<Happy Smile>





パーティーは好きじゃない。金のある大人たちはとにかく飲んで騒いで楽しくやるのが好きなようだが、鬼道家の長女、有奈はまったく彼らの気持ちが理解できなかった。
だからこうして庭の垣根に隠れ、十四回目の誕生パーティーを抜け出そうと機会を窺っているのである。
友達は新作のテレビゲームに夢中だ。そこには混じらない妙なプライドを持った、テーブルを一つ占拠して化粧や洋服の話題で盛り上がる女子グループには馴染めない。かといってゲームをしたいとも思わず、とにかく退屈な場所から逃れたかった。
実は去年も脱走を企んだことがある。クリスマスパーティーのことだ。メイドたちの行動を把握し、見つからずに外へ出るためのルートを緻密に計算した。しかし雪の中抜け出すにはそれなりの装備が必要で、それなりの装備は手軽に持ち運んだり隠したりできるものではなく、かといってコートも着ずに出ようものなら凍え死にそうだったので、やむなく断念したのである。
今日はドレスも単一色で地味なものを選んだ。ちょっとめかしこんだよそ行き、程度である。本当はこんな服も着たくないのだが、スカートをはくと父が目に見えて嬉しそうにしているから仕方なく、特別な日は女らしい格好をするように心がけていた。
だからといって、彼女の男勝りな性格が変わるわけではない。
初等部から通う帝国学園はこの国でトップクラスの名門私立校である。良家の御曹司や令嬢が集い、帝王学を身に付けるためのカリキュラムがある。
有奈は全ての教科において非常に優秀な成績を修め、教師の評価も高く、一年早く首席で高等部へ上がれるだろうという噂もあった。
実際、面白いほど簡単に解けてしまうのだから、苦労もそれほどしていない。ポイントさえ押さえてしまえば、数学や物理なんて大した問題ではない。それよりも難しいのは、人との関わりかたや動かしかただ。
ゆくゆくは鬼道家を継ぎ、婿を迎え、子を儲けるのが自分に課せられた使命であると分かってはいるのだが、優秀すぎる故に周囲には距離ができ、親友の佐久間でさえある一定の線から先へは入って来ようとしない。
有奈のほうは特に何とも思っていないのだが、周りには彼女の存在自体がコンプレックスなのである。目下の憂鬱の種を抱えながら、誰も見ていないのを見計らって噴水のある広い庭を横切り、垣根の隙間を潜り抜けて、裏門を開け、やっとのことで道へ出た。
登下校は安全のため黒い車による送迎なので、自分の足でアスファルトを歩くこと自体が珍しく、誰にも知られず門の外へ出たということだけで有奈の心は躍り出していた。
「何してんの?」
「えっ!?」
そんなだから、突然声をかけられるまで、彼がすぐ側に最初から居たことに気付かなかった。飛び上がるほど驚いた有奈をじっと見つめ、彼はニコッと微笑んだ。
「オレ、円堂守! 君は?」
社交辞令などではなく、素直な心を持った善人が純粋な目的で浮かべた自然な笑顔に、有奈はまた驚く。
「鬼道有奈だ……」
「きどうゆうなっていうのか! よろしくなっ」
「ああ、よろしく」
有奈と同じくらいの背格好で、肌寒いはずなのにTシャツに半ズボン、汚れた安物スニーカーといった出で立ちの円堂は、サッカーボールを脇に抱えている。
「ここで何をしている?」
「いやぁ、オレ、あんまこの辺来ないからさ、道に迷っちゃって」
「道に迷った?」
ちょっと呆れたが、回答としては想定範囲内だ。
「そうそう。河川敷で練習してたんだけど、すごい方向に飛んでったボールを追いかけてったらお婆ちゃんに道を聞かれて、駅まで戻ったらお姉さんの犬が逃げちゃって、一緒に走って何とか捕まえたんだけど、そしたら変なとこに出ちゃって、駅に戻りたくても何度も同じ壁が出てきて迷路みたいでさ」
見上げたのは尖った槍のような鬼道家の柵と生け垣の壁。確かに敷地が広いのでどこに出ても壁に当たりそうではある。
「ああ……ウチのか」
さりげなく呟いただけなのに、円堂は飛び上がるほど驚いた。
「えっ! これ君んちなの!? ――すっげぇー……」
「あそこに屋根が見えるだろう。今はパーティーをやっているので中に入れてやれないが、機会があったら――」
「パーティー!? すげぇな! 何の?」
最後まで言う前に、七、八歳の子供のような声と表情が迫る。有奈はドキッとして、少し身を引いた。
「私の誕生パーティー……そんなことより、駅へ戻らないといけないんじゃ――」
「えっ、きょう誕生日なのか? おめでとう!」
「あ、ありがとう」
相変わらず有奈の話は分断されるが、不愉快ではない。嵐のような勢いに圧倒されているだけで、それにも慣れつつある。
「何歳になったん――あっ、ゴメン! 母ちゃんに、女の子に年齢を聞いちゃダメだって言われたんだった」
「きょうで十四歳だ」
「えっ、じゃあオレより一ヶ月年上だな! 二年生?」
「ああ、新学期からはそうだ」
「同じだーっ! どこの学校? サッカー好きか?」
「質問攻めだな……」
「あ、ゴメン! なんか、嬉しくってさ!」
円堂は困ったように笑って、片手で自分の頭を撫でる。
「学校は、帝国学園だ。サッカーはまだやったことがないが、そうだな、たぶん嫌いじゃない」
日曜の午後、住宅街は誰も通らず、有奈は立っている場所も時間も忘れ始めていた。
「円堂はサッカー、好きなのか?」
「うん! あ、マモルでいいよ。オレも、ゆうなって呼ぶ!」
「あ、ああ……分かった」
「オレ、サッカー部なんだ! 雷門中の! もう毎日楽しくってさ、今日も練習してたんだ」
訊いてもいないことを独りでに喋り続けているが、不思議と惹き付けられる。
「そうだ! ちょっと持ってて」
彼の魅力は一体何だろうかと観察していると、円堂はサッカーボールを有奈に預け、体中のポケットを探り始めた。
「うーん、いま何も持ってないから……そうだ、いい所へ連れてってやるよ!」





