<鬼道有人の炎情>




おかしいにも程がある。なんだってこれほどまでに精神をかき乱されなければならないのか。
携帯電話の番号もメールアドレスも知らないまま、連絡も無く二週間が過ぎた。本当に何の連絡もない。佐久間や源田、他のクラスメイトには少しも素振りが見られず、ポストに手紙もない。FFIが終わったばかりで、鬼道は全校生徒から救世主の如く崇められていたが、本人の機嫌は悪くなる一方だった。
メディアに単独であんな二流の名前が載るなんてまずあり得ないが、あれでもFFI優勝に貢献したプレイヤーだ。念のために一応チェックする。もしかしたら、どこかの弱小チームにスカウトされたかもしれない。しかし、やはり何もない。
こうして確かめる毎に、フラストレーションが蓄積していくのが分かる。

(クズはクズでも、その程度のクズか。見損なったぞ)

よく考えるまでもなく、こんな事に固執するのは馬鹿馬鹿しいと思ったので、新学期に向けて思考を切り替えた。全校生徒の男女を、顔、体格、それから部活や趣味で性格を大まかにチェックし、ふるいにかけていく。候補として、6人の男子と2人の女子が残った。
それからまず、実際に会い、どんな様子なのかを窺う。クラスメイトとふざけているならまだ良し。一人で窓の外を眺めているのは疎外感に包まれているが、5分様子を見た感じだと彼女は自閉的と言うよりただの空想家のようだ。いずれにしても気が重い。
下調べをした結果、3人に減った。そのうちの1人から入念に調べ、然り気無く行動を共にする。夏休みだからか、よく図書館にいるようで、近付くのは容易だった。3日続けて顔を合わせれば、向こうも警戒心を解く。そこを狙って、食いつきそうな話題を出す。例えば最新作のテレビゲーム、今週末公開予定の映画、来月中旬に開催予定の体育祭のこと……など。

(餌に食いついたな)

陸上部副部長、同学年、顔もそこそこ整っていて性格も悪くない。中学一年の時から知っているので、共通の思い出話をネタに笑わせてやることもできる。そして何より、鬼道に興味を持っている点が、うってつけだった。
夏休み前に発売されたばかりの最新ゲーム機を持っていると話し、家に招く口実を作った。購入を検討しているので、遊び心地を試したいらしい。

「じゃあ、土曜の一時に駅前で。楽しみだ」
「フッ……」

だが実際に土曜の一時、迎えの車を出して駅前で彼を乗せた時点で、計画は失敗に終わったと分かった。仰々しい出迎えに驚く一般人、ごくふつうの清潔感のある私服で、鬼道との会話について行ける程度の頭脳は持ち合わせている。
だが、それだけだ。高揚感の無さに興醒めした。好きでないのに父が付き合いで買ったリンゴ酒なら良いだろうと持ち出してまで泊まらせようとしていたが、数時間ゲームで遊ばせて、くだらない会話をして、夕食前に帰してしまった。

(……オレは何がしたいんだ?)

唐突に、己の行動の浅はかさに呆れ返る。誰でもいいなんて誰が言い出したのか、とんでもない考えだ。鬼道家の長男は、節操の無いスケコマシではない。
さっさと夕食を食べ、入浴を済ませ、早めにベッドへ入った。
何故か、嫌いな奴の顔ばかり浮かんでは消えていくが、二週間近く経って何の連絡もないなんてクズのクズ以下だ。何度も考えたが、礼儀や色々な点から見て、こちらから連絡をとることは当然するべきではない。するはずがないし、したくなかった。









九月になって、転校生が現れた。やっとだ。クラスが違うことは想定範囲内だったが、怒りは頂点に達した。
部活へ行く前に、サッカー棟の反対側にある二年生の寮へ急ぎ足で向かい、蝶番が外れそうな勢いで、とある部屋のドアを開けた。ドアノブが壁に当たって凄まじい音がする。

