<5000ピースのジグソーパズル 4>







796



帝国学園高等部の入学式、整然と並んだ深緑の列に不動の姿を見つけ、つい口元が緩んだ。
個性を痛い程に主張していた髪の毛は今、四センチくらいの長さに均一に生えそろっている。
フツーでカッコ悪いからと普段はパーカーを羽織りフードで隠しているのだが、モヒカンをやめた理由は教えてくれない。
FFIは彼の人生の転機になったことだろう。それは鬼道も同じだった。
闇に堕ちかけた時、目を覚まさせてくれた彼だからこそ、心から信頼できると思える。
視線が交わって、すぐに逸らしたのはその方がスマートだと思っていたからだ。
帝国に戻ってきてよかったと思える、一番の理由だった。
これは依存に近い感情だと自覚しているが、病的かどうかまでは自分では分からない。
だが、不動に対しての感情がクリスマスから劇的に変わったことは分かっている。どうしようもなく高鳴る胸に、まだ戸惑うしかなかった。






2920



不動はスペインでの生活に疑問を抱いていた。いつものように練習が終わってシャワーと着替えを済ませ、更衣室を出ようとしたところでコーチに捕まった。話があると言われ、他愛ない会話をしながらバルへ向かうチームメイトたちと逆方向へ歩き出す。

「調子はどうだ?」
「良いよ」

誰もいない真っ暗なグラウンドに立って、六十歳で強豪チームをまとめ上げているコーチは観客席を見上げる。

「移籍のオファーが来てる。ドイツとアルゼンチンだ」

淡々と言うコーチからは、ビジネスの香りしかしないように思えたが、それは浅はかなレッテルだった。

「お前は有能なプレーヤーだ。器用で速い二本の足と、健康で丈夫な肉体を持っている。相手の裏をかくのが得意という利巧な頭脳も付いている」

自分の頭を二本指で突いてみせ、にやりと笑う。つられて不動も笑んだが、ただの賛美ではないことは始めから分かっていた。

「だが精神はタフじゃない。上辺だけ誤魔化して付き合うのは簡単だが、それだけじゃチームは成り立たないのは知っているだろう。最強のチームのことだ。今はテクニックと頭脳でカバーできているが、いずれ、それだけでは補えないゲームにぶち当たる。そういう、プレーヤーとしてではなくチームとしての真価を発 揮する場面こそ、ゲームの醍醐味なんだ。そうだろう?」
「ああ、そう思う」

答えながら、そんなのはもう無理だと考える自分を殴り倒す。
沈黙を置いて、コーチは再び口を開く。

「この機に移るのも悪くない。だが覚えておけ、今のままじゃどこへ行っても同じところまでしか行けない。お前がどんなに利点が効いて、どんなに酷いパスを取れてもだ」

コーチの目は全て――故意に苦言を呈していること、それによって不動の反感を買うこと、他人の言葉はどんな場合も本人の役には立たないこと――を理解している目で、不思議と怒りに繋がらなかった。

「オヤジの愚痴なんか聞かしちまって悪かったな。さ、一杯やりに行くぞ」
「ああ。――ありがとう」

しっかりとその目を見つめて告げた不動の肩をポンポンと叩いて、コーチは先に立って歩き出した。追いながら、頭の中をさっき聞いた言葉がぐるぐる回っているのを何とかして整理しようとする。
慣れてきたところだと思ったが、同時にマンネリ化しつつもあった。このまま残って様子を見るか、今のうちに移ってみるか、二~三日考えることにしたが、問題は自分の内にあるものだけだと分かっていた。






3008



不動明王は太陽を睨み悪態を吐きながら毎朝布団を干すような男だ。寝て起きて食べてを共にするようになって、今まで見えて来なかった部分に気付きやっと実感が沸いてくる。
彼は自分の考えをストレートに言うくせに、心の中は容易く見せない。少しでも近付こうとすると、その栗色の癖毛のようにひねくれて避ける。好意を持たれる事が嫌いなのか、鬼道有人が嫌いなのか、色々と考えたが、どうもそういうことではないらしい。
寧ろ鬼道のことは好感を抱いていて、でなければ一緒に暮らしたりなどできないはずである。
鬼道は思った。もしかしたら、可能性はあるのかもしれない。
しかし仮にそうだとしても、永遠は約束できない。迷惑をかけるだけなら、最初から諦め忘れた方が良いのではないかと思った。そんな時に限って、運命は悪戯を仕掛けてくる。

