<一瞬の関係>
土曜日、部活を終え、ロッカールームで。すっかり暗くなった窓の外を見て、不動がシャツに袖を通しながら言った。
「あー腹減った」
背後では、シャワーから出てきた寺門にまだ入っていない者たちがべたべたと手で触り、「ヤメロ、せっかく綺麗にしたのに!」などとふざけている。
おれはベンチに座って、靴下を履きながら微笑んだ。
「うちに来るか? 見せたい物もある」
「お、マジ? 例のアレか」
明日は全休だ。以前、不動が興味を持っていたボクサーのドキュメンタリー番組を衛星放送でやっていたので、録画しておいた。
「んじゃ、お坊ちゃんのお勉強をお手伝いしに行きますか」
急に上機嫌になった不動を、佐久間がジト目で見る。
「勉強しに行くなら俺も加勢するぞ」
「ああ、ありがとう佐久間。だが、他にも内密に進めたい話もあるしな、気持ちだけ受け取っておく」
ゆっくり丁寧に伝えれば、それだけで佐久間は納得する。
おれの肩に不動が腕を掛けた。
「そーゆーこと」
「見せつけてくれちゃって、まあ……」
佐久間が呆れた顔で、立ち上がった。
「んじゃ、月曜にな」
「ああ。お疲れ」
「おつかれ?」
おれと不動の労いを受け、佐久間は先にロッカールームを出て行く。
不動はおれの肩に凭れていた身体を起こし、スポーツバッグに汚れたユニフォームなどを詰め始めた。
明日は全休。部活がない。だから、今夜は――。
「よっし、行こうぜ」
「ああ……みんな、お疲れ」
未だ騒がしいチームメイトたちに声をかけて、二人でロッカールームを後にする。
外は暗く、冷え込んできているが、午後中ずっと動かしていた体では、あまり寒さを感じない。
校門を出て駅へ向かいながら、いつものように今日の練習を二人で分析する。天才の頭脳が二倍になって、それを繋げているような感覚だ。体験した事以上に、情報を得て共有する。思考する以上に気付きが発展する。高校に入っておれが不動のいる帝国へ戻ってから、定番化したやりとりだ。
このセッションは何時間でも続けられる。おれたちの脳が特別なわけじゃない。だがこれによって出る試合の影響は大きく、”進化したW司令塔”は皆が認めるところとなった。
「……夜食買ってく?」
「ああ、そうだな」
駅前のスーパーに入り、おれは期待を膨らませる。今夜は、養父が留守で、翌日部活の心配もしなくていい。だから、不動が泊まっていくのだ。
録画しておいたボクサーのドキュメンタリー番組は、予想以上に面白かった。夕食のグラタンとハヤシライス、グリル野菜、サラダというおれの好きなメニューも、不動と話しながら食べるといつも以上に美味かった。
だがいま、こうして身を清めパジャマ姿でベッドに座っていると、何もかもが遠くに感じる。
「なんっか……慣れねえなぁ」
そう言ってTシャツにジャージ姿で、用を足して戻ってきた不動が部屋に入ってくる。
「もう五回目だぞ」
笑みを浮かべて見つめると、おれがゴーグルを外しているからか、不動は複雑そうな顔をして黙ってしまった。
そう、最初に泊まったときは、何も起こらずにただ、友人として有意義な時間を楽しく過ごした。二回目に泊まったときも楽しかったが、おれたちはキスをした。
三回目からは計画的になった。
「鬼道クンって一人エッチすんの?」
「なっ……」
ベッドの空いているスペースに腰掛けて、不動が何気ない調子で尋ねる。
「訊くか? そういうことを……」
「だって優等生すぎて、オナニーの仕方も知らねえんじゃないかとか心配になっちまったんだもん」
「余計な心配はいらんッ」
くだらない話をしながら、不動はおれの目の前で向かい合うようにして座り直した。
「いつもどうやってんの? ここでする?」
「お前と同じようなものだろう」
「オレ? ……結構、ヤバイことしてるぜ」
「なんだと?」
どんなことだ、と言いかけて、不動の表情に隠された微妙なものに引っかかる。
おれのことを探っているような、言いたくないことを察してもらおうとしているような。
「知りてえか?」
「……どうせ、おれも言うはめになりそうで、嫌だ」
「だろうね」
おれは、そっと指先で、小さく笑った不動の唇をなぞる。もう笑っていないその唇に、この部屋で、最初にキスしたのはおれのほうだ。ほとんど同時に動いたが、先に唇を押し付けたのはおれだった。おれが求め、おれが許した。
不動はおれを見つめ、少しだけ目を細める。今も緊張が続いている。
おれたちは、ただの友達ではない。ならばこの関係は、何だろうか?
今はまだ分からないが、おれは、不動とこの先どうなりたいかを、はっきりと自覚するようになってきていた。
2016/12