<名前のない関係>






 一ヶ月ほどデスクワークばかりしていた。経理は別の人間が担当しているのだが、新学期を控えたこの時期は、何かとやることが増えて忙しい。
 社員のためにも残業は一時間までと決めて、どうしても片付けなければならない書類などは家に持ち帰ったりもしていたし、仕事のことばかり考えていて、日課のトレーニング以外はほとんど引きこもっていた。
 そんな多忙さも一段落して落ち着きはじめ、やっと一息つけるようになると、今まで会えなかった不満がドッと雪崩のように押し寄せてくる。生活リズムや性格を知っているから、気を遣う必要は無くて助かるのだが、感情はときに氾濫する。

(会いたい。今すぐに)

 スマホを手に取り、開いていなかったメッセージアプリを起動した。まだ未読のままのメッセージは全て無視して、未読メッセージの無い不動宛に短文を打ち込む。

『仕事は一段落した。今夜空いてるか』

 既読アイコンが付くのは別に待たない。必ず読むと知っているからだ。それに、不動からの返信はまちまちだ。空いてるかと訊いているのに、それに答えずいきなり家へ来ることもある。

(まったく、いつまで経ってもマイペースなヤツだ……)

 溜息を一つ、準備をしにバスルームへ向かった。




 ◇



 合鍵でドアの鍵を開ける音がして、目が覚めた。窓の外は真っ暗だ。不動にメッセージを送ってから二時間ほど経っている。
 シャワーを浴びてからバスローブに着替え、仮眠をとっていた鬼道は、目を開けてもベッドから動かずにいた。

「よお」

 薄暗い寝室へ顔を出しながら上着を脱ぐ恋人の顔を見て、やはり返信する前に来てくれたのだなと安堵する。

「お疲れ」
「いま、少し寝たから……大丈夫だ」
「ホントにぃ? 鬼道クンの大丈夫は信じねーぞ」

 そう言って姿を消し、上着をソファに放って、身軽になった不動は寝室へ戻ってくる。近付いてベッドの端へ座るまでの数秒が、いつになく長く感じた。

「んっ……」

 待ちわびたキスが殊更に熱く感じる。

「ん、ふ……はっ……」

 角度を変え、深さを変えて、何度も、何度も。柔らかい舌が歯列を撫で、鬼道の舌に絡みつくたび、腰に微かな電流が走る。

「……不動」

 ボーダー柄のロングTシャツの胸元を掴んで横へ引き倒し、体勢を入れ替えて腹に跨る。見下ろした先の深緑の目が、スッと細められた。

「へぇ、今日は鬼道クンがリードすんの?」

 膝の頭から、ゆっくりとバスローブの下へ太腿を撫で上げ、不動は舌なめずりする。

「別にいいぜ? イラついてるおまえ、そそるし」

 熱い溜息を吐いて、鬼道は身を屈める。まだまだ序の口。こんな程度では全然足りない。

(軽口を叩いていられるのも今のうちだ。もっと寄越せ)

 イラついてるわけではないのだが、唇を重ねるたびに荒んだ気持ちが落ち着いて、なめらかになっていくのを感じる。不動が何か言っても、いつもはムキになったり言い返したり噛みついたりするのだが、今はとてもそんな気分になれない。余裕が無いのだ。

「いいから……黙っていろ」

 言葉より、感じていたい。本心を隠すようにキラリと光る鋭い赤に睨まれて、不動は口角を上げ肩をすくめた。
 バサッ、バサッと抗議の音を立ててバスローブやジーンズが放られても、六十キロ以上ある男二人分の体重にスプリングが悲鳴を上げても、気にしてなどいられない。
 肌と肌を重ね、体温を伝え合うことのほうがよっぽど重要だ。下着も脱ぎ去り一糸まとわぬ姿で、欲望に身を任せる。

「んんッ……」

 脇腹を撫でていた手に胸の飾りを摘まれ、思わずうめいた。じわじわと下腹部へ熱が集中していく。首をもたげ始めた二人の竿同士が触れ合い、不動が熱い息を吐くのも聞こえた。

「でも珍しいな。ヤルの優先なんてさ。セフレみてーなの、嫌いじゃなかったっけ?」

 いつになく余計な一言が多い理由は、よく分かっている。だから腹筋を使って少し起き上がろうとしていた胸を軽く突き飛ばし、真っ直ぐに見つめた。

「黙っていろと……言っただろう」

 このセリフで、不動の考えていることが図星なことも、それを一番言われたくなかったことも、すべて察知されてしまった。
 腹いせに、面白そうに笑みを浮かべる不動のを掴み、やさしくしごく。すぐに硬く太さを増したその手応えが、体の芯を期待に痺れさせる。