「佐久間か」

着信を知らせた携帯電話の画面に表示された名前を見て、鬼道は一寸の迷いもなく通話ボタンを押す。夜遅くということは、日本は早朝のはずだ。久しぶりに聞いた親友の声に故郷が懐かしくなって、自然に笑みがこぼれた。

『不動はどうしてる?』

他愛ない会話の途中で、少し意外な質問が投げ掛けられた。だが意外でも何でもない、ニュースで取り上げられる程度の情報以上のものを知りたいのだろう。

「良くも悪くも、といったところか。一応、元気にしているぞ」
『ふーん。わざわざ他を蹴ってまで鬼道がいるチーム選ぶなんてどんだけだよって思ったけど、何年経っても大したことないんだな』

鬼道がいればチームは安泰だから心配はしていないけど。と付け加えたのは殆ど右耳から左耳に流れて行った。

「他を蹴ってまで? どういう意味だ?」
『ああ、いや、でもまあ元気ならいいよ。よろしく言っておいてくれ』

言ってはいけないことだったようなニュアンスを残して、その話はそれで終わってしまった。佐久間はこの件に触れたくないようだったのでそれ以上聞けず、結局本人に確かめるしか方法は無くなった。







不動を探すと、リビングで洗濯物を畳んでいる姿が見つかった。

「お前、他のチームからもオファー来てたのか?」
「……なに? いきなり」
「来る前。どこだ?」

矢継ぎ早で言葉足らずになってしまっても、不動は鬼道の知りたい事をすぐに分析することができる。思考回路を推測しているからだ。

「アルゼンチンとドイツ」

佐久間の言い方では、このプレスタンテと同じかそれ以上に魅力的なチームだと感じたが、成る程それぞれ強豪である。
一人納得して考え込むと、驚いた事自体が彼への侮辱に繋がったのだろう、皮肉のこもった声が向けられた。

「なんだよ、オファーくらい来るだろ? オレ様なら」
「ああ、いや、違うんだ」

何が違うんだよと言いたげな怪訝な目で追われながら、これ以上は墓穴を掘ると思い速やかに自室へ退却した。
期待すればするほど首の縄が絞まって行くが、今は緩む頬を抑えられそうにない。






793



静かな屋敷には、あまり音楽などが流れていた記憶がない。テレビは各部屋にあったが、朝食中のニュースくらいしかつけなかった。
豪奢で贅沢、五十年前に建てられたという立派な洋館が自分の家になってから、早いもので十年近くが経った。メイドや執事の存在にも慣れ、広すぎる部屋でも落ち着けるようになったが、義父とは今ひとつ関係が発展しない。
豪快な性格で人当たりの良い作り笑顔と図太い神経を持ち、他人を操作し物事を好転させ経済を巡らせる能力に長けていた。幼い頃から甘える母もなく、常に何においても頂点に君臨するために厳しく育てられたが、家族的な愛情は皆無だったわけではない。
影山の事件で消耗した息子の精神を労り一緒に悲しんでくれたり、上の空に見えて些細なことも記憶していて、忘れているようでも誕生日とクリスマスには有意義に使える物をプレゼントしてくれた。
その人柄を信頼していたし、義父のことは好きだった。もっと良い人間関係を築くためには、まず隠し事をやめることである。
機嫌な良さそうな時を見計らい、鬼道は書斎のドアをノックした。

「父さん。今、いいですか?」
「どうしたね」

寝る前の三十分、義父は書斎にこもり緑茶を片手に読書をする。本が好きな彼にとって、一日の締めくくりに唯一心からリラックスできる三十分なのだと、前に話してくれた。

「お話ししておきたいことが、あって」
「座りなさい」

その三十分を邪魔するのは申し訳なくて今まで先延ばしにしていたが、やはり話すのならこの時しかないと結論に至った。近付いて並べた椅子に座ると、義父は読みかけの本を閉じて鬼道の言葉を待つ。

「なんだね?」
「その。……好きな人が、できたんです」

両手を膝の上で握りしめ、俯きがちにぽつりと言う鬼道を、義父は見つめ、ふっと顔を緩ませた。

「なんだ、何かと思えば。どんな子だ」

恰幅の良い体を揺らして笑う。鬼道はあまり意味のない小さな咳払いをする。

「まだ、よく分からないところもありますが……おれと同じくらい能力があって、一緒にいると落ち着くし、一番の理解者のような気がして、ああ、もちろん父 さんもおれのことを理解してくれていますが……ケンカすることもあるけれど、それも含めて、あいつがいる世界で生きていて良かったなって思えるんです」
「……これは参ったな」

