<5000ピースのジグソーパズル 7>







3011

明日はオフとなれば、心置きなく酒が飲める。ソファでタブレット端末をいじる不動の前に、希望通り栓を抜いたビールを差し出した。
礼を言った口に瓶が当てられ、発泡した液体が流れこんでいくのを見ながら、ダイニングテーブルの方に腰を下ろし自分も口をつける。
「あー。やっぱ、ビールはドイツだな」
「同感だ」
あまり趣味が被ることはないのだが、ビールの好みは似ているらしい。しかしワインの方が飲みやすい鬼道は、今ひとつしっくり来ないでいた。
些細な共通点を探して、しかし気付かれないように過ごしているが、外から見ているだけでは限界に到達しつつあった。
「そう言えば。不動は、なぜサッカーを始めたんだ?」
青緑の目がこちらを向いて、タブレットをテーブルに置き呟いた。
「さァー、何でだろうな……」
横顔は穏やかで、気まぐれに見えたであろう鬼道の話に付き合ってやるかとでも思っているのだろう、ふーっと息を吐いてソファに凭れる。
「最初は、近所の奴らをオレの支配下に置きたくてさ。ボールを追っかけることに意義みたいなモンを見つけたのは、円堂に会ってから」
「そうか。……おれと同じだな」
言ってから、初めて見つけた共通点が意外と近い所にあったと気付いて驚いた。
「鬼道クンは? なんでサッカーやってんの」
不動の反応を想定しておらず答えを用意していなかった鬼道は、考えながら思いつくままに話すはめになった。たまにはそれも悪くない。
「おれは、父さんがサッカー好きで。きっかけはそれだった。そのうち、サッカーそのものに魅了されて、気付けばこんなところにいる」
「サッカーバカのせいでな」
「そうだな」
二人で少し笑う。懐かしい顔に会いたくなった。
「そのめんどくさそうな髪型も子供の頃から?」
「ああ」
「手入れとか大変なんだろ? なんでそんな髪型してんの」
不動は言ってからすぐに笑みを消した。
「――別に、話したくなかったらいいんだけどさ」
瓶を傾けながらさり気なく逃げ道を作って、待ち構えている不動は、罠の中に何を仕込んだのだろう。
「父さんが、やってたんだ」
手の中の冷たい濡れた瓶を眺め、鬼道は少しも不快感を感じないでありのままの心情を話そうとしている自分に内心驚いていた。
「父さんの祖母にあたる人がメキシコ系で、父さんは小さい頃から天然パーマだった。それで、アフロよりドレッドを選んだ。おれの髪質も似ているから、そうしたんだろうと思う」
へぇ、と不動が声を漏らした。
「信仰にあるよな。"恐ろしい者"だっけ」
鬼道は頷いて先を続ける。
「好きだった選手がドレッドだったことも関係しているな」
「誰?」
当時、数年間に渡って圧倒的実力をもって世界を席巻していた名を口にすると、不動は笑ってそれは反論のしようがないとでも言うように大きく頷いた。
「アフロの鬼道クンも見たかったな」
また、二人して笑う。
「おやじさんって何してたの、仕事」
「カメラマンだった。スポーツ雑誌専門の。よく余ったチケットをもらって、試合を見に連れていってもらった」
「なるほど」
「母さんはフリーランスのライターで、二人で仕事をしていたんだ。父さんの写真に、母さんの記事……」
ソファから身を捩ってこちらを見ながらじっと聴いている不動の真摯な視線に気恥ずかしくなり、大きく息を吐く。
「どうでもいいことまで話してしまったな」
立ち上がって、空の瓶を持ってキッチンへ向かう。
「どうでもよくなんかねーよ」
「ん?」
呟くような小さな声に思わず振り向くと、不動は誤魔化すように、にやりと笑みを浮かべた。
「つまみ作るからワイン開けようぜ」
ちょうど胸に浮かんでいた提案に、微笑で応える。学生時代の思い出を中心に、他愛もない話を眠くなるまで続けた。






