<夜明けの王と紅月の鬼 十七>




 翌日になってやっと周りが落ち着いた頃、鬼道は静かな部屋と清潔な着替えを借りて、安堵から生じた疲れを癒していた。
 不動は安静にしているようにと風丸に念を押され、することもなくつまらなさそうに寝転がっている。じっとしておれない源田と、それを放っておけない佐久間は、この広い屋敷のどこへやら散歩へ行った。
 口を開こうか迷っていると、廊下へ続く襖の向こうから声がした。
「鬼道さんはいらっしゃいますか」
「入れ」
 答えると襖が開き、入ってきたのはマオニの少年二人だった。座布団を無造作に置き、不動は少し離れた縁側へ移動する。できるだけ他人と関わりたくないというのもあるが、彼は本来、こうした些細な気遣いを然り気無くする男である。しかし少年二人はそんな配慮もお構い無しに、座布団の後ろで肩を揃え、額を畳に付けた。
「鬼道さん、お願いします。一緒に連れて行ってください!」
 突拍子もない依頼に、面食らった鬼道が唖然としているのも構わず、二人は畳み掛けるようにして先を続ける。
「僕たち、貴方のような強いオニになりたいんです」
「円堂さんは、貴方の元でなら外で暮らしても大丈夫だろうって言って下さいました」
「どうか、お願いします!」
 なるほど、強い意志を持っているのは確かなようだ。そしてそれは清らかで若者特有の情熱に溢れている。
「お前たちの師匠はどうした」
 顔を上げ座り直させた二人に、鬼道は尋ねる。
「それが、僕たちを天狗様に預け、旅に出てしまったんです」
「どこへ?」
「分かりません。天狗様のところなら安全だから此処に居るように言われました。……僕とリュウジは 孤児で、立派なお家に引き取られたけど、酷いことを沢山されて逃げてきたんです。町で悪いことも色々しました。ひたすら、強くなりたいと思って」
「そのとき、助けてくれたのが照美様です。不思議なオニの力をくれ、良い使い方を教えてくれました。俺たちは照美様がくれた力を無駄にしないように、少しでも多く学びたいんです」
 明るく人懐こい笑顔の中にきちんと芯が根差しているのを見て、鬼道は口元をゆるめる。鬼道はややあって頷いた。
「分かった。出来るだけのことはしよう。おれに教えられることはごくわずかだが、それでも良ければ」
 ヒロトとリュウジはぱあっと顔を輝かせ、「有難うございます!」と声を揃えた。」
 自分と同じような事をしている照美に、どことなく共感する部分があるのを認め、鬼道は感慨に更ける。次に会うときは、少しは話ができるかもしれない、そう思うと不思議に心が軽くなった気がした。




 二人が退室して、不動は長い息を吐き肩の力を抜く。生来、他人との干渉は好まない性質であるが、同じような境遇の同世代に全く共感しないと言えば嘘になる。
 鬼道に学ぼうとすることはとても順当に思えたが、それを鬼道が二つ返事で了解したことは少し意外だった。まだ何を考えているか読み切れていないなと自嘲する不動の横に、鬼道が座る。
「しばらくうちで暮らすことになるな。構わないか」
「え? ああ、別に」
 承諾してから訊くなよと思い、訊いたわけではないのだと気付く。鬼道を見ると、微笑はどこか懐かしいような寂しいような影も含んでいて、不動は中庭に目線を戻した。何か奥に理由があるようだが、果たして知る事ができるかは分からない。
「あいつらは?」
 見たところはオニの子、不動と近い年齢のようだが身なりは整っていて、とりあえず最低限の礼儀は弁えているようだった。
「マオニと云う。元は人間で、オニと同じ類いの力を与えられ、覚醒すると増幅するのも同じだ。違うのは寿命があることだが、人間よりは長いらしい」
「ふぅん。色々いんだな。そういや覚醒とかって、いつなんだ?」
「二十四だ」
 何気なく聞いたつもりだったが、即答した後鬼道はわずかに顔を曇らせた。何がそうさせたのか、不動には測りかねる。
「普通……妖怪は二十四で一人前の力を発揮できるようになる。恐らく、お前もそうだ。十六夜を迎えれば、完全に覚醒する」
「あと九年、か」
 呟いて、指を折ってもう一度数える。ふとそんな自分がどう映るかについて思い至り、手を下ろす。奥底に燻る焦りを悟られたくはない。
「それまでうるさいのが増えるってこったな」
 他人の話で誤魔化して、どさりと寝転がり、頭の後ろで腕を組んだ。
「すまないな」
「いーけど。旦那は最強だからな、仕方ねぇよ」
「円堂には敵わないさ。それに、あいつらが求めているのは強さじゃないんだ。だから引き受けた」
 その言葉に寝転んだまま鬼道を見上げるが、前を向いた顔は何を思っているのか見えず、不動も自問自答に留め、敢えてそれ以上詮索しようとはしなかった。




