<コイビトって何だっけ>
恋愛というものがよくわからない。
とにかく家族が無事であることと、サッカーができれば、それで良かった。そのために成績を落とさないよう必死で勉強し、毎日全身を駆使して特訓してきた。
恋愛なんてものについて考えているヒマなど無かったから、未だに何だかよく分からない。
だから質問の意図が理解できなかった。
「鬼道君って、恋人いるの?」
「ん?」
吹雪が突然、話の矛先を向けてきて、鬼道は面食らった。
少し考えてから、ごく真面目な顔で問い返す。
「恋人とは、どのような定義なのだろうか」
「あー、そこから……」
苦笑されるのは慣れているが、少し回答の仕方を間違えたらしい。だが吹雪の苦笑は急に笑顔に変わった。
「それっぽい相手はいるってことだよね!」
ずいっと食い込んでくる吹雪に押され、本能的にまずいと感じてお茶を濁そうと試みる。
「分からないが……」
「お互い相手としかセックスしてなくて、特別な存在だと感じていたら、それは恋人だよ」
「そう……なのか?」
そういう存在だったら心当たりがあるような気がして、鬼道はドキッとした。それを目ざとく見ていた吹雪はニンマリ笑って、嬉しそうに両手を合わせる。
「えー、誰かな? 僕の知ってる人だったりして!」
これ以上の会話は危険だと察し、鬼道は逃げることにした。
「すまない、これから実家に寄らなければならないんだ。またな」
「お疲れ様〜」
それでも吹雪にとっては十分な収穫だったようで、笑顔のまま見送られる。
何となく複雑な気分をもて余しながら、その日は恋人とやらについてそれ以上考えないことにした。
翌日。起床時からいつも通りのはずだったのだが、練習場で不動の姿を見た途端、恋人とやらの件が思考を一気に占拠した。
高校二年の春から今まで、ずっと不動とはよく分からない関係で信頼を築いてきたが、自分は彼にしか体を許したことはないし、おそらく彼もそうだろう。そして確かに、憎たらしいモヒカンは今や、特別な存在と言える人間になっている。
それが恋人ということなら、今まで不動はどう思っていたのだろう。
ストレッチを終え、これでは練習に身が入らなそうだと焦っていると、少し先にボールを使ったトレーニングを始めていた不動がバランスを崩して倒れた。
「不動!」
「チッ……」
慌てて駆け寄り、助け起こす。怪我はしていないようで、ホッとした。
「どうしたんだ、おまえらしくない」
声をかけると、不動は苦そうな笑みを浮かべる。
「オレよりオレの事よく分かってらっしゃる。さすが天才ゲームメーカー様」
「軽口を叩くな、何か問題があるなら話を聞いてやる」
「問題の原因にそう言われてもねェ……」
「何?」
しまった、と言いたげに不動は、髪をぐしゃっと掴んで少し沈黙した。それから何事も無かったかのように、さっきまでとは違う明るい声で言う。
「とにかく今日はたまたま調子出ねえだけだよ、気にすんな」
そう言われても鬼道はもう聞いてしまった。怒りではなく、不安が湧いてくる。
「おれのどこが問題なんだ、言え」
不動は鬼道が怒っていると思ったのか、観念したように長いため息を吐いた。
「おまえのことばっか考えちまってムカつくんだよ」
「……おれのこととは、どういう事だ?」
周囲では深刻そうな立ち話を続ける二人を遠巻きにして、仲間たちが練習を続けている。不動は少し顔を近付け、声のトーンを落とした。
「例えば、最中のとろけ顔が世界一可愛いとか、イク前にオレの名前呼ぶんだよな〜とか、寝顔が子供みてェだなとか……」
「は……?」
人は理解できないことを言われた時、その言語が知っている言語なのかを疑う。不動が喋っているのは日本語だろうか。それとも他の国の言葉だろうか。それにしては翻訳もできない。
「おまえ……おまえ、」
「わぁってるよ、そんなことで身が入らなくなってバカだって言いたいんだろ。オレだって嫌だけど、しょうがねェだろォが」
頭の中がぐるぐるして、色々な言葉が飛び交うが、何も口から出せない。自分はもっと頭の回転が良かったはずなのに。
「たぶん慣れりゃいいんだと思うから、もうちっと放っといてくれよ」
「か、勝手な、おい、ふ、ふどう」
なんとか絞り出しながら、不動の腕を掴む。
「なんだよ」
不動に触れたという事実に動揺しながら、何を今更と奮い立たせた。
「お、おまえがどう感じようがおまえの勝手だ、おれのせいにするな」
「そうか? 今日の鬼道くんは特に変だぜ」
「何ッ、どう変なんだ!?」
「そういうトコ……」
これにはさすがに鬼道も自覚しないわけにはいかなかった。認めなければなるまい。全然いつも通りなんかではなく、朝から変だったことを。
しかしその途端、あらゆる言語がどこかへ吹っ飛び、とっちらかってしまった。必死にかき集めようとしたが、なぜか手もうまく動かせない。
「あー……」
不動は自分の口を撫でてから片手で隠すと、下を向いて無駄に足を曲げ伸ばしした。
「そうやって可愛すぎるから、今はもう受け止めきれねぇんだよ。また後でな」
そう言って、背を向け歩いて行ってしまう不動を、見送ることもできず、鬼道は小さく震えていた。
顔が熱い。胸も心拍数が上昇して、ただ話していただけなのに、まるで抱きしめられていたかのような気分だ。
「ふ、ふざけるな……」
やっとのことでにじみ出た呟きは春風がさらい、新たな熱を生み出した。
「不動君もけっこう分かりやすいんだね」
「そうだな……」
吹雪のコメントについては、隣の風丸が苦笑した。
2023/06