「この……っ人間の基本すら出来ない失礼極まりないクズがァァ!!!」

閻魔のような形相のドレッドゴーグルがマントをなびかせて、殺気を放っているだろうことは自分でもよく分かっていたので、サッカー部など人のいるところで再会するよりはふたりきりの方が良いと思った。殺気立つ自分の姿を見られるのはむしろ好ましいが、理由に問題がある。

「はァァ!? 人んち勝手に開けて言うことがそれかよ!」
「いつまで経っても来ないからわざわざオレが出向いてやったんだ有り難く思え!!」

ズカズカと上がり込んで、不動の腹をぐいと蹴り倒す。何となく、こんなクズに感情をぶつけるところは誰にも目撃されない方がいいと思った。
背後で怯えたドアがそっと閉まり、鬼道は相変わらず失礼な態度に腹を立てながら、同時に怒り以上の喜びを感じる。

「はあ? 何言ってんだ。オレはかったりィ手続きとか案内受けて今やっと部屋に――」
「原因の分からない中途半端な状態が一番嫌いだと言っただろうがこのクズ!!」

言い終える前に遮って靴底で踏みつけると、その足首を両手で掴まれた。触れられたという久しぶりの感覚が熱を呼び覚ます。

「じゃあオレに絡んでくンのやめりゃあいいだろォ!?」

しかしズボンごと足首を掴まれている感覚が気色悪いので、勢いよく足を引く。不動は大人しく手を放した。

「てめえのセフレになった覚えはねぇぜ」
「何だと? 貴様こそ何を言っているんだクズ。貴様の態度が気に食わないから貴様自身が原因そのものだと、何度言ったら分かるんだこのクズが!!」

だからお前の態度を改めるか、せめて態度の理由を教えろと言いかけたとき。

「クズクズクズクズって……うるっせェエんだよッ!!」

ギラッと青緑の目が閃いた。上体を起こした不動に胸ぐらを掴まれ、勢いよく引かれて膝を着かざるを得ず、屈辱を感じる。

「きさッむぅぅ……ッ」

唇を塞がれて何故か、悪い気はしない。むしろ胸の奥で待ち構えていた何かが、一気に燃え上がったようだった。それは不動も同じらしい、灼けるように熱い舌が歯列を割って、些か乱暴に絡みついてくる。いつの間にか暴力は忘れ、記憶を辿る体が欲しがるままに応えていたが、不動の様子がおかしい。

「ゥゥ……ンンッ、フゥ……」

まだキスしかしていないのに、全て終えた後のような激しい呼吸を繰り返しながら、喉の奥から唸り声を洩らす。
困惑もあって生まれた隙に、不動は鬼道の腕を掴んで横へ転がし、うつ伏せにした。下着ごとズボンを一気に引きずり下ろし、露になった尻に触れる。

「やめろ、クズ! こういうことをしに来たんじゃ――」

不動は正気を失ったのか、聞く耳を持たず、まだ解そうともしていない鬼道の秘部へ性急にぺニスを挿入してきた。

「くっ、やめろとッ……言って、ぐぅうっ……!」

潤滑剤もなく、コンドームもない。後ろから突かれる乱暴な律動と痛みに耐えるため、しっかりと体を支えて踏ん張るが、引き裂けそうな痛みに、力は入れられないと知る。フーフーと長く息を吐いて冷静さを保とうとするが、どうしても手がもがき震えた。

「き、さまァ……ッ」

だが、奥は蕩けてきた。さっきまで燻っているだけだった炎が全身を駆け巡るのを感じ、強く熱い息を吐く。痛みと快楽を受け入れながら、思考を巡らせる。不動が達するのは早かった。

「ン゙ア゙ッ……ア゙ァーッ……」

体内で起こった爆発を受け止め、ガクガクと痙攣する不動の体重に耐える。大量に注がれる精液の濃厚さに下腹部が痺れ、脳が震えているのを、意識の端で知った。
不動はまだ全身を震わせながら、中毒症状に抗えない中毒者のように、再び腰を揺らし始めた。ぺニスは硬いままで、しかし今後は精液が潤滑剤の代わりになる。

