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<選択>



平和への一歩を踏み出したアメストリスという国を支え先導すべく、一人の男が立ち上がった。
焔の錬金術師、ロイ・マスタングである。
彼は35歳という若さで亡き盟友との約束を果たした。その傍らで助力したのが、エドワード・エルリックだった。
大総統任命式の翌日、マスタング組も揃って昇級し、オフィスを移動した。
エドワードは“約束の日”のあと銀時計を返し、東や北のほうへ、挨拶がてら旅に出たが、一年ほどして中央へ戻ってきた。
主に新米錬金術師を指導したり、研究に参加したりといったことで軍を支援している。
錬金術について貴重な知識を持っているので、特別捜査官のような待遇である。
しかし、エドワードが中央に留まっているのは、それだけが理由ではなかった。

「……ん、……」
「ふ……っ」

深夜になろうかという時刻、がらんどうの執務室に甘い声が響く。
まだ物足りないと疼く唇を引き剥がして、ため息で誤魔化した。

「……、ったく……帰るぞ」
「おやおや、随分と素っ気ない物言いだね」
「明日の職務に差し支えますので、そろそろ御帰宅されては如何でしょうか?大総統閣下」
「……かわいいねえ」
「どこが」

持って帰る分の書類を抱えてスタスタと先を行くエドワードを、ロイが余裕を持って追う。
今夜は運転手を先に帰らせたので、ゆったりとした黒い車はエドワードが運転する。
数分経って中流階級の人間がローンで買うような小綺麗な家に着き、国を背負う若き総統はやっと一日の疲れを肩から下ろした。

「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
「ただいまー。なんか伝言あるか?」

メイドを常に一人雇っているが、安全の為一週間ごとに交替させている。
同じ顔を見ないように何人も入れ替わるので、名前など覚えていられない。
おかげで国家機密と平和主義の総統の首は、自宅ではとりあえず安全である。

「はい、エドワード様。お手紙が二通ございます」
「エドワード」

メイドから手紙を受け取ったエドワードを、制服を緩めたロイが手招きして呼んだ。

「なに」
「大事な話がある。部屋に来てくれ」

話が無くても行く予定じゃないか?と内心呆れつつ、エドワードは頷いた。

「じゃ、お疲れさん。また明日、6時な」
「かしこまりました。お休みなさいませ」

メイドに挨拶をしてから、二階の寝室へ向かう。
ノックをして数秒待つ。
思えば、昔はさんざん嫌味を言われたことも、今はすんなり直して改善している。
と、手紙を持ったままだったことを思い出した。

「おいで」

ドアが開き、濃紺のガウン姿のロイが手を差し伸べる。
明日は会議を午後にまわし、午前中いっぱいまで時間が空くように秘書官のリザ少将が調整してくれた。
有能だが冷徹とも言える彼女の至極たまに見せる優しさのおかげで、大総統は今から翌日の午後まで一週間ぶりの休息を取ることができるのだった。

「んッ……は、ロイ、」
「は……っ、ん……ん……?」
「ちょ、ま……待てったら」

ただひたすらに甘く、そう、文字通り、甘えているのか甘やかしたいのかわからないほどの口付けを繰り返すロイの胸元を押し離し、エドワードは腕組みして眉間に皺を作った。

「話があるんだろ」
「やっぱり後でいい」
「よくねぇ」

エドワードの手から手紙を取ってサイドテーブルへ放り、制服のボタンを外すが、外したそばから閉め直す。
両者はこれから始まるであろう終りなき戦いを予想し、少々の沈黙を置いて身構えたが、ロイが両手を広げて降参を示した。
ベッドに座り、エドワードを見上げる構図になる。
その漆黒の眼が、いつもよりも魅力的に見えたのは、キスの連続で熱くなった所為だろうか。

「エドワード」
「……」

真剣な声に、妙に緊張が走る。
なんとなく、胸がざわついた気がした。

「色々考えて、この手に指輪を嵌めることにした」

それを聞いて、胃が圧迫されるのを感じ、エドワードは呼吸さえも忘れる。

目眩がして、倒れるかもしれないとまで不安に駆られ、倒れたら非常に格好悪いと思い渋々ロイの隣へ腰かけると、漆黒の瞳が真っ直ぐに見つめていて、妙に気恥ずかしくなった。
わずかに喉を鳴らし、落ち着いて先を待つ。
ロイの目はやや深刻なようだが、決して厳格さや冷酷さは感じなかった。

「おれは君を愛している。他の誰とも結婚する気はない。しかし今まで同姓婚の前例がない。従って法律もないが……だから、おれたちで前例を作りたいんだ。どうか、賛成してほしい、エドワード」


一つ一つの単語を噛み締めて大切に相手にちゃんと理解してもらえるような発音をするロイは、いつになく必死に見えて、笑いを誘った。
微笑みはすぐに消えて、エドワードは感じた疑問を投げ掛ける。

