<夜明けの王と紅月の鬼 十八>




 円堂と風丸に見送られ、ヒロトとリュウジを連れて、鬼道たちは天狗の屋敷を後にした。
 早速少年たちに懐かれた源田がふざけた拳を受けつつ適当に相手をしながら笑って歩くのを、佐久間が不安げに眉を寄せて見守る。やけに暢気な様子に危機感が見られないのだろう。そうは言っても、源田も佐久間が周りを見てくれていると分かっているからこその態度であり、しつこいようだが佐久間もまたそれを分かっているのだ。
 そんな四人を眺める鬼道が続き、そのすぐ後ろを不動が蛇行しながら付いて行く。土を踏む足音で存在は分かるが、落ちた枝や石を拾っては投げ右へ左へと道草をする不動に、鬼道は振り向いて言った。
「……おい」
「あ?」
「ちゃんと歩け」
「心配しなくてもはぐれねぇよ」
 頭の後ろで手を組みながら、そっぽを向く不動に、鬼道は嘆息する。
 その腕を掴んで引き寄せ、強引に手を取った。慌てて不動は手を振りほどく。
「ちょっ、分かった分かった、真っ直ぐ歩くって」
 やっと隣へ並んだが、鬼道は振りほどかれた格好のまま手をもて余した。わずかに照れて不動は言う。
「なんか、親子かなんかみたいだろ、やめろよ」
 茶化したつもりだったが、鬼道は苦笑すらしない。
「……あれ。怒った?」
 不安を隠しながらわざとらしく顔を覗き込むと、鬼道はやっと赤い瞳を向けた。どこか呆然としている。
「いや、そういうのじゃない。……お前は悪くない」
「じゃあ、どういうのだよ?」
 鬼道はそれきり喋らなかったが、不動が肩を軽くぶつけると、喉の奥で少し笑って軽く肘をぶつけ返した。不動が遅れたり追い越したりすると、袖を引っ張って隣へ戻した。だが、何か話があるわけではないようだ。何かが変だということ以外、不動はなにも知る由もなかった。




