<夜明けの王と紅月の鬼 十六>




 押し潰されそうな心を抱え、鬼道は重い足を押し出すようにして歩く。
 途中、百人で宴会ができようという大きな座敷に、子供達が遊んでいるのを見た。もう辺りはすっかり暗いのに、この屋敷にはどの部屋も不思議な力で天井に明かりが灯っていて、蝋燭よりもよく見えた。
 そこには多種多様な妖怪の子供達が、思い思いに紙を使い、木を使い、小さな竹刀を振り回し、遊んでいた。彼らは皆、心底に安堵を得た笑顔だった。つられたような優しい表情で、風丸が言う。
「こいつらは、みんな親が居ないんだ。一人で生きていけるようになるまで、ここで面倒を見ているのさ」
 五歳、七歳と小さいのも居れば、不動と同じくらいの少年少女も居る。穏やかで温厚そうな細面の雪男と、強面だが温かみのある笑顔を見せる入道が、それぞれ筆と竹刀とを教えているらしかった。
 その中に角を持つ少年を二人見つけ、鬼道は思わず立ち止まった。
「オニの子がいるのか?」
 訊かれて風丸は座敷を見渡し、彼らを見つけてああと合点した。
「アイツらは、厳密にはオニじゃない。《真鬼》と云うんだ」
「マオニ?」
 聞き慣れない呼称に源田が疑問符を浮かべると、佐久間が閃いたようにあっと漏らした。
「聞いたことがある。人間の子にオニの力を注ぎ、オニのような……言ってみれば、半鬼のような者が存在すると。当然、力の有るオニにしか儀式はできないし、代償が大きいわりにその能力はオニより低いとされ、マオニは幻とも言われていたが……まさか、本当に居るなんてな」
「しかも、二人も」
 源田は本当に理解したのか怪しいが、感嘆した様子で相槌を打った。
 鬼道は風丸に言う。
「一寸、呼んでもらえないだろうか」
「おーい! ヒロト、リュウジ! ちょっと来い」
 手招きをすると、二人の少年は竹刀を下ろし、他の子供達の隙間を縫って小走りにやってきた。
「なんですか? 風丸さん」
「あ! ……本物だ」
 鬼道を見て、少年たちは目を輝かせた。見たところ十四、五だが、その額にはそれぞれ二本ずつ、鈍い銀色に光る小さな角が生えている。一人は燃え盛る炎のような赤い髪で、もう一人は生い茂る若葉のような緑の髪を持っていた。
「このひと達はお客だよ。しばらく泊まることになる。ほら、ご挨拶しろ」
「僕はヒロト」
「リュウジです」
 孤児にしては礼儀正しく名を名乗り、短く頭を下げた二人の頭を風丸はぽんぽんと軽く撫でてやった。ヒロトとリュウジは、見上げた風丸が頷くとまた、騒然としながらどこまでも正常な輪に戻っていった。
「アイツらは、元々悪さばかりする子供だった。貧民の出で、庄屋や武家の跡取りとして養子にもらわれたんだけど、虐待されて荒んじまって。でも色々あったけど、マオニになってからは盗みも悪戯もしないで、良い子にしてるよ」
 再び歩き出した風丸について、廊下を進む。
 鬼道はある可能性について暴れだす心を抑え、落ち着いた声で尋ねた。
「誰が、何のためにそんなことを?」
 風丸は客間の襖の前で立ち止まる。
「俺はよく知らないが、照美とかいう、女みたいな顔の奴だった。今はどこにいるか……戦も何度かあったし、海を渡っちまったかもな」
 オニの名を聞いた鬼道の表情がわずかに強張ったのを、佐久間は見逃さなかった。
「そうか……」
「まあ、あんたらも女みたいな顔だよな。じゃ、部屋はここだから。欲しいものとかあったら、そこら辺の奴に言ってくれ」
 襖を開け、二十畳ほどありそうな室を示し、風丸は他に仕事があるのだろう、簡単に労いの言葉を置いて去って行った。
 それを見送って中へ入った三人を、思い出したかのように疲労が襲う。部屋にはきれいに三組の布団が敷かれていて、浴衣も用意されていた。配慮に感激するのも束の間、着替えて身を横たえるとすぐに、抗えぬ深い眠りに落ちた。