「……でも、いいのか?本当に……そんなこと」

確かに法律と前例を同時に作ってしまえば誰も文句は言わないだろう。
況してや国のトップである。
だが、何事も新しいものはすぐには受け入れがたく、反感や抵抗は必ず起きるはずだ。
そんなエドワードの不安を包み込んで拭い去るかのように、ロイは微笑んだ。

「おれを誰だと思っている」

エドワードはまだ戸惑い、なんと答えるか思い巡らせたが、やがて諦めたように笑ってロイに口付けた。

「わかったよ、……承けてたってやる」
「……もう少し、言い様はなかったのか?」
「うるせーな……そっちこそ、後悔すんなよ?」
「覚悟の上だ……」
「おいっ。どういう意味だてめえ!」

ベッドに倒れ込んで、取っ組み合いから愛撫へと変化していくなかで、新たな時代を感じていた。
エドワードは、心の底から幸福だと思った。





小鳥たちが交わす可愛らしいさえずりが耳に届き、気だるさが心地好い体を反転させて窓を見やる。
分厚いカーテン越しに伝わる陽光の温度が、まだ日が昇ったばかりだということを教えてくれた。
隣の、未だ目覚めそうにない背を横切り、サイドテーブルに手を伸ばす。
未開封の手紙は一通はロイ・マスタング宛、もう一度はエドワード・エルリック宛だった。
今度は宛先がエドワード・マスタングになるのかな、などと自分でも呆れるような考えはさておき、順番に開封した。
シン国皇帝リン・ヤオからの親書には、近々数名の家臣と共に訪問したいとの旨が記され、会談にはエドワード・エルリックも同席して欲しいとご丁寧に付け加えてあった。
糸目の侮れない男は何を企んでいるのかと思いを馳せる。
おおかた、ロイが大総統に就任してからすぐに取りかかった、砂漠をつなぐ鉄道工事の完成が近付いたので、挨拶に来るのだろう。
ロイもそろそろと気にしていた時だったので、タイミングの良さは抜群だった。
先手を取らねばならないので多少後ろめたさがあるが、例のごとく挨拶は口実でしかなかったかのように彼らは国中のアメストリスまんを胃に納めていくのだろうから、おあいこである。
苦笑しつつ開いたもう一通の差出人に、エドワードは顔色を変えた。

“Dear.Brother
兄さん、元気ですか?
リン・ヤオ皇帝(皇帝、なんて書き慣れないね!)がそちらへ訪問すると言うので、僕も同行します。
2年ぶりに会えますね。
大総統の素晴らしい統治ぶりはこちらにも聞こえてきます。
兄さんの活躍は、大きい事件以外は報道されないけれど、旅人の噂によれば『アメストリス一のスゴ腕錬金術師』で、錬成できない物は無い、と皆口々にすごい評判です。心から誇りに思うよ。
それじゃ、会えるのを楽しみにしています。
愛を込めて al”

エドワードはしばらく手紙を持ったまま、じっとしていた。
見慣れた筆記体が不意に目頭を熱くする。
2年前から顔は見ていないが、手紙は何通か送ってきた。
たまにエドワードも返したが、いつも簡素な文章を一枚程度しか出していない。
きっとすぐに会うだろう、と思いながら仕事に追われ、いつの間にか月日が経っていた。

「……どうした?」
「ん、……ああ」

ロイがどこか訝しげに見るということは、微妙な表情をしていたのだろう。
わずかに潤んだ目を欠伸をして誤魔化し、手紙を見せた。
読み終わって全てに納得したのか、ロイは少し笑って見つめ返しただけだった。
おはようのキスをして、ベッドを降りる。
鍛え上げられた体にガウンを羽織った後ろ姿を眺め、エドワードは髪をかきあげた。





中央駅の大きなコンコースは常に混雑している。
行き交う人々を眺めながらエドワードは壁に寄りかかった。
まだ時間には満たないのを知りながら、
はやる気持ちがつい人混みを探してしまう。
皇帝自らがプライベートだからと念を押した為に、車両の貸切とホームでのカーペットその他大袈裟な歓迎の準備はやむ無く取り止めになったが、それでもエドワードの周りには私服の兵士が数人と大尉が二人、外には車が二台とさらに数名の私服兵士が待機している。
雑踏をかき消すほど大きな音をたてて、時間通りに汽車が到着した。
降りてくる乗客たちの中に、柔らかくくすんだ金色を見つけて、抑えきれない喜びがこぼれる。

「アル!」

周りを見渡しながら歩いていたアルフォンスは、改札脇の壁際で控えめに手をふる兄の姿を目にしてぱっと咲いたような笑顔になった。
後ろから、私服姿のランファン、2人のシン人の男、リンが来た。
いくらプライベートと言えど予想以上に簡素な出で立ちで驚いたエドワードは、目の前の相変わらず何を考えているか読めない糸目の男に、何も言えないどころか呆れ始めていた。

