<ゆるめるひと>
帰宅したあとは、夕食の前にまず入浴する。それが鬼道の日課になっていた。
温かい湯に肩まで浸かると、意外に体が冷えていたことに気付かされる。疲労と冷房で凝り固まった筋肉が徐々にほぐれていくと同時に、血流が良くなって思わずため息が漏れた。
現役選手を引退した三十二歳の初夏、鬼道有人は鬼道グループCEOとして忙しい日々を送っている。
風呂から出ると、廊下まで食欲をそそる匂いが漂っていた。
「ハイ」
不動がキッチンからカウンターへ、出来上がった料理を次々と置いていく。その器をダイニングテーブルへ並べるのが、風呂上がりの鬼道の仕事だ。
薬味が大盛りになったカツオのたたき、茹でオクラのごまマヨ和え、ちくわのピリ辛煮、ほうれん草と人参と豆腐の炒めもの、押し麦入りの分搗き米にわかめの味噌汁。不動は甘党のくせに、料理には砂糖を入れない。
「いただきます」
食事中はリビングのテレビをつけ、スポーツニュースや試合中継のダイジェストを流す。ちょうど今は欧州選手権の真っ最中で、気になる選手がいたら食後にじっくり見ることもある。
「これ、うまいな」
「だろ。捕れたてだっつーから」
「だろうな」
籍を入れないのかと友達にからかわれたこともあったが、お互い何となく同棲相手として共存している。でも多分、傍から見たら完全に夫夫なのだろうし、単に意地を張っているだけと思われても仕方ない。
食器を片付け、歯を磨き。洗濯物を整理したり、週明けの予定を確認したり、持ち帰った仕事の残りが済んで、やることはなくなった。
さあ、ここから約48時間はプライベートタイム。
最近は週末にゆっくりセックスしている。十年前は毎日のように自慰をしていたし、五年前は週に三回はセックスしていた。
けど三十を過ぎると、量より質を求めるらしい。逆に、それくらいは我慢できるようになった、とも言える。
週に三回ペースでは、平日はどうしても時間を気にしてしまい、何となく心残りを溜めたまま金曜の夜に爆発して、週末はダラダラしていた。それがだんだんと嫌になって、どんどん我儘になって、週に一回でいいから思い切り最高の時間にするようになった。
実際、うまくいっていると思う。満足感が格段に違う。
問題は、金曜の夜今から始めるのか、明日土曜から始めるのかだ。
何となくうずうずそわそわしながらベッドへ行くと、不動が先に腰を下ろしてスマホを見ていた。反対側に座り、室内履きを脱ぐ。
「お、もう寝る?」
スマホを見ながら不動が訊いてくる。
「ああ……」
答えたが、今すぐ就寝するわけではない。
でも今日は……
「なに」
不動の背中にしがみつくようにして寄り添うと、なにやら困惑したようだった。
「何してんの?」
嬉しいけど照れくさくて、何だか分からなくて困った声。愛しくなって、足の位置を変え、不動の背後にしゃがむようにして思い切り腕を回し抱きついた。
「充電中だ」
そう言って肩に頬を乗せる。
不動が笑うと、鬼道の体にも振動が伝わった。
「おまえさあ。襲うよ? そういうこと言ってると」
手の甲を指先でくすぐるように撫でられる。
一瞬迷ってしまう。
でも今日は。
「受けて立つぞ」
湯に浸かるとほぐれていく冷えた筋肉のように、不動に癒やされていく。
ふたり並んで横になり、何度かキスをして、指先を絡める。
「明日はおまえのしたい事をやろう」
「……マジで?」
「ああ。おまえにはおまえの充電の仕方があるだろう」
「そん……りょーかい」
くっついて寝ると暑いので少しだけ距離をとって。きっと不動はもう自分も充電してしまったと言うのだろうが、そういう問題じゃない。
体の奥でくすぶる情欲をなだめながら、鬼道は目を閉じた。
2021/06