****




 久しく思い出す事のなかった亜風炉照美は、人間離れした容姿の持ち主だった。三日月のような淡い金髪で、胸まで長く伸ばした毛先だけが青白く輝き、それをいつも紅い紐で一つに結い、そうして胸に白金の髪のひと房を垂らしていた。淡紅の牡丹が散るくすんだ紺の着流しを気に入っていた。はっきりとした涼やかな瞳は凍えた血のような深紅、対照的な色白のきめ細かい肌と華奢な造りの顔が、彼をおんなのように見せ、だがそのすらりとした身体は男性特有の鍛えぬかれた筋肉に覆われている。凶暴さを秘めた美は棘のある異国の花のようだった。どこから来たのか、生まれはどこなのか何も知らないために、本当に異邦人かもしれないと思ったほどだ。
 そしてその額には、鈍く光る短い銀の角が二本、飾られていた。
 幼い美少年に血を分け与え、マオニとして育て覚醒させたのは、他ならぬ影山零治である。それを知ったのは影山が死んで数年後、当時二十六の照美に出会ったときに、本人の口から得意気に聞かされたからだった。自分が最初で最後の、すべてを凌駕する存在なのだと。利己主義で自己中心的な思考は、全てを失い絶望の中にいた鬼道の癇にひどく障った。それでなくとも、失ったばかりの師匠が鬼道のすべてだったのだ。
 同じくらいの歳だと言うのに照美は、死に急ぐかのように短気で挑戦的な鬼道を相手にもしなかったが、それは殊更に鬼道の自尊心を傷めつけた。
 中途半端な出来損ないのくせに、と鬼道は声に出さずして叫んだ。雨に濡れるのも構わず狐の竹林を彷徨ったのも、未完成の出来損ないであるはずの彼に敵わなかったため、自分に失望したためだった。だが照美の存在を知った事で、鬼道の生命は再び燃え上がったとも思う。たとい善良な理由ではなくとも、生きる意味は重要だった。
 影山に鍛えられ認められた自分、純血種の生き残りである自分が万物を支配する。その事を証明するが如く、人間でも妖怪相手でも、売られる前に喧嘩を買った。今ではいかに愚かであったか、嘆息するばかりだ。
 今から考えればもしかすると、いつも微笑を湛えていたあの天使のような、優美な様に憧れてもいたのかもしれない、そう思って暫し考えてみたが、しっくり来ることはなかった。
 彼は、合成された見目麗しい毒薬のようである。その照美が自ら血を分けた少年が、二人も天狗の屋敷に匿われている。彼らは見たところ純朴で、天真爛漫で、無害どころか周囲に良い影響を与えているようだった。
 不動との絆を得る以前の自分は、今ではすっかり遠くなってしまった。別人ではないかとさえ思うほどだ。だが笑い飛ばしてみても、過去はしっかりと鬼道の一片を握っている。心のなかに、墨を落としたような染みを作っているのだった。