「一ヶ月半も禁欲していたんだ。羽目を外して何が悪い」

 さっき少し寝たくらいでは回復していない、本当はまだまだ、疲れてるはずなのに。

(貪欲なのか、中毒なのか……)

 半ば自嘲気味に、疼きにひくついていた己の後孔に不動の屹立を宛てがい、ゆっくりと腰を下ろす。

「あァ……ッ、は、ァァ……ッ!」

 待ち焦がれた快感が体中を駆け巡って、思考能力を奪う。目を閉じて気を失いそうになりながら、好きなところを先端がえぐるように、深く埋め込んだまま腰を揺らす。いつの間にか完全に勃起した鬼道の屹立を掴まれ、さらに刺激が倍増した。

「よ、よせッ……ァ、ア、くぅぅ……っ!!」

 数回しごかれただけで、呆気なく絶頂へ達してしまった。

「うわ、すげーどろどろ」

 不動が笑って言うのを聞いて、羞恥心も手伝い、意識が戻ってくる。覚束ない手付きでなんとか、ベッド脇のミニチェストに乗っているティッシュを数枚取ることはできた。

「ふっ……、く……ッ」

 しかし少し体を傾けたため、まだ埋めたままの不動自身が内壁にめり込んだ。達したばかりの体は過敏になっているが、それだけじゃなく、一ヶ月半というブランクが予想以上に影響しているようだ。少し触れられただけで、ちょっとナカで動かれただけで、体はわずかな快感も逃すまいと敏感に反応する。

「もういいだろ? そろそろ……我慢してたのはお前だけじゃねェんだぜ」

 耳元で切なげな呟きが聞こえ、鬼道は何かコメントしようと思ったが、横に体を反転させられ、舌が言葉を紡ぐ前に正常位で強く突かれ始めて、最後に残っていた理性が崩れてしまった。

「くっ! ぁあっ! は――――!」

 動きは激しくないのに、ときどき痛みに近いほど強く突き上げられて、不動がどれほど我慢していたかを知った。今も、鬼道の体を気遣って力加減を調節している。ほどなく注ぎ込まれた熱い飛沫が、凍った体を一気に溶かしていくようだった。




 ◇



 中学も卒業するという頃――ちょうど9年前の今頃だ。不動と関係を持ったのは必然的だった。自分のセクシャリティが明確にならないうちに訪れた思春期に、相性が良く口の硬い好奇心旺盛な年頃の相手がいて、向こうも興味を持っていた、それだけ。
 それだけのはずだったのに、高校に入ってから、欧州に行ってから、何度も会っては共に過ごし、今もこうしている。だが名前の無い関係には、正体の分からない不安もつきまとう。

「……もしかしてさ、さっきの怒ってる? セフレがどうとかって言ったの」

 まだ熱の残るシーツの上で、不動が茶化すように言った。答えに窮する鬼道は、無意識に顔をそむける。

「怒っている、わけでは……」

 安堵して、話をさらに続けようとする時、不動は姿勢を変える。今は仰向けに寝転がっていたのを、肘枕を突いて横に寝そべる格好に変えた。

「ハハ……セフレだったらおまえ、こんなに甘えてこねぇだろ」

 冗談に決まってるだろ、とからかわれたのに気が付いて、鬼道は眉間にシワを刻んだ。
 反論したいのに、羞恥心がまたもや邪魔をする。

「きさま……」
「なんだよ」

 見つめ合うと、文句を言う気が失せてしまった。まるで、コーヒーに入れた砂糖が溶けていくみたいに。

「分かっているならしっかり甘やかせ」
「お、開き直ってきたな?」

 嬉しそうに笑うその顔を見て、鬼道はわざとムッとしてみせる。

「……まだ、足りない。全然だ」

 首の後ろで一つに結んだままの不動の髪を留めていた赤いヘアゴムを外して、自分の手首にかけておく。少し乱暴に押し倒して、肌を撫でる手つきはやさしく。貪欲でも中毒でもない、この関係にもし名前を付けるなら……。

(お前だって、おれを甘やかすのが好きなくせに)

 まだ、言葉は出て来ない。代わりに、何度も甘いキスを交わした。








2017/02
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