<ココアバナナパウンドケーキ>






 休日にケーキを焼く男って、どうなんだろうか。
 別にオレは人からどう見られるかなんて気にしないが、ふと世間ではどういう位置づけなのか、どういう印象を与えるのか考えてみることにした。
 令和三年、最近じゃ独身男子とやらが多くなり、自炊する一人暮らし男が増えている。けど、甘い物好きな奴で器用な男は、小学生の頃からクッキーやチョコレートを作っていただろう。そもそも有名なパティシエのほとんどは男だ。顔でも能力でも女をメロメロにする。
 パティシエは芸術家の部類だろうが、一般的な範囲の菓子は大体が計量をきっちりやれば簡単に出来る。
 要は性別というよりも、器用であればいいということかもしれない。



 ガラスのボウルに材料を入れ、デジタルキッチンスケールから下ろすと、ゴムベラでさっくりと切るように混ぜる。最近はゴムベラのことをスパチュラとか呼ぶらしい。先日買い換える時に知って驚いた。
 シリコンの型もすっかり国産が一般的になった。ボウルの中身を全て入れ、均等になるよう平らに整える。
 とっておいた、真っ黒になりかけているバナナを一本、皮を剥いてスジを取り除き、端から同じ厚さに切っていく。道具売り場で見かけてこれまた驚いたのだが、バナナを均等な厚さに一気に切れる道具も売っていた。ゆでたまごをスライスできる道具は以前から知っているが、使ったことはない。ゆでたまごは半分に切れば十分だし、いつも半熟だからだ。
 バナナも一度に切れたら早いのかもと一瞬思ったが、少し厚さを変えたい時は調整できないし、そのためだけに道具置き場が圧迫されるのは好まないので、余計なものを買うのはやめておいた。あれは手先が不器用な人か、毎日バナナをきっちり均等に切って、ヨーグルトやパフェに乗せたい人用だろう。時々しか切ることがなく、手で均等な厚さに切れる者には必要ない。
 バナナの輪切りを並べて乗せながら、そういえばこのパウンドケーキはもともとネットで調べたレシピだったっけ、と思い出す。作るうちに、足したり減らしたりして、自分好みに調整している。
 いや……自分一人なら、こんな風に手間を掛け、何度も作ってオリジナルレシピを完成させるまでやるか?

(あっま……)

 端っこを食べたら、物凄く甘かった。



 そもそもなんで菓子作りを始めたんだっけか。遡ること数ヶ月、あいつが赤い目を曇らせしかめっ面でなにか悩んでいそうだったから、「どーかした」と軽く声をかけた。

「いや……大したことじゃない」
「その顔で? 別にいいけど」

 あの頃はまだ同棲というまではいかず、週末にお互いの部屋へ泊まり合うスタイルだった。でもそういうのを一年以上続けていると、いい加減もう(これって一緒に住んでる方が楽じゃね?)と面倒くさくなってきた頃。なぜ歯ブラシを二ヶ所に置かなきゃいけないんだとか、泊まるたびに着替えを持っていくのが煩わしくなって。面白いものだ、一番最初に泊まった翌朝は、とうとうやってしまったと一人洗面所で謎の達成感に包まれ興奮していたというのに。
 だからって恋人の悩みを無理矢理深堀りしようという気はない。聞いたって、オレに解決できない類いの悩みだとありきたりな励ましの言葉をかけるだけになってしまうし。いや待てよ、オレに関係ある悩みだったらどうしよう。

「甘いものが食べたくてな。それも何でもいいわけじゃない、苦いくらいココアの入ったスポンジとチョコレートクリームだ」

 なんだ、そんな事で悩んでたのか。案外こいつちょっとしたことでめちゃくちゃ真剣に悩むよな。まあそういうとこがカワイイんだけどさ〜などと思いながら、オレはニヤけないよう気をつけつつ、口を挟む。