稲妻町のシンボルである鉄塔に登り、鬼道は眼下に広がる景色に息を呑んだ。
「すごいな……」
「だろ? オレのお気に入りの場所なんだ!」
学校も公園も大きいと思っていた鬼道家の屋敷も、今はジオラマのように小さく見える。青空に白い雲がぽつぽつと浮かんでいて、向こうには飛行機が見えた。
「オレ、いつか世界を見るのが夢なんだ。スッゲー選手になって、スッゲー試合いっぱいして、色んなスッゲー奴と会って、世界中を見たい」
そう言った円堂の横顔を見て、一緒に行けたらいいのに。出会ったばかりでまだ彼のことなどほとんど何も知らないというのに、不思議とそう思った。
「楽しそうだな」
思わず呟いた言葉に、円堂は破顔する。
「その時は有奈も一緒に来なよ!」
「いいのか?」
「もちろん! 仲間はいっぱいいたほうが楽しいぞ!」
「そうだな。考えておこう」
太陽のような笑顔に、有奈は微笑み返した。
「あー! 楽しくなってきた! オレ、腹減って来ちゃった」
「そうだな……とりあえず下りるか」
梯子を下りる円堂に続き、交互に足を下ろしていく。もうすぐ地上という時、既に下りて手を貸そうと顔を上げた円堂が叫んだ。
「うわ! ごめん!」
「?」
何があったのかと下を見るが、円堂は背を向けている。
「どうかしたのか?」
梯子から下りても動かないでいるので気になって訊いてみたが、やっと振り向いた円堂は苦笑を浮かべ頬を指先でちょっと掻いた。
「いや、何でもないよ!」
大したことではなさそうだ。それなら良いのだがと口に出しかけて、ヘリコプターが近づいてくる音に気を取られた。
「あれ……あのヘリコプター、ずいぶん低く飛んでるなぁ」
「ああ、あれはウチのだ。見つかってしまったな」
「ええ!?」
話す間もみるみるうちに大きくなる鉄の塊は、轟音をたてて鉄塔の周りを旋回する。楽しくなってきたところなのにもう終わってしまう。驚く円堂に、有奈は困ったように微笑むしかなかった。
「お嬢様ーっ!」
池の向こうの、開けた芝生広場に着陸したヘリコプターから、メイドとボディガードが五、六人走ってくる。
「ご無事で――」
「私は何の問題も無いし、彼は友人で無害だ」
質問攻めに遇う前に必要事項を伝えると、慌てふためいていた彼らは少し大人しくなった。
「すまないな、これまでだ」
突然現れた黒服の男たちとアニメやマンガで見るようなメイドに囲まれて去っていく有奈を眺め、円堂はぽかんと口を開けたまま突っ立っていたが、別れの言葉で我に返った。
「またな、有奈!」
彼は人をよく理解している。寂しさを残さず笑顔で手を振る円堂に、有奈も手を振り返した。





「それにしても、可愛い子だったなぁ~! 可愛いって言うかきれいって言うか美人って言うか……とにかく可愛かったなぁ、天使みたいでさ~」
歩きながらそこまで独り言を呟いて、先程の光景が脳裏によみがえる。
「そんで、天使みたいに真っ白で……って、違うちがうっ!」
ぶんぶんと頭を振り、よからぬ方向へ行きそうになった思考回路を修正する。
学校の廊下でたまに見かける光景と似ているが、円堂は気にしたことがなかった。それどころか、男子と女子の区別もしていなかった。友達はみんな同じだと思っていた。
「また会えないかなぁ」
夕陽を眺め、彼女の輝く瞳を思い出す。スキップしそうに軽い足取りで帰宅すると、早速母親が突っ込んできたので自慢気に説明した。





父親にこっぴどく叱られ、皆に心配と迷惑をかけた罰として書斎の掃除を言いつけられたが、気分は晴れやかだった。何もかもが輝いて見えた。
脱走に成功したことなんて、とうの昔に霞んで見える。円堂の持つ空気、何でもないように見える佇まいから発せられる一種のオーラのようなものに、すっかり魅せられてしまった。
「また会えるだろうか……、守」
テーブルに山積みになった本を棚へ戻すために分類しながら、有奈はふと、これじゃダメだと思った。
鬼道家の長女たるもの、有効だと思ったものは全力で手に入れる。それが環境であろうと、物であろうと、人であろうと、同じことだ。
退屈な毎日に新たな楽しみを見出だし、心を躍らせながら本を棚へしまう。例え二度と運命が交わることのない相手だったとしても、今日彼と過ごした時間は有奈にとってかけがえのない贈り物になった。





end




2013/11

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