義父は微笑んだまま、嬉しそうにやれやれと手を振ってみせる。

「お前をそんな風に夢中にさせたのはどこのお嬢さんなんだね? 会ってみたいものだ」

鼓動が激しくなった。

「それが――男なんです」

鳩尾がギュッと締まる。自分がここに居ないような、妙な感覚に包まれて、やはり来なければよかったと後悔した。沈黙の後、何と言えばいいのか分からずに、鬼道は俯いた。

「どういうことだ」

声のトーンが険しくなり、鳩尾の圧迫感も強くなる。内蔵が全て萎んだのではないだろうか。

「有人」

顔を上げた瞬間、息を吐く暇もなく目を覚まさせるように左頬が鳴った。痛みを感じる間もなく、その頬を温かい手が包み込む。

「お前はまだ若い。今は好きな様に過ごして構わないが、必ず後で正しい道に戻ってきなさい」
「――はい」

静かな、諭すような声に、鬼道は頭を下げる。もう後悔はしていなかったが、声が震えないように堪えるので精一杯だった。

「この家を継ぐのは、有人、お前しかいないんだ。分かっているな」
「はい。……失礼します」

迷ったが謝らなかったのは、どうしても納得がいかなかったからだ。義父もそれ以上、鬼道を責めなかった。
自室へ戻るまで堪えきれず廊下で溢れだした涙は止まらず、妹や、円堂や豪炎寺や、チームの皆や、そして不動の顔が浮かんだ。FFIでの試合や、対戦相手、夜空に散らばる星のような些細な思い出を振り返って、落ち着かせようとした。
出来損ないで惨めな自分と、胸を張って堂々とした自分がせめぎ合う。三日後の入学式のことを考え、慣れない現実逃避をしながら、何とか眠りについた。






299



影山に見限られた後、久遠に頼まれて響木がスカウトしに学校まで来た時は心底驚いた。
だが同時に悟った。良心の招きを無視してはいけない。そして何より、石だの水だのとドーピング無しで、真っ向から実力勝負をしてみたいと思った相手がいた。
こんな自分を認めてくれた人、誰であろうと少しでも期待をかけてくれるなら、全力でそれ以上のことをやって見返してやろうじゃないか。この駒を捨てたことを後悔させてやろうじゃないか。
あれからずっと、あの時のことが忘れられない。引き分けのまま中断された散々な試合、エイリア石の力を借りていたとは言え、あの時起こった力のぶつかり合いは本物だった。
鬼道有人の四文字が頭から離れないのだ。
響木に返事をしたあと、自転車を漕いで海まで行った。水平線に真っ赤な太陽が沈んでいくのを見て、理由もなく胸が締め付けられた。






3010



グラウンドでフィディオが隣に並んだ。少し離れた場所で、チームメイトたちと共に鬼道が休んでいるのを二人して眺める。

「トリコローレが揃ったね」

にやりとしても爽やかな笑顔を見て、不動はドリンクを飲みながら眉をひそめた。

「まさか、それが目的だったのか?」
「そうだけど、それだけじゃないよ。もちろん」

フィディオはちらりと不動を見やり、前方の鬼道へ目線を戻す。

「彼は完璧だ。非の打ち所の無いプレーで敵味方を翻弄し、魔術師のように虜にしてしまう。だけど、僕は気付いたんだ。彼の百パーセントの実力は、君とフィールドに立っている時に発揮されるってことに」
「――何だって?」

突拍子もないファンタジックな話に不動が、虚しさに笑いだす一歩手前のような顔で聞き返すと、フィディオはにこにこと答えた。

「君もだよ、フドウ。君だって、そこそこ実力のあるプレイヤーだけど、キドウとセットでなければ一番高い力は発揮されない。あ、ねえ、プレッシャーかけるために適当なこと言ってると思うだろ? FFU-18を見直してごらんよ。あの時の君たちは本当に凄かったよ」
(プレッシャーかけてんじゃねーか、思いっきり)

心の裏にあるカーテンから中を覗かれた気分だ。ふと鬼道を見ていた、目線が合って慌てて逸らす。そのまま逃げたいのをこらえ、ドリンクボトルを置きに側へ近付いていき誤魔化した。
当然の如く、話しかけてくる鬼道は気付いていないのか、いつもと変わらない。

「何を話していたんだ?」
「決勝」
「気が早いな。あいつは結果しか見ていない」

困ったように笑う鬼道と共に、ポジションへ向かう。心が揺れているのが手に取るように分かり、何も言えなかった。

(結果しか見ない、それが勝利に繋がるんだろ、アイツは)

