<眠れぬ森のツンデレラ 第十話>



春、鬼道有奈は十六歳の誕生日を迎えるのと同時期に、イギリスの名高い某高校へ留学生として入った。全寮制で気品と風格のある名門は、帝国学園中等部を首席で卒業した彼女に相応しい。
視察で数日来たこともあったが、その時は会えなかった。それからしばらく準備で忙しかったらしく、直前になってメールを寄越した。
[明後日の午後に、そちらへ着く。出迎えは不要だ。落ち着いたらまた連絡する]
いつもと変わらない素っ気なく堅い文章だが、不動は微笑んだ。一年半も待っていたのだ、あと数日くらいどうということはない。
[了解。よく寝とけよ(^_^)]と返して、部屋を見渡す。だらしない友人の部屋よりはマシだが、片付けと掃除の必要が大いにありそうだ。外は曇っているが、腕捲りを始める不動の心にはまさしく春が訪れていた。



***



滞在を始めて二週目を迎え、やっと落ち着いたので、ゆっくりデートすることにした。やっぱりちょっと遠出して、首都に行くべきだろうと言ったのは鬼道だ。アイボリーのふわりとした薄いブラウスに緑のカーディガンを羽織り、その上にネイビーのコートを着て、焦げ茶のチェックの膝丈スカートとブーツといういかにも英国女子高生といった格好だ。
会うのは一年半ぶりとは言え、週に一度以上メールのやり取りをしていたから、精神的には久しぶりな感じがしない。だが、見た目は随分変化しているようだ。
鬼道はちょっと背が伸びて、顔の骨格がすこし変わった。成長期の変化は目ざましい。膨らんだ胸と、スカートからすらりと伸びた足は記憶とは違い、大人の女性とほぼ同じものだ。
「お前の家はどこなんだ?」
気付かれないようにしながら見惚れていると、唐突に鬼道が口を開いたので、やや対応に遅れる。
「え、あの、ホラ……向こうのストリート……」
「土地に慣れるのにちょうどいい、連れて行け」
「いやッ……? 今日はちょっと、」
「何だ、女でもいるのか?」
「いる訳ねぇだろ」
「じゃあ何だ」
「来ると思ってなかったからさあ……全然、掃除とかしてねぇんだよ」
「なんだ、そんなことか。素のままを見るのも悪くないだろう」
「いやぁ……汚ねぇよ?」
「百聞は一見に如かずだ」
姫様の要望を却下するわけにはいかない。不動は小さくため息をついて、アパートのある方へ向かった。


レンガ造りの大きな建物は、中にぎっしりと部屋が詰まっている。狭い階段を上がって三階の隅にあるドアを開け、不動は鬼道を先に中へ通した。ゆっくりと進んでいくと、鍵を閉めた不動が追いついて、リビング兼ダイニングへ案内する。
「こんなとこだけど。何すんの? メシにはまだ早ぇーし……」
一時的に素早い動きで、椅子の背に掛けっぱなしだった上着を取り、テーブルに重なった雑誌や書類の山を退けながら、不動は余裕そうな表情を浮かべて好きにさせている。鬼道はゆっくりと見て回った。汚いと言うわりには、小綺麗にしてあるではないか。
「ああ……お前の暮らしぶりを見てみたかっただけだ」
「ふーん? ま、どーぞごゆっくり」
不動はしばらく様子を伺っていたが、一通り見て回った鬼道がソファに落ち着いたのを見て声を掛けた。
「紅茶でも淹れっか」
「ああ、頼む」
やかんのお湯が沸く音が止むまでに、どきどきしていた心臓は少し落ち着いてきた。緊張もほぐれてきて、少し力を抜き姿勢を崩す。老舗のアールグレイを注いだマグカップを渡しに来て、不動は立ったまま自分のマグカップを口につけてすする。
「ありがとう」
今はティーバッグでも安らぐ気がする。目を閉じて温かさと芳醇な香りにほっと息をつくと、頭上で声がした。
「あのさ、メシどうする? 食べに行くっつってもなぁ……」
「ああ、不動が作った方がマシだな」
「マシとか」
鬼道が笑みを浮かべて言うと、言い方の酷さにツッコミを入れて不動も笑う。
「じゃ、買い物行かねぇと。あー……そうだな、ちょっと待ってて」
出かける用意をしに、不動は別の部屋へ行ってしまった。待っている間、部屋に馴染もうと目を閉じてみる。古い床板と、紅茶と、ソファから微かに漂う他人の臭い。それらに包まれて、例えようのない気持ちに満たされる。なにか変化が起こり始めていた。



