<声が出ないほど気持ちいい鬼道さんの話>






 いつもと同じじゃつまらないだろ?
 定期的に愛撫の仕方や体位を変えようとするので理由を訊いたらそう答えた恋人に、鬼道はどういう顔をすればいいのか分からなかった。
 つまらないなどと、思ったことは一度もない。むしろ、不動の前で何もかもさらけ出して、挙げ句の果てには――。それだけで既に十分恥辱に満ちているし、どうにか理性を保とうとするので精一杯のところを、あれこれと工夫して攻め立てられた日にはもう、今にも腑抜け面になりそうで、そんな格好の悪いところを見せるわけにはいかないと必死にプライドを奮い立たせているほどなのだ。
 だが不動は、恋人がいつもと同じ手順の行為ではつまらないと思うかもしれないと考えている、ということになる。それは明らかに間違いだ。誤解されているとすれば、そうじゃないと説明しなければならない。
 だが待てよ、と鬼道は考える。そう考えるということは、不動はいつか飽きるという自覚があるということだろうか?
 彼は飽きっぽいところが確かにある。そう思ったら、急に不安になってきた。




 毎日、寝る前に、どちらが先に風呂へ入るか確認する。どちらかが仕事を片付けきっていない時があったり、まだ家事の途中だったりするからだ。
 順番に入浴後、何か特別な事情が無ければ、裸のままベッドに入ってキスをする。いつものように、ゆっくりと深くしていく。
 だが不動は、先日も言った通り、また愛撫のやり方や順番を変えてきた。舌を絡ませながら乳首をこねられ、吐息がどんどん熱を帯びていく。
 キスをしながら既に倒れ掛かっていたのだが、もつれるように押し倒したあと、不動は背後へ回った。脇から手が伸びて、

「ッ……く、くすぐったいぞ……」

 耳元でクスクスと笑う不動の声に、どうしようもないほど愛おしくなる。

「な……もう、挿れるぜ……」

 耳元で囁かれ、背中にぴったりと密着したまま、熱い異物が体内に押し込まれる。

「――――ッ!」

 何度繰り返しても、これは慣れない。全身が不動の身体と文字通り合体して、結合部分から何もかも暴かれていくような。穿たれるたびに細い血管の先の先までちりちりと電流が走り、思わず腰を揺らせば、反応した楔が太さを増す。
 どうやって、耐えろというんだ。
 枕にしがみついて、鬼道は生理的な涙が滲むのを、思考回路が意識から離れていくのを、ただ感じることしか出来ないでいた。

「どぉだ……っは、はぁ……鬼道っ……」
「……っ、……ッ……」
「ここ、とかっ……?」
「ぁ――ッッ!!」

 えぐられた内壁が勝手に、キュンキュンと収縮する。目の奥に星が散り、気を失うかと思った――実際、無意識に数秒飛んだかもしれない。これほどの刺激を、脳が溶けそうなほどの快感を、体はもっと与えてくれとうごめく。

「はぁ……っ、はぁっ……くそ……っ」

 不動が苦しそうに呟くのを聞いて、鬼道はぼんやりした頭でもしやと思った。いつもなら、何を言っていても、不動も適度に気持ちがいいのだろうと気にしていなかったのだが、今日はなぜか、そうじゃないと思った。しかしすぐに不動が腰の動きを速め、思考が追いつかなくなってしまう。

「ッは――ぁ、ぁ――!!」

 ああ、もうやめてくれ、無理だ――自分がどうなるか分からず、鬼道は頭の中で叫んだ。声が出ないまま、勢い良く攻められて、絶頂を迎える。

「ぅ――ぁ――――ッッッ!!!」

 締め付けたせいなのか、極薄のゴム越しに不動の射精も感じた。悦びに満ちて、恍惚とするひととき。一箇所に集まっていた血液がスーッと元通りに流れ始め、脳がクリアになる。まだ熱い息を何度か吐いて、隣を見た。
 一旦離れ、コンドームの処理をして、背を向けたまま大きく息を吐いた不動に、思い切って声を掛ける。