「んぐぅっ……はァァ……」

自身の欲さえコントロールできないような奴は愚かで醜いと思っていたが、どうやら少し違うらしい。擦れ合う肌から感じるのは、野生のような本能の震動。
自分は、犯されて悦んでいるのではという可能性に辿り着いて、一瞬絶句した。だからこの足は、腕は、さっきから抵抗をしようとしないのか。
まさか。と鬼道は思うが、同時に納得もした。満たされていると感じる。何が満たされているのかと思えば、これは独占欲だ。一人のそこそこ優秀な人間が、二週間禁欲したあと再会したくらいで正気を失うほどのめり込んでいるということが、とてつもない愉悦をもたらす。

「ガッ、ァ、……ッハァ、ア゙ァ、」
「く……はぁ……、んゥうっ……!!」

次の瞬間、ある箇所を突き上げられて目の焦点がブレた。呼吸がうまくできなくなって、狂ったように喘ぐ。不動は理性を失った獣のように動いている。彼の唾液が肩に垂れ、本能なのだろうか三度に一回は急所を突かれて、忍耐も限界を感じた。

「ぐゥッ、ンぅッ……ゥぁあッ……」

次第に声が抑えきれなくなり、淫らな声を途切れ途切れに吐く。
だがそこで、声もなく、不動が二度目の熱を吐き出した。鬼道に覆い被さったまま、不動は腰を揺らす。体の内側で再び性器が硬くなるのが分かった。

「おい……っ、」

さすがに同じ体勢で続けるのは不満が強すぎるので、無理やり体を反転させる。一瞬だが繋がりが解かれたとき、不動は怒り焦って、臭いで鬼道を探し、繋がりを戻そうとした。
やっと正常位に落ち着いた時、不動は唇を押し付けてきた。

「ん……っ!」

相手が理性を失っていると考えていたので、意外な行動だと思った。たまたま重なっただけではない証拠に、不動は角度を変えて唇を喰み、次第に強くなってきた腰の動きに合わせて舌を絡める。仔猫が母猫の乳首を探し当てるのと同じように、ごく自然な動作で。

「ふぅ……ッぅ! ぐぅ……んア、ア゙ァ……ふど……ッ!!」

悦びを感じるのは、彼の全身から発せられる魂の叫びを感じるからだ。痛いほどに、もがきながら求めてくるさまを眺め、歓喜が包み込む。

「ぅぐぅうっ……ぅぁ、んあ゙ァァ――ッッ!!」

色恋沙汰になど振り回されず、どんな感情だって支配してみせる。そう、思っていた。






起きたら殺されると思ったが、服の乱れを直して腕組みし、あぐらをかいて座っているという反応は少し意外だった。起き上がってもジロリと睨まれるだけ。赤い目は、ただ疲れているようにも見える。よく見れば自分も、着たまま思い切り崩したはずのズボンは整えられていた。

「あれ……まだ居たのか」
「何を寝惚けている、クズ。……見苦しいから直したぞ」

どんなに蹂躙しようとしても、硬質なクリスタルのようにヒビすら入らない彼の、口端がわずかに持ち上がる。挑発に感じるし、普段からの苛立ちに事後の照れ隠しが混ざって、好戦的な口調になってしまう。

「そのクズっての、やめろよ」
「クズはクズだ、何が悪い」

頭に来て思わず、FFIが終わってからずっと考えていたことを口に出した。

「いっぱいオトモダチがいるだろ。オレじゃなくたって、他にもセフレとかいンじゃねーの? そうでなくとも、お忙しいでしょうからとっととお帰りになったらいかがですかっての。ヒトのこと振り回すのも大概にしろよォ」

最後は大きく伸びをしながら言うと、一瞬固まったあと鬼道は笑いだした。

「ク……クク……ハハハハハッ!」

楽しげな笑い声は、望み通り相手を不愉快にさせる。

「それは貴様の方だろう。オレを振り回そうといっても、そうはいかないぜ」

そう来たか、と不動は顔をしかめた。言われるような気はしていたが、実際に言われてみると何も言い返せない。至近距離で、射るつもりで見つめた赤は、貴族や泥棒が喉から手が出るほど欲しい宝石みたいに妖しい輝きを放っている。

