<鬼道有人の色情>



 何がおかしいか分かっているはずだが、まったく理解できない。
 いやそもそも、理解できないこと自体がおかしい。なぜなら鬼道有人は天賦の才能に恵まれ、解けない問題はない秀才であり、周囲の人間たちの心の機微も理解できる真の帝王であるからだ。
 ――――それなのに。

 鬼道は絶望した。まさか、自分の心に訪れた突然の変化に、これほど掻き乱され、動揺するとは。変化はまだしも、その理由も原因も分からないことがまず問題だ。

 あれから、インターネットで "セフレ とは" と検索をかけ、少し調べてみたのだが、とあるページには "愛情のない、性欲を満たすためだけの関係" とあり、とあるページには "男女での捉え方の違い" などと解説されており、そもそもその言葉の持つ価値観にうんざりして、大体把握できたし早々にやめてしまった。やはり間違っている。
 念のため、検索履歴は消しておいた。問題ないとは思うが、いつ何があるかわからない。


 ――――こんなオレじゃなくたって、他にも優しいセフレとかいンじゃねーの?

 そんなことよりも、不動の発言がまだ引っかかっている。不動が自堕落な関係を望むことも十分に有り得るが、本当にそう望んでいるのだろうか。根拠はないが、発言と本心は別なのではないかと鬼道は感じていた。そもそも天邪鬼な奴のことだ、正反対でもおかしくはない。だがその場合、一体どうなるのか、そしてどうしたらいいかが分からない。
 確かに古代ギリシアなどを例に挙げてみると、帝王というものは女性つまりセフレに囲まれている。女も、時には美少年も、選び放題である。それが権力、強さの象徴とさえ思われている。だが、それによって帝国は滅びたのだ。やはり間違っている。

 理想の伴侶とは? ――鬼道は頭痛の予感がして、目を閉じて深い息を吐く。

 携帯電話が豪炎寺からのメール着信を知らせ、鬼道は思考の渦から抜け出した。勉強も恙無く終えたところ、後は入浴して休むだけだったので、呼び出しに応じ河川敷へ向かう。夜の電車は時々こうして使用するが、反対側のホームが帰宅途中の大人たちで溢れかえっているのを眺めながらガランとした車両に揺られるのはなかなか面白い。
 数年後には自分たちはどうなっているのだろうか、と最近考えるが、どうせサッカーを極めるべく探求を続けるのだろう、それができていれば他はどうにでもなるし、それができるように今から努力しているのだという結論に至って、いつも終わる。モヒカンの将来なんて知る由もない。

 帝国学園に高校受験は無い。代わりに、二年生頃から高校生で習うような内容を前倒しで授業に取り入れたり、日々の宿題などは不動が通っていたような公立中学校の三倍はある。加えて、部活での厳しいトレーニングメニューと、自己鍛錬。鬼道は、一時的に雷門中へ移っても帝国学園のペースを崩さないよう自習していた。トレーニングも、勉強も。そのおかげで、帝国学園へ戻っても苦労せずに済んでいる。
 三年生になる前に不動がエスカレーターコースから脱落するのも時間の問題だと、鬼道は思っていた。とりあえずサッカーでレギュラーに留まるほどの成績を上げていれば高校、大学と、推薦枠やスカウトがあるだろうが、サッカーで落ちこぼれ、さらには学問でも基準値以上の成績を確保できなかった場合は、帝国学園高等部へ進むことはできない。カネとコネがあれば、もしくは、天才に匹敵する才能があれば、話は別だが。


 強いライトが照らす夜の河川敷では、燃えるような白金の髪が、ラフなシュートを何本か撃ち込んでいた。
 燃えカスを散らしてゴールネットに穴を開けそうなほど激しい、しかし優雅な曲線を描く美しいノーマルシュート。続いてもう一本、勢いよく跳ね返ってきたボールが整備された芝の上に転がる。
 さらにボールを蹴った時、鬼道は素早くゴールネットとの間に飛び込んでボールを止めた。驚きに見開いた黒曜石が、次の瞬間にはフッと微笑する。
 二人しばらく無言でボールを追いかけた。シュート時のキック力ではさすがに敵わないが、ドリブル勝負ならば負けはしない。だが豪炎寺もなかなかだ。

 ひとしきり駆け回って一旦中断し、ボールを足の下に止めたまま鬼道は尋ねる。

「……それで、何の用だ」

 豪炎寺は、驚いたような顔をした。驚くのはこっちだ、と鬼道は思う。
 やがてその端正な顔は、ライトを背にして、先程の挑戦的なものとはまた違う、やや柔らかい微笑を浮かべる。

