<鬼百合は揉まれる>





秋、と言えば修学旅行である。
帝国学園中等部二年生は、日本の伝統を学ぶため京都へ行くのが恒例になっている。二年生全クラス百三十人と引率の先生と教頭四名は、車体に校章の入った専用バスに乗り込んだ。
生徒会副会長である鬼道は夏休み頃から準備に追われ、昨日などは最終確認や調整で殆ど眠れなかった。メイドが完璧にしてくれていなかったら、自分の仕度で徹夜になったことだろう。車内で熟睡できるはずもなく、眠いのに眠れないという最悪な状態が続きつつ、周りにはそう見せないよう気張っていた。
「き・ど・う・チャン」
不愉快な声に、気付けば不動が通路にしゃがみ、肘掛けに腕を乗せてニヤニヤと顔を覗き込んでいる。眉をひそめた鬼道が口を開くより先に、隣の佐久間が言った。
「不動、何やってる? 自分の席へ戻れ!」
「いーじゃん、どこにいたってオレさまの勝手だろ」
「お前みたいな奴がいるから事故が起きるんだ!」
「起きてもいねーのにガタガタ言うなよ」
「起きたら駄目だろうがっ!」
「うるせーなー、鬼道チャンが嫌がってんだろォ」
そろそろ不動に釘を刺して大人しくさせようと思っていたところへ、不覚にも胸がきゅんとしてしまった。いや気のせいだ、ありえない。鬼道は咳払いをして、彼氏面をする悪党を睨み付ける。
「そもそもの元凶は不動だろう。さっさと席に戻って大人しくしていろ」
「へいへい、かしこまりましたァー」
ほら、やっぱり頭に来る。
「ごめん、有奈」
不動が視界から消え、佐久間が腕にそっと触れて、さっきの剣幕とはまるで別人のように眉を下げている。
「大丈夫だ。気にするな」
微笑んで、椅子に身を沈めた。
廃ビルの屋上で見た花火は綺麗だった。しかしあれから、不動は事ある毎にちょっかいを出してくるようになった。
ローファーにコンドームや、上着のポケットにはボロアパートのポストに投げ込まれるようないわゆるピンクチラシが入っていて、廊下ではスカートをめくられ、教科書には鉛筆で落書きされ、無視していると「よォ、貧乳副会長」などと呼ばれる。周りに誰もいない時や気付かれないタイミングをうまく狙っているからまだいいものの、これがエスカレートしていったらと思うと堪ったものじゃない。
席替えによって髪を弄られる指からは解放されたが、すれ違う度に、何かされるんじゃないかと身構えてしまう。もう存在自体抹消されて欲しいが、苛つかせておいてこっちが食ってかかると途端に声は甘くなり悪戯な手は熱をはらんで、肌を撫でられると怒りはどこへやら霧消してしまうのだった。
十五歳の子供のくせに、不動が与えるのは大人の快楽だ。学校で、誰もいない教室や廊下の隅や階段で、何度もキスをした。乱暴に激しく荒々しく、時には優しい甘さを混ぜて、舌を捩じ込まれて絡み合った。
触れれば触れるほどもっと欲しくなることを分かっているのだろう、不動は焦らす。腹を立てながらも、なぜか彼を求める体には、逆らうことができない。
しかし今回はクラス全員を率いての旅行で、あんな奴に乱されているようでは班長すら務まらない。せめて到着まで少しでも眠ろうと、目を閉じた。
(そう言えば、何の用だったんだ……?)