「やア!久しぶりだナ、エド!」
「全っ然、変わってねぇな……」
「元気そうだナ」

リンとランファンはシンの特徴を備えた比較的簡素な私服を身につけているが、高貴で偉大な空気を纏っていて、並の人間とは明らかに違う。


若き皇帝を連れて司令部へ、案内兼護衛として付き添う役目を終えたエドワードは、一通り挨拶が済んで自由の身になったアルフォンスと共に街に出た。
夜に追われて傾き始めた太陽が、懐かしい金色を照らしている。
大通りの交差点からちょっと外れた場所にある、いつも満席のカフェは、時間帯のせいか、今はあまり客がいない。

「手紙、届いた?」
「ああ、いつも……届いてる」
「そう?なら、良かった。兄さん、返事くれないんだもん」

文句を言ったところで兄の筆無精は治らないのをわかったうえで、わざと拗ねてみせる。
謝る代わりに肩をすくめ、エドワードは視線を落とした。

「……どうかした?」
「いや、……」

察したアルフォンスは、これはなにかあるな、と真面目な目で見つめてくる。
敵わないなと思いながら、エドワードは観念してため息をひとつ、できるだけ落ち着こうとした。

「アル、オレさ……」
「なに?」

優しい声が先を促す。
エドワードは顔を上げた。

「……お前のシチューが食べたい」

アルフォンスは面食らったような顔をしたあと、兄と同時に吹き出した。





リン・ヤオたちと同じホテルの一番安い一人部屋を借りたアルフォンスは、エドワードを引っ張ってシチュー作りを手伝わせた。

「いつまで居るんだ?」
「たぶん、二週間くらいかな」
「会談がまとまったら、って感じか」
「そうだね、なんだかんだ言ってリンも忙しいし。……兄さんは、まだ転々としてるの?」

中央へ来る前のエドワードは各地を旅していたが、今は一ヶ所に留まっている。大佐の家に居候していることを吐かせようとしているのかどうかは分からないが、何かの意図を持ってされた発言であることは容易に察しがついた。
勘の良いアルフォンスなら、兄がなぜここに留まるのか既にわかっているだろうが、成長して心身共に逞しくなった弟からは、思考を読み取るのが困難になった。

「今は、そうでもない。最近は軍を手伝ったりしてる」
「そうなんだ。どうして?」
「どうして、って……」

苦笑しながら、簡素なテーブルにパンとカトラリーを運ぶ。

「なんとなく、こういうのもやってみたくなってさ」

キッチンまで聞こえる大きさを想定しながらさりげなく言うと、普通の大きさで返ってきた。

「……らしくないね」

答を求めるつもりが無さそうなのは幸いだった、なぜならエドワードは何も言えなかったからだ。
キッチンから、何も滞りがなく兄との再会を喜ぶ笑顔がシチューを盛った皿を二つ持って出てきた。

「出来たよ」





窓の外には夜の街が広がっている。

「……帰るな」

皿洗いを終えて、荷物を整理していたアルフォンスに告げると、予想以上に驚かれた。

「えっ……でも。……どこに住んでるの?」

エドワードは開いた口を閉じて、アルフォンスを見た。
それは一瞬、すがるような目だったが、勘違いだったかと思うほどすぐに、少し残念そうな微笑へ変わっていた。

「もう少し、話したいな。だって2年ぶりに会ったんだよ、」
「明日、また時間があるだろ」
「兄さん、」

ドアを開けようとした、その体をアルフォンスは抱き止めた。
こんなに年月が経っても、身長はあと10cm届かない。
全身に広がる心地良い温もりが、忘れていた感情を呼び起こす。
否、忘れたかったが、できなかったのだ。

「まだ……聞きたいことが、沢山」
「……疲れてるだろ。休め」
「……」

腕を振り切って、ドアは閉まった。
アルフォンスはしばらくそのまま立ち尽くしていた。





ロイ・マスタングの家に入ることを躊躇したのは、初めてだった。
最初にこの家に来た時のことを思い出す。
場所など考えている余裕もなく、ベッドまでの距離すら惜しんで数えきれないほど口づけを交わした。
春の夜の寒さに負けて、ドアを開ける。
夕飯についての問いに作り笑いで答え、コートも脱がずに、自分のために片付けて用意してくれたという部屋へこもった。
頭の中でひたすら自分を責める。
今更どうするつもりだ、なにを迷うことがある?
なんでここにいるんだ、自分がやりたいことをしたいからだろう?
――本当にやりたいことなのか?
ノックの音がして、我に返る。

「大丈夫か?」

くぐもった声に、ドアを開けて苦笑を見せた。

「わりぃ、ちょっと……疲れただけ。アルの奴に、あそこが変わった、新しくなったって、町中引っ張り回されてさ……」
「そうか」
「会談は順調?」
「ああ、もともと大した問題も無いしな。挨拶がてら観光に来たという印象だ……最も、何も企んでいなければだがね」

冗談を言ってもエドワードがいつもの雰囲気に戻らないのを察して、ロイは困ったように微笑んでそっと唇を重ねた。
そのまま頬を一撫でして部屋を出ていく後ろ姿に、感じたくないものを感じて恐怖する。
エドワードは逃げるようにベッドへ潜り込んだ。
眠れなかったのは久しぶりに一人で寝たからという理由だけではなかった。
いつまでも一緒にいることが、いつか許されなくなるのが怖かった。