「もう済んだ」

 その一言で、鬼道は一瞬にして理解した。なるほど。さすが喜びも辛さも分かち合った莫逆の友、会って一瞬で鬼道が何かに悩んでいるのを見抜き、景気付けてくれたのだ。

「フッ……相変わらず豪然としているな」

 敢えて、相手にボールを渡す。豪炎寺はフッと笑みを浮かべて返事の代わりにし、受け取ったボールを蹴って再び駆け出した。
 そう、親友とは、真の男とは、こうでなくては。どこぞのハゲチビとは大違いだ。そう考えて、鬼道は眉間にシワを増やした。またアイツの事を考えている。
 それからしばらく、まことの親友と非常に有意義な時間を過ごして、遅くなりすぎないうちにそれぞれ帰宅した。



 ★



 そもそも帝王たる者、毎日毎日このような苛立ちを抱えるなど言語道断。なんと懐の狭いことか。だがそれもこれもすべてアイツのせいだ、と鬼道は奥歯を軋ませる。すべて不動明王とかいう一人の転校生のせいだということだけは、分かっているのだ。
 ――ああ、いかんいかん。帝王たる者、懐を広く、何事にも動じない分厚い精神を保たなければ。他人のせいにしている場合ではない。まったく、くだらない。オレは何をやっているんだ。というわけで、鬼道は半ば無理やり機嫌を取り戻した。

 取り戻してしまえば、何ということはない。金曜日は優雅に四センチ厚さのもっちりしたフレンチトーストと搾りたてオレンジジュースの朝食をゆっくり平らげ、いつもと同じ時間にパリッとした制服としなやかなマントを身に纏って登校する。教室へ入れば、クラスメイトたちと爽やかな挨拶を交わす。
 やれば出来るじゃないか。ああ、当然だ。
 鬼道は本来の自分を一瞬にして――フレンチトーストの一口めをゆっくり咀嚼する間に――取り戻し、それを維持していることで、上機嫌だった。


 ――――オレがてめぇに本気で惚れてたら、どうすんだよって聞いてンの

 頭のなかに奴の台詞がこだまして、鬼道は拳を、切り揃えた爪が手のひらに食い込むほどきつく握り締めた。だが、問題ないとすぐに手を緩める。
 全くもって、ふざけている。あんなふざけたヤツのことなど、気にする必要はない。貴重な青春時代、一瞬たりとも無駄な時間は過ごさない。それが鬼道の答えだった。



 同じくらい上機嫌だったが、そんな鬼道の様子を見て一気にテンションが下がった不動は、激しい苛立ちを抱えながら、しかし意外と大人しくしていた。
 FFIでの功績を認められ、雷門中と帝国学園、そして他にも、サッカー強豪校から転入の誘いが来た。迷わず選んだ帝国学園に入って一ヶ月、相変わらず一匹狼スタイルを貫く不動だが、佐久間や源田が普通に友人として話し掛けてきたり、むしろちょっかいを掛けてくるのに応じていたら、それを見た周囲が不動への対応の仕方を学んだらしく、今ではサッカー部以外でも仲間と呼べるような存在が何人か出来ていた。

 だが、鬼道は別格だ。
 不動にとって、同級生、クラスメイト、先輩、後輩、サッカー部の面々といったその他大勢と、鬼道有人の存在は、位置付けが全く違っていた。周囲の男女に抱かない激しい感情や欲望を、鬼道には抱く。彼を超えようと努力する、その過程でならどんなこともできた。ただ、真っ当な道でないと彼を超えられないと分かっていたから、危険な部分には手を出さないだけだ。

 身体を繋げてしまったことで、不動はある意味では優越感に浸ることができたが、同時に屈辱的な程の支配を感じてもいた。鬼道に与える快楽を己が作り出していると同時に、鬼道から与えられる快楽に中毒している。
 現に、一ヶ月前、再会した時は激流のような欲望を理性で抑えきれず、文字通り鬼道に襲い掛かって好き勝手に犯してしまった。大してお咎め無しのまま、むしろあれから変わらない態度で接してくることが信じられないくらいだ。元々、好感度の高い態度ではないが。
 しかしその時、体だけの関係じゃないのかとカマをかけたら、明らかに不機嫌になった。だったらこの関係は何だ。鬼道は一体、何を考えている……?
 悩みながら、部活に勉学と、転入したばかりの帝国学園のレベルについていくのに精一杯で、気付いたら一ヶ月が経っていた。答えが見つからない、見つけさせてもらえない、それが不動の目下の悩みであった。



