ここは私立錬金学園鋼高等学校。
1年1組のひとりの男子を中心とした愉快な物語である。
まず、事態は夏も終わり、秋の香りが漂う9月に起こった。
「ウワアアア!大変だァ!」
血相を変えて、リンが教室に飛び込んでくる。
教室の前のほうの扉から丁度、エンヴィー先生が入ってきたところで、あからさまに嫌な顔で睨まれた。
「ヤオ、もう授業が始まるんだけど?」
「遅刻しましタ!今日から2学期が始まるとハ……」
「リン」
隣のランファンが口に指を当てて心配そうに見た。
2人は幼馴染みで家も屋根づたいに1分だが、いつも世話をかけまくっているランファンに申し訳ないから、今回は自分で管理する、と豪語したくせにこの有り様だ。
ランファンがため息をつきつつ少し微笑んだ時、エンヴィーもまたため息を盛大についた。
「まったく、堂々と言わないでよね……。ま、困るのはボクじゃないけど?さて今日はまず、転校生を紹介するよ」
ざわめきたつ教室に入ってきたのは、黄金色の長髪を三つ編みに結い、蜂蜜色の瞳を輝かせたわりと背の低い少年だった。
「エドワード・エルリックだ!よろしく!」
元気ハツラツな自己紹介に、教室内は再びざわめきたつ。
誰しもがこの美少年に、一目で興味を持った。
これが壮大な物語の始まりになるとは、知る由もないのである。
ひととおりの授業が終わり、昼のチャイムが鳴る。
歴史のラース先生に非常に快く許可を頂いて、ランチを簡単に終えたエドワードは、昼食中すぐに打ち解けたウィンリィとリンに次の自習時間を使って校内を案内してもらうことにした。
「こっちが体育館よ」
「お、3年がちょうどバスケやってるナ」
体育館の床に運動靴独特の摩擦音とバウンド音とが響いている。
中を覗くと、先輩たちは休憩に入るところで、最後にシュートを決めたひとりの男子に目が止まった。
向こうもドアの脇で覗いている3人に気がついたらしく、こちらを見る。
にっこりと笑って近づいてきた彼の髪は漆黒、切れ長の目も同じ色に光っている。
「や。新入生かい?」
フェイスタオルを首にかけ、程よい筋肉には汗が流れていて、童顔だが品の良い知性も感じさせる。
さぞかし頭のいい優等生で、女子人気ナンバーワンなのだろうと見当をつけたら、後ほどウィンリィとリンに肯定の意を得た。
「そウ!転校生のエドワード・エルリックだ」
「……どうも」
「エドワード。エディでいいかな?おれはロイ・マスタング。よろしく」
差し出された手を社交辞令のつもりで軽く握り、すぐに離した。
が、相手はなかなか離してくれない。
しかも両手で包みこむように握って、軽く撫でるまでしてきたものだから、勢いよく振り払って一歩下がった。
一目見たときからいけすかない奴だと感じたが、まさかこんなに自分のカンが当たるとは。
「キモいんだよ!」
「ちょ、エドワード?!」
「待っテ!」
叫んで踵を返し走り出すエドワードをウィンリィとリンが慌てて追いかける。
その後ろ姿を眺めながら、ロイは満足げに微笑んだ。
心がざわめく。妙な感覚だ。
廊下の端まで来て角を曲がると、すっかりあがってしまった息を整えた。
リンが追い付いて、なぜかホッとする。
「なんっ……なんなんだよ、アイツ!オレの手、撫で回して犯そうとした!」
「落ち着ケ。アイツは“焔のエース”で、運動トップ成績トップ人気トップの“錬高キング”だヨ」
「成る程……大そうな異名ばっか持ってやがんな」
「“(シンジュク)二丁目の貴公子”、“アブサボキング”とかもあるヨ」
「それ……どこ情報だよ?ってか、アブサボキングって何……?」
「アブノーマル・サボタージュ・キングの略ダ」
「……」
リンの説明だけで“焔のエース”がどういう人物かよくわかったエドワードは、それ以上何も言う気になれなかった。
「エドワード?大丈夫カ?」
「あ、ああ……案内してくれて、サンキュー、リン」
「お安いご用ダ。じゃ、教室に戻るゾ」
「おう」
リンはロイが一目でエドワードに惚れたことを細い眼で見抜いていた。
