<鬼道有人の恋情>





 おかしい。絶対におかしい。
 鬼道は肩をいからせ前のめりに、まるで一歩ずつ地面に杭を打ち込むかのごとく歩いていた。
 あの夜は確かに気持ちよかった。前回のように面倒な後始末もなく、翌朝も爽快な目覚めで迎えられた。しかしそれから三日。決勝を前に、未だモヤモヤは晴れない。
 当然、プレーに支障は出さないし、自慢の頭脳もフル回転している。作戦は完璧で、チームの皆もまとまり、気合が入っている。だが、もしこの余計なモヤモヤが無ければ、もっと能力を発揮できるのかもしれないと思うと、どうにも落ち着かない。それもこれも全部あのクズのせいだ。

「円堂!!」
「え?」

 目的の人物を、夕食の済んだ、まったりムードの食堂に見つけると、鬼道は大股で近付いていき、思いきり胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「おわっ、ちょ……鬼道……!?」

 慌てる円堂の唇を見つめる。だがここで、鬼道は自分の体にブレーキがかかるのを感じた。キスくらい誰とでも……と思ったが、結局円堂にはせず、代わりにギュッと抱き締める。体が硬いが仕方ない、これ以上は無理だ。
 少し待って離れると、食堂にいた全員が呆然と見ていた。急に視線を感じ、眉間のシワが三倍に増える。

「い、今のは……この決勝までこぎ着けたキサマらクズ共への、ささやかな気持ちだ」

 次に豪炎寺に近付いて、唇を押し付けてやった。

「欧米式だ」

 近くにいた、たまごろうの肩をぽんぽんと叩く。眉間のシワは三倍のままだ、ビクッとされても仕方ない。

「何か問題があるか? ああ……お前には不快だったか」
「いや……」

 豪炎寺は元より冷静だったが、視線が背後に向いていた。何があるのかと振り向いた時、不動が後ろの方から仲間を押し退けてやって来たところだった。

「てめえ……どうも変だと思ったらそういうことかよ!?」
「なっ……!!」

 そのまま勢いに任せて振りかぶってきた不動を、思いきり殴った。豪炎寺を庇おうとした一瞬の間のことだった。拳を使ったのは久しぶりだが、正当防衛なら良いだろう。

「がぁっ……!!」

 二メートルほど吹っ飛ばされて床に倒れた不動を掴み、立たせながら食堂中に聞こえるような大声で言う。

「ああ不動! そんなところにいるから当たってしまったじゃないか? 今すぐ部屋で手当てをしたのち休め! オレが責任を持って連れて行ってやろう」

 口内を切っただろう、思い切り返り討ちにしたわりには態度の優しい鬼道に戸惑いつつ睨み付けてくる不動に肩を貸し、謎と恐怖で静まり返る食堂を後にする。何か言いたいが言葉が見つからない仲間たちの、もどかしそうな目に見守られ、不動を引きずるようにして部屋へ向かった。
 大人しくついてきたように見えた不動は、階段を上りきったところで手を振りほどいた。

「てめえ、マジなにすんだ」
「手加減しただろう」
「ふざけんな」

 廊下を進み、ここでも不動を引っ張って、振りほどかれる。だがもう引っ張らなくても、先回りしようとするほど不動は頭にきているようだ。

「何が気に入らない? 貴様こそ、もう少しで豪炎寺に殴られるところだったんだぞ、オレに感謝してほしいくらいだ」
「あンだと? いい加減にしろよ、このヤロォ……一発食らえば目が覚めっかァ!?」

 拳をかわしてなんとかドアを開けた。鬼道の部屋に入った途端、彼の胸ぐらを掴み壁に押し付けて、至近距離でゴーグル越しに目を合わせる。深く鋭い青緑の目に揺らめくのは、完全に自分だけへ向けられている、煮えたぎった敵意。
 実は先ほどから、怒りを抑えていた。誤解されるのは心外だし、殴ったのも悪いと思っていなかった。だが、その自分よりも強い敵意を向けられ、怒りすらどうでもよくなったことに気付く。不動もそれに――鬼道の変化に気付いた。目ざとい奴だ。ゴーグルを引っ張り、額に向けてずらされる。このまま思い通りにさせてはたまらないと思い、鬼道は口を開け、先に不動の唇へ食らいついた。相手は驚きもそこそこにすぐやり返してきて、唇が反撃を仕掛けるのを待って舌を差し入れる。