 ★



 実りある部活動は、今日も順調に終了した。各々フェイスタオルで汗を拭きながら、ドリンクを少しずつ口に含んで喉を潤し、筋肉組織の疲労を回復させる。鬼道もマイボトルから口を離し、フゥと息をつく。
 ふと、寄せばいいのに視界に入ってしまい、不動の肩に掛かっているフェイスタオルを見てしまった。それはどう見てもブランド物どころか明らかに安物の、フェイスタオルというより、例えば一般家庭のキッチンで台を拭いたり手を拭いたりするのに使う薄緑色のぺらっとしたタオルとすら呼べない代物で、何度も洗いすぎてところどころほつれていた。

「おい、その雑巾は何年使っているんだ」
「これ? ずっとだけど」

 ずっと、とは……?
 まずコミュニケーションがおかしいだろういい加減にしろクズと言いたいのをぐっと堪え、鬼道は眉間のシワを増やす。思い出せ、自分は器の広いほうの帝王だ。

「タオルを買う金くらいはあるだろう。帝国サッカー部の一員が、そんなみすぼらしいボロぞうきんを使うな」
「ボロぞうきんって……使えるから使ってンだよ」

 こめかみが引きつる。さぁ、ここで器の広い帝王ならどうする?
 鬼道はスゥーッと深呼吸して、口を開いた。

「……買いに行くぞ」
「え……、今からかよ?」
「フン、日曜に決まっている」
「明後日? どこへ?」

 質問の多い奴だと思い、すぐに鬼道は自分の方が説明不足であることに思い至った。

「オレが行くのは、稲妻スポーツショップだが」
「何時に?」
「昼食を終えて……午後一時が妥当だろうな」
「りょーかい」

 ここで鬼道はようやく、音信不通問題を思い出した。

「いい加減に連絡先を教えろ。そもそも常識的に考えて、最初に会った時に交換するのがスジだ」
「あれ、とっくに監督か誰かから聞いたかと思ってたぜ。どうりで全然来ないわけだ、メールが」

 ふざけた答えが返ってきて鬼道の額に青筋が浮かぶが、何とか耐える。

「キサマの連絡先など、心底どうでもいいが、待ち合わせの時は色々と不便だろう。ほら、早くオレの携帯からお前のアドレスに空メールしろ」
「はァイハイ、分かりましたよっと」

 やけに上機嫌に笑った不動の、携帯電話を取りに行く後ろ姿、特にそのやや猫背になった、ソフトモヒカンが特徴的なこだわりの後頭部を眺めながら、鬼道は自分の心もフワッフワと浮いているように感じることに気付いた。これではまるでマシュマロかカステラじゃないか。こんな甘ったるくて軟弱な心を持った覚えはない。
 覚えはなくても何故か、一緒に出掛ける約束をしたという事実が、どうしようもなく気分を高揚させる。一緒に何かをするなら、サッカーの方が有意義ではないか。しかも買い物は、あまりにも不動の雑巾が帝国サッカー部の、ひいてはキャプテンである自分のイメージを損なうものだったため、新調させに行かなければならないのだ。決してハッピーなイベントではない。

 そうだ、サッカーの方が何百万倍も高揚する。しかも有意義だ。だがそれならなぜ、あんな奴の面倒を見る方向でものを考えているのだろうか。
 鬼道は余計なことを考えるのは全て空腹のせいだと結論づけ、不動の後を追ってロッカールームへ向かった。
 自分からタオルを買いに連れて行くと言い出してから、鬼道は何か違和感に気付いたが、なぜなのかまでは思考が回らなかった。それは恐らく、またくだらない違和感の所為だと判断し、そんなことより入念に日曜日とその前後の計画を練ることにした。この時はまだ、くだらない予定が一つ増えた程度にしか考えていなかった。



 ★



 さて日曜日。曇っているが雨の心配は無く、暑すぎなくて、過ごしやすい陽気だ。
 約束の場所へ十分前に着いた鬼道は、すぐにこちらへ向かって歩いてくる不動を見つけ、少し驚いた。一応、時間は厳守できるらしい。

「よお」
「早かったな」
「お前もな」
「……こっちだ」

 ばさりとマントを翻し、行き付けのスポーツ用品店へ案内するため歩き出す。
 不動は「こっから何分?」「いつもその店でシューズとか買ってンの?」などいちいち質問してきたので、会話には困らなかった。

