<鬼百合は萎れる>





あのままどちらからとも何も言わず、傍目から見ればうまくいっている普通のカップルのように、演技だという前提は崩さずに過ごしてきた。高校に入ってクラスが離れたこともあり、そもそも鬼道は生徒会長として活動し、書道部やバドミントン部を引っ張る他にバレエとピアノを習っていたし、不動はサッカー部で練習に追われ、お互いの生活のこともあってそれほど接する機会も無いというのが、日々が穏便に過ぎた理由でもあった。
だが鬼道は、離れていればいるほど不安がつのり、胸が苦しくなって震え出すことに気付いた。自分がいない間、誰かが彼の側に居るとしたら耐えられない。
不動はどう思っているのだろうか。中学二年の夏、最初のデートでしたキスは、花火と暑さが見せた幻だったのかもしれないと思ってしまうほど、不動は以前の冷徹な無関心さを取り戻していた。
そっちがそうならこっちだってと、鬼道も負けじと表面上は同じように接した。おかげで周りには話題にされるどころか、二人が事実上恋人関係だということすら知らない人間の方が多かった。
ほとんどデートなどしないどころか、日常的にも話すことが少ない二人はしかし、逆に毎日のように短い時間の中で体を繋げていた。それは確認であり、勉強の合間にゲームをしたり小説を読むのと最早同列のことだった。
両親が共働きのため不動の家は夜遅くまで誰もいないので、放課後に彼のベッドで制服を脱ぐ。行為が終わると不動は、三十分くらい仮眠を取る。当初、帰ろうとしたら居てくれと言われたので、義務などないのに、いつも何とも言えない気持ちで寝顔を眺め、寄り添いながら参考書を読むのが定着した。不動が神妙な顔で頼み事をしてくるのも珍しかったから、つい了承してしまったのだ。
鬼道が帰った直後に再び出掛け、どこかへ向かう。それがほぼ毎日のことなので訝しんで訊ねたら、事も無げにバイトだと答えた。それ以上は誤魔化されて、何のために金を貯めているのか、そこまで一生懸命に何を求めているのか知らないまま、慌ただしく高校生活の日々は過ぎていった。



***



高校生最後の夏休み、同級生が受験のことでいっぱいいっぱいになっている中で、不動は一人、別の世界にいる気分だった。
鬼道は日本が誇る帝国大学へ進む。不動の存在を薄汚れたゴミ箱程には認めてくれるようになった佐久間と、体育会系の彼氏も同じ進学ルートらしい。仲良しでイイですねと思いながら、不動は誰にも話していない計画を抱えて静かに夜を過ごした。
クリスマスとか、バレンタインデーはおろか、デートすら、恋人らしいと世間一般に言われていることは何一つしていない。なぜならこれは罪の代償で、二人は恋人ではなく、罪人が皇女に愛を囁いても意味がないからだ。それでも三十分の仮眠中、下界の全てから守ってくれる彼女に、目が覚める度に秘かに心を捧げた。
順番を間違えたことは大きな罪として不動の背に背負わされたが、突き詰めて考えれば必然と言える。なぜなら、体を繋げなければこの想いには気付かなかったし、気付いたとして不動のような存在が普通にアピールしたところで結果は目に見えているからだ。
だが過去は変えられない。どうにかして償うことができれば、彼女を正当な方法で手に入れることができるだろう。そう思って必死に考えた結果が、唯一得意なサッカーで世界制覇することだった。
コネもなく家柄もない不動が帝国学園に入れたのは当然、それをカバーできるほどの頭脳を持っていたからだ。だがどこを見ても退屈なものばかりで、極めるにしてもやりがいがなさそうだった。それに比べ、サッカーは子供の頃から好きだったこともあって見込みがありそうだった。早速再開し、次第に認められた実力で高校生日本代表チームに選ばれたその時の監督が、トップクラスの経歴と慧眼を持つ久遠道也である。彼に推薦をもらい、準備は整った。あとは、姿を消すだけだ。



***



夏休みでも図書室で試験勉強をする輩は多い。彼らを横目に本を借りに来た鬼道の気まぐれに付き合い、同じ敷地内にある中等部の校舎へ入って久し振りに第四音楽室を見に行った。相変わらず人気の無い部屋は静まりかえっていて、窓の向こうからセミの鳴き声が聞こえる。