「どこのやつがいいの。買ってきてやろうか?」
「いや……どこの店も脂肪を使いすぎていて駄目だ」

 ああ、バターのことか?
 オレはちょっと考え、よく分からないのでスマホで検索してみた。ケーキの脂肪なんか詳しくない。

「別にちょっとくらいいいじゃん、毎日食ってるわけじゃねぇんだし」
「その考えが破滅への一歩だ」

 鬼道は相変わらず深刻そうに喋る。

「なんで? そんな気にすることか?」
「お前とは体質が違うんだ。気にしていないと、あっという間に体重が増える」

 女かよ、と思ったがそれは言わないでおいた。あまりカワイイと言うと怒るからだ。
 確かに体重が少し増えただけで、少しむくんだだけで、選手としてのパフォーマンスに影響してしまう。それは理解できる。

「ふーん? じゃあ低脂肪乳のクリームでバターと砂糖控えめにして作ってやろうか」

 検索して出てきた情報を元に提案してみる。そのくらい自分でも作れるだろうが、鬼道はぱっと顔を上げてオレを見た。その目が十年前のあどけないきらきらした目と同じで、つい(何が何でもこいつの満足するケーキを作ってやる)という気持ちにさせた。



 それから数回、試行錯誤の末に、味も内容もそこそこ及第点なパウンドケーキが完成した。
 もちろん鬼道は喜んだ。けど、その様子を見てオレはもっと喜んでたと思う。

「たまにでいいから、また作ってくれないか」

 その嬉しそうな顔を眺めて頷きながら、(あ、別にオレは一人暮らしじゃなくても生きられる)そう感じて、しばらくして同棲を申し出た。
 きっかけなんか何でも良かったと思うし、ケーキが理由で同棲を始めたわけじゃない。
 オレが忙しい時は何もできなかったし、鬼道も何も言わなかった。
 それでも今は、時々余裕を作って、二人で買ったマンションの一室じゅうを甘い匂いで満たすことにしている。



 予熱しておいたオーブンに入れ、スタートボタンを押す。これであとは機械が美しくこんがりと仕上げてくれる。
 シフォンとかガトーショコラとか色々作ったが、パウンドケーキが一番カンタンだ。混ぜて焼くだけ。切り分けやすいし、アレンジもしやすい。
 できるだけ息災でいて欲しい、そんなふうに誰かのことを心から想うなんて、考えてもみなかった。他人なんてどうなろうと知ったこっちゃない、オレはオレがのし上がるためだけに全力を尽くすと、若い頃は思っていたからだ。いや今も二十五だからじゅうぶん若いけど。
 そろそろ小中学生にはオジサンとか呼ばれちゃう年齢になって、休日にケーキを焼き、これが楽しみの一つになっていることに気付く。
 オレだってケーキは嫌いじゃないが、肉がつきにくい体質のせいか、量や材料を気にしたことはなかった。パフェもパンケーキも好きだし、イタリアのジェラートは毎日のように違う味を試すのにハマっていた。それが今や、ネットで調べて研究し、白砂糖じゃなく甜菜糖を注文し、今度は豆乳で作ってみるかなどと思案するようになっている。
 それもこれも全部、あいつのしかめっ面が出ないようにやっていることだ。

「ただいま」

 午前中から実家へ出かけていた鬼道が帰ってきた。

「おかえりぃ」

 いつものように素っ気なく応じて、キッチンを出る。

「――ダーリン♪」

 ソファの前に立って、振り向いた鬼道が固まってオレを見ている。眉間にシワができ、一瞬でしかめっ面の出来上がり。でもよく観察すると、耳が微かにぴくぴくしているし、少しずつ顔色が赤く染まっていく。

「なっ……ダー、リンて、なんだ。それは」

 一瞬スベったかと思いきや予想以上の反応で、オレはすっかり嬉しくなってしまった。

「ふふん。照れちゃって」

 照れてるのは実はオレもだけど、それは言わないでおく。鬼道はオレのことを怪訝そうに見つめてから、目を閉じた。
 ケーキが焼けるまであと少し。カフェインレスコーヒーを淹れてゆったりふたり、ひと休みとしようか。








2018/11


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