 しかしここで、鬼道は重大なことに気付いてしまった。不動が合計で何枚のフェイスタオルを所持しているか知らないが、恐らく記憶を辿ると一週間で六枚は使っているように見えた。もしかしたら七、八枚あるのかもしれないが、普通にうまく洗濯すれば問題ない量は所持しているようだ。
 今週は水曜日、部活の後で会議室に残り、不動と反省会をした。つまり、主に不動を反省させる会だ。あまり効果はなかった。その証拠に、不動は大して話を聞く気も無いように見えた上、二人きりならではのコトがしたいんだろとにじり寄って来た。思わず唇は許してしまったが、足音がしたので、服を脱ぐ前に解散した。
 それで木曜日には、苛立ちが頂点に達し、鬼道は朝から破壊衝動に駆られたりしていた。幸い、被害は鉛筆三本で済んだが。
 もしかしたら不動も同じだったのかもしれない、そう考えると腑に落ちた。タオルを洗濯する時間が取れなくなるほど勉強も捗らず、相手のことばかり考えて、記憶をなんども辿っては余韻に浸りながらあらゆる意味と更なる手段を考えるような状態。

 ――――いや、まさか。
 鬼道は己の思考を鼻で嘲笑う。そんなことあるはずがない。なぜなら……そこまで考えて、あと一歩、確証は出ていないことに気付いた。

 スポーツ用品店では、実にスムーズに用事が済んだ。帝国学園サッカー部メンバーのほとんどが愛用しているブランドのタオルを勧め、不動は勧められたタオルを黙って購入し、あっという間に解決した。
 店から出て、暫し無言のまま立ち尽くす。

「せっかくここまで来たのだから、公園でも通って帰るか」

 休日の午後の広い公園は、弁当を食べ終わってのんびりしている人がたくさんいた。子供たちは色々なやり方で遊び回っている。遊具を使ったり、道具を使ったりして、笑い声をあげていた。
 彼らを横目に見ながら、急ぎすぎないテンポで並んで歩く。どこかで小鳥のさえずりが聴こえ、日差しはぽかぽかと暖かい。
 ……これはもしかして、もしかしなくても、いわゆるデートというものなのだろうか?
 いや、何かがおかしい。鬼道は混乱の中で呻いた。
 そもそもが間違っている、根本的なところの回線を違うところに差してしまっている気がした。テレビの配線を一ヶ所でも間違えたら、映らないのは当然だ。だが分からない。根本的なところとは?
 鬼道は、史上最悪の“分からない”という苛立ちを抱えると同時に、衝動を抑えられない自分を恥じてもいた。そのために余計に思考が混乱しやすくなっていた。

「来い」

 駅へ続く通りへ出るため出口へ向かっている途中、腕を掴んで引っ張ると、不動は足を速めて前へ出たので、引っ張る必要が無くなった。意地でも歩調を合わせてくる、反抗的な態度。
 タオルの入った高密度ポリエチレン製の袋をカサカサ言わせながら歩く不動を連れて、ざかざかと二分ほど、ひと気のない駐車場の脇へ行き、自動販売機の裏の木の陰へ入る。ここならすぐそばの看板と自動販売機が目隠しになって、通りからはほとんど姿が見えないはずだ。公園側からも、木や茂みが目隠しになっている。
 やっと一息ついた鬼道は腕組みをして仁王立ちになり、目の前のモヒカンを睨みつけた。余裕を見せつけて、順序よく希望を叶えるつもりだった。速歩で来たせいか、心臓が高鳴っている。

「キサマ……」
「なんだよ」

 すかさず不動が、距離を詰めてきた。ここまでは想定範囲内だ。だが、そのまま奪われた唇の感覚が呼び起こす情熱の温度は、想像を遥かに超えている。

「んッ……ふゥ……ッ」

 舌を絡ませ、手で相手の首を掴みながら、淫らなキスに夢中になった。
 自然と腰が揺れ、股間を擦り付けあう。無意識だったことに気付いて、鬼道はやや不機嫌に吐息をこぼした。
 不動はタオルの入った袋を近くの地面に置き、自分のズボンのジッパーを下ろし、次いで手早く鬼道のズボンのジッパーも下ろした。下着もずらして、みるみる硬くなっていくペニスを露わにし、擦り付けようとしてくる。通行人が来ないことを確認しながら、鬼道も自ら下着を下ろす。外気がひんやりするが、そんなことはどうでもいい。体は熱くてたまらない。

「あぁ……、ンっ、鬼道……、後ろ向けよ。もっとキモチいいコトしようぜェ……?」

 勃起したそれを鬼道の股間に擦り付けながら、不動は呟くように言う。普段より低い声が耳元でやけに濡れて響くので、少し驚かないでもない。だがやはり、所詮はヤりたいだけのクズだ。

