<鬼百合は濡れる>





中学生最後の夏休みといえば高校受験の準備などで忙しいのが普通だが、鬼道有奈はそうではなかった。
むしろ、いつも頑張っているからとしっかり休みが取れ、しかし周りは忙しいので、家でひとりのんびりしているしかない。
見かねた父が、避暑地にある別荘へ行けと提案してくれた。伊豆の海辺に建つ小さなコテージは、鬼道家が明治時代から周囲の土地ごと所有してきたもので、近辺に家が無いため静かな避暑には最適だ。
年頃の娘を一人で別荘へやるとは大胆な決断に思われるが、鬼道の父は単に提案をしただけであり、メイドも一緒に行くから大丈夫だろうと思ったのである。

「それで? 秘密の楽園でオレさまと密会したいって?」

グラウンドを横切りながらサッカーボールを足で操る憎たらしい背を、体重をかけて思いっきり突き飛ばしてやった。よろめいた足から逃げ出したボールを追って、不動は文句を言いながら駆けていく。

「違う! 佐久間と源田を呼んだんだ。お前もついでに招待してやろうと言っている」

父に友達を呼んでもいいか尋ねると、二つ返事で了解してくれた。なかなか自分の要望を口にしない娘の言うことであるし、まさか男を呼ぶわけはあるまいと思っていた。
不動はボールをグラウンド中央に蹴り飛ばし、鬼道の横に戻ってくる。

「ちぇッ、二人っきりじゃねェのかよ? ヤりたい放題だと思ったのに」

今度はひらりとかわされ、余計に顔が赤くなった。

「お前なんかに声をかけたのが間違いだった!」

歩を早めて追い越すと、後ろから声がかかる。

「あ、いいの? 源田と佐久間、そんで仲間はずれの有奈チャン」

指折り数えながら、不動は不敵な笑みを浮かべた。

「最初はよくても、数時間後にはさぞかし退屈だろうなァ。特に夜なんか……」

言われるのは大したことではない。ここで招待を取り消した方が後々まで面倒くさい予感がして、それが嫌で大声で「分かった」と答えた。
ため息は陽炎に溶けていく。自分が悪いのは明白だ。セミがやかましくて、もう一度ため息を吐いた。隣の馬鹿に気付かれないように微笑む。楽しみで仕方なかった。





真夏の太陽が輝く青空を映しさざ波をたてる海を眺め、鬼道は浜辺に座っていた。パラソルの下でも、今日の伊豆は暑い。
数分前まで隣で喋り続けていた佐久間は、源田と岩場でまったりしているようだ。サワガニでも見つけただろうか。
背後には別荘と、その中にボディガード兼料理人、執事――と言っても掃除その他雑用係、運転手兼雑用係の三人の大人がおり、目が届き声が聞こえるが邪魔にならない場所に専属メイドである村前がいるはずだ。
そして今、海水を滴らせながらこちらへ向かって歩いてくるのは、妙な関係を持ってしまった同い年の少年。この場所にいる人間はそれだけと知って、いつも大勢に囲まれている鬼道は不思議な感覚を味わう。因みに、"水も滴るイイ男"はここにはいない。

「入ンねェの?」

タオルを取って顔を拭きながら、不動は隣にどさりと腰を下ろした。

「……別にいい。日に焼ける」

水を飲んで、不動が怪訝な目を向ける。日焼け止めをしっかり塗っているのは、キラキラと真珠のような肌を見れば分かるだろう。

「ふーん……泳げないんだ?」
「っ……」

女子水泳での非常に優秀な成績を知っておいてそんなことを言うのだから相当頭に来るが、ここで切れたら負けだ。
無視を決め込んだ鬼道を見て暫し考え、不動は鬼道が羽織っている薄い綿のパーカーを脱がしにかかった。