「本気だったらどうすんだ?」
「何……?」

その赤がわずかに揺れた気もするが、見間違いだろうか。眉間のシワが増えたのは分かる。

「オレがアンタに本気で惚れたら、どうすんだよって聞いてンの」

鬼道は動じなかった。

「……クハハッ。どうするも何も、オレには関係の無いことだ。お前の言う通り、この思春期の有り余る性欲を一瞬でも解消する相手は、貴様でなくとも務まるしな」
「フーン……」

望んだ答えなど得られないのは分かっていた。
立ち上がり、やけに静かな沈黙が訪れる。何の音もせず、思い切って意図的に大げさな動きで鍵を取り出した。キーホルダーが音をたてる。

「……もう暗いし、帰れば? オレ飯食いに行くから」

きっかり三十秒、やっと鬼道はおもむろに立ち上がって出て行った。一言も発さず、不動を見ようともしない。
鬼道が去っていくのを確かめてから、別の棟にある食堂へ向かった。
自分のしたことは、朧げながら覚えている。大切な秘孔は動くたびに悲鳴を上げているはずなのに、鬼道は平然と、立ち上がった時に一瞬よろけただけで、歩いて帰っていった。ストレートに罵られ蹴られるよりずっと恐ろしい。
その後ろ姿を見て、抱えた感情がムズムズと顔を出すが、無理矢理押し込めてフタをする。もう一度、ゼロから考え直さなければ。予想以上に手強い相手のようだ。ラーメンの麺まで腕に絡まるドレッドに見えてきそうだったので、安眠を願って夕食はあんかけ丼にしておいた。






帰り道は迎えの車を頼み忘れるほど動揺していた。動揺していることすら気にしていなかった。帝国学園を創ったのは先代の鬼道の家長であるため、邸は目と鼻の先に建っている。その10分程度の道のりを、ジワジワと秋の虫の羽音を聴きながら歩く。
風が肌寒くなってきたが、鬼道にはちょうどいい。頭も体も火照ったまま、ウイルス感染かと疑うレベルで熱っぽい。まさか病気持ちだったのか。

(本気だと……だったらどうするだと……!?)

今まで考えたこともなかったことを人に先に言われるのは癪だ。特に彼にだけは言われたくない。そう思いつつ、もし思考の先回りができるなら彼くらいかもしれないとも思う。

(だが……ヤツは、オレのことをセフレ呼ばわりしたな。人の気も知らないで、何が「帰れば?」だ! クズの極みめッ)

一旦怒りが湧き上がると、次から次へと芋づる式に込み上がってくる。

(そもそもあのクズと連絡が取れなくなってこっちは迷惑していたというのに、会ったら会ったで爆発させやがった。おまけに、このオレに向かって「とっとと帰れ」だと……)

思い切り粉砕する勢いで電柱に拳を叩きこもうとして、すんでのところで手が痛くなるからやめておけという理性の声を聞き、豪炎寺と突き合わせる時くらいの力加減にとどめておいた。それでもトラックが空から落ちてきたかのように、空気が震えて歪んだ。漆黒の瞳と芸術的な曲線を描く眉は、今頃どうしているだろうか。何も考えずにボールを打ち込み合いたい。そんなことをしても問題は解決しないと分かっている。ひりひりと痛む臀部を堪えながら、あの快楽の先に何があるのか知りたいという欲求は、おさまるどころかむしろ更に増大したようだ。
現実逃避を求めてもがく足を何とか動かし、無いとは思うが念のため主治医に診てもらう日程も考えながら、鬼道は家の門を二度通り過ぎ、三度目でやっと帰宅した。玄関に入った瞬間、携帯電話の番号もメールアドレスも聞きそびれたことを思い出し、絶望的な音をたてて鞄が落ちた。




つづく




2015/10
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