***



とりあえず泊まればいいだろうと思っていたが、そう簡単なことでもないらしい。あれから買い物へ行き、一緒に夕飯を作って食べ、そうするうちにいつの間にか打ち解けて、メールで伝えきれなかったことを色々と話した。たまたま本棚に目をやった鬼道が映画のDVDが固まっているコーナーを見つけ、その中の数本がまだ観たことのないもので、面白そうだと言ったらソファで並んで観ることになった。ある裕福な女性が孤独な少年と出会い、彼の才能を引き出して試験にも合格させ、プロのアメフト選手にするという実話を基にした物語で、差別社会や家族の在り方を見事な演出で描いていた。
そうこうするうち夜も深くなり、見終わったばかりの映画の話をしながらまったりしていると、不動は眠そうにしていた。風呂を借り、いざと思って新しい下着とパジャマを身につけ待っていた。着替えを持って来ていたことで鬼道の心積りは露呈してしまったはずだが、不動は優しくあっさりとドアを閉めてしまった。眠そうにしていたし、強要うすることでもないと布団に入ったが、もしかしたら不動には不動の考えがあるのかもしれない。

日本を出る前のことだ。荷造りをしていると、部屋に入ってくるなり春奈が言った。
「お姉ちゃん! 初めては慎重にしなきゃだめだよ!!」
「はっ……? な、なにをいきなり……」
しらばっくれようと服をトランクに詰める手を止めずに続けると、妹は嬉しくも心配だといった様子で言った。
「だって可愛い下着に、新しいパジャマ。新しい土地でうら若き乙女が独りなんて、超危険じゃない!」
「新天地へ行くのに、下着とパジャマを買い足すのは普通だろう。それに私は遊びに行くんじゃない、3年間勉強しに行くんだ」
至って怪訝な顔で答えると、春奈はトランクの乗っているベッドに座って瞳を輝かせた。
「羽ばたくのは良いことだよ、お姉ちゃんっ。でもね、初めては慎重にしなきゃ。だって、人生で一回きりなんだよっ」
怪訝な顔で、まだ何の話か分かっていない様子を装い続ける。
「言われなくても分かっている……」
春奈はあまり気にしていないらしい。姉が最後まで言い終わるか終わらないかのうちに、一番言いたかったことをとびきりの笑顔で口にした。
「でも不動さんなら大丈夫だと思うけどね!」
怪訝な顔も限界が来る。
「なっ……なんなんだ、さっきから」
「いつでもメールしてね~」
「もちろんだ、春奈も毎日送ってくれ」
「もー、誤魔化すの上手いなー」
口ごもる鬼道に、春奈はもう何も言わなかったが、荷造りする姉をしばらくにこにこと眺めていた。

観れる限り、試合は観ていた。不動の外見はあまり変わらないが、雰囲気がいくらかキリッとした気がする。移籍してからは目覚ましい活躍ぶりで世界中を騒がせた。孤高のトリックプレイヤーと呼ばれ、攻撃的な戦略は誰にも見抜けず、どんなディフェンスも崩す。だからといって連勝するわけではなかったが、個人としてはまずまずの成功を納めたと言えるだろう。
その彼と、十も歳の離れた自分。不動が良いと言えばかまわないのだろうが、傍から見て鬼道財閥令嬢の交際相手が年上というのはどうだろうか。そもそも、今の現状は交際と言えるのかどうかも疑問だ。
クラスで小耳に挟んだ女子の会話内容を分析したところ、昨今の常識では、キスをしたからと言って恋人とは限らないらしい。もっと言えば、体だけの欲求で成り立つ関係もある。そんな荒んだ世界で、しかし彼女は信じていた。ただひとつの特別な関係が、年格好に左右されない感情と魂の共鳴が、存在するはずだと。