4年前、中央のこの場所で、エドワードは自分の右腕とアルフォンスの肉体を取り戻した。
それから一年近くかけて、リゼンブールで療養し、アルフォンスは自分の足で立ち、エドワードと同じように薪を担いだりできるようにまで体力をつけることができた。
その頃エドワードは、これからどうするか決めかねていた。
錬金術が自分の体から無くなったいま、できることがあるだろうか?
このまま静かに暮らすことも考えたが、続くわけはないし、性に合わない。
探しに行こうと思い立ったある日、それをアルフォンスとウィンリィに告げた。

「いいんじゃない?あんたがそう思うなら」

少しだけ寂しそうな瞳をして笑ったウィンリィは、直後、照れ隠しに肘をどついた。
そして、てっきり一緒に来るものと決め込んでいた、アルフォンスは目に強い意思を湛えて口を開いた。

「僕、西へ行こうと思う」

あの時、それなら一緒に西へ行く、と言えば良かったのだろうか。
再び失うことを怖れていたのに、だからこそ側に居続けることも怖かった。
もう脅威は去ったと何度言い聞かせても、それは気休めにしかならない。
このトラウマに気が付いてからは、自分なりに色々考えたが、どれも解決には繋がらなかった。
離れれば離れるほど不安は強く心を蝕み、その度に街を移った。疲労は全てを忘れさせてくれたが、夢は彼を眠らせてくれなかった。
疲れたことすら忘れたある時ふらっと立ち寄った中央の街で、若くして中将にまで上り詰めた男の噂を聞き、懐かしい顔に挨拶がてら冷やかしに行った。

「おや、珍しい。2年ぶりか?大きくなって」
「……」

てっきり執務机越しに何かが飛んでくると踏んでいたロイは、呟くような声を聞いて防御体勢を解いた。

「しばらく、ここにいる」
「……なら、仕事があるぞ」

何日も顔を合わせるなか初恋の憧れが蘇って、見つめるうちに、焔が揺らぐような強く暖かい腕へ飛び込んだのは言うまでもない。
それは、寂しさを忘れるためだったかもしれない。
己の内の葛藤を消し去るためだったかもしれない。
どちらにせよ、表面上は成功したかのように見えていた。
そうして、あっという間に2年が経った。
ロイに対する想いは只の憧れでは済まない。
友情とも好敵手とも言えるがどれにも当てはまらないそれは、
人間だけが用いる複雑で豊富な言葉をもってしても表現できない。
自分に無い部分をお互いに補い、切磋琢磨し、絶対的な信頼関係で結ばれていた。
認め合い、反発し、だからこそ惹かれ合う。
エドワードが身体を許したのも、ロイでなければ話は違っただろう。
それは初恋から来る純粋で崇高な感情だった。
アルフォンスは少し違う。
彼もまた只の家族ではない。病的なまでの兄弟愛とでも言えば簡単かもしれない。
しかしこの二人きりの兄弟は、お互いに必要とし合い、誰よりも愛し、誰よりも理解していた。
だからこそ距離を置いていた。
血の繋がりが世界を救ったこともあったが、その為に払った代償もまた大きい。
エドワードはずっとアルフォンスの身体を取り戻すために必死で生きてきた。
弟へ抱く感情が贖罪から成るものだとすれば、約束の日を過ぎればそれは自然に鎮まっていく筈だった。





リン・ヤオがアメストリスへ訪問して3日目のことだ。
エドワードが指導する研究室を見学したいと言い出した皇帝は、相変わらず思考の読めない糸目で肉を頬張っていた。

「面白いモンはねえぞ」
「結構、結構!おオ、なかなか立派じゃないカ」
「そりゃあ、大総統直下の管轄だし、研究費の上限額は無いからな」

錬金術を身につけ、軍務に役立てたいと名乗りをあげる若者は増えた。
もちろん元々の素質が問われるが、元一流の錬金術師だったエドワードが鍛え上げた人員は、本人が知る以上に評価が高い。

「しかシ研究といっても……なにをしているんダ?」
「あー、まず錬金術の仕組み、構成、錬成陣とか錬成のパターンの分析、……試験なんかもやるぜ」
「よくわからないガ……学校みたいだナ」
「まあ、そんなもんだ」
「エドは先生なのカ?」
「まあ……、そんなもんだ。教授とかっていうよりかは、アドバイザーとかのほうが近いかな」
「出世したナ!」

バンバンと背中を叩く皇帝に苦笑して、一通り見て回った研究室をあとにする。

「なァ、お前……、アルのこと、どウ思ってるんダ?」
「え?」
「やっぱり、お前たちハ、一緒に居た方ガいいんじゃないのカ」

人気の無い廊下で、後ろを付いてくる警備係――ランファンは特別耳が良いからわからないが――には聞こえないように言われ、エドワードは面食らった。
皇帝陛下の突然の訪問理由には、これも入っていたのか、と今更ながら納得する。
しかし言われたところで、どうにもならないのは目に見えている。