1482

上村詩穂は、明るく優しい控えめな性格で、気配りが上手な女子だった。高校に入ってからずっと視界の隅にいたような気がする。全国大会FFU-18が終わって、オレは今まで以上に苛立ちを抱えていた。そんな時にきっかけをくれたのが上村だった。
「ウエムラさあ、こないだチョコくれたじゃん」
お返しの日を過ぎた頃、オレは校門を出ていく後ろ姿を見つけ、駅まで一緒に歩いた。
「あ、うん」
恥じらいながら期待のこもった視線を向けてくるところは、なかなか可愛い。
「うん……でも、深く考えなくっていいからね? もちろん、義理じゃあないけど……」
美味しいバレンタインと共に添えられていた名入りのカードは、女子が選ぶものにしてはシンプルで飾り気がなく、そんなところが気に入った。
「私は、不動くんを応援したいだけだから」
オレが立ち止まると上村も立ち止まる。淡い茶色のストレートのロングヘアーがそよそよとなびいた。
河川敷の入り口が道の向こうに見えていて、自転車に乗った小学生の集団がオレたちを追い越していく。
「どうせなら近くで応援してくれねェか?」
正直、女なら誰でも良かったのだが、うるさいのは御免だったしお嬢様すぎても面倒くさい。上村は金持ちの娘というよりは、オレと同じように実力で入ってきた人間だった。
「それって……」
「付き合うってこと」
口にした途端、自分の言ったことが急に現実味を帯びてきて、オレは自転車に跨がった。
「じゃ、そーゆーことで」
走り出したオレに後ろから声がかかる。
「あっ……また明日ね!」
上擦った女の声に、オレはドキドキした。
(ほらみろ、ちゃんと普通の恋愛だって出来んじゃねーか)
その辺の浮かれた野郎みたいに言いふらしたりせず、聞かれたら答えるスタンスで、しばらく黙っていた。
自分に彼女ができたことが誇らしくて、他人よりワンランク上がったような気がした。
(ざまーみろ)
下宿に帰ってからもバイト中もずっと浮かれていたオレは、本当にただのアホだった。






2210

スペインのプロチームへ入団して一年が経ち、レギュラーの座をもぎ取った不動はプレー同様、荒々しい生活を送っていた。
練習場の近くに小さなアパートを借り、毎晩のように女を連れ込む。ごくたまに物好きが酒場で待っているが、大抵は日本人の若造なんて見向きもされないから、彼女たちは酒や金で買うことが多い。
激しい運動をするスポーツ選手ほどプロテインの影響もあって性欲が凄まじいとよく言われているが、彼の場合は少し理由が違うようだった。
仲間たちは本人のいない所で彼の話をする時、あれは一人で眠れないんだとか悪魔にとりつかれているとかセックス依存症なんだとか適当な憶測を泳がせて楽しんでいたが、本当の理由は本人すら理解していなかった。
そのうちチームメイトたちは自分の彼女や妻に取り入って迷惑をかけやしまいかと心配し始めたが、分別は一応あるらしく、顔見知りには絶対に手を出さなかった。
寧ろ、一夜限りの虚しい行為を重ね、何かを忘れようとしているように見えた。






4047

日本に戻ってから色々な事があったが、今はそれも落ち着き、おれは生活のペースを確立していた。だがそれは物理的な範囲の話で、精神はまだ別の問題を抱えたままだということを忘れていた――否、忘れたことにして逃げていた。
帝国イレブンの調整を終え、データを整理して帰宅したおれは、上着を脱ぐなり今朝出かける前に干して行った洗濯物を真っ先に取り込んだ。
日曜の午後だと言うのに20階のベランダから見た空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうな雰囲気が漂っている。間に合って良かったと思いながら、床に座ってハンガーから外した衣類を一つ一つ畳んでいく。
日本はよく雨が降る。やはり乾燥機を購入するべきかと悩んでいるのだが、置き場所に困って結局そのままだ。
もし棚の位置を変えたらどうなるか考えに没頭していたら、洗濯ばさみに指を挟んだ。痛みに手が止まり、手元に意識が集中する。そこには自分の下着があった。
何年かはき続けている、赤いラインの入った黒いボクサーパンツ。おれの思考を憂鬱に染め、思い出が鮮明に蘇る。
今となってはもう遅いが、おれはやはり後悔していた。不動と住むべきではなかったのだ。