「んんっ……ふゥ……っ」

 意図せず鼻の奥から甘い声が漏れたが、気にせず快楽を貪る。不動が腰を抱き股間を擦り寄せてきて、さらに呼吸が乱れた。あと少しだ。あと少しで、一番欲しいものが手に入る気がする。
 こういう時の酸素の補給はコツが分かってきたから不足はしていないはずだが、なぜかクラクラする。衝動が一瞬落ち着いた時に、堰を切ったように服を脱ぐ。ジャージとユニフォームと下着と靴下と、全てを脱ぎ捨てて、やっと少し意識がはっきりしてきた。

「ハ……ん、ハァ……ッ」

 再び、睨むように目を合わせ、お互いの呼吸を聴き、お互いの鼓動を感じ、どちらからともなくキスをした。深く深く舌で交わり唾液を混ぜて、一歩ずつよろめきながらベッドへ向かう。
 押し倒したのは不動だが、すぐに鬼道が横へひっくり返した。まるでじゃれあう豹のように四肢を絡ませながら、密着した肌の熱が火花を散らすほどに上がっていく。
 鬼道は不動の腹の上へ跨がり、腰を浮かせて自ら唾液を使い蕾をほぐし始めた。ムードを作るためのペッティングなど知ったことか。

「んっ……、……」
「……オイ、待てよ。こんなことで誤魔化されると思ってンのか?」

 舐め回すような不動の視線を感じる。目を閉じたり、開けたりしながら、睨むような強い目線を送り返す。ヒクヒクと刺激を欲している自分に、すくい取った先走りも塗り込んで、腰を下ろしていく。

「お前以外にはしたくないことを、オレ自らしているんだ。十分だろう」

 不機嫌な口調で、だが体の熱はやけに声をうわずらせようとする。不動は「どうだか」などと言わんばかりに鼻先で笑ったが、そんなことはどうでもよかった。今すぐに欲しいもの、不動の股間にそそり立つ肉棒はすぐに手に当たり、しっかりと掴んで、濡れた蕾へ宛がう。

「いいのかよ?」
「んッ……?」
「後始末が面倒、なんじゃねェのか」
「……何の話だ」

 みちみちと肉壁がうごめいて、自分でも驚くほどスムーズに屹立を呑み込んでいく。不動の胸を押さえるように右手を当て、鬼道は腰を揺らし始める。空いた左手をどこへ置こうか、集中できない頭で考えようとしていると、下からも不動が突き始めた。動きに合わせて下腹部の芯が、銅鑼を叩かれるかのように響く。

「んぐ……ッ! ぅあ、ぁ、はぁッ……」

 何とか、左手でベッドの鉄柵を掴み体を支えた。息を口から吐いてばかりで閉じるのが難しく、下を向いていると唾液が溢れてしまいそうになるため、鬼道は無理矢理上を向いた。だがこれでは不動の苦しげな表情をあまり見れない。

「っあ……くッ……、ハッ……」

 気持ち良さそうで何よりだなとでも思っているのだろう、こんな時でも余裕をこいて笑うその顔に膝をめり込ませたくなる。挑戦的な歪んだ笑みはどこか卑怯な臭いを漂わせ、いつ出し抜かれるか分からない緊張感を煽る。グッと角度を変えて一番敏感な箇所を抉られ、鬼道は一瞬視界が飛んだかのように感じた。

「アァ、不動ッ! もっと、強く、しろ……ッゥ、ッアア!!!」

 声を抑えたくない、叫びたくなって、しかし何とか残った理性で堪えた。腰を揺らして、良い所に当たるよう角度を調整する。ぐちぐちと卑猥な音が続き、速度が上がっていく。不動の指が腰に食い込み、吐息に混じって悪態をつくのが聴こえた。