昨日の夕方、このアパートに来てから、不動はなかなか触れてくれない。確かめたいことがあって、そのためには触れてくれないと分からないのだが、不動はわざと触らないほうにしている気がする。指先が触れそうになると、然り気無く避けるからだ。もう何度もあったから、気のせいではない。
思いきって、確かめることにした。朝食後の紅茶を淹れる不動の背にぴたりと体を寄せて、シャツをそっと掴む。一瞬沈黙が流れ、不動は振り返ろうとしたが、やめた。
「あー……何してんの?」
マグカップに紅茶を注ぎながら、ひきつり笑いを含んだ声がする。
「嫌か?」
「嫌とか嫌じゃないってーか……不動さんがアブない大人になっちゃうかなぁーなんて……」
「アブない大人?」
「だから、離れてくんないと……」
不動が体を反転させ、引き離そうとするのを見て、今度は前から体を寄せてシャツを掴む。
「嫌だ」
「えっ、ちょ、話聞いてた?」
逃げないようにシャツを掴んだまま、顔を上げて不満を示す。
「何のためにここまで来たと思ってるんだ」
「フツーこんな汚ねー部屋には来ない気がすっけど……」
「ばかもの、年月の話だ」
「いやー、それにしたってさぁ……」
「つべこべ言うな。男なら潔く判断しろ」
うやむやにしようとするような不動の態度に苛々してきて、ぐいっと体重をかけると、本気で慌てたらしかった。
「ちょ、待てよ。こういうのはもっとおとなになってから……」
「何がおとなになってからだ……!」
胸元のシャツに掴みかかり、すぐに力が抜ける。もしかしてこれは拒絶なのだろうか。ここまで積極的に押してだめならば、そもそもが見当違いということだ。否定的な考えに一度行き当たったら、転がる雪玉のように不安が膨れ上がった。
「……私にはそういう魅力がないということか……」
手を離し力無く俯いた鬼道の肩を、骨ばった手が慌てて撫でさする。
「いやいやいや、ほら、そういう意味じゃなくて」
「ほら……? じゃあ、どういう意味なんだ。正直に言え。私じゃ子供っぽいし、そそられないんだろう」
腕組みをして胸を隠す。不動は静かに長い息を吐いた。肩を撫でる手が優しくなだめるように体温を伝えるが、今は何をされても落ち着かない。
「世間的には知らねーけどさ、オレにはむしろ勿体無いくらいなんだよ」
「どういう意味だ」
「だから……魅力的すぎるからヤバイっつってんじゃん……」
口元を手の甲で半分覆い、目を逸らすのは意図的には見えない。胸の奥がきゅっと鳴って、鬼道は組んだ腕に力を込めた。
「いいか、私は鬼道家の未来を任される女だ。大人になるということは、経験と知識がものを言うんだ。お前は犯罪者でも変質者でもないし、経験と知識を持っている。だから練習台にしてやる」
一瞬固まったあと、不動は面白そうに笑った。
「へぇ、練習台?」
「そ……そうだ。だから恋人として行うイベントをできるだけ多くこなす必要がある」
「はぁ……なるほどねぇ」
緊張していることを顔に出さないようにしながら、鬼道は言った。
「ちょっと待っててくれ……」
「ああ……? い、今から?」
間抜けな声が背中に掛けられたが、聞こえなかったふりをする。彼の態度が変わらないうちに、追い込みをかけなければ。それも、できるだけ自然な流れで。