3012

「なァ、これ鬼道クンのだろ」
風呂あがり、部屋でベッドの上にあぐらをかき、サッカー情報誌のイタリア語を流し読みしていると、声が聞こえた。
顔を上げると開け放したままの戸口に、腰に手を当てた不動が立っている。
「混ざってた」
近付きながらもう一方の手に持って差し出してきたそれは、黒地に赤のラインが両脇に入ったデザインのボクサーパンツだった。
「おれのか?」
「そうだよ。覚えてねェの?」
「いや……なぜ断言できる?」
「オレこんなん買わねーもん」
「おまえのは黒ばっかりじゃないか」
「赤いのはぜってー買わない」
きっぱりと言い切る態度に納得せざるを得ず、受け取って、そう言えばこんなのも持っていたかもしれないとぼんやり思い出す。
「そうか?」
「んだよ、もう。もし違ってもいいじゃねェか、どっちだってよォ」
呆れたように顔をしかめ、不動はうんざりしたように出て行く。
残された鬼道はタンスに下着をしまって、不動の台詞を反芻した。彼の性格がよく表れた言葉に、思わず微笑む。
学生の頃は周囲でも、洗いたてであっても汚いだの何だのとちゃちなプライドを振りかざして大人ごっこをしていたが、大人になったからといって先程のような些細な変化を受容しようとしている自分がいることに驚いた。それは心地の良い驚愕だった。






1663

高校サッカー世界大会が終わったあと、不動はどこか変だった。相変わらず授業中は爆睡しているだけ、部活には顔を出すがキレがない。
練習が終わると誰よりも先にロッカーを後にする。人付き合いを好まず親しく連絡を取っている者がいないので、あることないことを言われ噂だけが広まった。
ヤバイ事に手を出してるとか、足が治っていないとか、実は親が病気で看病するために早く帰っているとか何とか。
しかし一番盛り上がっているのは恋愛絡みだった。
「上村とは別れたんだろ?」
「えーっ勿体ねー!」
「詩織ちゃ~ん、俺が慰めてあげるゥ~」
「バーカきめえよ」
「じゃあ今、誰と付き合ってんのかな?」
シャワー室から出ると、ひそひそ話がぴたりと止んだ。鬼道が好まないと知っているからだが、今の流れではまるで鬼道も、根も葉も無い噂話に関与しているかのようだ。
常にマイペースな源田が唯一、妙な雰囲気を無視して口を開いた。
「鬼道なら知ってるんじゃないか? 不動のこと」
源田のタフすぎる精神は頼もしいが、時として有難迷惑な場合もある。鬼道は困っている様子を出さぬよう口元を引き締めた。
「知らんな」
普段ロッカーを閉める時は音が出ないように気を遣うのに、今日はそれもしなかった。苛々してと言うよりは、疲れている風を装って部屋を早々に去る。何とか誤魔化せただろうか。
(あいつに彼女がいようがいまいが、おれには関係のないことだ)
家とは反対方向へ行く電車に乗り、不動のバイト先がある駅で降りた。改札を出てから、不動が一度家に帰り着替えてから自転車で来るまで、まだ時間が早いことに気付く。しかしここまで来てしまったし改札も出てしまったからと、一応コンビニまで足を伸ばした。
注意深く、道の反対側から店内を覗う。まだ来ていないのか、来るつもりもないのか、やはり自転車は無い。
(あいつがどこで何をしていようと、関係ない)
駅まで走った。万が一見つかっていやしまいかと後ろを振り返るが、誰も追って来ない。
電車に乗って、やっと家路へ着く。くだらないことで時間を費やしたこととは関係なく、胸の奥がきりきりと痛んだ。