***


快晴の古都は美しく静謐で、カエデも黄から赤に染まり、厳かに輝いていた。二条城、銀閣寺と回って、清水寺へ。清水の舞台から飛び降りるつもりでなどとよく言うが、いまいち実感が沸かなかった。実際に覗き込んでみると、成る程高い。一緒に来た同じ班の生徒たちが騒いでいるのを聞きながら、当時の文化と決意について考えた。
「やべーっ、ここ何人も死んでんだろ? 幽霊出そー」
キャーと怖がる女子の声と、やめろよと騒ぐ男子の声が入り雑じる。
「マジか……」
手すりから手を離して少し後ずさる源田に、ため息をついて言う。
「ここは四階くらいの高さしかねーから、生存率は85.4%。こっから飛び降りたってよっぽど打ち所が悪いか年寄りでもない限り死にゃァしねェよ」
そうなのかと感心しているが、源田の脳みそに記憶されたかどうかは疑問だ。
この修学旅行では、同じ班に源田が居ることだけが唯一の救いだった。バスの中で鬼道と二人だけの自由行動に誘おうと思ったのだが、邪魔が入って気が失せた。
しかし歴史を学ぶだけではなく、実際に寺や社、城を見て回り体感することは面白い。苦手な分野でもなかったので、不動はこんな時くらいと楽しむことにした。
「硝子玉細工だって」
ご丁寧に教師と生徒会が構成し、既に申し込んであるスケジュールの中には、小さな硝子玉に絵柄を描き、組み紐に編み込んでストラップにする体験学習も入っているらしい。たまには細かい作業に没頭してみるのも悪くないと思い、やる気なさげに皆と一緒に作業台へつく。
「うわ、不動おまえ器用だな」
赤い百合の絵を描いた硝子玉を黒とオレンジの糸でストラップに仕上げていく様を、横で見ていた弥谷が言った。見れば、硝子玉は綺麗に蜻蛉の絵が描けているくせに、彼の糸は何がどうなっているのか分からない状態である。
「お前よりはな。ここ、一回結んでやるんだよ」
溜息をついて挽回できる箇所までほどいてやり、感心して眺めていた弥谷に返す。
「え? どこ、ここ?」
「そうそう」
「うお、分かった! サンキュ!」
満足げに笑み、直後にげんなりする。弥谷はどこかの令嬢と付き合っていた気がする。その彼女は三年生で今日は一緒ではないので、見かけが悪くても手作りの土産があれば喜ぶのだろう。しかし不動は困惑した。
(こんなモン作ってどうすんだ)
とりあえず皆と同じように小さな紙袋に入れてもらい、ポケットに突っ込んでおいた。


***


何とか然り気無く誤魔化して不動と別の班に調整できたことは有り難かったが、どうも違和感が拭えない。と言うよりいつもの、ちょっかいやその他様々な刺激が無いせいで落ち着かないのだ。あまりにも慣れすぎてしまっている。
「習慣とは怖いものだな……」
「ん? 何の話だ?」
佐久間が土産の扇子を選ぶ手を止めて尋ねるが、小さく首を振る。
「なんでもない。これなんかどうだ?」
「うわぁ、可愛いな! これにしよう!」
大切にするんだとはしゃぐ親友に顔が綻ぶ。しかし自分には何も選ぶ気がせず、父に木彫りのペンギン型爪楊枝入れを買った。


***


やはり何故だか落ち着かない。見知らぬ土地のせいもあるが、それだけではないと感じていた。
大浴場でゆっくりできるかと思ったが、露天風呂に他の客がいないのをいいことに、各所で女子トークが繰り広げられていた。学校に身を置き適当に付き合ってはいるが、鬼道はどうも彼女たちと馴染めない。
「ねえねえ、今度の文化祭楽しみだよね」
「イケメンコンテストやらないのかな?」
「やだー! 誰が出るの!? 源田くん?」
「源田くん素敵だよねー! キャプテンになったし!」
「サッカー部はうちの誇りだもんね! そのキャプテンだなんてっ」
ここまでは側でぼーっと聞いていたのだが、次の一言で意識がグイッと引っ張られるような感覚に切り替わった。
「不動くんもサッカー部だよね……」
「カッコいいよね……」
「あの、ちょっとワルっぽいところが……」
「やだ、ぽいじゃなくてワルでしょ? あんなやつ帝国の恥よ」
四人目の台詞に、そうだそうだと心の中で頷いて口元がゆるんだが、同じ声が続けた。
「でもカッコイイよね……」
結局貴様もか!騙されたいのか!と叫びだしたいのを堪え、拳を握りしめた。何気に女子にウケているようだが、本人はどうなのだろうか。秘密の契約があるから心配はしていないが、彼の生活や過去や自分への仕打ちを思うと胸焼けがしてくる。
「有奈さんはどう?」
「は?」
「不動くんのこと、どう思う?」
イケメンコンテストの話だと思っていた鬼道は、開いた口から何を発すればいいのか分からなくなって固まった。
「さあ……よく、分からないな」
危ない。なんとか無難に乗りきった。彼女たちは案の定、有奈さんは恋愛に興味がないと知ると、自分たちの話に戻って夢中になっている。
真面目で勤勉なお堅い鬼道さんという自分のイメージも崩さずに、不動へ無関心であることを強調できたと思う。
「コンテストの件は考えておこう。のぼせてきたから、お先に失礼する」
付き合いきれないと思い、これ以上被害が拡大する前に退散することにした。
あんな調子で長湯しているものだから、脱衣場はまだ人が少ない。浴衣に着替えようとした時、やっと気がついた。
ぱんつがない。
「あいつ……!」
どうりで落ち着かないわけだ。こんな物を盗む人物は一人しかいない。
このあとは自由時間だ。鬼道は迷ったが、制服のスカートより丈の長い浴衣をしっかりと着付け、小股を意識しつつ足早に不動を探しに行った。