「変わっていないな」
「別の使い道がいくらでもあんだろうになァ」

思えば始まりはここからだ。愚かで浅はかな行動から、全ては狂ってしまった。いつか鬼道が許してくれる日を待っている、しかしそれはつまり別れの時を意味するのだろうか?今の彼女は、周囲から身を守るため交わした取引というだけでここにいるにすぎない。もしこんな演技の必要がなくなったら、彼女は二度と手の届かない世界へ行って扉を閉ざしてしまうだろう。だから償う、しかしその為に払う犠牲は、月日は、かえって自分の首を絞める結果になりはしないだろうか。鬼道はいつまで待っていてくれるだろう、どこまで自分を愛してくれるだろう、不安と恐怖が混ざりあって暗黒を成し、夜の波となって心を沖へ運んでいく。孤独な沖には何もなく、一艘の舟どころか、トビウオすら通らない。
不動は唐突に鬼道を壁に押し付け、見つめる間も惜しんで唇を重ねた。

「んっ――? ふ、ぁ……」

舌を絡めれば応える彼女の体、造形、癖、性感帯、ぜんぶ知り尽くしたはずなのにあと一つ、心だけが分からない。それを確かめることができればどんなにいいかと願ったが、そんなことは赦されるはずがなかった。

「や、ちょ……っ、ここで……」
「前もヤッたろ」
「学校でサカるなっ」

まさぐる不動の手を捕まえようと、必死になる鬼道は頬をバラのように染めている。

「しょーがねェじゃん。鬼道チャンがエロすぎてさァ」

体を押し付けると、抵抗して押し返してくる。胸に当てられた手のひらが、シャツの上からやけに熱く感じた。

「私はそんな……誘ってなんかいない!」
「じゃー無意識にオレのこと求めちゃってるんじゃねェ?」

顎を持ち上げ、いやらしく笑う。鬼道は顔を歪めて目を逸らした。

「スナオになれよ」

ならないことは分かりきっている。鬼道が見向きもしないことを知っていて、餌を投げるのは虚しいばかりだ。うんざりする、こんなことは今日で終わりだ。

「貴様の勝手な、妄想には付き合いきれない……!」

スカートの下に手を滑り込ませ、じんわりと湿った下着の中心を撫でると、鬼道はわなわなと口を閉じた。

「ほら、もうこんなだし。まだチューしかしてねーのに」
「嘘だ、あちこち触ったくせに」

鬼道は相変わらず目を逸らしたまま、不機嫌な声で言う。憎たらしくて大嫌いな奴にも、こんなに反応するものだろうか?
そのまま下着を引き下げてピアノの椅子に座らせ、白くてみずみずしい太ももの間に顔を割り込ませた。

「嫌っ、だめ!……だめだ! 不動! やめろと言ってるだろう!」

膝に下着が絡まっているせいで自由が利かない。その太ももを指先で撫でて、抵抗力を奪う。密園のかぐわしい香りを胸いっぱいに吸い込むと、鬼道は羞恥に言葉を失った。

「や、や、待っ、――ひぁあんっ」

舌を伸ばし、小さな突起を探しだして押した。溢れた愛液の香りが、鼻孔から下半身に強烈な刺激を送る。

「あッ! ふア、やめ、はぁっ……んァァ……ッ!」

舌を差し入れ、ひだをなぞり、突起に吸い付く。忠誠の誓いを込めて、不動は愛撫する。頭を引き剥がそうと伸ばされた鬼道の手が、撫でるようにして軽く押さえてきた。その感触がたまらなく愛しくて、空いた手で絹のように滑らかな脚を撫であげる。

「いやっ、あ、やぁっ、はぁぁ――ッ!」

意外に早く、消えていく声と共に絶頂へ達した鬼道を見ると、顔を真っ赤にして、それでも精一杯鋭く睨んでいた。
片足を肩に当てられ、上履きが食い込む。痛いとも言わず視線を返すと、彼女は不動を蹴り倒した。その足を掴むと、引っ張らなくても鬼道の体が腹の上に乗った。最初から乗るつもりで蹴り倒したのだろう、この場所がどうのと言いつつも欲求には勝てない。

「お前が媚を売るとは……力ずくで奪うのは飽きたのか?」

見下ろしてくる赤い瞳は、全てを解っている。不動は口角を上げ、鬼道の胸を服の上から撫でた。暑い空気に、さらに吐息がこぼれる。

「鬼道チャンがどこまで堕ちたか、見たくてね」
「堕ちてなどいない」

体を横に倒して体勢を入れ替え、不動はベルトを外す。

「今からでもいいんだぜ」

コンドームを着ける間、鬼道は自ら快楽を求めぬよう必死に堪えつつ熱い息を漏らしていた。

「誰が……」

唇を重ねて、強がりを封印する。

「うぅン……っ、ぁ、ぁあ!」

不動の肩にしがみつき、律動に合わせて絶妙に腰を振る姿は、四年前同じ場所で願った姿そのものだ。心だけが手に入らない場所で、宝箱に入って眠っている。その鍵を見つけるには、まだまだ時間が要りそうだ。