1670

上村と別れるのを待っていたかのように、その後も二~三人と交際したが長続きしなかった。
今横ですすり泣きしている東條センパイも、二ヶ月しか保たなかった。向こうから来て、向こうから去って行く、それを不動は特に止めもせず、かといって彼女たちの言いなりになっているわけでもなかった。
「待ってよ!」
歩道のど真ん中で、東條景子は叫ぶ。
(面倒くせぇ)
いつも言われることは同じだ。何故もっと自分を大切にしてくれないのかと彼女たちは言い、答えもしないうちから勝手に浮気しているだのと思い込みで話を進め、挙句の果てには泣きながら去って行く。
「それでもいい……別れたくない……っ」
不動は黙ったまま自転車に跨り、背を丸めハンカチを顔に押し当てる東條を残してバイト先へ向かった。
四ヶ月前、高校サッカー世界一を決める大会で、不動は後悔と屈辱を味わった。準決勝で痛めた右足のせいで、決勝戦をベンチで傍観するハメになり、オレならこうするのに、オレならもっとうまくやれるはずと、やきもきしながら待つ九十分は地獄の苦行だった。
言わずもがな日本が誇る炎のストライカー豪炎寺と、ブラックタイガーを海老ではなく自分の通名として知らしめ見事に植え付けたエース宇都宮虎丸が、何とかもぎ取った点で優勝したはいいものの釈然としない。
懐かしい面々ばかりの若き日本代表がお祭り騒ぎをやっている横で、一人輪の中に入れなかったのは妬みや僻みからではない。入れなかったのではなく、入る気がしなかったのだ。
鬼道はすぐに各国からスカウトのオファーが来ていたが、不動には国内から二件のみ。だが彼は自分がどういう駒なのかよく理解していた。鬼道がどうのと、この期に及んで背比べするつもりはない。それよりも、本気で上を目指さなければヤバいと思った。
これじゃダメだと怪我をもって身に染みて分かった不動は、女と遊んでいる場合ではなかった。まずは自分と対照的に恵まれた奴と、胸を張って顔を合わせられるチームに入る。ただそれだけを考えた。
誰かの真似をしているようではダメだ。学歴なんてどうでもいい。それよりも、一刻も早く行動しなければ。






2001

一部リーグに突然入ってきた日本人、並外れて頭が良いだけでも周囲の注意を引き付けるというのに、ルックスも凡人離れしている。鬼道が注目の的にならないわけがなかった。
当然、歓迎しない者も若干名出てくる。ロベルトは全く逆だった。
青空のような瞳に楽天家気質、だがフタを開けてみれば大したことはない。我が物顔で仕切っている依存型で、気付いた時には輪の中心に嵌められ、抜け出せなくなっていた。
最初は話がしやすいと感じたのだが、頭が良いふりをしているだけだ。胡散臭さに気付き離れようとすると絡まれる。粘着質で、間違っているのだが妙に頭が回るため、手を焼いた。しかし何とか強気に出て、縁を断ち切ることができた。
高校の時も中学の時も、小学校でも、意味なく付き纏う輩はちらほらいた。自分が例え無能で不細工だったとしても、鬼道という名だけで妬みや羨望の対象になる。最初の頃は戸惑ったが、あまりにも周囲がくだらない人間ばかりなので慣れてしまった。
円堂や豪炎寺のような、自信に満ち溢れていてどんな状況にも決して揺らぐことのない強い意志に惹かれ、同じ道を目指した。だがどこへ行っても、仲間はいない。
共に学び、励まし合い、志を同じくして歩むことはできても、人生という名の小川の中で立っている場所は違う岩の上だ。
本当の意味で理解してくれる人、狭い岩の上で支え合って立つ人はいない。
人間は生まれてから死ぬまで孤独だとどこかで聞いた。どんなに仲が良くても、血が繋がっていても、双子であったとしても、別々の意識を持っている時点で他人なのだ。
それに気付いてから、しつこく付き纏う低能が減った。驚く程のことでもない。