この小柄でキュートな、豆フェロモンを撒き散らしていることに自覚がない少年をなんとしても自分が守ってやらねばならないと、母の墓に堅く誓うリンであった。
次の日、エドワードが愛くるしい鎧の弟に見送られながら早めに家を出て早めに学校へ着くと、朝日の射す校庭に人影があった。
あろうことか、アブサボキングと美人の女子である。
彼女が放つモデルガンの弾をロイは軽い身のこなしで避け、隙を狙って足をすくおうとしたり、モデルガンを奪おうと組み手を仕掛けている。
息が合って、無駄のないやり取りだ。
女子はクールなほうのビューティーで、これまた余裕でロイの攻撃を避けている。
「……すげぇ」
エドワードは心の底が躍りだしていることに気付いた。
「ホンット、すげぇよな」
背後で声がしてちぢみあがる。
「ぁっ……!!」
叫びかけた自分の口を慌てて押さえ、振り返って声の主を睨みつけた。
「何すんだ。これ以上おどかしたら、ちぢみすぎて無くなっちまうだろ!」
「ごめんな。脅かすつもりはさらさらなかったんだ」
目に入ったのは金の短髪と、人なつこい笑顔。
「俺は2年のジャン・ハボック。転校生だろ?君」
「あ……うん。エドワード。エドワード・エルリックってんだ」
握手は爽やかで、好感が持てる奴だとエドワードはジャンの第一印象を振り返った。
少なくとも、握手がてら手を犯すようなアブノーマルではない。
「アブサボ先輩はホント、何でもできるからすげーよ」
「ふうん……随分ハードな練習してるんだな」
「文化祭で演劇やるんだ。ヒーローものだから」
「成る程ね」
もっとスゴい説明を期待した自分がバカだった、とエドワードは肩を落とした。
なにか武術系のクラブに入っているなら、手合わせしてボコボコにしてやりたかったのに。
「なんか部活決めたか?」
教室へ歩きだしながら、ジャンがたずねてきた。
「うーん……まだ。でも運動部はないな」
「お~、嫌われてるねえアブサボの奴」
「そーゆーんじゃねえよ。前の学校でオレ、ヘマしたからさ。もうコリゴリなの」
「へえ?まあ、見学だけなら毎日でも歓迎だから。俺もいるしさ。んじゃな、大将!」
人の心の機微を絶妙に察知して思いやりのある言い回しをされると、人間は言い様のない感動に襲われる虎とがある。
今のエドワードはまさに、ひしひしとそれを感じていた。
ロイは窓の外をゆっくりゆっくり風に乗って流れていく雲を眺めていた。
昨日出逢った天使が忘れられないのだ。
健康そのものといった肌色とツヤ、うす桃に染まったほっぺ、薄くて弾力のありそうな唇、そして抱きしめたら自分の胸元までしか届かないであろう小柄な体。
実際ロイの目には、彼の背に純白の翼が見えたらしい。
「エドワード・エルリック……」
恍惚として呟くと、頭を何かで激しく叩かれた。
「痛っ」
「ちょっと。授業受けなくてもいいくらい成績がいいからって、サボるのは規則違反よ。いいかげんやめて」
振り向くと隣で小声だが目を怒りで吊り上げている、幼馴染みのリザがいた。
手には凶器の歴史の教科書を持っている。
「ひどいなぁ、ちゃんと聞いてるよ」
「そういう問題じゃ」
「マスタングくん」
頭をさすりながら爽やかに苦笑すると、ラース先生が目を光らせた。
「アメストリスにおける史上最大の戦争で、史上最高の軍隊を指揮した人物名を30秒以内で言いたまえ」
「はい。キング・ブラッドレイです」
答えた直後、レイピアが飛んできてロイの机に突き刺さり、振動してしなった。
「不正解だ。“大総統”を付けたまえ」
ギロリと眼が開いて睨みつけ、まばたきをした次の瞬間には、隻眼で細目のダンディでおおらかな歴史の先生に戻っていた。
ロイはタメ息をこっそりと吐いて、再び窓の外を見る。
反対側の校舎の廊下にお目当ての金色を見つけ、心の底から嬉しそうに笑った。
しかしすぐに笑顔はかげる。
金色の天使の隣にはよく見知った顔が2人もいた。
ジャンとアレックスである。
そういえば、あの廊下は2年生の教室に行く廊下だ。
なぜ1年生のエドワードがいる?
