのか、少し楽しみになった。

「不動、いいことを教えてやろう」
「なに?」

 不動が、おれの一番好きな表情で隣に寛いでいる。微かな呼吸と体温を感じる距離で。おれは勿体振って言った。

「ぬか漬けは、甘くないんだ」

 一拍置いて、その不動が吹き出した。まったりした空気はどこへやら、トウガラシを食べた時のように顔を伏せて、肩をふるわせている。

「そうだな、甘くねーよ! 全ッ然」

 そう言っておれの二の腕をぽんぽんと叩き、体を寄せてくる。
 つられて笑いながら、おれは不動の腕に抱かれ、抱き返した。不動は枕を叩いて、滲んだ涙を拭う。いつの間に雨は止んだのだろう、窓から琥珀色の光が差し込んでいた。

 蜂蜜酒よりも、ぬか漬けくらいがちょうどいいのかもしれない。ちゃんと手入れをしてくれるから、いつ何を言われてもしっかり漬かって出てくるおれの糠床。







2015/10

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