1998

毎日太陽が昇ると同時に叩き起こされ、先輩達と時間をずらしてトレーニングした後は、食事の用意を手伝い、宿舎の掃除、大量の洗濯をする。
不動の他に、一部リーグの新入生は四人いた。一番最初に練習の成果と才能を認められ、ベンチに入れてもらったのは不動だった。
待ち構えていたかのように、先輩たちの視線が突き刺さる。
「イエローのくせに、随分色白だな。大丈夫か? ああ、ケツが青いガキだからか」
カルロスと言うFWは図体も態度もでかく、日に焼けた筋肉だけが自慢らしかった。
「ベンチで日傘でも差してろよ。オレ様のスーパーシュートがよく見えるところでな」
もう少しで殴りに行くところだったが、そこまでバカじゃない。そこへちょうど監督が来て救われた。
「入ってみろ」
指示の最後に名前を呼ばれ、驚いたが嬉しかった。一人の練習とチームでの練習は全然違う。皆でボールを奪い合う久々の感覚に夢中になっていたのだろう、終わってみると周りからの視線に変化が見られた。
カルロスだけは、さらに攻撃的になった。
「よおセニョリータ、帰りのチケットはもう買ってあるのか?」
次の日は、監督の指示で前半だけ司令塔を任された。結果はそれほど良くはなかったが、後半も出してくれれば違ったはずだ。カルロスはいつも通り信者たち ――彼の言いなりである小心者をこう呼ぶ――に囲まれて笑っていたが、不動にも聞こえるようロッカールームに響き渡る声で言った。
「オレ様に指示は必要ない。完璧なシュートをキメるためにオレ様を全員がサポートするんだ」
またある時は、すれ違いざまに嫌味を言われた。
「よお、ベンチのお嬢さん」
不動は尽く無視し続けた。
(こいつはオレの能力を恐れてるだけだ。中身はスカスカで低能。腰抜け野郎)
そして、ひたすら自分のことに集中した。
数日後、得点の響かない練習試合が行われ、不動やレギュラーでない選手も活躍の場が与えられた。云わば中間テストのようなものだ。
この日のために研ぎ澄まし鍛えてきた神経と肉体をフル動員したおかげで、不動は"ただの練習生"から"見込みのある練習生"へと格上げされた。闘牛のようなカルロスを手懐け、彼の持ち味を活かして点を決めさせたことが大きかった。
本人は自分の実力だとここぞとばかりに騒いでいたが、チームに何が必要なのかは分かったはずだ。その証拠に、すれ違っても何も言わないようになった。
やれやれと息を吐いて、不動は選手たちが引き上げた誰もいないピッチを見渡す。
(オレはくたばらねえ。お前のことも気にしねえ。オレは世界に行く)
彼の目に、鋭い稲妻が光った。






1671

円堂と豪炎寺に会って、喩えようのない深い安堵に包まれた。
共に苦難を乗り越え、歓喜を分かちあった友は他にはない特別な安心感をもたらしてくれる。
久しく会っていなかった訳でもないし連絡は取り合っているが、特に円堂は筆不精で、口で言った方がコミュニケーションが取りやすいこともあり、お互いの近況を報告しているうちにあっという間に時間が経った。
「不動はどうだ?」
世界大会での様子しか知らない円堂が、さり気なく聞いてくる。終わってもキャプテンで居続ける姿勢――しかも本人は無自覚である――に感動しながら、鬼道は記憶の中から不動の様子を引っ張りだす。
「足はすぐ治ったが、練習に来ない。もうやる気がないんだと皆には言われている」
「学校には?」
「一応来てはいるが、出欠を取った後はずっと寝ている。成績も落ちている」
ふーむと同時に考え込む二人を前に、鬼道は慌てた。
「あいつの話はもういい。雷門のほうはどうだ? 問題ないか?」
「鬼道、またアイツに絡まれたりしていないか?」
話題を変えようという試みは失敗に終わった。豪炎寺の黒い目に真っ直ぐに見つめられ、誤魔化しは効かない。
「絡むと言ったって、おれと顔を合わせることすらほとんど無いんだぞ。それに、今のあいつは誰に対してもひどい態度だ」
「やっぱりひどい態度なんだな」
「大丈夫か? 鬼道」
円堂まで、本気で心配してくれているのが分かる。苦笑して誤解を解こうと口を開きかけた鬼道を前に、豪炎寺は言った。
「気にかけるから尚更依存されるんだ。放っとけばいい」
あとは言わなくても分かるだろうと言わんばかりに、豪炎寺は腕を組んで椅子に背を預ける。
「いや、ひどい態度と言うのは――」
「なんか、色々大変みたいだな。でもお前なら大丈夫だ、鬼道。俺たちがついてる!」
円堂に締めくくってもらったのをいいことに、円堂は熱く礼を言って違う話題へ振った。
ひどい態度と言うのは、今までのとちょっと違う。絡んでくるのではなく、シカトし続けているのだ。
だが擁護したくても、どこがどう大丈夫なのか説明したくてもしきれず、豪炎寺のアドバイスも宙に浮いたままだった。






