――「じゃあ、抱いてください」

我ながら、情けなさ過ぎて涙が出そうになる。
胸が苦しいのは、エレベーターを諦めて階段を駆け下りたせいでは決してない。
間に合うなら、取り消したかった。
誰もいない部屋へ入り、明かりを点けずに窓のブラインドを上げる。
見晴らし けが良い夜景が広がり、その明かりが部屋に入った。
まさかメールは来ていまい、と思いながらも、携帯を開いてチェックする。
メールアイコンは無い代わりに、虎徹の顔が画面いっぱいに移っていて、反射的に携帯を閉じた。




ま コンビを組んで一ヶ月と経たないころ、虎徹は新しい相棒と何とか打ち解けようと四苦八苦していた。
いけ好かないし年上を見下しているし、世間知らずのお坊ちゃんというもの自体が元来虎徹のカンに障るの が、キャパシティには若 ひとり分くらいの余裕はある。
どうせコンビとしてやっていくなら、引き立て役でもなんでもいいから仲良くやっていきたいと思うのが人情だろう。
さらに、ある時見せたバーナビーの一面が、虎徹への印象をガラリと変えた。

「若い体に睡 不足はよくないぞー?」

オフィスでデスクワークをこなしている時のこと、彼があくびを噛み殺しているのを見てしまった。
心配して何気なく声をかければ、睨みもしないでこう言われた。

「誰かさんと違って、僕はやることが多いんです」

普段なら文句のひとつも言い返すところ が、この時は違った。
気付いてしまったの 。
わざとやる事をたくさん作って、忙しくしていることで、考えないようにしている何かがあることに。
なぜ気づいたのかと問われれば、虎徹自身が経験したからという理由以外のなにものでもなかった。

次の日はちょうど休日で、AM10:00に虎徹はバーナビーのマンションの前に立っていた。

「ちょっと話があるん よ」

とインターホン越しに言えば、いつもの本革ジャケットを羽織って出てきてくれる。
オートロックでなければこんな面倒はせずに部屋の前まで行って上がりこむのに、とごちながら、虎徹は満面の笑顔を浮かべた。

「バニーちゃんさあ、今日もどーせ家でちまちまやってんだろ?おじさんとデートしよう!」
「……はあ?」
「そうと決まったら、行くぞ!」
「えっ……ちょっと待ってください。大体、なんであなたとデートしなきゃいけないんですか」
「何でもいいん よ。いーからいーから!」

手を握って、さっさと歩き出す。

「デートと言えば、遊園地 よな!ぱーっと遊んで息抜き !な?」
「男同士で行くものじゃないでしょう。まして、あなたとなんて、楽しくもなんともないんですが」

バーナビーが冷たくあしらっても、今日の虎徹は一歩も引かない。

「かてーこと言うなって!嫌なら水族館でもいいからさ。えーっと、遊園地行きのバスは……」
「……もう、好きにしてください」

外に出れば、それはそれでパトロールを兼ねるのでいいかと下した判断に、バーナビーは後悔し始める。
やっぱり、この人とはできる け一緒にいたくない。
今からでも帰ろうかと思ったその時、後ろのほうから黄色い声が聞こえた。

「……え!うそ!バーナビー!?」
「じゃあ横のおじさんがタイガー!?」
「うそ!ツーショット!?どこどこっ」

バス停に人が集まりだして、こちらへ寄ってくる。
さりげなく“バスが来ないからトレインにした”風に歩き出すと、うしろから明らかに話しかけてくる声がした。

「デート中!?待って!!!」
「ちょっと写メ写メ!!」
「バーナビー!!ハグして!!!」
「サイン!」
「キャー!!」

どうもコアな女性ファンの集まりがたまたま通りがかったらしい。
運が悪いことこの上ない。

「ヤバい!逃げるぞ!」
「あっ……ハイ!」

いつもの癖で応えようと振り返った一瞬、女性ファンたちの目線の強烈さに呆然としてしまったバーナビーを虎徹が引っ張って走りだす。
なんとか撒くことができた。
いつの間にか木々が茂る公園の中に逃げ込んだ二人は、ベンチに座り込んで疲れた体を休ませる。

「なんとか……大丈夫みたい な……」
「まったく……あんなに、人の多いところ……こうなるに決まってます。僕は…… 顔で仕事してますし」
「あーもーっ、クタクタ!そもそもこれ、せっかくのデートが台無しじゃねえか!」
「本当ですよ。人の休日を無駄にして……」

そう言いながら、バーナビーは先程の逃亡劇を思い返していた。
執拗に追いかけてくる彼女たちから、かくれんぼをしているみたいに、隠れ 所を探して、虎徹と些細な作戦をたて、協力してやっと撒いたの 。
ショーウィンドウの中、本屋の迷路みたいな陳列棚を利用したり、ビルに入って裏口から出たり、高級デパートの中に入って物静かに歩いてみたり……根本的には無駄な時間なの が、最終的に二人でディスカッションしてできた作戦を実行し、見事成功したときは、何とも不思議な高揚感があった。
それは今も続いている。
子供みたい 、とバーナビーは感想を思う。
バーナビーはこんな体験をしたことがなかったが、知識としては知っていた。
そして自分が一生、例えばかくれんぼという遊びなんかには関わりを持たないであろうことにも、残念に思いながら受け容れていた。

「ま、バニーちゃんが笑ってくれたから、いっか」

虎徹の茶色い眼がにっと細められ、まっすぐ見つめていた。
言われて気づいた。
自分は久しく、笑っていなかったことに。

「ホンット、悪かったなー!今度、メシおごるからさ」

次の口実を貼りつけていくと、虎徹は帰っていった。

「……なんて勝手なんだ」

ため息をついたバーナビーは、二度目はごめんだと強く思う。
しかしなんとなく虎徹に対して、針を引っ込めはじめた自分の心には、ま 気付いていなかった。




2011/9

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