鬼道がトイレへ行っている間、急いで寝室へ行き、ベッドを整え、コンドームを探した。数年前に買った箱がまだ未開封で引き出しの奥にやさぐれているのを引っ張り出し、数枚ポケットに突っ込む。そうこうするうち戻ってくる物音に気付き、何もしていなかったような顔でベッドに座ると、鬼道が入ってきた。
「待たせたな……」
いつも結っていた髪はほどかれ、くすんだ黄金の波が額と頬の一部を覆い、不安と好奇心が入り交じって燃え上がる赤い瞳を引き立たせている。
「どうか、したのか」
「いや、」
改めて見惚れていたとは言えない。鬼道は部屋に入ってきたはいいが、ドア枠を跨いだところで立ち止まったまま、両肩を少し縮めていた。
「こっち、来いよ」
手を差し伸べると、一歩ずつゆっくりと近付いてくる。目の前に立ったとき、彼女が女神のように思えた。実際にその通りだ、鬼道との出会いがすべてを変えたのだから。
「キスしたい」
「うん……」
鬼道の手が肩に支えを求めるのを感じながら、目を閉じた。唇を撫でて舌を差し込むと、やわらかい熱を探り当てる。
「ふ……ぁ、んっ……」
こんなキスは知らない。今までの記憶と感情が、何もかも覆されていくようだ。肩を撫で、背中に手を滑らせて抱き寄せ、体重を掛けさせてからゆっくりと体をひねり、ベッドへ寝かせた彼女に覆い被さる。
「ふど……っ」
「ん?」と応えながら、首筋にキスを落とす。ぎゅっと二の腕を掴まれ、視線を合わせた。
「夢みてえ」
脇腹を撫でると、くすぐったさにピクンと肩が跳ねた。
「ひゃっ……ぁ、……」
「かわいい」
思わず呟いた言葉に自分で呆れながら、赤くなった鬼道の頬に唇を押し付ける。
「かわい……くなんか、ない……っ」
調子に乗った手は腰から下へ滑っていき、太腿を撫で上げる。久しぶりに感じる女の子の柔らかい肌の感触に、全身の毛がざわめき立つ。触りすぎてもと思っていると、不動の首に細い腕が、しがみつくように巻き付いてきた。おかげで体の芯が、枝を追加された焚き火のように一気に燃え上がる。
「あんま煽ンなよ……ただでさえブッ飛びそうなのに」
ブラウスのボタンと、下着を外して手を潜り込ませると、目を閉じた鬼道が小さく高い声を漏らした。マシュマロのような胸をそっと掴み、淡く色づいた突起を指の腹で撫でる。もぞもぞと膝を擦り合わせ、鬼道は顔を隠そうとする。突起を摘まむと、吐息が漏れた。
「……イヤな感じあったら、本気で抵抗してくれよ……」
鬼道はブラウスと下着から両腕を抜き、肌を晒す。朝の光が彼女を輝かせる。
「やめなくて、いい……っ」
一瞬見つめ合い、答える代わりにキスをした。
まだ辛うじて、理性は少し残っている。温かい肌の隙間から差し入れた手を、熱を帯びたその奥へ進めた。湿り始めた薄い布の感触にたどり着くと、鬼道は無意識に両脚を閉じようとした。
「ふぁっ……!」
だがいたずらな腕を挟んだだけで、脅威は回避できていない。不動は指先で布地をめくり、隙間からそっと滑りこませた。
「んっ……」
「気持ち良くしてやるよ……」
体勢を変え、恥ずかしくて顔を隠すのがやっとといった鬼道の太腿を開かせ、蜜を秘めた花園に顔を埋める。
「え……っちょ、ふどぅんんっ……!」
舌を伸ばすと、頭の両側で足が乱れた。
「やめ、……ふ、そんなとこ……きたな……っ!」
ちゅ、ちゅっと水音をたてて、溢れてくる蜜を舐め、膨らんだ小さな突起を舌で転がす。
「や、ぁっ……なん、か……へんだっ……」
「いいんだよ、それで……きもちイイだろ?」
二本の指を挿し入れ、そっと内壁を擦る。
「ぁぁっ……ぅ、うん……っ」
右手で愛撫を続けながら、腰から上へと肌に唇を落としていく。やわらかい膨らみに辿り着いて、幼子のように手を使わず突起を探し、口に含んだ。小さなピンク色の乳首は張り詰めていて、舌でこねただけで痺れをもたらす。