****




 何羽だろうか、まるで平和を証明するかのように小さな鳥の鳴き声が聞こえ、不動は目を開ける。障子は開いていて、そこから注ぐ陽光は暖かい午後の斜陽のそれだった。寝過ぎたせいであちこち痛んだが、不思議と気分も身体も軽く爽快に感じる。
「ん……?」
 見慣れぬ天井に、自分がどこにいるか思い出そうとする。天狗がどうとか、万能薬がどうとか。よく覚えていないが、鬼道をひどく心配させたことだけは深く残っていた。
 喉の痛みも苦痛もなく、健康で新しい生命力に満ち溢れているのを感じる。自然な所作で楽に上体を起こすと、日溜まりの中、縁側に鬼道が居た。今まさに目を覚ました不動の顔を覗き込もうとしたのだろう、振り向いた格好で畳に片手をついて、驚いたような目をしていて、そしてそこから涙が零れ落ちた。今度は不動が驚く番だった。
 次から次へと溢れ出す大粒の雫は、穏やかな陽光に輝いて消える。掃除が行き届いた古い畳に手を着いたまま、鬼道は不動の側まで這って行き、痩せた身体をしっかりと抱き締めた。その直前、いつも冷静沈着で端正な顔が、丸めた和紙のように歪むのを見た。
 最初は壊れ物を包み込むようにそっと腕が背へ回され、両の手が存在を確認した途端、力が徐々に込められていく。しっかりと抱擁する両腕から鬼道の想いが迸り流れこむようだった。
「よかった」
 頭の後ろから聞こえた台詞はとても小さかったが、掠れても震えてもいない。寧ろ、強かにすら聞こえた。
「もう、大丈夫だ」
 そう呟いて少し揺れるオニの背を強く――そっとのつもりがつい、力いっぱい抱き返した。胸いっぱいに、懐かしい匂いを吸い込む。
「なあ」
 離れていたのはわずかな時間だったはずなのに、もうずっと触れていない気がする。
「オレさ、やっと生きてるって思えた。……アンタの為なら、何でもする。二度と離れねぇ」
 呟きは殆ど囁き声に近かった。初めてではないだろうか、この反抗心の強い少年がこんなに穏やかに話せたのかと、耳を疑うような声だ。やっと見せた不動の本音に、鬼道は黙ったまま指先に力を込めた。
 風もなく心地好い午後の太陽に包まれ、目を閉じると二人で温かい空気に溶け込んだかのような錯覚を感じる。お互いに体重を預け、力を抜いた。
 感じたことは、きっと同じだったろう。やっと心が繋がった。初めて一致したと言ってよかった。だが、どちらもそれ以上動くことはなかった。一人は相手の涙に少々恐縮を感じていたし、一人は以前とは状態と条件が変わってしまったことを、その身をもって感じていた。
 死と言うこの世からの存在の消失という意味ではないだけで、こうして触れている今、人の血で穢れたこの身が、一時的とは言え光を増した不動に対して拒絶反応を起こしている。重くのし掛かるような威圧が内側に負荷をかける、それを打ち消すかのように腕に力を込めた。
 どれくらいそのままで抱き合っていただろうか、鬼道の肩が震えなくなって、しばらくして不動は言った。
「……あのさ。どうなったのか、いまいち解ってねぇんだけど」
 鬼道は腕をゆるめて濡れた頬を袖で拭い、不動が朦朧としている間に起こった事と理由とを、ゆっくり順を追って話して聞かせた。
「要するに、半神とやらに半覚醒した、ってわけか。だったらもっと何か、すげぇ事ができてもいいよな」
 西日に手をかざす。何気なく、一向に湧かない実感を少しでも得ようとして呟いたその言葉に、鬼道がわずかに胸を傷めたことを、不動は知らない。
「病気が治ったってだけで、他は変わらないんだろ?」
「ああ」
「……別にいいんだけど」
 目線を外した不動を見て、鬼道は思考を汲み取る。
「お前には大きな力がある。必ずいつか、使う時が来るさ」
 真っ直ぐに見つめてくる、心の底から嬉しそうな微笑を湛える紅の煌めきに何とも言いようがなくて、不動は軽く肩を竦めただけで話を終わらせた。




 佐久間と源田は、鬼道に促されてではあるが自分で歩き愛想の悪い礼を言いに来た不動を見て、まるで自分のことのように喜んだ。それは鬼道の顔から不安が消えたことが大きく影響しているとはいえ、不動を暖かく包み込んだ。
 そして不動は、これも気乗りがしなかったが渋々天狗に挨拶に行き、鬼道に念を押された通り彼にしては努めて実直に感謝を伝えた。円堂は笑顔で答えたあと、誰にも聞こえないように「鬼道を頼むな」とだけ言った。それを怪訝な顔で見上げると、風丸が横から安静のため様子を見るためと言って、まだしばらく滞在するように勧めた。治ったとは言え、まだ体力が完全に回復したわけではないから、大人しく従うのが賢明だ。
 この場所はどこもかしこもやけに強大な暖かすぎる力に溢れていて、神の血を引いているとはいえ今まで暮らしてきた世界の醜悪で野蛮な臭いが染み付いている不動は本能的に苦手意識を持った。大きな力に、常に道を踏み誤らぬよう観察されているような気がしていたが、多少居づらくても本調子に戻るまでは落ち着いて休み、様子を見た方が安全ではある。それに何より、鬼道と佐久間、源田の疲労を癒してやらねばならない。一刻も早く帰りたいというのが本音だったが、不動は機械的に短い礼を口にして、居心地の悪い部屋を後にした。




続く







戻る
©2011 Koibiya/Kasui Hiduki