<導くもの、支えるもの>






※FFIで影山死亡後








 ニュースを見た後、鬼道はみんなが心配する中で茫然自失としながらも、何とか自力で歩いていた。愛想笑いを浮かべ、早くブラジルのデータをと言う鬼道は、皆に休めと気遣われて申し訳なさそうだった。
 だが、その中でも不動を避けているように見えた。顔を合わせれば不愉快な言葉が出てくると思ってのことだろう。そんなつもりは毛頭無かった不動からしてみれば理不尽な拒絶だったが、何か言ってやろうと思っても言葉は全てが陳腐に思えた。
 今にも倒れてしまいそうな鬼道の支えになりたい、鬼道が生きる意味の一つになりたい、鬼道を笑わせてやりたい。それらは全て彼の幸福と直結しており、不動は己がいつからかそんな願いを抱えていたことに気付き、少なからず動揺した。そしてそれが己にはできないことばかりだということにも気付いた今は、茫然とするしかなかった。




 *



 鬼道はひとり、部屋でベッドに横たわっていた。今まで過ごしてきた日々が次から次へと思い起こされ、ゾエトロープのようにぐるぐる回っている。
 教わったことを、全身全霊で理解しようと努め、忠実にこなしてきた。間違ったことも多かったけれど、正しいことも多かった。大元の存在が消え、支柱との楔が 破壊されてしまった今は、ボールにすら意義を見い出せず、何もかも虚しい。最後に礼を言えたことがせめてもの救いか。それでも逆に、わだかまりが解けた故に、じかに打撃を受けてしまったような気がする。
 だが鬼道は頭を振り、蹴り飛ばそうとしたボールを手で拾い上げた。円堂が教えてくれたことを、霞のかかった頭で必死に思い出す。無性に碧(みどり)色の目が恋しくなった。

 なんとか立ち上がった鬼道は不動に声をかけた。それは事件の翌日の晩、夕食を終えた自由時間で、一人浜辺へ出ていく不動を見かけ追いかけてきたところだった。

「不動」

 何だよと、振り向いた目が言っている。呼んだくせに返答に困り黙っていると、不動は溜め息をひとつ浜辺へ続く階段の端に腰を下ろした。
 気にかけてくれたことの感謝を伝えたくて、でも言えなくてしばらく二人で座っていた。薄暗い海の上に月が昇っていく。体温が近くにある感覚がもどかしいのに、手は伸ばせない。だいぶ経って、やはり何も言えないままで、しかしその沈黙があまりにも心地よいので鬼道は安堵した。もう何も言わずとも、不動には理解されているような気が、何となくしたのだ。

「こう言っちゃ、不謹慎なのかもしんねーけどさぁ」

 そろそろ戻ろうと思ったとき、不動が静かな声で言った。

「うん?」

 彼は応えた鬼道を見ずに言う。

「和解した後で、良かったな」

 その言葉で、蓋をしたはずの感情が一気に溢れだした。このままずっと、蓋をしたままでいられるはずだった。そしてそのことを、心の奥底へしまおうとしていたところで。
 止められない速度で視界が滲む。
 なんでこんなことになってしまったんだ。なんで何もかも完璧にならないんだ。なんであの人は死んでしまったんだ。人生の残りを、やっと手に入れた平穏の中で過ごせるはずだったのに。なんで。なんで。どうして、おれは。

「くそっ……!」

 ゴーグルのレンズが濡れ、乱雑に外す。拳を握りぎゅっと目を瞑ると、両目から大粒の涙がいくつも落ちて膝を濡らした。不動の胸ぐらに、握った拳を叩きつける。何度も、弱い力で。悔しくて堪らない。つい数日前まで敵のようだと思っていた相手、厳重警戒の対象だった相手が、自分のことを気にかけてくれているだけでなく、心境を理解した上で助けようとしている。

「良かっただと……っおまえなんかに! 何が分かるっ」

 もう遅いと知りつつも、認めたくなくて拳を振り上げる。痛いというよりも見ていられなくなったのだろう、不動が止めようとした手を振り払い、尚も彼の胸を叩く。最後は強がる気力も尽きて、打った拳をそのままにしがみついた。

「っうう、くそっ……! 不動……っ!!」

 肩を震わせる鬼道の慟哭を聴きながら、不動は静かに涙を流し、彼の背を両手でしっかり支えていた。
 この一件は、鬼道の心が独りでに平常な道へ戻る手助けになった。大人になっても、もう思い出が傷を深めることはない。毎年墓参りに行く鬼道を、碧の目が隣で優しく見守っている。






end




2014/08

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