「はぁっ、んやぁっぁ……!!」
大きな波が打ち寄せ、声が掠れていく。緊張して強ばっていた四肢から力が抜け、いい具合にゆるんでいる。恐らく人生で初めての絶頂に、鬼道は身を委ねようとしていた。
不動は手を止めた。ずっと肌の曲線を撫で回していた手は、ベッドについて体重をかける支えに変わる。
「ふどう……?」
両手は鬼道の顔の両脇で枕に当てているが、彼の顔は頭の上にあるため、鬼道には不動がどんな表情なのか見ることができない。
「待って……」
不動は上体を起こして座り、額に手を当てた。
「私なら大丈夫だ、だから……」
「いや、ちょい待って、まじで……」
「……ふどう? 大丈夫か?」
胸を隠すように上体を起こし、不動の膝に片手を乗せる。不動は額に当てていた手を下ろして、気まずそうな顔を見せた。まさか何もしていないのに吐精感が込み上げたなんて言えない。
「ほら、その……色々、さぁ……あるんだよ。こんなの……一生に一度だぜ?」
「まだそんなことを言っているのか」
「オレが――」
言い終わるか終わらないかのうちに遮り、強い視線が鬼道に向けられる。
「オレが、初めての時、後悔してるから……余計にそう思うのかもな」
「後悔?」
「早く大人になりたくて、強くなりたくて、オトコになりたかっただけでさ。他のこと何も考えてなかった」
「だが今は、考えてるじゃないか……?」
返答に困っていると、鬼道はかわいらしくわずかに鼻を鳴らした。
「私は後悔しない。いつまでもごちゃごちゃ言っていると張り倒すぞ」
思わず小さく笑う。
「張り倒すって、何だよ。具体的にどうすんの?」
少しの沈黙があったあと、不動の頬がぺちっという音をたてて鳴った。
「こうだ」
思わず盛大に吹き出しそうになって、大笑いするのは控えておく。
「有奈ちゃんは分かってないな。自分がどんだけ特別なのかってことが」
「なら不動も分かっていないな」
見つめ合って、ふっくらと色づいた頬を撫でる。優しく、嫋やかで、しかしその赤い瞳は強く輝いている。
「……練習台、って言ったよな」
「ああ……、そうだ」
「分かった。教えてやるよ、男のこと……」
鬼道は顔に乗せていた手を退け、ズボンを脱いだ不動の様子をうかがう。しかしむき出しの股間をちらと見そうになっただけで、真っ赤になって顔を背けてしまった。その頬に鼻を擦り寄せて、唇を押し当てる。こっちを向いてくれたら、キスもする。これから行うことに、許しを乞うかのように。
コンドームを着けるのに、少し手間取った。まるで童貞のように緊張している自分がいる。再び覆い被さって、体勢を整え、待ち焦がれていた場所へ性器を宛がった。
「いくぜ? 力抜けよ……っ」
「んふぅうっ……!」
不動の肩にしがみついて苦痛に耐える姿は、予想してはいたが目の当たりにするとかなり辛い。先端だけで一旦止め、様子をみる。
「いっ……ぁ、はぁ……っ」
「大丈夫か? そうだ……息を、吐いて」
「は……、はっ……、」
ふぅーっと長く息を吐き出してやっと、鬼道は少し落ち着いた。耐えようと、負担を減らそうとしている様子が、愛しくて堪らない。薄いゴム一枚を通して伝わる熱と縮動が、抑え続けてきた渇望を昂らせていく。
「ふどう……」
つぶやいた顔は恍惚にうっとりと蕩け、赤く染まっていて、その頬を撫でると艶めく瞳が揺れた。疼く腰を慎重に動かし始める。
「ふぁぁっ……!?」
ゆっくりと、慣らすように、前後しながら少しずつ奥へ進む。
「どうだ……気持ちよくなってきた?」
「んぁ……っ」
頬を上気させ、切なげに眉を寄せて、鬼道は苦しそうに酸素を求める。否定しないだけで精一杯といった様子で、不動にしがみついている。
「ふぁ、ぁ……っや、ぁ……っ」
「大丈夫か? 有奈っ……」
