<鬼百合は弄られる>





夏と言えば、稲妻神社の盛大な祭りである。御神輿が通る大通りは一時的に車両通行止めになり、道の両側に屋台がずらりと並ぶ。近隣の町から見に来る人もいるほどのビッグイベントだ。
「遅いぞ!」
腕組みをして仁王立ちで待っていた鬼道有奈は、その格好に似合わず紺地に薄桃色の牡丹が艶やかに咲いた浴衣を裏地が黄金色になっている深紅の帯できちんと着こなしている。暑苦しい髪もアップスタイルでまとめ上げ、花飾りのついたかんざしが一本アクセントに輝いていた。
(当たり前だけど、かわいい)
思わず見惚れそうになって、目を逸らす。
「だーから、まだ十分前だっつの。いつから待ってたんだよ?」
「……例え五分でも、待っていると気が急くんだ」
もう言い訳が言い訳だと分かるようになった不動は、笑いたくなるのを必死でこらえる。大体、いきなり電話をかけてきて、この町に住んでいるのに祭りに行かないなんておかしいだの、祭りに行くのにTPOを弁えなければおかしいだの言い出したのは、いつもの通り我儘なお嬢様の遠回しな誘いなのだ。
(なんだよTPOって)
携帯を懐に入れ帯に挟むのを見ていた鬼道が呟くように言った。
「随分、地味な浴衣だな」
「ああ、これ? 親父の」
黒と浅葱色の縦縞は、若者が着るには渋い印象だ。首まで伸びた髪をかき上げ、不動はやや不貞腐れた。
「安物買ったってしょうがねぇし。文句ねぇだろ」
「あ、ああ……」
「なんだよ?」
「いや。似合っているから……文句は必要ない」
さあ行くぞ、と先に歩き出す腕を慌てて掴む。
「離せ!」
真っ赤に染まった頬が夕闇によく映え、不動の頬に移る。
「お前な、すげー人なんだぞ。はぐれても知らねえぞ」
抵抗されたのでわざと手を離すと、渋々鬼道は手を繋いだ。
「暑い」
握った手のひらに汗をかく前に離し、鬼道は不動の腕に自分の腕を絡ませるようにして掴んだ。
「これなら絶対はぐれないだろう。さあ行くぞ」
確かに布一枚あるのと無いのとでは感度は大きく違うが、相変わらず密着した部分は熱を持つ。
(端から見たらただのリア充じゃねぇか……知り合いに会わなきゃいいけど)
肘が柔らかいものに当たっている気がしなくもない。動揺を必死で抑えながら、とりあえず参拝へ向かった。
太鼓の音を遠くに聴きながら、金魚すくいやボールすくい、射的、りんご飴、やきそば、お好み焼き、いか焼き、キャラクターのお面、水風船釣りなど、夏限定の屋台の間を、周りの人々に合わせながらゆっくり通って行く。
「なんか食う?」
「ふむ……案内役に任せる」
不動は出店を見渡し、ここでしか味わえないものを吟味する。
「やっぱ、祭りっつったらコレだろ」
作っている機械を珍しそうに眺めているところへ綿あめを渡すと、甘いと言いつつも嬉しそうに抱えていた。
(子供みてぇ)
鬼道はあまりケーキや菓子を好んで食べる方ではないが、与えると嬉しそうにしているので、嫌いではないのだろう。綿あめが珍しいのか、今日は特にそうだ。
「一口ちょーだい」
そう言って、ちょうどちぎった綿を指ごとくわえたので、鬼道の眉がつり上がる。しかし黙ったまま不愉快そうに、欠片とわずかな唾液の残る指を舐めて綺麗にした。
「ほら」
犬にでもやるような言い方で、その指が綿を摘まんで不動の口元へ近付く。赤い瞳を眺めながら、意地悪をする余裕もなかった。
(相変わらず、素直じゃないねぇ)
御神輿が通っていき、盛大な掛け声と太鼓と笛に夏の本能が囃され、溶け合っていく。
人混みを掻き分けて行く間じゅう鬼道は腕にしがみついていて、歩きづらい歩幅を考慮しながら進んだ。
「これで大体、案内は終わりかなァ。前にも来たことあんだろ?」
参拝を終え、不動は欠伸を堪える。十円の賽銭と形だけで済ませてしまったが、鬼道は何を願ったのだろうか。
「ああ、子供の頃にな」
歩き出す彼女の後を追い、捕まえて耳元に囁いた。
「なぁ、浴衣の時は下着つけてないってホント?」
「なっ……!?」
顔が真っ赤になるのと同時に腕がビクッと上ったが、張り倒される前に掴んでおいた。
「何てことを言い出すんだ! こんなところで!」
「気になっちゃって。あ、そうか」
不動は抵抗する腕を避けて、浴衣の形状のせいでいつもより更に主張が弱くなっている胸をそっと掴む。
「百聞は一見に如かずってな」
「ッ貴様ぁ!」
真っ赤に染まった顔で睨まれても怖くない。動揺させているのが楽しくて、突き放そうとする力を無視して今度は尻を撫でる。
「下もはいてないの?」
「はいている!」
大声で言ってしまい慌てて口を押さえ周りを見渡すが、大半の人々は通りで祭り囃子と御神輿に夢中らしく、境内には人が少ない。
少ないとは言え居ることは事実なので、鬼道は声をひそめた。