「あいつが選んだことだ。……オレと居たければ、そうするだろ」

溜息混じりに答えて、ふとリンを見ると、咎めるような哀しむような目をされて、戸惑った。

「……兄弟だからっテ、言えないコトもあるだロ」

わからないぞ、とばかりに一瞥し、リンは立ち尽くすエドワードを残して行ってしまった。
リンの目と台詞が、頭のなかで何度も再生される。
アルフォンスは錬丹術の研究をするため、皇室直属の研究所に居た。
手紙からも、リンと親しくしているらしいことが見て取れる。
況してや皇帝である。
からかいでも皮肉でもない彼の発言は信用していい、それはいつも、感謝すべき結果に繋がるはずだった。





エドワードの一日のスケジュールは、多少変動がありながらも、
大体の平行線を描いた日課がいくつか定着していた。
そのうち一日の中で最後のひとつが、夜、仕事が終わったら大総統執務室へ閣下を迎えに行き、帰宅を共にすること。
しかし、今日はできれば顔を合わせたくなかった。
執務室へ入ると、いつも通り帰り仕度をする気配さえ見えないロイが、書類を前に腕組みしていた。

「やあ、君か。すぐ終わるからちょっと待っててくれないか」
「いや、今日は……オレもまだ、やること残っててさ。先帰ってくれよ」

珍しくはない台詞だが、ロイはエドワードの微妙な態度を感じ取って訝しんだだろう。
しかしそんなことはおくびにも出さず、若き大総統は微笑んだ。

「そうか。わかった」
「わりぃな」

すまなそうに微笑み返して、出ていこうとするエドワードの背に、優しい声が掛けられる。

「私が帰るとき寄るよ」
「……いいよ、いつ終わるかわかんねぇし」
「……そうか」
「大丈夫、サンキュ。お疲れさん」

一瞬、顔が曇ったことに気づかないまま、作り笑いになってしまった微笑を浮かべてエドワードは退室した。
ロイは釈然としない思いを抱えたまま、しばらく机の上に置かれた書類をただ見つめていた。





中佐相当の権限を持っているとはいえ、軍に所属しているわけではない。
只の特別顧問に送迎車は付かないため、今夜は泊まるという選択肢しか無くなってしまった。
ゆっくり考えるいいチャンスだ、と思い研究室に着いたところで、誰もいない廊下に人影が見えた気がして、エドワードは立ち止まった。
気のせいではない。アルフォンスだった。

「兄さん!まだいたの?」
「お前こそ。こんなところで何してる?」
「これからホテルに帰るところさ。兄さんは?」
「……まだ、やることがあってさ」
「帰らないの?」

弟の発した声は、何気ない「まだいたの?」と同じ声音だったが、どこか皮肉めいていた。
少し困って、エドワードは「ああ」とだけ返す。
そのまま研究室へ入ると、アルフォンスもついてきた。

「……お前こそ帰らないの?」

冗談めかして、口調を真似する。
ドアが閉まって、もしかしたら素通りして帰ったかもしれないと期待したが、声はすぐ背後で答えた。

「兄さんに話があるんだ」

来た、と思った時点で、逃げなければいけなかった。しかし今のエドワードには、うまく立ち回る余裕がなかった。
帰れという理由も、見つからない。
話を聞かない理由もない。エドワードは何気ないふりを着込んでしっかりボタンをしめ、都合よく机に放置されたままの研究資料に軽く目を通し始めた。

「……」
「……話って?」

問いかけ、顔を上げると、アルフォンスはゆっくりと近付いて両手をエドワードの腰に回した。
顔と顔の距離が急に縮まり、身を竦めるが離してはもらえない。

「兄さん、」
「言うな。聞きたくない」
「そう言うと思ったけど……、聞いて欲しかった」

アルフォンスが遠慮がちに唇を重ねる。
一瞬、罪悪感から、弟を突き放そうとしたのだが、力を抜きすぎて拒絶するつもりが無いことを知られてしまってからは、強くぶつけるようなキスを受けた。
こんな弟は初めて見る。
いつの間にか、細い体も健康な筋肉が彩り、強い力で作業台に押し倒される。
しっかりと着込んだつもりが滑らかな手つきで次々とシャツのボタンを外され、全てが露になる。
身体中が沸騰したみたいに熱くなって、鼓動がお互いを求めて脈打つ。
泣きたいほど心地よかった。

「……離せ」

胸元に口づける金の髪に静かな声で告げると、アルフォンスはゆっくりと離れた。
何かを言いたげに口を開いたが何も言わず、エドワードを責めているとも自分を軽蔑しているとも取れるような目をして出ていった。
残されたエドワードは額に手を宛てる。
戻る場所を二つとも失ってしまった。