***


先生も手を焼く大騒ぎの男湯から早々に抜け出して、一人静かな湯上がりのひとときを楽しむ。はずだったのだが、大浴場入り口ののれんをくぐって出ると、目の前の休憩用ベンチに浴衣姿の鬼道が眼光鋭く腕組みして座っていた。
「ははぁ、オレのこと待ってたんだ?」
「そうだ」
カマをかけただけなのに、見事に的中して逆に怪しむ。そもそも、鬼道の怒りゲージが限界値を突破しているのが見えるのは気のせいか。
「何の用?」
放っておくと緩んでしまいそうになる顔を慌てて引き締め、できるだけ素っ気なく尋ねると、がばと立ち上がった鬼道に腕を引っ張られた。
「ついて来い」
引っ張られるまま向かった先はフロントで、離れたところで少し待たされた。見ていると受付の後ろに立っていた女性に小声で何かを頼み、女性は微笑んで会釈し一度奥に引っ込むと、またすぐに出てきて鍵を渡した。
「行くぞ」
黙ってエレベーターに乗り、やはり予測通りある部屋の前で立ち止まった鬼道は先程の鍵でドアを開ける。誰とも会わなかったのに廊下を気にしながら、不動を中に入れてドアを閉め鍵をかけた。
「さっすが、こんなこともできるんだ?」
「経営はうちのグループだからな……」
あまり気乗りしないが仕方なくといった鬼道が用意させた、シングルベッドが二つ並んだ狭い部屋は、きれいに整えられている。
「で? わざわざこんなことした理由は?」
「まあ、座れ」
そう言われて、薄笑いを浮かべないわけにはいかない。さっきより柔らかくなった物腰に、最初の怒りゲージは見間違いだったかもしれないと思いながら、不動は言われた通りゆったりした椅子に腰を下ろす。鬼道が背後に立つ気配がした。
「こっちを見るなよ……」
シュルリと帯をほどくような音がして心臓が跳ね上がった。どういうつもりなのか全く分からないが、あり得ない展開に不動は困惑しつつ歓喜を待つ。
「……!?」
しかし速やかに右足を椅子の足にくくりつけられ、期待は見事に裏切られた。
「おいっ何すんだよ!」
手で解こうとしても、長い帯を突っ張って、結び目は椅子の後ろ側である。結び付けられた位置が絶妙で右足は膝から下がまったく動かず、ひっくり返ったとしても届かない。
「それはこちらの台詞だ。盗んだものを返せ」
「はァ? 何も盗んでねェよ」
「とぼける気か。ならば、お前が謝って返すまでこのままだ」
訳が分からない。一体何がどうなっているのか整理しようとして、はたと気がついた。
「このままって、いつまでこのままのつもり?」
「お前が盗んだものを返すまでだと言っただろ……」
鬼道も気がついたようだった。真っ赤な顔で不動の死角である背後へ行く鬼道に笑いが止まらない。
「ああ、腹いてぇ。たまに鬼道チャンって強烈にボケるよな」
「貴様っ……笑い事じゃない!」
「まあ落ち着けよ、明日までこのままでもオレは全然いいぜ? 帯くらいこの部屋にあるだろ」
クローゼットを開ける音がして、帯を締める音も聞こえた。ベッドのスプリングが微かに軋む。
「……お前じゃないのか?」
小さな呟きに大きな溜め息を吐いた。
「だからそう言ってんだろ。何の話だよ? 財布でも盗まれたの」
「財布じゃない」
「じゃあ何……」
貴重品の次に無くなって取り乱すものと言えば、
「もしかして今、ノーパン?」
勢いよくすっ飛んできた鬼道に思いきり、むき出しの頭を叩かれた。
「いってぇ……マジかよ」
身をよじって鬼道を見ると頭を掴んで前を向かされ、すかさず手を伸ばして浴衣を引っ張ると、慌てて離れる。
