<小さな望み>






「ただいま……」
「おかえり」

 寝食を共にするというのは、なかなか興味深いものだ。おれと不動が一つ屋根の下で暮らすようになり三ヶ月が過ぎたが、あっという間だった。
 つい一年ほど前、たまたま二人きりで飲みに行き、少し酔った流れでお互いに十年間想い合っていたことを確認したおれ達は、いわゆる恋人同士という関係になった。そこから数ヶ月経って、いつまでもホテル住まいの不動をおれのマンションへ招待したのだ。
 週に一度会うのと、一緒に暮らすのとでは、相手の様子が少し違う。中学時代から知っているとはいえ、今まで知らなかった一面ばかり発見して、日毎に想いが深くなるほど。
 そんな中、桜が散ってすっかり軽装になったある晩、玄関ドアを開けた不動の長いため息が寝室からでも聴こえた。
 自室の入り口で出迎えたおれは、少し面食らう。不動がこんなに疲れた様子で帰ってくるなんて。

「大丈夫か」
「ああ……ウン。ちっと調子わりィだけ」
「そうか。風呂は温まっているぞ、早く寝るといい」
「ん~、そうさせてもらうわ」

 上着を脱ぎながら、浴室へ向かう不動を見送り、さっくにパジャマを着ている おれはベッドへ座り、 腕組みをして少し考える。
 不動は帝国学園のコーチを務めて二年目だ。おれが父さんの仕事を本格的に手伝うようになり、サッカー部の指導は佐久間に一任してある。そこへ手が足りないのと、本人の希望もあり、不動が補佐として加わったわけだ。
 新入部員は毎年増えている。一軍二軍の隅々まで目を配り一人ずつ細かくメニューを調整している佐久間には、一年生たちを指導する余裕はない。新入部員も三軍も、不動が全て見ている。
 しかも、奴は落ちこぼれを見捨てないらしい。一度は突き放すものの、その部員があきらめない姿勢を見せたなら、個別指導も行っていると佐久間は言う。源田からは、サッカー部が終わった後は一人でグラウンドを使い、自分のトレーニングも欠かさないと聞いた。
 それはおれと同じだ。クラブからは一時的に離れているが、日本代表としてプロ意識を高めていなければと思う。
 だがこの時期、何もかも完璧にこなすとしたら、よほどの気力と体力を使うだろう。
 分析しているうちに、不動が風呂から戻ってきた。おれの部屋の向かいのドアが閉まる音で我に返る。
 普通なら、このまま静かに眠れるようそっとしておくだろう。だが、今回はそうもいかない気がする。
 ノックをして、ドアを開けた。 ベッドサイドのランプは点いていて、スマホを見ていた不動がおれを見る。

「やはり、そうか」

 スマホを置いた不動の隣に腰掛け、やれやれと小さく息を吐く。

「眠れないんだろう」
「そのうち寝るよ」
「いつの間にか寝ているが、変な時間に目が覚めて、眠った気がしない。渡欧したての頃、よくあった現象だ」

 不安は感じないけれど、翌日の段取りを考えすぎて、妙に脳みそが活性化しすぎている、冷静だがハイな状態。

「鬼道くんは、環境変わるとすぐ不眠症になりそ。オレはどこでも寝れるタイプだから」
「その眠りが浅かったら、疲れが取れないだろう」
「まあな〜。 別にぶっ倒れたりしねェし、そのうち何とかなるだろ」

 おれはムッとして、不動の唇を唇でふさいだ。驚いた奴に唇を押し付け、あきらめて力が抜けた頃に歯列を割り舌を絡ませる。

「……何すんの」
「どうせすぐ寝ないんだろう?」
「いや……オレ、」

 そう、こんなに疲れているときは、性欲なんてどこかへ封印されてしまっているものだ。少し疲れている程度なら、むしろ行為で発散して寝てしまえばいいのだが、ある線を超えた疲れは、何もかも奪っていく。

「ああ、一応確かめる必要があるか」
「えっ、あ! ちょっt……」

 おれは不動のスウェットパンツの中へ手を入れ、下着の上から何度か撫でた。軽く掴んでみるが、あたたかいだけでぐったりしたまま、思わず笑ってしまうほどいつもの硬さは無い。

「マジかよ……」
「やはりな」

 どのくらいの疲労か、確認はできた。おれは狭いセミダブルベッドの中でもぞもぞと心地よい体勢を見つけ、布団を引っ張り上げる。
 何か言いたげな不動を、視線で黙らせた。

「明日が終われば休みだろう」
「まあね……」
「気にするな、お互い様だ。おれもきっと、繁忙期は目の下にクマを作って八つ 当たりする」
「はは。八つ当たりはやめろよ」
「六つ当たりくらいならいいか?」
「なんだよ、六つ当たりって」

 不動が、笑った。それからしばらく静かに目を閉じ、眠くなってきた頃におれが他愛無いことを話しかけたが、返事は静かな寝息だった。
 こんな弟がいたら、さらに楽しかったことだろう。でも実際にこいつと血の繋がりが無くてよかった。親族だったら、こんな気持ちを抱いたままでいられない。








2020/04


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