「ちょ……! やめろ!」

抵抗の割には呆気なく現れた深紅のビキニ姿にヒューと口笛をひとつ、不動は奪い取ったパーカーを軽く振り回す。

「取り返しに来いよ?」

先日の花火大会以来どうも態度がデカくなった気がするが、それを不快に感じなくなっている自分が不思議だ。洗脳されているのかもしれない。

「待て!」

追いかければ、海へ向かって走り出す。海水の冷たさに驚く間もなく、追い付いたと思ったらバランスを崩して共倒れになり、パーカーごとびしょ濡れになってしまった。

「いってー……鼻に入った」
「しょっぱい……っ」

二人して前屈みになり苦痛に耐えている状況が滑稽で、同時に吹き出した。不動は笑いながら、絞ったパーカーを鬼道の肩にかける。

「来て良かったな」

珍しく素直な言葉を聞いて、胸の奥が反応する。

「な……なぜだ?」

推測でしかない答えには確証が欲しい。
不動は一歩近づいて、愛しいものを眺めるように目を細めた。

「赤がよく似合ってるぜ、鬼道チャン」

水着なんて、学校の紋章と自分の名前が入ったいわゆるスクール水着しか持っていなかった。それを知っているメイドの村前が、海辺の別荘へ友達と行くと聞いて水着の購入を薦めたのだ。つまり一番似合うものを選んでもらったので、今日ここで鬼道がこの場所にふさわしく咲き誇っているのは至極当然のことなのである。
するりと背中を撫でられ、顔も太陽に負けないくらい真っ赤になったところで、パチンという音の後にふと見覚えのある赤が目の前に現れた。
頭の中が一瞬静止する。

「な……っ!」

波間に漂うブラトップを慌てて身に着けながら、既に離れているモヒカンを憤慨して睨み付けた。

「貴様ッ……覚悟しろ!」

肩に絡みつくパーカーを物ともせず猛スピードのクロールで追いかけてくるのを見て、「げっ」と不動も逃げ始める。
いつの間にか「楽しそうだな!」と源田と佐久間が近くに来ていてぎょっとしたが、パーカーを着た後ろ姿では一瞬半裸になったことなど気づかれなかったはずだ。
しがらみも時も忘れ、中学最後の夏を満喫した。





くたくたになるまで遊んだのに、まだ眠れる気がしない。
風呂で温まりすぎたのか、火照った体を涼ませようとバルコニーへ出た。
コオロギの鳴き声と夜空に散らばる無数の星が、違う世界に来ているかのように思わせる。

「鬼道チャンも眠れねェの?」

囁くような声に、不動が隣の部屋のバルコニーにいると認識するまで時間がかかった。
石造りの手すりに頬杖をついて、暗闇に光る目が様子を伺っている。

「もう寝る」

そう言いながら動かない鬼道を眺め、不動は行動を起こした。

「何をしている……!?」

手すり同士はそれほど足を伸ばさなくても届く距離で、不動は軽々と渡って鬼道の目の前に飛び降りた。

「よっ……と」

驚いた様子で見つめたが、しかし本当はそれほど驚いてはいなくて、期待していることを気付かれたくないだけだった。

「ん……っ」

鬼道の問いに、不動は答える代わりに口づけた。薄いネグリジェがふわりと夜風に揺れる。
熱いTシャツを掴み、擦り寄せて押し付けそうになる体を懸命に抑えた。

「は……、」

頭が上気してぼーっとする。諸悪の根源から離れて部屋の中へ戻り、必死に理性をかき集めようとした。
ここは別荘で、隣には佐久間が寝ていて――。

「オレは眠れねェんだけど。鬼道チャンのせいで」

後ろから抱きすくめられ、心臓が跳ねる。

「私が何をした」
「誘ったじゃん」
「馬鹿な」
「はぐらかすなよ」

囁き声でひそひそと交わされる夜の言葉を、ゆっくりと撫で付けていく。薄い布地の上からでも、小ぶりの胸をまさぐる手の温度は熱い程だ。体の芯に火が移り、あっという間に燃え上がる。
舌使いに腰が抜けてベッドに崩れた鬼道の背に覆い被さり、不動は愛撫を続ける。存在を主張する硬くて熱いモノに恍惚として無意識に手を伸ばそうとした時、ドアがノックされる音がした。
ぴたりと不動の動きが止まる。ガチャリと開いたのは隣の部屋のようだ。

「む、村前だ」

立ち上がり乱れたネグリジェを直し、自慢の脳をフル回転させた結果、不動と共にベッドへ入りなに食わぬ顔をするのが一番良いという結論に至った。

「なんで来るんだよ?」
「安全確認だ……」

シーッと唇に人差し指を当てて見せ、膝を立てて不動のいる膨らみが分かりにくいようにする。
直後にドアがノックされ、少し間を置いて開いた。

「有奈さま、まだ起きてらっしゃいましたか」
「あ、ああ……もう寝れそうだ。心配ない」

窓は開いているがカーテンと壁が作る影にベッドはうまく隠れていて、よく見えないはずだ。腰の脇にいる不動は動かずにじっとしている。しかし鼻息が脇腹にかかる。しかも密着した上さらに布団を胸元まで被っているせいで、非常に暑い。