1490

不動は相変わらず、授業中寝てはバイトへ向かう生活を日々繰り返している。疲れた様子を一切見せずにサッカー部の練習も参加し、世界大会へ向けて佐久間や成神と連携力を高めていった。
しかしサッカー部の仲間ともそれほど馴れ合うことはなく、練習が終われば遊びの誘いも断りすぐに帰ってしまう。それがバイトのためだと知ってはいても、おれを避けているような気が何となくしていた。
弁当を渡したから何だと言うんだ。あれから彼に対して何か悪い印象でも残したかと不安だったが、考えれば考えるほど事態は解決するどころかどんどん望まぬ方へ向かっていく。一番簡単で手っ取り早い方法が、クラスメイトへ情報を聞き出すことだった。
「不動が何してるかって? 知らないよ」
「さぁ……何してんだろね」
「分かんない。俺より鬼道の方が詳しいんじゃないの?」
尽くハズレを引いてしまい、もう他に聞いても問題ない相手がいなくなってきた時、やっと希望を見つけた。
文系の三人組はシューズロッカーの前で、帰るのか帰らないのか小声で冗談を言い合っている。おれはあまり関わったことのない相手だが、不動が彼らと言葉を交わしているのを見たことがあった。どういった繋がりだったのだろうか。
「不動? ああ……」
早速質問すると、訳ありげな苦笑が返ってきた。
「アイツ今、上村と付き合ってるらしいね」
「え、マジで? 上村詩織? 何でお前知ってんの?」
「本人に聞いた。カノジョの方」
「マジか……」
カノジョという単語を意味深に強調すると、他の二人は下卑た薄ら笑いを浮かべる。おれはこめかみに圧迫感を感じながら、口を挟まず聞いていた。
「もうサッカーやめんのかね」
「それはないだろ。サッカーに取り憑かれて、夜中じゅう特訓してるって聞いたぜ?」
「夜中じゅうとかパねえし」
「しかも一人でだぜ。まじパねえよ」
「特訓じゃなくて、上村とヤりまくってんじゃないの」
引きつったような笑い声におれはやや大きい声で言った。
「よく分かった。ありがとう」
何とか常識人として、礼を口にして平然とその場を去ることができた。
ここへ来るまでに数多くのパターンを想定していたが、まさか本当に女子と付き合っているとは。頭のどこかで分かっていたはずなのに、異常に胸が苦しくなっ て病気かと思ってしまった。いや、実際、ある意味病気なのだ。それを何とか常識の範囲内に収めながら暮らすのは骨が折れた。
叶わぬ恋は二度目だ。円堂の時は憧憬を多く含み、初恋だったこともあって、けじめをつけやすかった。だが今回は少し違う。激しくダメージを受けている自分を客観的に眺めながら、おれはまだ不動との関係にけじめをつけられないでいた。