 暗くなり、一行は森の中で浅い洞窟を見つけ、そこで夜を越す事にした。変化した源田がものの数分で野兎を人数分仕留め、佐久間が慣れた手つきで火をおこしてくれたので、鬼道以外の五人は十分に腹を満たすことができた。
 各々が眠りに落ち、静まり返った暗闇の中で、不動はひとり目を開けていた。気のせいか胸騒ぎがする。鬼道の様子がどこか妙なのも、不動の不安を煽っていた。どこか遠くの方で、微かな鈴の音が聞こえた。人間が登山に使う杖につける、小さな鈴の音のようだ。隣で眠る鬼道は熟睡している。たった一日歩いただけでオニともあろう鬼道がこれほど疲れるはずはない。疲労ではないのかもしれない、そこにも違和感を覚え、本能を揺さぶる警告が増してゆく。
 そっと洞窟を抜け出し、できるだけ音をたてないように早足で、さっきまで歩いていた道なき道の方へ向かった。近づくにつれ、鈴の音も少し大きくなる。不動は速度をゆるめ、全く足音をたてないようにしながらやや離れた木の影から様子を伺った。
 女と、男が二人、歩いている。地味な色の衣や装備からして旅の者らしいが、法師や巫女の持つような錫杖に朱色の紐が幾筋も下がっており、その先端にそれぞれ小さな鈴が付いていた。連れの二人の男は屈強な体格で、退治師のようだ。
 天狗の屋敷にいた妖怪の子供たちが、口々に女退治師の話をしてはいきりたっていたのを思い出す。彼らはその女に追われ、親と共に――運が悪ければ独りで、命からがら逃げてきたところを円堂に救われたと言っていた。兄弟を亡くした子供もいたが、円堂は敵対心を一切植え付けず、些事を大切に楽しく仲間と暮らさせることで、復讐から彼らを遠ざけていた。
 不動は息を殺し、通りすぎるのを待つ。方向がこちらへ向かうようであれば、全速力で戻って鬼道たちを起こさねば、と頭を働かせているところへ、声が聞こえた。
「誰なの」
 鋭い声だったが、女のものだ。不動は動かなかった。
 女は更に言う。
「出て来なさい。さもなくば引きずり出します」
 足音も聞こえないほど離れているはずなのに気配を感じたということは、相当の修行を積んでいるのだろう。
 誤魔化しきれないと分かって、不動は慎重に姿を現す。人間の子供と知っても女は流石に警戒を解かず、手の届かない距離で不動を立ち止まらせた。
「君は? なぜ一人で夜中にこんなところにいるの」
「アンタには関係ない」
 不動が静かに答えると、女は少しだけ不敵な笑みを浮かべた。まっすぐで豊かな黒髪に翡翠の瞳を持つ美人だが、その飾らない美しさには氷のような冷淡さが色濃く出ている。
「見たところ退治が必要な類いではなさそうだけど?」
 一歩進むと、両脇の男二人が万一に備えて更に身構えた。
 不動は挑発的に笑う。
「へぇ……アンタ、巫女さんなのにオレのことが見抜けないの?」
 女は不機嫌に顔をしかめる。
「大体、そっちこそこんなとこで何してんだかねぇ。夜の森は危険なんだろ? さっさと帰ンな」
「生意気ね。自分は特別だと言うのなら、その力を証明してみせなさい」
 今度は不動が顔をしかめる番だった。彼女は何もできないことを見抜いている。睨み合い、続いた沈黙を破ったのは連れの男だった。
「瞳子さま、急ぎませんと日の出まで時間がありません」
 空を仰ぐと、確かに木立の隙間から見える深い紺色には、薄く白みが差してきている。瞳子と呼ばれた巫女は深く溜め息を吐いて、不動に向けていた錫杖を下ろした。
「……行きましょう」
 釈然としない不動を残し、背を向けて歩き出す。数歩行って立ち止まり、思い出したように振り向いた。
「君、名前は? 持たぬ者にも名はあるでしょう」
「……明王」
「私は吉良家長女、吉良瞳子よ。今度会ったら精々、背中に羽根でも生やして見せて」
 ぐっと拳を握り、劣等感に耐える。不動の怒りは今にも飛びかからんばかりになっていたが、瞳子の姿が見えなくなると、すぐに洞窟へ引き返した。全員、変わらずに寝息をたてている。不動は洞窟の外壁に寄りかかり、憤慨が収まらないまま無理矢理目を閉じた。
 目が覚めてから歩き通して、鬼道の屋敷に着いた途端、体からふっと力が抜けていくのを感じ、知らぬ間に随分と体が強張っていたことを知る。道中の寝不足もあり、不動は真っ直ぐ布団へ向かった。
 佐久間が新参者に屋敷を案内しているらしい、ぼんやりと声や足音が聞こえる。だが横になった途端、安堵と疲労が作り出す眠りにすぐさま落ちていった。夢はおぼろげでつかみどころの無いものだったが、いま包まれている大きな安心感の発生源を己の心の中に突き止めた。布団の匂いや感触、天井の染みの位置、頭の中に刻み込まれた間取り――いつの間にか、ここに住んでいることが当たり前になっているのだ。