何やら楽しそうに、話をしているようだ。
自己紹介が済んで、アレックスは大きな手で、まるで高い高いをするかのように天使を抱き上げた。
「エッ、エディ!エディが穢されてしまう!」
机を驚くほどの身軽さで飛び越え、ロイは矢のように教室を出ていった。
一瞬しーんと静まりかえった教室は、とくにリアクションもなく授業を続ける。
その中でマースとリザは顔を見合わせ、今日何度目かの溜息をついた。
3限目の家庭科が、グラトニー先生の体調不良(恐らく、食べてはいけないものを口にしたのだろう)によって自習となったので、生徒は散り散りになって自由を満喫した。
エドワードは1年の教室を抜け出し、2年の教室を見に行った。
廊下の窓際にちょうどジャンが見え、笑顔になる。
と、ジャンの後ろから、ガタイの良すぎる大柄な男子が、美しくカールした一房の前髪を輝かせて立っていた。
「エドワード・エルリック!ジャンから聞いて、会うのを楽しみにしていたぞ!」
やけに太い声で爽やかに笑う。
ジャンは慣れているらしい、苦笑を浮かべて大柄な男子を指した。
「ああエディ、こいつはアレックス・ルイ・アームストロング」
「どうも……」
エドワードが内心身構えながら会釈すると、アレックスはさらににっこりと笑った。
「エドワード!よい名前だ。どれ」
「うっわ!?」
わきの下をつかまれて軽々と持ち上げられ、足が1mほど床から離れた。
「ふむ……きみなら体操、運動、どこへでも入れそうだ。組手は得意か?」
「いや、武術はやりたくない。……てか、おろしてくれねーか!?」
「勿体ない、素晴らしくバランスのとれた体をしているのに……まあ、もう少し身長があるといいが」
「聞けよ!あと身長どーのこーの言うな!」
足をバタバタさせて抵抗するエドワードは、未だ宙に浮いている。
「おい、アレック……」
「エドワードッ!」
見かねたジャンが止めようとしたその時、上履きをキュッと鳴らして廊下にロイが登場した。
「エディを離せ、この変態!」
「それアンタだろ!?」
エドワードがロイにツッコむうちに、アレックスはエドワードを床に下ろしてくれた。
「おや、マスタング殿。どうなされた?」
「とぼけるなアームストロング!いま、エディを抱き締めて頬擦りしてただろう!俺だってまだなのに!」
「大丈夫です、それは誤解……わが輩は、身長と体重から最も適した部活動倶楽部はどこなのか分析していただけにすぎません……」
ロイは怪訝な顔をしていたが、今のところアレックスを敵と思うのはやめたようだった。
「たしかに女子の格好をしても似合いそうなほど可愛いですが……ここはマスタング殿に譲りましょうぞ」
「おお!なんと話のわかる奴!女装イイな!」
安心したロイが改めて向き直ると、エドワードはジャンを盾にして隠れた。
その様子を見て、ジャンはやれやれと気づかれないようため息を吐く。
どうやら敵はやっかいな先輩のようだ。しかもちょっと病的な。
「エディ?どうしたんだい?さあ、おいで」
「……」
エドワードの顔から読みとれるものは、明らかに疑惑、混乱、嫌悪であったが、恋する目には見えないようだ。
迷惑な話である。
「マスタング先輩、エディは具合が悪いみたいなので、おれちょっと保健室へつれていきますね」
「何ィ!?ならば俺が抱っこして行こう!」
「え?いや、なんかそれだと、恥ずかしくてムリなんだって言ってます。じゃ、また!」
「そっ、そっ、そっ……な、なんてかわいらしいんだ、エディ!」
感激して両手を体に巻き付け悦ぶロイを置いて、ジャンはエドワードを連れて早足に保健室へ向かった。
もちろん、中には入らない。
「フー……大丈夫か?」
「あ、ああ。その……サンキュ」
「いいっていいって!あの人、いつもはあんなに酷くないし、根は真面目で優しいんだけどな」
「よく知ってるみたいな言い方だ」
「ああ。俺はサッカー部なんだが、1年のときへたくそな俺に、毎朝練習付き合ってくれたんだ。サッカー部でもないのにさ。おかげで俺はいまエースストライカーさ」
とそこへ、保健室のドアがおもむろに開いた。
美人だが妖しい危険さのプンプンする女の先生が廊下へ出てきて、にっこり微笑んだ。
「あぁら……ハボック君に、転校生君」
「ラスト先生。すいません、うるさかったっスか?」
「大丈夫だけど。話し声がしたから」
妙に鼻の下を伸ばすジャンを不思議に思いながら、エドワードは自己紹介した。
「エドワード・エルリックです」
「そう……よろしくね、エルリック君?あなた、良いカラダしてるわ」
吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられて、思わず目を逸らした。
Gカップが作り出す谷間が見えるような服、というかほぼ下着同然のレースキャミソールに、ミニスカートで白衣を羽織っている。
「二人とも、ケガじゃあないのね……?」
「あ、イエ、大丈夫ですすみません」
エドワードはなぜか慌てて、赤面した。
「そ、それじゃ!」
本能的に、この先生のそばにいるとヤバい、と感じて、エドワードは逃げるようにして離れた。
うっとり眺めるジャンを引っ張っていく。
「いいよなぁ~。ボインが世界を救うと思うぜ」
頼りにしようと思っていた先輩の弱みが露見し、エドワードは肩を落とした。
まあ、男子だから。こんなものだ。
続
2011/11