「今夜は冷えますから、お風邪を召されませんように」

止める間もなく、気の利くメイドはベッドの前を横切り窓を閉める。

「ああ、そうだな……っ!」

不動の手が太股を掴んだ。慌てて口を塞ぎ、蹴り飛ばしたいのも何とか堪えた。

「ではお嬢様、失礼致しました」

一礼して去っていく姿に、緊張が解けていく。しかしドア口で振り返ったので、再びまさぐりだした不動の忌々しい手を強く掴んで止めなければならなかった。

「お嬢様、すみません。明日の朝食は何になさいますか?」
「ちょうしょく……ッ?」

腹に舌が這ったためついビクンと体が跳ね、顔を真っ赤にしながら青ざめるという不思議な現象を体験した。しかしメイドは微笑から表情を変えない。足を組み替えただけに映っていればいいのだが。それよりも頭が働かない。布団を捲られたら、考えられないほど恥ずかしい格好に不動がコバンザメのようにくっついているのが見えるだろう。

「い、いつものでいい。お前も休暇に来ているようなものなんだから、早く休め」
「お嬢様……優しいお言葉を頂戴しまして、この村前たいへん幸福にございます。あとは不動様のお部屋だけですので、お言葉に甘えてゆっくり休ませて戴きます」
「不動!? 不動はやめろっ。起こすととんでもないことになる。大丈夫だから」
「そうなんですか? 分かりました。それでは、御休みなさいませ」

足音が完全に聞こえなくなるのを待って、耳を澄ますため圧し殺していた息を吐く。それを合図に布団が勢いよく捲られ、不動が大袈裟に呼吸した。

「あっちー」
「このクズ、もう少しで見つかるところだっただろう!」

抑えた声で怒鳴り付けるが、不動はニヤニヤしていて、鬼道が怒っていると同時に悦んでもいることを見抜いている。

「バレてないんだからいーじゃん。結果が全てだよ、鬼道チャン? 興奮しただろ」

返す言葉もなくなった鬼道の、濡れそぼった入り口を撫でられて、危うく大声が出るところだった。

「き、さま……ッ」
「あーあ、図星かァ。今ラクにしてやるよ」

二本の指が無理矢理に絶頂へ引き上げ、どこか物足りない余韻を残して鬼道は震える。喘ごうにも口は不動の唇で塞がっていて、堪えきれず喉の奥でわめいた。

「静かにしろよ、佐久間に聞こえるぜ?」

耳元で囁く声を殴ってやりたいが、達したばかりだというのに体が彼を求めて脈打っている。

「お前こそ、いつまで我慢できるんだ?」

嘲笑したつもりが、肩を掴んで乱暴に俯せにされる。文句を言う前に、不動は耳を舐めた。

「我慢? するつもりなんかさらさら無いね」

声を小さくすると何を言っても甘い囁きのようで、秘め事らしさを強調され扇情的に作用する。

「んぅぅ……!」

やがて挿入されたが程なくして不動は達し、用済みになった避妊具と共に引き抜かれ、望んでいた快感は僅かで終わってしまう。

「や……っ」

屈辱が彼女を包み込む。四つん這いになって、胸の小さな膨らみはネグリジェから露出して揉みしだかれ、柔らかい尻には濡れた雄が押し付けられている。それは両手が乳房を掴む毎に硬く張り詰めていき、熱源の一つとなって脈打っていた。