「……もう、いいのか?」




 ――――――



 どうすればいいかという手段を考えることに集中していれば、相手にどう思われているかはあまり気にしなくて済むと思っていた。馬鹿だった、と不動は胸の内で呟く。
 恋人は何でも手に入る。それこそ、地位も栄誉も名声も、金も。何かを望めば、必ずそれを与える誰かが現れる。そんな鬼道と恋人になれたのだから、それで十分優位じゃないかと思う奴もいるだろう。そうじゃない。他の人間でも与えられるようなものばかりでは、いつか見限られる。飽きたら終わりだ。だからなんとかして、自分だけが与えられるものを探していた。
 鬼道の好きな体位を探り、一番感じる場所を探り、海外の専門家が書いたハウツー本を半信半疑で読み漁った。だがまだ駄目だ。
 鬼道が満足する前に、自分が行為から感じるいろいろなものでいっぱいいっぱいになって、いつも終了してしまっている。鬼道が心の底まで満足した時ならば、少しは、自分が与えられたという達成感を得ることができるかもしれない――そう思って、日々努力していた。

 久しぶりに後背位で、鬼道の背と自分の胸を密着させ、奥の内壁に当たるよう深く押し込んだ。
 やっぱり鬼道は、声を出さない。やたらとハァハァ言ってる自分の声が恥ずかしくなってくる。だがこれだけは、抑えようとしても無理だ。
 出すものを出して、役目を終えたコンドームを捨てると、ちょっと虚しさのようなものが襲ってきた。やはり今得られている満足感は、真の満足感とは程遠いんだろうな、などと思ってみる。鬼道にもっと満足してもらえれば、自分も気を遣わずに満たされるんだろう。だがどうやって?
 いつものように寝る準備として明日の朝食の話でも始めるかと思ったとき、鬼道が言った。

「もういいのか?」

 バレた。――咄嗟にそう思った。
 どういう顔をすればいいのか分からない。誤魔化そうにも上手い手が浮かばず、まだ恍惚に浸ろうとする脳みそを引っ叩いて回転させようと試みる。

「あ……ホラ、お前明日も仕事だろ」

 何とか切り抜けたかのように思えたが、鬼道は眉間にシワを作った。サングラスを掛けていないと表情がよく分かるぶん、伝わるのもストレートだ。たぶん、怒ってる。

「おまえ……何か勘違いしてないか」
「え?」

 ヤバい。そう思った不動は必死に言い訳を探したが、鬼道の方が早かった。

「お前が怒ってるのは……おれのどんなところだ?」
「は……?」
「あ、いや、別に……多少強くされても、問題ないんだが……」
「……は? てか、怒ってなんかねーし……」
「そうなのか?」

 思考が追いつかない。
 もっと鬼道を刺激して満足させてやりたいという苛立ちが、少し乱暴にしてしまっていたのだと気付いた。

「わりぃ、どっか痛かったとか?」
「いや、大丈夫だ。……問題ない」

 本当か?
 不動の思考回路は混乱を極めた。未だに眉間にシワを作ったままの鬼道の様子を見ていると、目を合わせず、いつものようにバスルームへ移動もせず、何か言いたそうなのに言わない、など色々とポイントが見つかった。

「あの……どうかした?」

 尋ねると不安は伝わったのか、鬼道はとても言いづらそうに、頭の中で文章を構築してから口を開いた。俯いたままで。

「その……おれは今、いっぱいいっぱいで、言葉が出て来ないんだ。すまないが……だが、怒ってはいないと聞いて、謎が深まった。今は、もう少し……ゆっくり、してくれないか。痛いとかじゃないんだが。……受け止めきれない」

 不動の思考回路は数秒間停止した。

「……は?」

 鬼道はシーツを腰に乗せたままの格好で、ベッドの上にゆるいあぐらを組んでいるが、さらに腕組みが加わった。
 その腕の動きを眺め、再スタートした思考回路を高速で回転させ、鬼道に言われたことを一つ一つ分解して意味を整理する。

「あのさぁ……よく、分かんねぇんだけど……。つまり、痛くないってことでいい?」
「あ、ああ……」

 閉じた唇にわずかな力が加わったのを、不動は見逃さなかった。

「むしろ、その……良すぎるので困っている」

 ちら、と赤い目が不動を見て、またすぐに逸らされた。ポーズはどっしりと、あぐらに腕組みのまま。

「ばっ……ま、……え……」

 自分がこんなにうろたえ、何も考えられなくなった時があっただろうか。
 鬼道は耐えきれなくなったのか、ふぅと息を吐いてから、シーツをどけて後ろの壁にハンガーで掛けてあるバスローブを取ろうと動き出した。

「すまない、何でもない。お前はいつも通りに――」
「ちょっ、待てって!! オレが無理!!」
「は……?」

 やっぱりこんなの、受け止めきれない。
 シーツを掴んだままきょとんとする鬼道を残して、不動は逃げるようにバスルームへ駆け込んだ。
 二人が無言のまま水を飲むのは、それから十五分後のはなし。








2017/04


戻る
©2011 Koibiya/Kasui Hiduki