 目を覚ますと、夕方だった。
 遠くで、何やら賑やかな話し声がする。夕飯の準備か、もう食べ始めているか。自分も腹が減っていることを思い出し、不動は起き上がる。薄暗い縁側に鬼道がいつものように座っていて、こちらを見ていた。
何か言いたげな鬼道の脇に立ち、欠伸をしながら体を伸ばすと、きれいさっぱり疲れが取れているのを感じた。
「なんだよ。どうかしたの」
 鬼道は黙ったまま庭に目線を移した。コオロギは少し減ったらしい、今は誰に向かってか、一匹だけ羽を寂しげに震わせている。
 先程の鬼道に既視感があって、もしかすると自分が目覚めないか不安だったのだろうか、と自惚れに思い至る。
「あー、そういや、旦那に礼を言ってなかったっけ」
「そんなもの、」
 向こうの部屋では、何かドタバタと走り回る音がして、笑い声が聞こえた。やはり食事はもう終わったのだろうか。彼らは打ち解けやすい性質なのだろうが、今はそういう健康的な騒がしさや他人の馴れ合いを、昔のように鬱陶しいとは思わない。
「悪かったな。心配さして」
 何でもないようなふりをして柱に寄りかかり、組んだ自分の腕を見たまま呟くように出た精一杯の台詞に、ふっと鬼道が笑む。
「……お前がそう素直だとなにか怪しいな」
「なんだよ、人がせっかく――」
 柔らかい微笑が横顔に表れ、不動は少し安堵した。
「やっと笑ったな」
 鬼道は微笑をやや弱らせ、俯いた。その隣に腰かけ、庭に足を投げ出す。
「おれは……」
 まだ何か言い淀む鬼道は、開きかけた口を閉じて不動を見つめた。床に着いていた手を持ち上げ、触れるのかと思いきやそのまま自分の膝に乗せる。ならばこちらからとその手に己の手を、ぽんぽんと軽く叩いてから重ね、不動は言った。
「もうオレの病気は治ったんだし、良いじゃねぇか。それともまだなんかあんのかよ」
 巫女の事に気付いているのだろうか、それとも。ここのところ鬼道は何かを悩んでいるように思う。今も、重なった手を何となく引っ込めようとしている。
「おれが触るとまずいのか?」
「いや。このくらいなら大丈夫だ。……人前では嫌がっていたくせに、と思ってな」
「は? ったりめーだろ、」
 少し面白がってもいるような鬼道に皮肉っぽく言われ、照れくさい半面で抗議しようと投げるようにして手を離しかけた時、その指先を見て不動は顔色を変えた。
「おい、どうしたんだよこれ?」
 長くて鋭利に尖っていた爪が、噛み千切られて丸く短くなっている。
「自分でやったのか。……あーあ、これ、噛み千切ったろ。後で綺麗にしてやるよ。こんなギザギザじゃしょうもねぇだろ、着物に引っ掛けちまうぞ」
 鬼道は手を引いて、目を伏せた。自分のしたことに後悔しているようだった。
「もう、お前に触れようとする度に気を使わないように、と思ったんだ。……分かっているさ、今さら、戻れないことはな」
「あ? 何の話だよ」
 その手を再び掴み、不動は怪訝に見つめる。赤い眼が、すっかり影になった縁側で鈍く光った。観念したように深く呼吸して、鬼道は言った。
「オニは本来、圧倒的な力を持つ天狗のように、神同然の存在だった。おれの父や母は、舞いや歌で大地を癒やし、肥やし、豊かにしていた。だが、人間が破壊を始め、敵対してからは変わってしまった……オニは人の血を吸ってはいけなかったのに」
「戻れないって、」
「ああ。戻れないさ。一度だけじゃない、おれは何年もこの魂を穢し続けてきたからな。子供の頃見えていたものたちは、とっくに見えなくなった。もし、また一緒に踊れるなら……」
 呟いて庭を眺める鬼道は、いつになく寂しそうで悲しげに見える。どうにかしてその諸悪の根源を断ち切ってやりたいと強く願ったが、今の不動にはどうすることもできなかった。
「いや。……飯を食いに行け」
 不動が言葉を見つける前に、鬼道は立ち上がって行ってしまった。
 何かが鬼道を苦しめ続け、暗い海の底をさ迷わせている。布団を並べるようになってから、血の付いた着物を見かけなくなったことも気になっていた。
 不動は何が彼をそうさせているのか、なんとなく気付いていた。そしてそこから派生した混沌が自分と深く関わっているらしいことも、よく分かっていた。絡みつく思考ごと押し出すように息を吐いて、不動は腹ごしらえをしに向かった。




続く







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