「くっそ……! あああッ……!!!」
「ハ、ハァッ……!! ァァア……ッッ!!!」

 絶頂のまばゆさに全身を委ね、目を閉じて、呼吸さえも静止する。人間はこの快楽のためだけに生きているような気もするが、きっとまだこの程度では済まない快感が存在するのだろう。もっと強く、もっと激しい、至高の瞬間が。不動の荒い吐息が胸にかかる。奴の手が背骨に、撫でるでもなく触れる。鬼道は思う。欲しいものは手に入ったのだろうか? まだ先がある気がする。こいつと、果たしてどこまで行けるのだろうか……。
 ガキンッといやな音がしてバランスを失い、我に返った。鬼道が掴んでいたヘッド側の鉄柵が外れ、壊れた音だ。

「クク……クックックッ」

 肩を震わせ、隣に寝転がる。不動は前髪をかき上げ、呼吸を整えながら怪訝な目を向けた。

「クハハハハッ……」
「何だよ、気色わりいな」

 不動の言っている意味は、気恥ずかしいから何かしら言葉にしろということだろうが、気恥ずかしいからこそ言葉にしないのだということも汲むべきだ。誰が陳腐な言葉など口にするか。何を言おうと今は無意味だ。

「なかなか楽しかったぞ、クズ」
「はァ? どういう意味だよ」

 そう言って顔を逸らした不動には、ある程度真意が伝わっているような気がした。
 ティッシュでぞんざいに体を拭い、下着を穿いて、これ以上余韻に浸るのもどうかと思い始めた時、ノックもせずにドアが開き、さすがに飛び上がった。顔を出したのは監督の響木だ。

「……大丈夫か? さっき、下で殴り合いがあったそうだな」
「ハイ、大丈夫です。プロレスごっこで決着がつきました」
「はは、そうか……足は気を付けろよ」

 下着一枚で汗だくになりながら上機嫌そうな二人を見て、響木は少し笑ってドアを閉めた。

「……プロレスごっこだァ?」
「近かったぞ」
「ベッド壊れたしな」

 ククッと笑う横顔を見ていたら、収まりかけていた下半身の熱が上がってきて、鬼道は思わず不動の前髪を掴んだ。顔を寄せ、だが口は付けずに、すぐに投げるようにして突き放す。何かが気に入らない。それに、このままもう一度行為を繰り返しても、体の負担が増えるだけだ。

「っにすンだよ……」

 手早く床に散らばったユニフォームを身に着け、マントをばさりと翻した。

「十分、良い運動になったな」

 顔を見ずに部屋を出たが、奴にとっても助かったことだろう。鬼道はいつになく上機嫌で風呂へ向かった。まだ、体の芯の疼きが収まっていないが、それは気にしないことにした。




 ★




 翌日の練習は朝から非常に捗った。不動との連携もスムーズに決まる。実に気持ちがいい。
 夕食後、次にどうするかと思案しながら、うす暗い倉庫の前を通った。倉庫の周辺は照明が無く、夜になると光が当たらない。その暗がりに、腕組みをして壁に寄りかかって立っている不動がいた。ゴーグルをかけていなければ気付かないで通り過ぎただろう。
 何をしているとも言わず近付いていって、仏頂面を突き合わせる。いっそのこと居なければ良かったのだが、それはそれとして、不動も期待しているということだろう。

「用意周到だな」
「イヤ、閉まってンだ」
「何だと……」
「カギはおっさん」

 一瞬で思考回路を四方八方へ数十回巡らせる。辿り着いた結論は、自分でもやや意外だった。このまま解散して部屋へ戻れば良かったのに、こんな思い上がったモヒカンなんぞ無視して放っておけばいいのに、体は逆の選択をしろと訴える。だからといって、決して肉欲に負けたわけではない。それなら、相手が誰でも構わないはずだ。そこが解せない部分の一つだ。

「……来い」

 鬼道は、眉間のシワを増やしたまま歩き出す。目撃者がいないかどうかに最大の注意を払いつつ、道からだいぶ逸れた茂みの中へ入っていく。丁度良いところにヤシの木があり、滑らかな幹を労うように軽く叩いた。