決勝戦のことなんて、何ひとつ考えてない。






1240



ホイッスルが高らかに鳴り響き、高校サッカー日本一を決める試合が終了したことを告げていた。歓声が一段と高まっていることに気付いたのは、後で皆してVTRを見直した時だった。
もう走らなくていい。もうこのボールをどうするか考えなくていい。何がなんだか分からなくなって、電光掲示板を見上げる。

「不動ーっ!」

三対二と大きく表示されているのを認めた直後、ディフェンス陣が飛び付いてきた。
見れば、深緑のユニフォームを着たメンバー全員が走ってきて、集まっている。押しくら饅頭の中を抜け出して、鬼道と向き合う。
雷門高校のメンバーも嬉しそうにしているのを見て、自分が笑っていることに気付いた。肩を組んで、何も言えなくなった。

「スッゲーな! お前ら二人揃えば最強だ!」

円堂が目をらんらんと輝かせ、不動と鬼道の前に飛び込んできた。精鋭揃いの雷門高校と、天才ゲームメーカー率いる帝国学園高校の決勝戦は、鬼道のゲームメイクと不動のアレンジによって勝利を納めた。
二人の以心伝心により、臨機応変に目まぐるしく変わる戦術に、炎のストライカーも苦戦を強いられた。しかしゴール前で常に全体を見渡す円堂の、天然由来の適応力には天才二人がかりでも追い付けず、手に汗握る接戦であった。

(仕掛けても「スッゲー! どうやったんだ、今の?」つって、決勝なのに練習試合みたいなノリだもんなぁ。変わらねーよな、キャプテン)

目の前で雷門メンバーに背中を叩かれる鬼道を眺めていると、今度は自分が中心にさせられ、既視感に懐かしくなる。両チームのメンバーは全員が混ざり合って勝利を祝っていた。
中等部も入部希望者が増え、今日の試合はさぞかし良い見本になったことだろう。
しかし不動は、奥底では手放しで喜べる心境ではなかった。事前に打ち合わせを重ねていたからこそ鬼道の考えが読めたのだし、それほど大がかりな作戦も立てていない。虎丸と豪炎寺をマークし、点を取られる覚悟で慌てずに動き、佐久間に取り返させるという本筋の元、あとはさも作戦があるかのように逐一フォーメーションを変えるというだけだ。
雷門は強い。円堂から点を取るためには、ちゃちなトリックよりもパワーが必要だと言ったのは鬼道だった。しかも壁山と風丸もいる。それに同意した不動は、どこかにしこりを抱えたままピッチに立っていた。
鬼道が言ったのは、物理的な力のことでも精神的な力のことでもない。
パスを繋ぐ度に強くなっていく目に見えない何か、それは試合が終わり頭が幾分冷静になってから、改めて意識の内に戻ってきた。この間、体を繋げた時の身を焦がすような激しい熱が蘇る。まだ収まりきっていないアドレナリンのせいにして、打ち上げへ向かった。
セックスなんて子供の遊びの延長で、生理的欲求を満たしたいだけだ。男同士なら尚更、いつまで経っても遊びでしかなく、そこから何も生まれることはない。況してや彼とは世界が違う。今は同じフィールドに立っていても、人魚姫のようにいつか自分の世界へ帰ってしまうのだ。
馬鹿馬鹿しい、そう言い聞かせて、雷鳴のごとく体の中心を貫いて現れた強い感情を壊す程に抑えつけた。






2499



ヨーロッパ一を決めるEURO決勝戦を翌日に控え、最終調整を終えて鬼道は自宅へ戻った。相手は強豪チーム、スペインだ。
早く寝てしっかり体力を蓄えておかなければと思うが、気分は高揚していてとても眠れそうにない。シャワーを浴びてベッドに入ったはいいが、目が冴えて眠れず、鬼道は大きく深呼吸してみた。
どれだけ意識しているんだと嘲ってみても、聞く耳を持たないらしい自分に苦笑する。
一週間前、久しぶりに会った不動は少し日に焼けて、筋肉が増えて、髪を伸ばしていた。自分にもそれくらいの変化は見られたと思うが、再会して大きく変わったのは心だった。
合わせた目線に、抑えていた感情が暴れ出す。強がって意地を張って、何度もぶつかり合ったけれども、それこそが絆を深めたと今は分かる。

(父さん、今だけです。今だけ……おれに自由をください)

目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出す。試合中も、試合後も、どのような戦略でいけばいいか考える。
夢でまで会いたくないと笑いながら眠った夜は、嵐の前の静けさに包まれていた。






つづく





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©2011 Koibiya/Kasui Hiduki