腰を揺らす程度にとどめ、今にも暴れだしそうな獣を抑えつけながら、吐息混じりに囁く。
「う、ん……っぁ、ぁぁ……っ」
少しでも気が紛れれば負担が減るかと、なめらかな肌をまさぐった。乳房をやわやわと撫で揉み、突起を摘まんでそっとさする。いちいち敏感な鬼道の反応が、つながった部分に直に響く。
「やべ……オレ……もう、無理……」
「ふぁっ……?」
何のことか分からず当惑する鬼道の頭を撫でて安心させようとする、しかし荒い息遣いと据わった目は崖っぷちの危うさが見えるはずだ。
「ゴメン……なんか、ヤバかったら殴って……」
鬼道の左脚を持ち上げ、腰の位置を固定して、ズンッと根元まで一気に埋める。
「んくぅ……ッ!?」
圧迫されたような声を上げる鬼道を心配しながら、快楽を貪る。これほど強烈で有機的な刺激を、不動は知らない。
「あぁ……ハァッ……ゆうな、」
「んあっ……ふど……っ」
激しい吐息は宙で絡まり、羞恥とたどたどしさの残る媚声が上り詰めていく。鬼道は必死に応じようとしてくれていた。頭のどこかでわずかな理性が、負担を掛けすぎると二度と許してもらえなくなるかもしれねえぞと叫んでいたが、もう聞く気は無かった。
「ぁ……っや、はあッ、ぁあー……ッッ!」
肩に食い込む十本の細い指と、しなやかな体、絶頂の中で誘うように収縮するあたたかい襞に包まれ、不動は最後の数回、ひときわ強く打ち付けた。
「はッ……うぁ……ッッ!!」
放出しきって数秒たってから、一気に意識が戻った。青ざめたと言ってもいい、やってしまったという後悔と焦燥が押し寄せてきて、壊してしまったのではないかと不安に駆られる。腰を引き処理をしてもまだ静かな鬼道を見ると、ぐったりと目を閉じて胸を上下させている。
「なぁ、大丈夫か? 有奈、……」
ゆっくり目を開けた鬼道は、うっとりした表情で少しぼーっとしていた。安堵の確認も兼ねて、触れるだけのキスをする。顔を離して合わせた目は、今度はぱっちりと開いて我に返ったようだった。
「有奈ちゃん? なぁ、」
鬼道はむくりと起き上がって、毛布を頭から被り沈黙した。毛布を捲ろうとすると、体に巻き付けて阻止される。何度か繰り返して顔を見ようとするのはやめ、毛布ごと肩を掴んでしっかりと抱き締めた。
「……息、苦しくねぇの?」
ささやくと、鬼道は毛布から頭を出した。赤い瞳がきっとつり上がって、睨み付けてくる。笑って、ばら色の唇を捕まえてキスをした。
「オレさぁ……こんな気持ち初めてだ」
どんな気持ちなのか聞こうとして、鬼道は口を閉じた。きっと今は同じ気持ちなのだなと、瞳の奥が言っている。
「すげー大事にする……」
毛布の中から手が出てきて、不動の胸に添えられた。貴重なデレの時に、調子に乗ってみる。
「さみぃんだけど。オレも入れてくんない?」
毛布の中に手を入れて肩を撫でようとすると、身を引いて避けられてしまった。
「ふ……服を着ればいいだろう」
「えー。いいじゃん、もうちょっと」
毛布を引っ張るが、引っ張り返される。
「今さっきイロイロした仲じゃねぇか」
「そっ、それとこれとは……っ」
一気に赤くなった鬼道の首筋に口付けると、もぞもぞと毛布が動いた。鬼道は端にくるまり、不動の背中に寄り添って、余りを肩に掛けた。後ろから抱きつくような格好で、ふわふわの髪が不動の首筋を覆う。
「これで我慢しろ……嫌なら服を着るんだな」
「ああ……うん。充分すぎ」
騎士でもないし、王子様なんかではないけれど、彼女を守るためならなんだってする。自分が与えられるもので彼女が望むならば、すべて与えよう。傍に居させてくれるだけでいいと、見返りを必要としない理由を知ることがこんなにも美しいとは。
腕に触れた華奢な手をそっと掴んで、指を絡めしっかりと握る。肩越しに振り返ると、毛布にくるまってはにかみながら浮かべたとびきりの微笑が見えた。