「お前だってはいてるだろう!」
「ああ、そりゃね、だってブラブラさせてっと落ち着かねぇし」
しれっとした返答にわなわなと震える鬼道からぶらりと離れ、大通りへ向かおうとすると、袖を掴んで引き留められた。
「この馬鹿、どういうつもりだ!」
すごい剣幕で詰め寄られたが、小声では威力半減だ。染まった頬で更に半減。
「どういうつもりもないぜ?」
辺りを見渡し、抱き寄せてお社の裏に連れて行く。
「期待しちゃった?」
「暑い、離れろ」
(だったら自分から離れろよ?)
「鬼道チャンが熱いんだろ」
「私は……っ!」
顔を近付けると、条件反射で口を閉じる。だが唇は触れない。にやりと見つめるとからかっているのだと気付き、鬼道の眉間のシワが増えた。
(なあ、鬼道ちゃん。本当はオレが欲しいのか? 体じゃなくて、オレ自身がさぁ……)
触れそうで触れない二つの唇は、言葉を発することもせず、静かに震えている。
(オレは、――オレが欲しいのは……)
祭り囃子のせいか浴衣のせいか、柄にもなく感傷的になって額を付けると、鬼道は目を逸らした。
「浴衣を汚さないなら……家に行ってやってもいいぞ」
その台詞はいつもと然程変わらない、むしろ貴重なデレの瞬間であったのだが、その時は腹が立った。それは恐らく自分に対してであり、鬼道が本心を隠しているのもそもそも自分の下劣さや弱さが招いたことで、余計に頭にきた。
(「家に行ってやってもいい」だぁ? 何だよそれ)
重ねた唇は荒々しく、舌で口内を蹂躙する。
「ん……はぁっ、んふ……ぅ」
しがみついて乱雑なキスに耐え、控えめに応える鬼道の尻を掴み下半身を密着させる。
「い・ま・す・ぐ、オレが欲しくて堪らねェんだろ?」
あまり調子に乗ると怒って口も利いてくれなくなってしまうことがしばしばあるのだが、今回は違った。
「そんなわけ……ッ! やっ……、こんなところで……」
浴衣の合わせの隙間から手を入れて滑らかな太股を撫でると、鬼道は反射的に脚を閉じた。だがそれは逆に悪戯な手を閉じ込めることにもなり、指先は下着に届く。
「やっぱりなァ。いつからこんなに濡らしてンの?」
鬼道は自分の手で口を塞いでいる。睨みつけていた赤い瞳も、溢れだす愛液の量と比例して歪んでいく。
「やめろ……アレが無い……ッ」
「だったら止めろよ」
キスをしたまま柱に押し付け、浴衣を捲り上げた腿を抱え、首輪を外した雄を捩じ込む。鬼道はしがみついて体を震わせながら、声を出さぬよう袖を噛んでいた。
「はっ……締まり良すぎ。そんなに……興奮するんだ? 外だと」
囁くと肩に拳骨を食らった。
「ふぅ、んぅぅう……っ!」
しかしそんな強気な態度とは裏腹に呆気なく達して、まだ余裕綽々だった不動を切ないほどに締め付ける。
このまま既成事実でも作ってしまえばという邪な考えが頭を過るが、ため息と共に腰を引き、残りは手で処理した。草むらに捨てられる精が自分のようで、見慣れているはずなのに哀れに感じる。
「最低だな……」
身なりを整えながら、鬼道が呟く。
「へぇ、何とでも言えよ。オレと縁切るのはそっちの勝手だぜ」
浴衣を直して振り向くと、見たことのない鬼道の表情がそこにあった。つり上がった眉、細く歪んだ瞳、怒っているのか泣きそうなのか、しかしそれは一瞬で、目を閉じて深く息を吐き出し、鬼道は歩き出した。
暗闇から出る前に、立ち止まる。
「今さらそれを言うのか?」
振り向いた鬼道はやや寂しそうにも、後悔しているようにも見えた。遠くには提灯のあかりが輝き、脈動のような太鼓が腹に響く。
(きれいだ)
追い付いて隣に並び、何食わぬ顔をして歩き出す。
「し足りない」
今度は勢いよく頭を押し下げられた。お前と来たのが間違いだったとか、万年発情期だとか、人間以下のクズだとか、言いたいことは山ほどあるだろうが、あいにく再び人込みに入ってしまったので鬼道は黙っている。
代わりにさっきよりも強い力で腕を抱き込まれ、不動は得意の不敵な笑みも忘れて、彼女が溺れないように気を配った。頭の中は高速で回転している。将来のこと、本当に欲しい物を手に入れる方法、それまでにしておくこと。
人込みを抜けて、鬼道は携帯電話を取り出す。
「私だ。これから帰る」
楽しい夜も、もう終わりかとそっぽを向いて呟こうとした時、鬼道が手を取った。
「ほら、行くぞ」
祭り囃子は遠のき、街灯の下でコオロギの鳴き声と涼風に包まれている。
その手を離すまいと固く誓った夏の夜、この想いを守るために世界を目指そうと決めたのだった。



ご存知の通り、続く

2013/07
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