<福神漬>






 毎週、金曜の夜はカレーと決めている。
 オレは最高にうまい夕食にするため、木曜の朝から仕込みをし、それについて前週の日曜から考え計画を練り始めている。市販のルーをアレンジするのも物足りなくなって、自分でスパイスを調合することにした。まだしっくり舌に馴染む納得の仕上がりまではいかず、四苦八苦している。玉ねぎをしっかり炒めることと、煮込んで一晩寝かすことは、オレの中のスタンダードに決めたんだけど。
 辺見に話したら「はぁ、やりすぎじゃね?」と苦笑された。あいつには何も食わせてやらねェ。
 毎週、金曜の夜はオレの1DKに客が来る。
 そいつの舌は、懐かしき帝国学園サッカー部のメンバー全員分を合わせてもなお足りないほど肥えている。だからといって鬼道は、高級でなければ食べないとか、不味い料理は見下すとか、そういった失礼な態度は絶対に取らないので、舌が肥えている事について全く傲慢さを感じさせないところがまた悪質だと思う。
 単純に好奇心旺盛でより良い物を求めているだけ。そしてオレは、そんな鬼道に輪をかけて負けず嫌い。
 だからこうして毎週毎週、最高にうまいカレーを作るために研究を重ねているというわけだ。

「よお」「おう」

 金曜の夜七時、いつものように短い挨拶を交わし、オレはサングラスを外さない客人を迎え入れる。
 今日は珍しく、薄くて小さな紙袋を持っているので、視線で訊ねる。靴を脱ぎ揃えて顔を上げ、オレの視線に気付いた鬼道のドヤ顔が返ってきた。

「最高のカレーには最高のパートナー、だろう」
「パートナー?」

 渡された紙袋の中には福神漬が一袋。

「へぇ~」

 リアクションに困り、咄嗟にごまかした。カレーのことで精一杯で、適当にサラダとか副菜を作る程度しか脳みそが働いてなかった。いやそんなことはない、カレーには福神漬。ちゃんと分かっていた。でもオレは、あの真っ赤な甘い漬物が大嫌いだったことを思い出す。
 何とか興味を持つために、先にリビングへ戻りスマホで商品名を検索してみた。

「100gで500円!? たっか」
「そうなのか?」

 相場を知らないらしい。当たり前か。とにかく土産がオレの知ってる福神漬と違うことは分かった。
 コイツの周囲には、最高の物しか置かれない。コイツ自身も最高の物しか求めない。
 だからといって純粋培養のデメリットが出るかといえば、出身はごく一般の家庭だからか、値段だけで価値が決まるとは思っていないところがまた憎めない。

「瓶入りのものや、別の県のもの、色々試したがやはりこのメーカーが一番うまかった」
「んじゃ、早速食うか」

 ちょうど玄関を開ける五分前に炊けた米と、すっかり煮込まれて完璧な状態になったカレーを、業務用食器の店で買った深皿に盛りる。福神漬は小鉢に出して、デザートスプーンを添えておいた。
 ジャケットを脱いでテーブルについた鬼道は両手を合わせ、「いただきます」と言うので、オレも今日は一緒に言う。一人の時は何も言わないですぐに食べ始めるのに。
 待ちかねたようにスプーンで掬うのは、まずはカレーのみひと口。

「……ほう、またスパイスの調合を変えたのか?」
「あぁ。やっぱフェネグリークが入ってねーと芳ばしさが足りねえっつーか。けどこれが、なかなか売ってなくてよ」
「おれに言ってくれればすぐに輸入するぞ」

 一口ずつ上品に米とカレーをすくい、口へ入れしっかり咀嚼するあいだ、鬼道の眉はサングラスの上で面白いほど上下する。嚥下した直後に口の端が上がると、ああ、作って良かったなと思ってしまう。巧妙な罠だ。ここに引っかかって、もう完璧なカレーが完成したなどと驕り昂ぶっては、相手の思うつぼだ。
 オレは気を取り直して福神漬をスプーン一杯取り、バラして、カレーと米と一緒にすくって口へ運んだ。変な砂糖の甘さや科学的な臭みが一切なく、甘すぎない芳しい香りはみりんを使用しているからだろう。色も赤じゃなく透き通った茶色だ。コリコリと小気味良い食感が新鮮に感じる。不思議なほど、オレの作ったカレーによく合う。無意識に呟いていた。

「おっ……うまいな、これ」
「そうだろう。父さんも気に入っているくらいだ」

 鬼道の養父はコイツ以上にグルメでワガママな舌の持ち主だ。

「お前のカレーも食べさせてみたいな」

 ふとそんなことを言うので、オレはドキッとする。
 そういやさっき、最高のカレーとか言ってたか。
 オレに福神漬を食わせるためのヨイショだとしても、純粋に嬉しいのは確かだ。もうどんな味付けでどんな作り方で出そうが、『不動が作るのは最高のカレーだ』という評価が付いてしまっている。
 そこまで言う根拠は何だろう。感情が入り込みすぎてバイアスを掛けているんじゃないか?

「おまえ何でそんなカレー好きなの」

 ふと訊いてみると、鬼道は不思議そうな顔をした。
 オレはすぐに、やっぱり訊くんじゃなかったと後悔する。

「不動のカレーが美味いからだ」

 しれっと平然とした顔でそんなふうに言ってのける。まるで、星が輝くのは太陽が照らしているからだとでも言うように。
 そういうところにオレはため息をつく。

「福神漬なんかでほだされてやらねーからな……」
「かまわないさ、まだ策はある」

 平然と言ってのけた鬼道は、カレーのおかわりを自分でよそいに行く。
 そう、別にオレの1DKへ来る必要はない、カレーを食べたいならお抱えシェフに作らせるか、自分で作ればいい。コイツは世界各国の料理を完璧に作り上げる器用な手と舌を持っている。
 でも鬼道はオレの作ったカレーを食いに毎週来るし、これから四時間後には風呂へ入ってせまいオレのベッドに……自分用の広いマンションを持っているし、ホテルへ行く金はいくらでもあるだろうに、わざわざ狭いオレの部屋で。
 どうしてなのかオレは知っている。ずっと前から気付いているけど、敢えて言わせなかった。鬼道もそれを分かっていて、敢えて言わなかった。言ってしまったら、茨の道になることは分かり切っているからだ。
 しかしどうやら、抵抗するだけ無駄らしい。そろそろ潮時なのかもしれない。
 最高のカレーには、最高のパートナー。
 せっかくカレーをほどよい辛口にしたのに、福神漬が甘すぎる。








2020/09


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