とっくに仕事は終わったかと思いきや、
我らが大総統閣下は宙を見つめながら物思いに耽っていた。
やっと、なんとはなしにめくっていた未処理の可哀想な書類を放置し、革張りの椅子から立ち上がってコートを羽織る。
外へ出ると、数キロ離れた自宅へ送ってくれる運転手がいつものように、大げさすぎない車を暖めて待っていた。
未だ賑やかな繁華街を脇目に、目立たないようにして郊外へ抜けていく。
不意に倦怠感に襲われ、払拭するかのように頭を振る。
ポケットを膨らませている小さな箱を掌に収め顔をしかめた。
中には鈍い黄金色に光る指輪が入っている。
我ながら愚かだ、と苦笑したところで、車は止まった。

「ご苦労」
「お休みなさいませ」

運転手が去り、ロイは一人大きくも小さくもない家の前に立つ。
メイドはもう帰ったのだろう、電気は一切ついておらず、真っ暗だ。
鍵を開けて、明かりを点けずに、コートを着たままリビングのソファへ身を預けた。
何がしたかったのだろう。彼を引き留めておきたくなったのか?
失うことが怖くなった?
今更、何を。

「ちょっと焦りすぎてしまったかな」






そのまま眠ってしまったらしい。
ドアが静かに開く音で気が付いた。

「……エド?」
「あ……」

明かりが深夜の部屋を照らし、点けた主が現れた。

「なに……してんだ」
「君を待っていてつい寝てしまった」

欠伸をしながらコートを脱ぐ姿に、本気で咎めているのではなくささやかな揶揄だと知らされる。
エドワードは苦笑してコートを受け取ってやり、コート掛けにかけて二階へ向かった。

「なぜ戻った?」
「……え?……いや、だって」

階段の下から、シャツの襟元を軽く緩めながらロイが見つめているが、その黒い眼からは表情が読めない。

「ここはオレの……」

つい、躊躇してしまった。その先を言ってしまうことが怖い。
思い上がりではないのか?優しさにつけこんで、2年間も甘ったれた生活を送って、挙げ句の果てには結婚、なんとうまい話だろう。
そもそも、自分の家は無い。

「エド……この間の、話だが」
「あ、ああ」

話が変わって、内心ほっとしたのが声に出た。
しかしそれは束の間だ。

「やはり俺は、ちょっと焦りすぎたようだ。すまんが保留にしてもらえるか」
「え……っ、ああ……そう、か。いいよ、」

この重要な問題がエドワードを追い詰めてしまっているのではないかと、不安だったのだが、弟がシンへ帰ってからでないと、落ち着かない気がした。
伝えた時のエドワードも、どこか、全身で歓んではいないような気がして、そう感じてしまった自分の妙な後ろめたさを拭えずにいる。
もちろんエドワードは全く違うことを考えていた。

「べつに……急ぎやしないだろ」

この時、多少なりともお互いの思い違いに気付けたなら、二度と冷たい夜を迎えることなく眠れただろう。





会議が終わり、応接室から続く晴れた午後のバルコニーに立つリンを見付け、隣に並ぶと物珍しげだが笑顔を向けられた。

「どうですか、ご滞在は」
「なんだ、随分お堅いナ。まあまあダ」
「まあまあ、って」

リンのいつもの冗談めいた言い方に、つい笑いが漏れる。
しかし冗談を切り返す心の余裕が見当たらなかった。
「どうしタ?……あんたもあいつも、いつもと違ウ。オレたちが来たからカ?」
「いや、そうじゃない。内輪の、ごく個人的な問題で……すまない」

リンの言葉が終わらないうちに否定して、ロイは一旦落ち着く為に大きく息を吸った。

「俺が悪いんだ」

呟くように言うと、リンも何かを考えながら先を待っているようだった。

「求婚したんだ。が……どうやら早まったらしい」
「ナニ?受け容れなかったのカ?」
「いや、返事は良かったんだが」
「ならいいじゃないカ!おめでたい」
「いや……どこか、変なんだ。迷いがあるようで、……俺が追い詰めてしまったのだと思う」

自由奔放で、何にも束縛されず、己の信念を貫き通したエドワードと、共に戦ってきた。
だからこそ不安や抵抗を感じる。
幼かった彼に銀時計という首輪を着けてしまった事を、未だ悩んでいるのかもしれない。
それを全て考え、わかったうえで、指輪を嵌めるつもりだった。

「エドは……強がってルんじゃなイか。支えてやる奴は必要ダ」

アルをずっと側に置いて見てきた男の言葉には、何故か説得力があった。
そう思ったのは、自分もどこかで、同じことを考えていたからだろう。
ロイは胸の内のモヤがゆっくり晴れていくのを感じて息を吐いた。

「……そう思うか?」
「アア」
「……」

瞬時に、ひとりでに頭が巡っていく。
このあとは隣の皇帝と会食する夜になるまで、必ず優先しなければならない予定は何も無い。

「ありがとう」

肩に軽く手を置いて、エドワードを探しに行く。
リンは少し寂しそうに笑って、親友の幸福を祝った。





数分後、どうやって市内観光に繰り出そうかと考えているリンを、呼ぶ者があった。
振り向くとエドワードが、いつもの彼からは一変してえらく沈んだ面持ちで近付いて来るところだった。