「オレを待っていたとはな……クズ」
「そっちこそ期待して来たんだろ、ヘンタイ」

 変態呼ばわりされて黙ってはいられないと思ったが、それを見越してか不動は唇を塞いできた。息遣いと波音だけが聴こえている。

「ソッチ向けよ」
「指図するなクズが」

 追い立てられているというよりはコップの水が溢れてしまいそうな性急さで、ジャージのズボンを下着ごと脱いで丸め、持ったままの手でヤシに掴まる。

「あまり音をたてるなよ」
「てめェが言うかよ?」

 突き出した尻を愛撫されるこの体勢は若干の屈辱を伴ったが、今はそれどころではない。繰り返す失敗も、今は目を瞑ってやるという気になっていて、それは寛大というより一つのこと以外に注意を払うのが時間の無駄に思えるからだった。
 だが実際、声を出さないようにするのはかなり苦しかった。突き上げられるたびに吐息がこぼれ、熱い唾液が舌を濡らす。心臓は強く激しい鼓動を打ち鳴らし続けている。

「……ッ!!」
「ッ……! ぐ……ッはァ、――!!」

 今まで体の内側で暴れ回っていたものが、絶頂後の数分間、欲求が満たされることによって完全におさまるのを感じ、鬼道はヤシの幹にしがみつく。砂漠のような体に、潤いが与えられる……そんな表現では陳腐な上に生ぬるい。むしろ渇いた地面を突き剥がして、地底に眠る熱い奔流を呼び覚ますかのようだった。
 一分一秒も無駄にできないほど、快楽を貪る。だが、ただ快楽に耽っているわけではない。精魂を吸い尽くす勢いで求め合うこの行為が、良い意味で明日の試合に影響すると分かっていた。




 ★




 優勝はやはり嬉しかった。当然だとは思ったが、それでも、チームの皆とハイタッチを交わし、肩を抱き合うことに抵抗を感じないほど嬉しかった。
 努力によって勝ち取った勝利ほど、身に沁みわたる歓喜はない。それまでの積み重ねが厳しく耐え難いものであればあるほど、結果の達成感と喜びは増すものだ――。
 自分がいれば世界一のトロフィーなど容易いと思っていたが、やはり栄光に輝いたのは仲間のおかげだということも、多少は認めるべきだろう。帝王たるもの、有能な部下を率いてこそ。そして繁栄と躍進を続ける帝国に君臨する真の王には、相応しい伴侶が存在せねばならない。
 帰りのバスの中、そこまで考えて、鬼道は疑問を感じたが、何に疑問符が付いたか思い当たる前に佐久間が話し掛けてきて、思考を遮られた。

「帝国学園だ! もうすぐだぞ、鬼道」
「クッ……長い旅も、終わってしまえばあっという間だな」

 バスから下りて、監督と仲間たちに別れを告げる。豪炎寺とは熱い視線を交わした。円堂、染岡とは、拳をぶつける挨拶に付き合ってやった。一歩後退し、佐久間と並んで見送る。青いバスはこれから地方を回り、各自の家へ送り届けるようだ。
 エンジンがかかり、騒がしい連中が手を振るのを、腕組みしたまま眺めていると、窓にちらりとモヒカンが見えた。どこへ隠れていたのか、最後の最後になって窓から無表情に覗いているので、睨み返してやった。
 決勝が終わってからは、ほとんど口も利かなかった。取材や祝勝会が続き、堪えていた疲労が一気に出てきたなど、色々な理由が重なったのは一因だが、それに加えて不動は意図的に"別れを伝える場面"を避けているようだった。

(クズに告げる別れの言葉などない)

 だが、よく考えたら連絡先も聞いていない。二つ折りの携帯電話を反対側へ片手で折る前に、思わず地面へ落とす。佐久間が秒速で拾ってくれた。折らなくて良かった。どうせきっと、またどこかで、すぐに会うだろう。そうしたらまた緻密な作戦を練らなければならないと思うと、何故か心が躍る。不倶戴天の敵とは、こうでなくては。
 ……しかし、なぜ緻密な作戦を練らなければならないのだろうか? 鬼道はまだ、正体不明の感情と闘っていた。




つづく






2015/03
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©2011 Koibiya/Kasui Hiduki