「こんな所で、ふざけるな」

 勝手なことをしないよう、先に不動のペニスを掴んだ。刺激を与えられ、大きくなって喜ぶ哀れなペニスを、握った瞬間、離し難くなる。手の中で脈打ち、太く張り詰めたそれが、もっと強い快楽を与えて欲しがっていることが伝わってくる。同じ男の体だ、些細な反応でもどう感じるかは大体分かる、そういった原因もあるだろう。

「惨めだな」
「ハッ、そう言うてめぇは、どうなんだよ」

 不動の手にペニスを掴まれ、思わず生唾を飲み込んだ。ゆっくりと扱かれて、腰が揺れ、膝が崩れそうになるが、何とか耐える。だが尻の穴が疼き、体中が叫び出す。物足りない。もっと欲しい。手の中で震える、この、太くて硬い――。





 半ば自暴自棄になって、不動のペニスを擦った。達した時にズボンへ精液が掛からないように、横に並んでしゃがむ。頭を傾けてお互いの額を付け、乱れる呼吸だけを聞きながら、草むらに欲望を吐き出した。

 しかし体は、こうじゃないと文句を言う。出すものを出しても、疼きは収まらないどころか、かえって逆効果になったようだ。

「……お前の寮に来客予定は無いな?」
「ねぇよ」

 答えなんかどうでもいいといった様子で舌を伸ばしてくる不動を押し退け、鬼道は立ち上がって身だしなみを整える。

「帰るぞ」

 マントをばさりとひるがえした鬼道を見て、不動はニヤリと口角を上げた。



 帝国学生寮、中等部生一般棟。不動に宛てがわれたのは一番ランクの低い部屋だが、それでも最低限の家具と冷暖房、個室トイレ付きだ。壁の厚さはそこそこ、テレビの音は聞こえない程度だが、さすがに大声で叫べば隣に聞こえるだろう。風呂は共同で、食事は食堂へ。不動にとっては十分な環境だ。
 日曜の午後である現在、学生寮の住人はほとんど出払っているらしい。しかし油断はできない。静まり返った通路を、何故か背徳感に苛まれながら、足音を忍ばせて進んだ。

「隣は居るのか?」
「オレが出る前に出かけたぜ」
「なら、今ごろ帰っているかもしれないな」
「いや、アイツ土日もお勉強デーだから、よっぽど具合悪くなきゃ帰ってねぇと思う。コッチの奴も」

 不動は両隣の住人のことを、来て一ヶ月で大体把握したようだ。この寮に住むような最低ランクの学生たちは、休日も朝から晩まで予習しないと期末試験に間に合わない。ある程度上のランクの学生たちは、隣に建つもう一つの寮を宛てがわれている。
 試験で学年総合順位が上がれば、不動も移れるかもしれないが、何か問題を起こせばそこで終わりだ。例えば、休日とはいえ学問を究めるべき寮の部屋で、性行為に及んでいるところを寮監に見つかるなど。
 だが不動は、せっかく掴んだチャンスを自ら捨てることはしないだろう。

「なら、キサマは校則違反の劣等生か」

 不動が開けたドアを通って靴を脱ぎ、部屋に上がった直後、後ろから抱きついてきた不動に股間を掴まれた。

「っ……何をする、離せ!」
「待ちきれねぇだろ? 校則違反の優等生」
「触るなッ。まずはうがい手洗いだクズ!」

 いやらしい手を振り払って、玄関の脇にある洗面所へ向かう。不動も続く。自分から誘っておいて時間を稼ぐ、鬼道の照れ隠しは見抜かれているのだろうか。

「外でさんざん触ったじゃん」
「そういう問題じゃない。学校で教わっただろう」
「セックスの手順は教わらなかったなァ??」

 ふざけた調子で言う不動を押し退けて手を洗い、口内を濯ぐ。手を拭いている間に、不動が洗面台と鬼道の間に割り込むように入ってきて、せかせかと手を洗い、適当なうがいをした。

「ああ言えばこう言う……そもそもオレは校則違反などしていない。単位を落として困るのはキサマだけだぞ」

 廊下へ出ようと振り向くと、濡れた唇でキスをされた。乾ききっていない湿った冷たい指が首を掴む。不動が口を開いたので、すかさず先に舌を伸ばす。どっちが深く入れるか押したら押し返しとやっているうちに、ほどよく絡まって、熱が上がる。ここは二人きりの場所だという安心感も手伝って、鬼道は耐え抜いた自分のペニスがズボンの中で完全に勃起したのが分かった。
 口だけを離して、不動が笑う。