「何してんだ?」
「悩ミ相談」
「へぇ」
「お前こそ何してんダよ」
「別に」

平静を装う態度の裏にある理由を聞いた後では、見る目が微妙に変化する。
ふっと笑って、リンは言った。

「結婚するんだって?凄いじゃないカ」
「……聞いたのか」
「本人からナ。なァ、これは凄いことだゾ。世界にとっても重要なことダ。俺は応援してルぞ」
「ありがとう……」

作り笑いのような目をするエドワードにふと真顔になって、リンは肩を掴んだ。

「大総統どのハ、お前が無理してるんじゃないカ、思い詰めさせちまったんジャないカって、不安だっただけダロ」
「リン……」

なぜ自分が焔の錬金術師に惹かれたのか、初めて気付いた日を思い出す。
いつだったかはもうわからないが、

「エドのこと、探してたゾ」

軽く抱擁を交わして、エドワードは速足で歩き出した。
その目にはもう迷わないという固い決意が光っていて、背中を眺めるリンは、やれやれ困った連中だとばかりにため息をついた。
廊下に出たエドワードは、壁際に立ち尽くす人影に気付く。

「アル……」

弟の表情は険しかったが、この時はまだ、なんとかできると思っていた。





会議が始まる一時間ほど前、仕度をしていたリンの部屋へアルフォンスが訪ねてきた。

「兄さん知らない?」
「知らないナ」
「見かけたら僕が謝りたいって言ってたって、伝えてくれる?」
「また何かやらかしタのか」
「あはは、まあね」

軽い調子を装うアルフォンスは、兄よりは器用らしい。

「兄さん、すぐどっか行っちゃうんだもん」

シンに来てメイと修業を始めた時から、彼は強くなったと感じていた。
色んな意味で、そう思った。

「……捕まえておきタイのか?」
「……」

アルフォンスは苦笑して、戸口から離れた。
強くなったと、見せるのがうまいだけなのかもしれない。
振り返って「あ!ちゃんと伝えてね!」と明るい声を残し、アルフォンスは廊下の角へ消えて行った。





見つかってしまったからには、仕方ない。とばかりに、アルフォンスはゆっくり壁から背中を離す。

「……聞いてたのか」

口角を上げて優しく手を伸ばす兄を見て、何かが牙を剥いた。

「何で言ってくれなかったのさ!」

驚いたリンは静かに廊下へ顔を出す。
アルフォンスは気づき、慌てて牙を仕舞おうとした。

「僕は兄さんが幸せならなんでもいい!どうして、そんな大切なこと言ってくれなかったんだ!」
「アル、」
「言ってくれてたなら、あんなことしなかった!僕はバカじゃないか!」

堪えきれず、駆け出したアルフォンスを追いかけられなくて、棒立ちのままのエドワードに、リンよりも早くロイが声をかけた。

「……行け」
「……っ!」

肩を震わせ、エドワードは重い足を前に出した。

「わりぃ……必ず戻るから」

動かしづらい足に鞭打って、エドワードは駆け出した。
生身の手足は昔より早く走れる。

「……エド」

リンはゆっくりとバルコニーへ戻り、煙草に火をつけた。





追いかけてくると知っていることに気づいたのは、廊下に面したエドワードの研究室の窓から、後ろ姿が見えたからだ。
静かにドアを開けて、閉める。
しばらく無言だった。


ゆっくりと踏み出して、アルフォンスの前に立つ。
手を伸ばしてそっと髪を撫でると、昔より僅かに硬くごわついているのが分かった。
その手を握ってうなだれるアルフォンスは、今にも泣き出しそうに見えた。

「僕は兄さんが好きだ」

力をこめて握り返す。
泣き出しそうなのはエドワードだった。

「兄弟だからとか、それだけじゃなくて。シンに行って分かったけど、僕には兄さんが必要なんだ。でも、大総統とは結婚したほうがいいと思う」
「……っなんで!」
「僕は弟だから“ただ傍に”居られるけど、彼はそうじゃない」

無性に息苦しく感じたがどうすることもできなくて、エドワードは両目から大粒の涙が溢れるのを止められなかった。

「兄さん……、」
「……っ」

怯えたようなキスに、アルフォンスは目を閉じる。
何度も望んだ瞬間なのに、こんな状況は望んでいなかった。

「オレには……選べない。とんだ最低野郎だろ」
「だから……!それなら、僕は傍に居るだけでいい。結婚しなよ、いいんだよ、それで」
「いいわけないだろ!」
「兄さん!頼むから」

悲痛な声を聞いて、やっと、弟がどんなに譲歩して寛大にかまえ頑張っていたのかを知った。
限界だった。
エドワードは無我夢中で、5年間たった一人守り続けてきた弟の唇に、己を重ねる。