 あっという間に時間が過ぎた。不動の回復は良好で、七日前は三途の川を渡りかけていたなど今では嘘のように見える。
 他人と関わるのは面倒だと部屋に籠っている不動だったが、四日目にはヒロトやリュウジ、同じ年頃の妖怪少年たちに混じって、蹴鞠で遊んでいた。本人曰く、友好的なふりをした効果的な情報収集方法だと言い張っていた。笑って話半分に聞いていると、拗ねて先に寝てしまった。
 何もかも捨てて諦めたような生き方をしていた頃から見れば、大きく変わったなと鬼道は思う。このまま穏やかに、笑顔の瞬間が増えていけばいいと願う、自分も随分変わったものだ。
 しかしこれ以上世話をかけるわけにもいかないのでと、帰る方向に話がまとまった朝、鬼道は円堂を二人だけで散歩へ誘った。
「あーあ、寂しくなるなあ!」
 まるで旧友が遊びに来ていたような言い方をされて、つい顔が綻ぶ。
 円堂は滝を見せてやると言って、大股で歩いて行く。慌てて追いつき、肩を並べた。
「円堂、本当に有難う」
「なんだよ、改まって? いいっていいって! 気にすんな!」
 予想通りの答えが返ってきて苦笑する。その背を円堂が力強く叩き、少しよろめいた。
「それよりさ、アイツらのこと頼むぜ」
「ああ。お前は……知っていたんだな」
「何をだよ? お前も子分くらい良いだろ、めちゃめちゃ強いんだからさ。鍛えてやってくれよな」
 わざとはぐらかす相変わらずの様子に、鬼道は仕方ないなと言う風に微笑んだ。少し歩き進み、円堂は続けた。
「俺さ、あの時から、鬼道ならいつか絶対分かってくれるって信じてた。つらい結果だって分かってても、一緒にいることに意味があるんだ、って」
 はっと見た円堂の表情には、普段見せない翳りが混じっていた。
「……円堂、」
「夏未は逝く直前まで、幸せだって笑ってくれたよ。俺はそれだけで十分だって思った」
 その昔、少女は茸を採りに出掛け、森で天狗に会った。天狗は噂ほど恐ろしくはなく、また会う約束をした。たぶん一生の恋だった。ある夜村にオニが現れ、少女は父親を庇った。オニに喰われると思ったその時に天狗が助けてくれた。礼をすると言ったら、娘をくれと天狗は言った。少女は喜んでついて行った。例えそれが儚いひとときでも、天狗は彼女と共に過ごす時間を選んだのだ。そして、彼女は天狗に全てを捧げた。
 それほど大きくはない滝を背に、二人は岩に腰かける。鬼道が口を開いた。
「あの娘を捕まえた時、おれは初めてぼろくそに負けた、だけどお前は……ああそう言えば、あの時の礼もまだだった」
 情けなくため息をつく鬼道に笑いかけ、円堂はその背を軽く叩いた。
「いいって。お前なら、手当てなんかしなくたってすぐ治ったんだろうけどな。何も言わないで、いきなりいなくなっちまうもんだから、話もできなくてさ」
「すまない」
「だからいいってば。夏未も無事だったんだし。俺はこうして、ちゃんと話がしたかっただけだ。話せば分かってくれるって思ってた」
 円堂の笑顔に、過去は砂になって記憶の砂漠にばらばらに散って行く。
 少しの間、心地好い沈黙が訪れる。その間も背後で滝がざあざあと流れ、穏やかな気持にさせてくれた。
「お前さ、言ってただろ? 俺がやめろっつった時さ。なんだっけ、『人の血を啜ったこの魂は何者にも止められない』とか、何とか。あれって、本当にそうなのか?」
「どういう意味だ」
 過去の自分に自嘲しつつ考えて、すぐに円堂の言わんとするところが分かった。
「きっとアイツなら……」
「やめてくれ」
 声の調子を落として遮り、鬼道は俯く。円堂は残念そうにため息を吐き、この話を大人しく諦めたようだった。
 確かに、不動の力は未知数だ。もしかすると円堂の推測通り、この血に染まった魂の罪を不滅なものではなく、この身をもって償えるようにできるかもしれない。失った力を取り戻す事ができるのかもしれない。
 だが、夢のまた夢に希望をかけて期待していても仕方ない。現実的でない思考は鬼道の得意ではなかった。
「不思議なものだな、お前を見ていて、人間と暮らせるはずなどないとずっと思っていた。それが今は、」
 背後を振り返り、荘厳な滝を見る。円堂は相変わらず鷹揚に言った。
「ああ、もうやってないんだろ?」
「やはり、気付いていたか……」
 何でもお見通しだな、と付け加え、鬼道は再び苦笑する。
「だってお前、悪い奴じゃないじゃんか。でも、大丈夫なのか?」
 その問いには鬼道は答えず、ただ少し微笑んだだけだった。それは水を得るため敢えて干からびた道を選ぶ、彼の決意の表れだった。人間を喰らい続けていたら今頃、更に神に近づいた不動を抱きしめることさえできなくなっていただろう。
 鬼道はしばらくして立ち上がり、「そろそろ戻ろう」と歩き出す。
 円堂が後を追い、並んだ二人は他愛のない話をしながら、来た道を戻って行く。せめて、と天狗は、この良き友の幸福を心から願った。




続く







戻る
©2011 Koibiya/Kasui Hiduki