「ノリノリでヤリに来てンじゃねーかよ」
「フン。外でサカるような猿が目の前にいては、野放しにできんからな」
「猿ゥ?」
「さっさと来い、躾けてやる」

 面白そうに笑う胸を軽く突き放して、鬼道は短い廊下を通り部屋の奥へ向かう。一般学生寮の一人部屋はやや広めのワンルームで、クローゼットは壁の中、あとは勉強机の隣にシングルベッドがあるだけだ。
 そのベッドに座って、ズボンを脱ぐ。追いついた不動が目の前にあるキャスター付きの椅子に座ってズボンと下着を一気に脱いだが、下着姿になった鬼道の股間を見てニヤリと笑った。

「はン、公園からずっと勃ってた?」
「キサマと一緒にするな。オレはちゃんと自分でコントロールできている」

 先程の電車の中では、出した後だというのに再勃起寸前で、ずっと遠くの景色を見ながら、暗記した円周率をどこまで思い出せるかに集中しようとしていた、とは言えない。結局集中は出来なかったが、努力の甲斐あって再勃起は抑えることができた。――さっきまで。

「へェ?、コントロールできてるんだ……」

 不動が素早く、ベッドへ滑るように移ってきて、下着のテントの天辺を親指の腹で、円を描くように撫でた。

「ふゥ……ッ」

 再会してから今日まで一ヶ月の間、二人の関係には何のアップデートもなかった。学校では触れるどころか、色々な理由で目も合わさない日々が続いていたため、一ヶ月前のセフレ発言から、溜めに溜めた久しぶりのセックスということになる。
 世界大会で島にいた頃は、アルゼンチン街の宿屋から始まり、他のホテルや時には海辺の茂みで、何度も体を重ねた。ブランクがあっても、体はこれまでに与えられた快楽の感触をすべて覚えている。

「ずっと勃っていたのはキサマの方だろう。もう出していいぞ」

 ニヤリと口端に笑みを湛え、不動を煽る。しかし勢いよく掴みかかってきたところを見ると、不動も挑発への応じ方を分かってきたらしい。

「ああ出してやるよ、てめぇのナカにな!」

 下着を剥ぎ取って不動はペニスを押し当てたかと思うと、次の瞬間には鬼道の足を掴み、そのアナルへねじ込み始めた。

「ぐぅぅぅッ……! キサマ、んン゛ッ……前戯も、せずッ……」

 狭い穴を押し拡げて、わずかなカウパー液を潤滑剤に、ほぼ無理矢理に貫かれる。だが怒り狂う心に反して、体は期待していたものが得られ、歓喜にうち震えた。
 シーツを握り締め、鬼道は悶絶する。初めての頃に感じた痛みはどこへやら、いま体は貪欲に、更なる快楽を求めて揺れ動く。

「前戯っなら、さっき……公園っで、さんざんヤッたろ」 「ふッ……くっ……とことん、クズだなッ……、ぅンン゛ッ」

 正常位で突き上げられ、しがみつくようにして抱く不動の肩に顎を付ける。彼はわざと、『公園』という単語を強調して言う。舌を噛まないよう歯を食い縛り、時々勝手に開いて息継ぎをする己の口に苛立つことさえ忘れ、鬼道も自ら腰を揺らす。  またしても準備段階をすっ飛ばして攻め込んで来たことに抗議してやりたいのだが、下手に文句を言うと自分も墓穴を掘りそうだ。一ヶ月の間、どのくらい自分で開発していたかなど白状する羽目になったら堪らない。

「あー……やっぱ、このほうがイイッわ……、断然……」

 じっとりと鬼道の背中を撫でながら、恍惚とした声で不動が言う。指先が熱を起こすのにつれて、ゾクゾクと感覚が揺れる。抗議の他にもなにか、考えなくてはいけないことがあったはずだが、掴んだかと思えば意識の外へこぼれ落ちていく。

「あたり……まえだ……っ、は……ッ!」

 そそり勃った屹立が不動の腹に擦れて微妙な刺激を受け、こみ上げる感覚に、目の前の首や頭を無意識にかき抱く。キスをしながら搾り取るように達して、不動も絶頂を迎え、前からも後ろからも精液が溢れた。

「ン゛ンッ――――ッッ!!」

 ビクンビクンッと、体が勝手に震える。かき抱いた頭に、指がめり込みそうなほど強く力を込めたが、徐々に抜けていく。不動のペニスも体内で震えているのが分かり、得も言われぬ気持ちが襲ってきた。ごろりと横に転がり、顔が熱くて、シーツ越しにマットレスへ押し付ける。強く鼻から息を吸う度に不動の匂いがして、羞恥に耐えられなくなり、再び仰向けになると、不動が胸を撫でてきた。