「兄さ……ん」

エドワードの髪は、銀時計を返したあと、無造作な切り方で肩より短く揃えている。
強力な磁石にでも引かれているかのように、震える指が金色の髪を撫でた。
同時に、頬が濡れて光った。
何も言えない。言葉は意味をなさないのだ。
出せる力を使いきってもまだ足りないほど強く抱き締められ、これをずっと求めていたのか、と今更気付く。
しばらく時間を止めたかのように、そのままでいたが、エドワードは静かに腕を離し、薄暗い研究室を後にした。





深い深い闇の中に、光の玉が浮いていたとしよう。
それを隠そうとして手の中に包み込んでも、指の隙間から光は漏れる。
服の中に隠しても、布を通して光り続ける。
ぼんやりと、そう、空虚感と言った方が正しいかもしれないものを抱きながら、エドワードはいつの間にかロイの家の前まで来ていて、わずかながら驚いた。
入る権利が無いと思いながらも、一言伝えたい気持ちが、このままでいいのかと心を震わせる。
静かに玄関のドアが開いたとき、エドワードは苦笑し、門に凭れた。
のちに彼は、すぐに離れなかったことを後悔した。

「……エド」
「あのさ、オレ」
「いいから、帰ってこい……」
「アンタのこと、愛してる」
「……わかってる」
「アルのことも」
「わかってる……」

優しすぎて、黒い眼を見ることができない。
喉が詰まりそうになるのを、必死でこらえた。

「あいつ、アンタと結婚してくれって言ったんだ」
「……」
「オレは、どっちも選べない」
「なら、選ばなくていい」
「……アンタに、甘える資格もない」
「資格など不要だ!」

謝罪を口にしかけた、その口をロイは塞いだ。
心から安堵できて、触れただけで激情の走る焔そのもののようなキスを受け止めながら、応えることができない自分に憤る。
しかしどうすることもできない。
エドワードはそっと離れ、しっかりと黒い眼を見上げた。
ほぼ無表情だったはずだ。
視界がぼやける前に、背を向けた。

「……エドッ!俺はここにいる!」

思わず何か言いたくて、振り返りかけたが、結局なにも言葉は出てこなかった。


こういうのを、思い詰めた表情、と言うのだろう。
アルフォンスは意識のどこかで、状況を理解していた。
それでも朝日の差しこむ、静かな大総統執務室へ来た。

「……」
「君か」
「……あの、」
「行ってしまったよ……」
「!」

アルフォンスは驚愕して、何も言えずに少しの間狼狽した。


「なぜ……どうして止めなかったんですか!?」
「止めたさ!……止められるものならな」
「追ってもいないじゃないですか!」

理解できない、というように足は円を描いて少々歩き回り、頭は左右に振られて兄と同じだが短い金色の毛が揺れた。

「……っ」

ふるえて、アルフォンスは窓際のロイを見やる。
悲嘆にくれ過ぎて空虚感に包まれたのか、又は元から心が氷のように冷酷なのか、顔色一つ変えず、若き大総統は腰で後ろ手に組みつつ窓から何を見るでもなく立っている。
ロイは既に固い決意を持っていた。
“彼が戻ってくるか来ないかは関係ない。俺はここにいる。”
それは一見、諦めた意気地無しだとか、裏切り者のようにも思えたが、実際は全く逆だ。
アルフォンスは深呼吸をして、部屋の隅から執務机の前まで戻ってきた。

「僕は兄さんを追いかける」

静かに、だが低い声で部屋に響いた。

「……」
「僕が連れ戻します」

強い瞳は同じ金色に輝く。
特に驚かず、否定も肯定も示さないロイに唇を噛んで、アルフォンスは踵を返した。
兄が出す答えがどうであれ、連れ戻さなければいけないのは自分であるような気がしていた。
彼は自分の心を封印してしまったことによって、二度と兄に会えなくなるとまでは、思い至らなかった。





この町には、顔見知りがいない。
2年間、軍を手伝って稼いだ貯金を全て出して、持ってきた。
髪を焦げ茶色に染め、分け目を変えて、度なしの眼鏡をかけた。
彼が目指すのは彼を知らない町。
帰る場所を作ってくれた優しい黒い眼が瞼の裏に焼き付いて、目を閉じれば鮮明に見える。
厳しさと、強さと、激しさとが、混ざりあった漆黒。
その彼に、中途半端な気持ちで応えることはできない。
このままでは二人とも傷つけ、失い、自分が壊れてしまう。
罪を背負うなら自分だけで充分だ。これは、二人が五体満足で、生きていてくれるだけで良かったはずなのに、それ以上を望んでしまったことへの対価なのだろう。
ありがたいことに、選択肢はまだ残っている。
まだ、選ばせてくれるのだ。
その答えは、旅の途中で、果たして見付けることができるだろうか。

「……」

振り返った道は、今さっき後にした街へ続いている。
坂の向こうから、歩いてくる人影が見えた。
金髪ではないかと一瞬期待するかたわら、もし追ってきたならこんなに早く追い付くはずがないと計算が済んでいる。
笑みと共に向き直った誰でもない青年は、晴れ渡る空の下、歩きだした。
それは、自分の心を探す旅。





2012/03




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FA Fanfiction / ROYED

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