まだ体の中に違和感が残っているが、それは不快なものではない。立ち上がってみても、どこかが痛いということはなく、とりあえず普通に歩けるようだ。
ドアを開けると、何かを炒めた芳ばしい香りが漂っていた。調理の音に誘われるようにキッチンへ向かうと、不動がこっちを向いてちょっと微笑んだ。
「どお?」
「大丈夫だ」
置いてあったコップの水を飲む。常温の適度な冷たさが、熱されて溶けた思考をすっきりさせてくれる気がした。
「その……不動」
「なに?」
本当はベッドにいる時に言わなければいけないと思っていたのだが、それどころではなかった。鬼道はコップを両手で包み、つるっとしたガラスをそっと撫でる。
「さっき、練習台だとか何とか、言ったが……あれは……その……」
「ああ、」
何を勘違いしたのか、不動は卵を割って、手早くかき混ぜながら言う。
「お望みなら、一生練習台になってやるよ?」
フライパンにじゅわっと卵が広がるのと、鬼道の顔が真っ赤になるのとがほぼ同時だった。
「のっ……望まない!」
撤回して別の言い方で塗り替えようと思っていたのに、うわ手に回られてしまいどうにもできなくなった。話を続けたくなくて先にテーブルへ着いた。少し経って、不動が皿を持ってやって来る。
「ハイ、お待たせ。好きだろ? オムライス」
「……オムライスはな」
スプーンを受け取って、空腹だから食べ始めたが、どうにも居心地が良くない。隣で口角を歪ませ笑っている年上の男は、一体どこまで分かっていると言うのか、からかわれている気がしてならない。絶対に気を許してはならないと思いながら、皿の上でとろける黄金を掬った。
「不動が同い年の時に会ってみたかったな……」
咀嚼の合間に興味本位で呟くと、不動は出し抜けに笑い出した。怪訝な顔で見れば、浮かんでいるのは引きつったような苦笑い。
「いや~……会わなくて良かったと思うぜ?」
「なぜだ?」
不動は苦笑いを浮かべたまま、過去を思い返したのか少し沈黙を置いてから言った。
「オレ中学の頃、かなりぶっ飛んでたからさ……鬼道ちゃんとは、普通の会話すらできなかったと思うぜ……」
「そうなのか?」
頷く不動から視線を外し、鬼道は目を伏せる。
「それでも……なんだか、ずるい」
「なんで? いいじゃん。男より女の方が精神年齢が高いから、こういう年齢差の方がちょうどいいって言うし」
顔を上げて、水を飲む不動を見ると、彼は笑っていた。
「何にしろ、オレは世界一幸せ者だよ」
直視できなくなって、食べかけのオムライスに視線を戻す。ちゃんとパセリも添えてある。
「世界一自惚れ屋の間違いじゃないのか……」
「そーお?」
一口食べて、なんでもないふりをする。それから二人で、夕方帰る時間になるまでどこへ行くかを話し合った。
結局、二人で街を歩いた。コヴェント・ガーデンを少し通り、ビッグ・ベンの前で写真を撮った。不動はほとんど写真を撮ったことがないと言うので、やめろよと言われるまで思い切り撮ってやった。
並んで歩いている時はずっと、手を繋いでいた。はぐれるからと不動は言ったが、異国の都会でなくともきっと繋いでいた気がした。




おわり




2014/11

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