「ノーパン副会長……」
堪えきれずにクックッと笑うと、背を向けて乱れた浴衣を直す鬼道が喚いた。
「笑うなっ! くっ……許さない!」
なるほどと合点がいって、ゆったりと椅子に凭れる。
「で? オレは濡れ衣着せられて監禁されてるわけ?」
「だって……お前しかいないだろう」
「ナニその自信」
「他に誰がいる?」
「知らねェよ。どうせ、どっかで落としたとかじゃねェの? 持ったつもりでベッドの上に置きっぱとか、あるあるだぜ」
言われてみればそんな気がしてきた。
「お前と一緒にするな!」
「オレじゃねェし」
事実がどうであれ、先程からの態度を見ると不動は本当に関係ないようだ。しかし彼に問題が無いというのは間違いである。
「百歩譲ってお前じゃないとしよう。だがしかし、疑われるというのはそれだけ日頃の行いが悪いということを、肝に銘じるんだな」
「お前さぁ、ゴメンねとか可愛く言えねーの?」
意図的な喧嘩は買わず、大きな溜息で返し帯を解いて応える。不動はやれやれと言うように首を回し足首を擦って、立ち上がった。まさか足を傷つけなかっただろうかと不安が過るが、腰に手を当ててふてぶてしく直立する姿は加害者そのものだ。もう少しきつく縛っておけばよかった。
「大体さァ、オレのことなんか気にするからいけないんだぜ? 無視してりゃいーじゃん」
部屋を元通りにして鍵をかけ、並んで歩き出す。殴りたくなったが、通路の向こうに客がいたので思いとどまった。
エレベーターのボタンを押して腕を組む。
「無視しているとさらにエスカレートするからだろう。無視させないように、卑怯で姑息な手段を使うのが不動明王だ」
騒がぬよう、胸のうちに詰まった憎しみを思いっきり声に込めた。不動は満足そうにエレベーターに乗り込む。
「お褒めに与り光栄です」
その顔は全てを知っていながら尚強がる己の皮肉を楽しんでいるような笑みで、体が熱くなるのを自覚させられ更に腹が立った。
震える鬼道の前で、エレベーターの扉が閉まる。即座にボタンを押して、嫌々隣に乗り込んだ。
「……許さない」
降下する箱の中で小さく呟いたが、これすらも扇情的要素になるかと思うと頭がおかしくなりそうだ。不動はエレベーターを下りるまで、思う存分ニヤついていた。
確かに、憎しみから呟いたのではないということは、認めよう。


***


楽しかった二泊三日もあっという間に過ぎてしまった。
バスへ乗り込んで上着のポケットから携帯電話を取り出すと、ほかに覚えのない紙袋が入っていた。自分のボケも危なくなってきたのかと青ざめながら恐る恐る中を見ると、硝子玉のストラップが入っている。
「きれいだな。それ、どこに売ってたんだ?」
覗き込んできた佐久間に答えられず、繊細に描かれた小さな赤い百合を眺める。袋には一日目の不動の班が体験学習で行ったはずの硝子玉細工の店の名前と柄が印刷されている。
「さあ、どこだったかな……」
呟いて佐久間の見ていない隙に後ろを振り返るが、不動は頬杖をついて目を閉じていた。
思えば、あの部屋で襲われても仕方のない状況だったにも関わらず、不動は触れることすらしなかった。彼なりに気を遣ったのだろうか。
いつもこうならいいのにと思いながら、大切にポケットにしまった。




お帰りなさいませ、お嬢様






2013/10
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