「ふ、ど……ッ、んァ、ぁっ……!」

濡れた瞳が不動の心を貫く。宝箱の中身はわかった。
彼女を信じる、それは宇宙の原則を信じるのと同じことだった。



***



不動がどこかおかしいことはバイトの件から感じていたが、音楽室でのセックスはことのほか違和感があった。
流されて受け入れてしまった自分、トラウマの染み付いた場所で、張本人に再び犯されて悦んでいるなんて、本当にどうかしている。あんな奴によって分泌されるエンドルフィンなんて、役立たずだと思いたい。だがそれよりも、何かを探るようにしながら、奪うよりも愛でるような愛撫に感じて、全身が震えた。それをあんな男が与えてくることに驚愕しつつ、もしこのまま望んでいた方向へ向かえるのならと想像して胸がとろけそうになった。凶悪な人間にも善は残っている。鬼道は、不動の唇からそれを読み取り、信じていた。
そして間もなく、違和感の謎は解けた。
夏休みが終わっても、不動は現れなかった。彼と同じクラスの源田に聞くと、退学したらしいという答えが返ってきた。益々分からなくなった鬼道は不動本人にメールしたが、いくら送ってもエラーが返ってくる。携帯を止められたのだろうか、電話も繋がらない。職員室へ行くという最終手段を取ると、影山先生も平然と答えた。
「海外に行くそうだ。それ以外は聞いていない」
言われた時はあまりにも突飛すぎて、衝撃を吸収するので精一杯だった。帝国大学へ進まない馬鹿のことなど興味もないらしい先生に礼を言って、もう誰も残っていない教室へ戻り、帰り支度を始めた頃に怒りが涌いてきた。なぜ何も言わずに行ってしまったのか、唐突すぎるし無責任だ。並べ立てる不満が尽きた頃帰宅して、部屋に一人佇み、もう一度あらゆる手段を使って連絡を取ろうと試みたが、ダメだった。最終的に、自宅に電話をかけた。母親の疲れた声が出て、夜分に申し訳ないと不動の所在を聞いた。母親は簡潔に伝えた、サッカーの為に、自分の金でどこかヨーロッパに向かったと。所在を気にするような人物がいたことを知って驚いていたが、どうせすぐ帰って来ると言う母親にそれ以上何も話さず、礼と詫びをして電話を切った。一日中歩き回ったかのような疲れが襲ってきた。



***



数ヵ月後、大学へ入った鬼道は、当然のことながらさらに輝いた。語学、物理、科学、様々な分野でその能力を発揮し、努力して書いた論文を褒め称えられ、妬む者羨む者尊ぶ者すべての視線を集めた。
社交の場で知り合った男に口説かれて、何とはなしに暇を縫って付き合い始めた。実際、ふと何をしようか考えずに済むように、鬼道のスケジュールは常に埋まっていた。
ある晩、楽しいディナーの帰りに、誘われてホテルに入った。彼は優しく丁寧で、軽薄でも変人でもない、つまりは至って平凡な教養のある男だった。こんな男と結婚すれば、可もなく不可もない人生がおくれるだろうという類いの。
妖しい照明の中、柔らかすぎるベッドの上で組み敷かれ受けた愛撫には、恐ろしいほど何も感じなかった。ふと涙を流していることに、彼が気付かせてくれた。

「すまない。何でもないんだ。涙もろくて……」

誤魔化したのをポジティブに解釈した彼は嬉しそうに愛撫を続けた。だがもうそれまでだった。
数日後、不感症になったのかと心配になり、自分で色々調べてみた。だが、反応はちゃんとしている。むしろ一人でしているほうが、来るべきもののために準備して待つような快感を得られた。
何を待つというのだろうか?
誰を?
鬼道は自分の張っていた盾が砂のように崩れていくのを感じた。楽しさは表面的であり、快楽は虚無と化す。
こんなことなら出逢わなければよかったと、三流の恋愛小説が使い古した常套句に突っ伏した。
もう二度と、恋などできない。






つづく   6話

2013/04
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