「は……ぁ、あ……っ」

突起を摘ままれて、ビクンと体が跳ねる。顕著な反応を抑えきれなかったことに何か言われると身構えたが、不動は肩に唇を押し付けただけだった。

「ふ……どう……?」

起き上がりベッドを降りた不動を振り向くが、顔は陰になってよく見えない。

「尻こっち向けて足下ろせ」
「……命令するな」
「うるせえ、早くしろ」

囁き声のやり取りの後、密かに安心した鬼道は床に膝を着いてベッドに上半身を乗せた格好になった。小さなビニール包装を破く音がする。期待はすぐに応えられた。

「んぅ――! はッ……ふぅうッ」

片手で口を塞がれる。シーツを握り締めて、鬼道は腰を揺らす。
こんなにベッドを乱してしまったら、怪しまれる前に何とかしなければ、しかし朝まで覚えていられるだろうか。それより、スプリングが軋む音はどのくらい響いている?佐久間やメイドは本当にもう寝ているだろうか?
思考回路は既に、炎天下に置かれたアイスクリームのように溶け出してしまっている。
突き上げられる度に溶解は進む。このまま落ちて行くしかないのかと理性から手を離しかけた時、不動が頭の後ろで呻いた。

「――、ゆうな……っ」

朦朧とした意識が弾かれたように蜂起する。背後の心に何が起こっているのか推測することしかできず、鬼道は悶えた。
しかし最奥の内壁を叩くように強くなった律動がすべてを説明していた。

「んや……ッぁ、んぅう――ッ!」

綿毛布に顔を押し付けられたが、絶頂の嬌声はすんでのところで最小限に抑えることができた。

「はッ……ハァ……ッ」

不動は床に座って呼吸を整えている。その胸ぐらを掴む勢いで詰め寄った。

「この……押さえることないだろう!」
「嫌なら声我慢しろよ」
「誰のせいだと思ってる!?」

いくら囁き声とはいえさすがについ声が大きくなってしまったので、不動がシーッと歯の隙間から制止音を出した。
しばらく二人で耳を澄ます。誰かが来る気配は無い。
鬼道は肩の力を抜き、不動の目の前に腰を下ろし向かい合った。

「せめてこの方がマシだ」

再びネグリジェの脇から滑り込んで来た手を自由にさせておきながら、唇を合わせる。淫らに絡む舌を押し返し、吸い付かれて背中を震わせた。
少し体が動いただけで、唇の位置はずれてしまう。

「は……、やりづれぇな……」

だから嫌だったのにとでも言いたげに不動が呟く。両腕をその肩に回して、鬼道は挑発的に見下ろす。

「なら離すな」

睨み返された後、不動は立ち上がって鬼道を丈夫な壁に押し付け抱え直した。鬼道からはドアが見えるが、それよりも彼の唇が延々と与える生ぬるい快感に酔う。揺らぐ腰を掴んで突き刺さった欲望に全てを委ねた。





清々しい空気の中、目を覚ますとベッドの上で、目の前には不動の寝顔があった。
驚いたことよりも恥ずかしさが爆発して、動けなくなる。
壁に押し付けられた後くらいから昨夜の記憶が抜け落ちていて、そのことが更に鬼道を軽いパニックに陥らせた。

「……ん」

そうこうしているうちに起きた不動と目が合う。向こうも同じような心境なのだろうか、驚いた後固まってしまった。
何を言えばいいのか、ふしぎな空気の中、朝の静寂をノック音が打ち切った。
慌てて押し出した不動がベッドから下りたのとほぼ同時に、ドアが開く。

「おはようございます、お嬢様。お目覚めですか?」

ベッドの上に座る鬼道を見て、村前は満足そうに微笑む。
カーテンを開けると、部屋の中が朝の光で満たされた。

「まあ、良い夢をご覧になったんですね。本日も健やかなようで何よりです」
「……そうか?」

良い気分と言うより、ベッドの下の不動が気になって冷や汗が背を流れる鬼道に、メイドはにこやかに笑う。

「はい。とても顔色が良いですし、喜びに溢れていらっしゃいます」

軽く会釈をして部屋を出て行った後、少しして不動がベッドの下から這い出てきた。

「そんなに楽しかった?」

カッと頬が焼け、鬼道は枕を思いっきり投げつけた。いい加減に学習していて、声を出さずにジェスチャーで部屋へ戻れと激しく指示する。
やれやれといった様子で不動はバルコニーから戻っていく。
これでいつ佐久間が遊びに来ても問題ない部屋になり、安堵に胸を撫で下ろし小さく息を吐くと、思い出したように腰に痛みが走った。

「ぅ……」

ベッドに再び横になって、溜息をつく。
若気の至りとはこのことかと思ったが、青春期の夏の思い出としては申し分ないとも思えた。







終わり

2013/07
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©2011 Koibiya/Kasui Hiduki