記憶の断片。
いつのこと ったか、多忙な日常に紛れて忘れてしまったけれど、
その時の一瞬は鮮明に覚えていた。
彼に言われた言葉が、焼き付けられるように残っている。
「おまえ、ホントきれいな顔してるよな」
唐突に突拍子もないことを言い出すのはいつものことであるが、その内容はバーナビーをいつもよりだいぶ動揺させた。
「なっ……なんですか?急に」
「男にしておくのが勿体ないねえ」
茶化すように、冗談めかして皮肉っぽく言う。
このあたりが、器用 な、と思う。
逆手に取ってやりたくなるほど。
「男では……いけませんか」
「……」
茶とも深い金とも見える眼が、こちらを見る。
表情が読めない。
どういうふうに、取られたの ろうか。
思わず身構える。
今なら何を言われても、強気に切り返せる気がした。
「……」
「……おまえ、さあ」
「なんですか?」
「……やっぱ、いいや。なんでもない」
「はあ?」
「忘れてくれ」
「気になるじゃないですか」
「大したことじゃねえ、その……わりぃな」
そう言っていつものように情けない顔で笑って、行ってしまった。
肩透かしを食らったバーナビーは、一人残され手持ち無沙汰で、ため息をつく。
「はあ……大したことじゃないなら、言ったっていいでしょうに……」
それで、確か日用品が切れているのを思い出して、デパートへ買い物に向かった気がする。
虎徹はいい 減だから、悪い冗談でも言おうとしたの ろう、止めてくれて良かったな、などと思いながら、やれやれといった気分でそれきり忘れていた。
そんな出来事を思い出して、開きかけている心は複雑になった。
あの時言おうとしたことを改めて推測するけれど、すればするほど複雑化していく。
収録後のささやかな打ち上げも終わり、ヒーローたちは帰路につく。
「んじゃ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
酒に会いにとビルを出ようとすると、外はバケツをひっくり返したような雨 った。
「おわーっ!今日曇りじゃなかったのかよ!?」
あまりの土 降りに、家までどうやって帰ろうか考えることも吹っ飛んでしまった。
先ほどまで別の考え事に没頭していた所為もある。
今日は車に乗ってきていないので、電車と徒歩で帰るしかない。
珍しく呆然とするバーナビーの手首を掴んで、虎徹が外へ飛び出した。
「ちょっ……おじさん、どこ行くんですか!?」
「俺んち !駅より近い!」
「……」
強引さに けて、連れて行かれるまま走った。
冷たい雨に打たれながら、やけに手首が温かいと感じていた。
確かに数分で虎徹のマンションに到着した。
着いた時には、もうバーナビーは家へ帰ることを諦めていた。
こんな日も悪くないと思いながら、言われるままに虎徹の部屋へ上がる。
「しかし参ったな~。ビールでも飲むか?」
「いえ……今日は」
「なぁに 慮してんだよ、くつろげくつろげ!」
「イヤ、濡れてますし。……意外と綺麗にしてるんですね」
「“意外と”は余計だ!」
放られたタオルを受け取って、滴る水分を拭きとる。
「彼女、連れ込んだりするんですか」
「そんなもんいねえよ。今更、作る気にもならないしな」
少し切なげな伏せ目が、この世にいない者を想う色を映している気がして、居心地が悪くなった。
やはり、間違い ったかもしれない。
「……帰ります」
「な、なんだよバニー。大雨 ぞ」
「構いません」
「やめとけって、うちに泊まってくくらい、なんてこたねえからよ……」
「誰でも泊めるんですか?」
「え?ん~まぁ、困ってるなら……って、おい!どこ行くんだよ!」
咄嗟に腕を掴む。
今度は振り払う勇気があった。
「離してください!あなたには関係ない!」
背を向けて、ドアを開ける。
大雨の音が会話を邪魔する。
「関係なくねえだろ?遠慮はいらないって言ってんのに、ほら。風邪ひくから」
「どうして……僕に構うんですか?放っておけばいいでしょう!」
「大事なヤツを放っとけるかよ!」
虎徹の眼が射るように見つめ、バーナビーは立ちすくんだ。
普段は頼りないくせに、時たま強くて勇ましい虎の顔を見せる。
卑怯な手だ、と思う。
「……ほら、まあ、入れ」
「……」
バーナビーは何も言わなかったが、大人しく従った。
「風呂でも入って、 スッキリさせてこいよ」
もう、嫌だと思った。
こんな、中途半端は嫌いなの 。
白か、黒か、どちらでもいいから、どちらかにしてしまいたい。
「バ、バニー?おい、どうした?風邪引いたか?」
シャワールー に案内しようと向かった虎徹の背に寄り添う。
湿った人間の香りがした。
「あなたは……お人好しもいいところ 」
「はは……そりゃどうも」
「……」
「なあ、おまえ、なんか変だぞ?」
「さっき……大事なヤツって言ってくれましたよね」
「あ、ああ……」
「それって、バディとして、ですか。それとも……」
「……」
「……」
振り向くと、青い目は前髪の影になって見えなかった。
「……バニー、おまえ、俺のことどう思ってるん ?」
「え……」
「昼間聞きたかったけど、やめたんだ。でもやっぱり気になっちまう。正直に答えてくれ」
ゆっくり顔をあげたバーナビーに、ゆっくり微笑が広がる。
「あなたって人は……それでもし、僕が応じなかったら、勝手にヒーロー辞めてどっか行ってしまうつもりなんでしょう」
「げっ……なんでそんなこと」
「わかりますよ」
一瞬 った。
次の瞬間には、唇は離れていた。
「好きです。じゃなかったら……こんなこと、できません」
「バニー……」
「あ、言っておきますが、今のは泊めてくれるお礼で……」
「お礼、でこんなことするか?」
言い逃れは簡単に見 られる。
近付いても、兎は逃げなかった。
かぶりついて、ほぐして、溶け合っていく。
「んっ……ふ」
舌を伸ばすと、迎えられた。
バーナビーはコテツの肩に両腕をかけ、コテツはバーナビーの背中へ両腕を回す。
ぴたり、と体の前面が密着した。
「バニー、おまえが相棒で良かったって、心から思ってる。でも、それだけじゃない。愛してる」
バーナビーは一瞬きょとんとした顔をしたあと、照れくさそうに笑った。
「……、相変わらず、くさいセリフが上手ですね。キザセリフ辞典でも持ってるんですか?」
「持ってねえよ……てか、茶化すな」
「でも、今のはちょっと感動しました」
「ちょっとかよ」
「ええと。……ちょっとじゃなかったかも」
「いいって、もう黙れ」
苦笑して、コテツはベッドに押し倒した。
虎はこんなに真剣な目で見つめてくるのか、と改めて思う。
いつもは情けない顔、だが時おり見せる本当の彼、どちらも心が震えるほど愛しい。
唇を重ねているうちに、コテツの湿ったシャツのボタンを外した。
「んっ……は、ぁ」
「バニー……」
「迷惑、ですか?」
言われてコテツが見たのは、不安げに揺れる青い瞳。
「くそ、……なんてカオしてんだよ」
シャツを脱ぎ捨てて、キスの雨を降らせる。
抱き寄せて、冷えた体を押し付ける。
バーナビーの吐息が始まったばかりの夜に溶けて、消えた。
終
2011/9
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