「んっ……」

 ピンと立ってふくらんだ突起を、一度は素通りして往復した手のひらが撫で、二度目は人差し指と親指にやさしく摘まれる。初めて触られた時は何とも感じなかったのだが、今や疼きを助長する程度には敏感になってしまった。
 余裕を持った態度で好きにさせながら、鬼道はなぜか、物凄く腹が立ってきた。いや、ここのところずっと苛立ちは続いているが、それが羞恥心のせいで倍増したように思う。
 しかも今、目の前の自己中心的な輩は、鬼道の体を弄ってその反応を楽しみながら二回戦を始めようとしている。

「いい気になるなよ……」

 不動の腕を強く引っ張り、倒れ込んで来た体を抱き留めて横へ倒すと、鬼道は素早く体勢を入れ替えた。倒した不動の腰に跨がり、ペニスを掴んでゆっくりとしごく。その隣で、自分のペニスが再び疼き始めている。

「ヘッ、分かってンじゃねーか」

「強がりも今のうちだ」

 鬼道は自ら腰を落とし、再び硬くなってきた不動のペニスをゆっくりと、先程の行為で未だ熱いアナルに飲み込む。誰が思い通りになんてさせるか。

「ッん……ぐ……!」

 根元まで埋め込んだときの、下腹部の違和感と刺激は、筆舌に尽くし難い。腰を揺らしても、一番気持ちいいポイントに当てられないのがもどかしく、それがまたじわじわと快感を煽る。

「はぁっ……はぁっ……」
「すげ……っ、ンぁッ……」

 少し腰を浮かせ、不動のそそり勃ったペニスの先端を前立腺の裏へ当てるように導く。やや仰け反ると、グッと先端が押し付けられた。

「ふぐぁぁっっ……!!」

 全身の神経に微かな電流が走ったかのようで、脳髄が痺れる。カウパー液が溢れて不動の腹を濡らし、体が勝手に縮こまった。もう一度仰け反ると、一瞬だけ意識が飛んだ。気がつくといつの間にか、不動の両手の指が腰に食い込んでいる。
 一応気を付けているつもりだったが、鬼道は思ったより自分の声がこぼれていることを自覚してやや焦った。ベッドは壁にぴったりつけて置かれている。もしも隣人が部屋の壁際にいたら、どのくらい音が聴こえているか分からない。――まだ帰っていないことを祈る。
 もし聴こえているとしたって、密告されて困るのは不動だが、下級ランクの寮にいる自分の姿を通路などで目撃されたら、後々面倒だ。――そう頭では分かっているのだが、体はもっと強く、もっと激しい快感を求めて喘ぐ。鬼道は口の奥から呻き声が漏れそうなのを何とか抑えながら、息を吐いてフラストレーションを逃がそうとした。

「はぁっ……、はッ……うッ、んふゥッ……」

 セックスの度にこうして抑えてきたが、それがだんだん抑えにくくなっている気がする。意識が飛んでいることも多い。無意識に目の前の体に抱きついたり、唇にキスをしたりしている。きっと動物的な本能が高まっているのだろう、そういうことにしておいた。

「あー、はァ、マジきもちぃー……おまえン中、やべえ」
「フッ……んンッ……、クッ……! ぁ、はぁア……ッ」

 まぐれなのか繰り返し良い所に当てられ、絶頂が近付いて、やや高い掠れた声がついこぼれてしまった。そして、射精の感覚。頭がまっしろになって、恍惚が覆う。

「は……ぁ……はぁ……っ」
「クッ……きどぉ……ッ」

 ビクビクと収縮する体内が不動のペニスに刺激を与える。鬼道は自分も射精しながら、不動の精液を再び受け止めた。
 血が巡り細胞が生まれ変わって、体を作る組織すべてが細やかにアップデートされたかのような感覚。繰り返す度に、その感覚は強くなっている。



 ぐったりと、だが何とも心地の良い疲労に全身を委ね、仰向けになって、もはや天井を眺めることしかできないが、脳は回転を続ける。まるで百メートル疾走した後のようで、半ば朦朧としているが、凄まじいスピードで回転し、血液が巡っているように感じた。

「不動、問題点が分かった……」
「あん? なんの?」
「買い物とセックスは別々に予定しておくべきだ」
「……はぁ、」

 気の抜けた返事をした不動は隣で、膝を立てて座っている。

「買い物に行って帰るだけの予定だったはずなのに、突然セックスもしよう、となるからおかしい」
「……まァ、そうだな。んじゃ、最初から全部予定しておけばいいわけか?」
「そうだ。どこで何をし、いつどうなるか。最初から計画しておくのが、一日のスケジュールというものだ」
「フーン……さすが、鬼道家御曹司サマ」
「皮肉はやめろ」