2217

スペインは熱い国だ。気候だけでなく、人々も情熱に溢れている。それに誘われた訳ではないが、おれは不動に会いに飛行機へ乗った。
「久しぶりだねェ、鬼道クン」
高校を卒業したあと、すぐに渡欧したうえ、お互いクラブに認められることで精一杯で、とても海を渡る余裕なんてなかった。入団して一年が過ぎ、不動はその頭角を現していた。
「この間の国内戦を中継で見ていたが、相変わらずのようだな」
「お褒めの言葉どーも」
「言っておくが、褒めてないぞ」
久しぶりの日本語が嬉しくて、一緒に連れてきたチームメイトたちに紹介するのが遅れたおれは、僅かに動揺する。
不動はスカウトされたわけでもなく、日本人ということもあり、最初は例によってずっとベンチを温めていた。しかしこれではいつまで経っても自分の能力を分 かってもらえないと気付いた彼は、ハーフタイム中ベンチへ戻ってきたチーム、そしてキャプテンに、自分が見たことを全て伝えた。
今までの流れ、ミス、隠している怪我だけでなく、後半をどう動くべきかということまで、包み隠さず話した不動に「そう言うならお前も出ろ」と言われ、見事に点を入れさせた。
自力でのし上がってきた不動の存在は、イタリアでもちょっとした話題になっていた。
「そうか、キドウのクラスメイトだったのか」
「こんな二人が同じチームにいたなんて、ジャポネも侮れないな」
それを聞いて、円堂と豪炎寺の顔が浮かぶ。
「チームには、おれよりもっとすごいキーパーとストライカーがいた。チーム全員が並外れたプレイヤーだったんだ。いつか日本代表としてお前たちと顔を合わせることになるさ、楽しみだな」
「そうか、負ける訳にはいかないな」
こんな調子で、あっという間に時が過ぎた。バルに響く笑い声は絶えない。程よく酔いも回った頃、音楽のボリュームが上がって照明が暗くなり、ダンサーが現れた。
フラメンコのリズムに合わせてひらひらと赤いドレスが揺れる。ひとしきり魅せてくれた後、拍手の渦の中でお辞儀をし、終わりかと思いきや波打つ黒髪の美しい彼女はおれに向かって歩いてきた。
もう次の曲が始まって、リズムを取りながら手招きされたので、丁重に断ろうとする。
「おれはいい。こいつの方が上手い」
辿々しいスペイン語で不動を指さすと非難がましい目線が突き刺さったが、にっこりと微笑んだままのダンサーは何を聞き間違えたのか、おれ達二人の腕を引っ張ってステージへ向かった。
ステージとは言ってもスポットライトが当たっているだけのバルの床で、特別な飾りや段があるわけではない。
「さあ、魂に身を委ねて!」
そんなようなことを言っておれたちに足を指し、リズムの取り方を教えてくれた。引っ張りだされてしまったからには、やるしかない。
ほろ酔いと負けず嫌いが手伝って、おれはデタラメでひどい有様なのに、楽しくなってきていた。
気付けばバルの客の殆どが立ち上がり、リズムを刻んで音楽の輪に入っている。不動は仲間たちと回り、おれと回った。
彼の心底楽しそうな表情が珍しくて、この国の風が人格を変えてしまったのではないかと戸惑う程だったが、変わったのではなく元々備わっていたものを解放しているだけなのだと思い出した。
身を焦がし大地を育てる、太陽のような男なのだ。
いつの間にか一緒になって、おれも笑っていた。






3013

あとは風呂に入って寝るだけという頃、ソファでニュースを見ていた不動が言った。
「なァ、鬼道ちゃんって禁欲でもしてんの? 坊さんみたいに」
ドキッとしたおれはちょうど、パジャマを持ってバスルームへ向かおうとリビングを横切る途中だった。
「別に、敢えてしているつもりはない。何故だ?」
「だって全然出かけたりしねーじゃん。カノジョいねェの」
通りすがりを狙ってくれて助かったと思った。いつでも話をやめることができるからだ。もしかして、そこまで計算しているのだろうか。
「今はいないな。息抜きなら十分取っている。どうかしたのか? 街で遊びたいと言うなら――」
「イヤ、別にそこまでじゃないんだけど」
話を早く終わらせようと相手の言いたいことを予測して先回りしてみたが、どうも余計な気を遣っただけのようで煮え切らない。
毎週末、練習の帰りにチームの皆で酒場やクラブへ行く。彼らにとっては酒とナンパが息抜きだが、鬼道はチームの皆と酒を飲みながら他愛ない話をしているだけで良かった。
だが不動はきっと、そうじゃないのだ。本人に聞いたことはないが、噂によればスペインでは遊び放題で、女と帰らない夜はなかった程らしい。
伝言ゲームには尾ひれはひれがつきものだが、冷静に考えても健康なばかりでなく毎日肉体を鍛え激しい運動をする成年男性である、こんな寂しい郊外の家で燻っていては体にも良くない。
「おれに遠慮することはないんだぞ。プライバシーは尊重するし、好き勝手やっても構わない。お前はそのくらいの常識があると思っているからな」
これで最後にしようとバスルームへ向かうと、後ろから声がかかった。
「とりあえずさー、今度のオフは街でブラブラしねえ?」
来た道を少し戻り、廊下から顔を出す。
「……何をしに行く?」
「何でも」
「分かった」
いくつか疑問が残ったが、練習で疲れ、眠くなってきていたし、風呂から出た頃には気にするのをすっかりやめていた。









つづく






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©2011 Koibiya/Kasui Hiduki