 少し、沈黙が訪れる。

「じゃあ、買い物とセックスがセットなのかよ? 違うよな。けど、オレと会ったら必ずヤる訳でもねェんだろ?」
「そうだな……お前イコール、セックス、ではないな」
「それでも別にいいけどよ」

 小声で面白そうに付け足した後、不動は言った。

「そうなると毎回、会う前に決めとかなきゃならねェよな?」
「それは……難しいな」
「じゃあ、途中で決めるわけか?」
「その方が良いだろうな」

 再び、少しの間。

「……で? そーゆーのって、いつどうやって敵にトラップ仕掛けるかみてェにいちいち相談するモンな訳?」
「……それでは意味がない」
「だよなァ」

 呆れたように言って、不動は伸びをした。

「まあいいけど? やっとメールできるようになったし」

 床に散らかした服のポケットから取り出した携帯電話を弄りながら言う不動に、数ヶ月分の苛立ちを思い出す。

「そうだ……その件。ふざけるのも大概にしろ。なぜ早く言わなかった」
「言うほどのことでもないかと思ってさ。そもそもお前からメールなんか来なさそうだし」

 自分でも、些細な事だとは分かっている。しかし不動に踊らされているような気がして、そもそも色々なことで頭に来ているのだ。

「それはこっちのセリフだ」
「なに、お前もオレのメール待ってたの?」
「キサマと一緒にするなクズが」

 早口で吐き捨てたと同時に、不動の言葉が引っかかった。メールメールとうるさいのは、やはり実は、なかなか連絡を取ろうと言い出せなくて悩んでいたのではないか?
 しかし次の一手を考える前に、不機嫌な声がした。

「てめぇは何がしたいんだよ」
「お前こそ何がしたいんだ」
「オレは……別に、」

 自分から言い出したくせに不動が口ごもって、すぐに明確な答えが得られないことに、鬼道は苛立った。

「もういい。……疲れたから少し寝る。六時までに起きなかったら起こせ」

 そう言って、不動に背を向けて横になる。しかし程よい肉体的疲労に身を任せていると、みるみるうちに脳が冴えるのを感じ、眠るどころではなくなっていくことが分かった。
 それでも話し掛けられないように、目を閉じて寝たフリをする。実際は今すぐ三試合くらいできそうな気力だ。むしろ積極的に、頭を使って秀逸な戦略を練り、非の打ち所のない勝利を感じたい。朦朧さも肉体の疲労も収まってきて、あまり気にならない。

 そういえば、イルカはオス同士で交尾の真似事をするらしい。一説によれば、メスに出会わない間、疑似交尾で練習をしているのだとか。だが、中には本気になってしまい、メスには目もくれなくなる個体も存在するらしい。
 そんな動物のことは分からないが、人間は、明らかに感情を持っている。

 そもそも鬼道は、こうなることを昨日のうちに想定済みで、出掛ける前に体を清めてきたほどだ。仮に不動の態度が史上最悪で、到底同じ人類とは思えないほどのことが起こったとしても、また仮に不動がタオルを購入しただけであっさり帰ったとしても、身を清めるのは自分が心地よく過ごせるためでもあるからいいと考えた。
 つまりさっきの押し問答は、負け惜しみのようなものだ。いや、勝ち負けがどうこうではないのだが。

 こんな関係は面倒だ。どうせなら、百パーセント予定にセックスが設定されているほうが単純明快でいい。それか、ゼロかのどちらかだ。しかしゼロは考えられない。
 そう考えて、鬼道は目を開いた。後ろで不動が、携帯電話を置いて寝る体勢に入ったらしい。もぞもぞと動いて、静かになった。この万年発情期のクズが、目敏く関係を持った相手、鬼道にぞっこんなのはよく分かる。権力も魅力も溢れんばかりだ、当然のことだろう。だが、鬼道は自分も、不動を誰にも渡したくないと思っている、独占欲に気が付いた。


 ああ――そうか。これが、恋なのか。

 その単語を使うことに対しては鳥肌が立つほどだが、鬼道は、もはやこれ以上誤魔化せないと悟った。
 非常に恥ずかしく、甚だしく愚かで、くだらないが、それこそ真の帝王ならば潔く認めなければなるまい……、後ろで眠るこのクズ、不動明王に、恋をしていると。


 つづく



2016/10



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